第17話 筆頭聖女のやり残し
それから数日後。
朝、開店準備をしているところで、神様が名札をつけて持ち回りで担当する巡回へと向かった。
「余計なこと言うなよー」
送り出したあたしが一人で机を立てたりお茶の準備をしていると、場違いな上等な服を着た男がやってきた。
「朝から頑張ってるね、シャルテちゃん」
「商会長さん。おはようございます」
「おはよ。旦那さんは?」
「巡回にいきました。すぐ戻ってくると思いますけど……呼んできましょうか?」
「ううん、じゃあいいや。……ちょっとぼやきに来ただけだから。椅子座っていい?」
頷いてお茶を出すと、「忙しい時間に悪いね」と詫びを入れながら商会長は煙草に火をつける。
薄く紫煙を吐きながら話す彼を、あたしはめずらしいと思って見ていた。この街の喫煙者にしては珍しく、普段子供の前では吸わない人だったからだ。
「シャルテちゃんも気づいてるだろ? この街、ちょっと空気悪くなったんだよね」
「……そうですね。実はちょっと思ってました。みんな……しんどそうだなって」
「教会のやり方が変わったからね」
ーー教会。その言葉にどきりとする。
「シャルテちゃんは知ってるかな、最近また、無料聖女派遣活動が行われるようになったの」
「あ、あれが再開されたんですか!?」
あたしは|8歳児(シャルテ)であることを忘れ、身を乗り出す。
商会長は苦々しい顔をして頷いた。
煙と共に吐き出されたのは最悪のーールルミヤ・ホースウッドの方向転換だった。
「シャルテちゃんがどのくらい知っているのかわからないから、一から説明するけどーー」
彼はシャルテが無知な子供という前提で噛み砕いて問題について語り始めた。
「無料聖女派遣活動はね、場所代と滞在費と諸経費さえ出せば、聖女たちが無料で市井の人々を癒してくれる奉仕活動の一つだ。それだけだとすごくいい取り組みのように聞こえるけれど……残念ながら違うんだよね」
場所代と滞在費と諸経費を出すのは権力者。彼らは無料聖女派遣活動そのものはもちろん、教会関係者のもたらす経済効果を目的に献金を積んで我先に聖女の派遣を求める。
善意の派遣依頼もある。
しかし、大金を貢いで聖女を呼び寄せる者はたいてい旨みを狙っている。そういう連中に対して、教会も希望する献金額を釣り上げる。
本当に困っている人々に治療は行き届かず、また聖女も酷使され疲弊し、体を壊す。無料聖女派遣活動は、そのような政治腐敗の温床だった。
「無料とは言っても、
「体を壊すまで働かせて、瀕死になったところで治療させるんですね……」
「そう。まさに生かさず殺さず、逃さず」
ルルミヤはそんな、無料聖女派遣活動を再開したのだ。一部の権力者たちへの御機嫌取りだろう。
「この街ではまだ始まってませんよね?」
「ああ。でも、市境に位置するノーザモン炭鉱ではすでに実施されてるんだ。……だから、その影響がこの街にもね」
「だから、街の空気も変わってきたんですね……」
「……すでに何度か、労働者の過労が引き金になった事故が起きてるからね」
やるせなさそうに、商会長はお茶に目を落とす。あたしは筆頭聖女時代のことを思い出した。
商会長は『労働環境を整えることこそ、地域全体の経済活動をより良くする』と常に考えてきた人だ。だからこそ筆頭聖女だった頃のあたしも彼に慈善活動の改善に協力してもらっていたのだ。
「……わたしの尊敬するお薬屋さんも言ってました。『その場、その場を薬で癒すだけでは、何の解決にもならない』って。生活を整えたり、食べるものを良くしたり、お酒を飲みすぎないようにしたり……そういうところを粗末にして、薬や聖女異能に頼っちゃだめだって」
「へえ。不思議なことを言う薬師もいたんだね。薬が売れた方が商売になるだろうに」
「はい」
思い出すのは父の言葉と行動だった。
「聖女の皆さんも大変そうですよね」
「うん。先日の会合でたまたま治療会の日程を聞いたけど、かなり詰め込んでいるようだったよ。聖女たちも随分無理をさせられてるんじゃないかな」
「……」
露店の周りの人の流れが変わってくる。見回りが終わったようだ。
商会長さんはお茶を飲み干すと立ち上がった。
「お茶ありがとうね」
「いえ。……お茶を出すことくらいしか、できなくて」
「何言ってるんだい。君はまだ子供だろう」
感謝の言葉を受けて、感じたのは罪悪感だった。ーーあたしが筆頭聖女を続けていられれば、起きない問題だったのに。
「……あの、商会長さん」
「ん?」
「シャーレーン様のこと……やっぱり、怒ってますか?」
「……」
「教会と各地の偉い人がこれまで作ってきた関係を引っかき回すだけ引っかき回して……半端なところで、異世界にいきなり帰っちゃって。あはは、うん。聞くまでもないですね」
あたしの言葉に「ふむ」と言うと、商会長さんは顎を撫でる。
「まあ、正直大変ではあるけど」
胸にグサリと言葉が刺さる。
けれど続きは予想外に優しい言葉だった。
「だけどそれはシャーレーン様のせいじゃない。本来は俺らマケイドの人間がやるべきことに、シャーレーン様が知恵と力を貸してくださっていただけなんだ」
「商会長さん……」
「きっと俺たちで後はなんとかできると信じてくださって、異世界にお戻りになったんだ。……でもまあ、この現状を見たら、怒られちゃうかな?」
