第20話 いつか王子様が 後編

 キースは、他のメンバーの歩調に合わせながら、それでも最大限早く群生地になってる廃村へと走った。


 男は地獄から逃げ出すためについ数分前に死に物狂いで走った道を、今度は逆方向に走っていた。

彼の足は、とっくに限界だったけれど、目の前を走る英雄の背中から離れまいとして、無我夢中で走り続けた。


 廃村が目の前に迫ったとき、荒い息を整えながら男はこれまでの情報をキースに伝えた。


「俺たちは、ここより先に他の廃村でトルポの駆除を終わらせて、こっちに流れてきたんだ。でも…ここの奴らは、デカくて凶暴で…なんか前のやつとは全然違う種類みたいで…俺たちはあっという間に動けなくなって!」


「助けを呼びにきたってわけか…。お前達は全部で何人だ?」


「ちゃんと15人で来たよ!でも…俺たちのほとんどは簡単な駆除とかを専門にやってる奴らばっかりで…リーダーだけゴールドで、今回は数が多いから面倒なだけって聞いてたのに…なんでこんなことにっ!クソ!」


「普通のトルポならその通りだがな…入るぞ」


 キースは男の言葉に背中を向けたまま答えると、街の入り口にある、かつて村人達を歓迎したのであろうアーチに近づいていった。


 シャルル達が廃村の入り口を抜けると、そこは驚くほど静かだった。

 

 プルミエのレンガ作りの街とは異なり、石造りの家と瓦礫の山が間を開けて、ポツリ、ポツリと重苦しくそこに座っていた。

一つの家の窓を失ってポカリと空いた黒い穴の中に、ひび割れたドレッサーを見つけてシャルルの胸にはまた痛みが走った。


「あの家だ!」


その中から廃墟を一つ選んで男が駆け寄っていった。


 家の中には、13,4人の男が紫色の唇をしながら身を寄せ合って立ちすくんでいた。一塊の巨大な生き物のようだった。


 シャルル達が家を覗き込むと、ビクッと震えた後で、ぎょろぎょろと目玉だけを動かして、怯えた瞳たちがこちらを向いた。


「もう大丈夫だ!僕たちが助けにきた!」


 シャルルがそう語りかけても一塊の集団は、モゾモゾとうごめくばかりで、大量の眼でぎょろぎょろとシャルルを値踏みするように見ているだけだった。


「みんな!白銀のキースが来てくれたんだぞ!」


 シャルル達を呼びに来た男が、家の中に叫びかけると、彼らの瞳から涙が溢れ出した。

 シャルルのときと、あまりに違う態度を見て、どんどん小さくなっていくように見える自分の拳をシャルルは見つめていた。


「早く…!逃げないと!」


 家の中にいた男が集団から抜け出してそう叫んだ。

キースは、家の中にひどく負傷している者たちを見て、首を横に振った。


「今逃げても、探知範囲から出る前に捕捉される。俺がここらのトルポを駆除するまでお前達はこのまま家