「そ、そんなことないと思います! だって商会長さん、がんばってるし……むしろ申し訳なく……思っちゃってたりするかも……? えへへ、シャルテの想像だけど……」
「実はそれも考えてたんだよ。異世界にお帰りになったのも、不本意なのかもしれないってね! ……うん。やっぱり俺としては、シャーレーン様を感謝してるし、いてくださった時代を大切にして今後に繋げていきたいよね。理想を言えば」
あたしがシャーレーンだ。迷惑をかけて悪かった。
今にも口をついて出そうになる。打ち明けて謝罪したい。今からでも責任をとって、できることをしたいと訴えたい。
けれど……様々な思惑が絡んでる状況に、背負うものの多い商会長を巻き込めない。
あたしはせめて、商会長さんに向けて祈った。
「シャーレーン様の代わりに、わたしがいっぱいお祈りしますね。……商会長さんも、みんなも、幸せになりますように、うまくいきますようにって」
「君は本当にシャーレーン様に似ているな。……十年早かったら、恋に落ちてたよ」
会長さんは片眉をあげて笑みをこぼし、煙草くさい大きな手のひらでくしゃりと髪を撫でてくれた。
「旦那さんによろしく言っといてくれ」
会長さんはそう言うと、片手をあげて去っていった。
その背中をしばらく見送っていると、上からぬっと神様の顔が逆さで降ってきた。
「ぎゃッ!?」
「……後ろに立っていたのに」
「おかえり、おかえりダーリン。あーーッびっくりした」
神様はむくれた顔をして、あたしを背後からきつく抱きしめる。そして商会長さんに撫られた頭頂部にぐりぐりと頬擦りする。
低い声で、神様はつぶやいた。
「あの男の匂いがする」
「ご、ごめん撫でられて……それは迂闊だった」
「撫でられた事実だけじゃなく、撫でられてもシャーレーンが気にしてないのが不満だ」
「しゃあねえだろ、いちいち手を振り払えるかよ、こっちはガキなんだぞ。気をつけるから、な? 機嫌直せよ」
「…………シャーレーンは俺の妻だ。俺が匂いを付け直す」
「おいおい……まあ、それで納得するならいいけどさ」
撫でられた頭頂部にキスが何度も落とされる。
あたしはただ、されるがままになるしかなかった。
◇◇◇
夜はいつもの宿に泊まった。
公衆霊泉で身を清めてきたあたしが戻ると、神様は窓辺に座ってじっとしていた。
「神様は霊泉は浴びなくていいの? 毎晩聖堂で湯浴みしてただろ」
「いい。あれは人間が決めた儀礼だ」
「臭いだろ」
「臭くない。……ほら、嗅いでみるといい」
「ほんとかあ〜?」
神様の腕の中に収まり、黒い服の胸元で息をする。一日中外で働いていたにもかかわらず、汚れっぽさが一切ない。黒髪はいつも湯上がりのようにさらさらだし、人特有の匂いすらない。
神様が髪に指を通すと、濡れた髪がふわふわと乾いていく。便利だ。
「……ほんとに匂いしないんだな、神様」
ムキになってくんくんとあちこち嗅ぎ回っていると、神様がじっとこちらを見ているのに気づいた。
「どうした?」
「シャーレーンからもう男(オス)の匂いはしないから、よかったと思っていた」
「……ほんっと、神様は嫉妬深いなあ」
窓の外は夕暮れ。
手際よく片付ける昼の商人たちと、これからが稼ぎどきの夜の住民たちが入れ替わる時間帯だ。人々は賑やかだ。けれど彼らの生活は確実に、じわりじわりと崩れ始めている。寂しさが胸を刺した。
「……あたしは、もう何もできないんだな」
自由に生きられてそれなりに幸せだ。
父は失ってしまったし、帰る故郷もない。
筆頭聖女の責任も何もない。
だからのびのびと神様の妻として過ごせばいいのに。
ーーなぜだろう、責任逃れしているような、この居心地の悪さは。
「そういや神様、あんたは自由にしていていいのかよ」
「どういう意味だ?」
「だから……初代聖女との契約で聖堂にいたんだろう? 聖堂から離れてしまえば国の守護はどうなるんだ?」
言いながら、なぜかあたしはちょっとモヤっとした気持ちになっていた。
(神様は……あたしの交友関係全てに嫉妬するのに、自分は…………
あたしは首を横に振って、嫌な気持ちを振り払う。今は余計なことを考えて話をこじれさせる場合ではない。
目の前の神様は、気まずそうな顔をして視線を彷徨わせていた。
「……」
「……おい、神様?」
ん? と思う。珍しい反応だった。
「……神様、おい。もしかして……問題……あったりするのか?」
部屋の沈黙に反して、外の喧騒がひどくなってくる。取り込み中だからと無視しようと思ったが、宿の下まで野太い怒号が響いてくるとさすがに無理だ。
「何が起きてんだ」
窓から外を覗いて、あたしは反射的にカーテンを閉める。
「……聖女護衛騎士団(メイデンオーダー)だ」
神様の目が金に光る。あたしを探しているのかと危ぶんだが、彼らは宿の前を素通りして行った。
ざわざわと人々の噂話が聞こえる。
「かわいそうに。炭鉱の治療所から逃げ出した神官がうろついてるってさ」
「見たよ。ボロボロで……かわいそうにね」
「……逃亡神官だ」
あたしは神様を見た。神様は、強く頷いた。
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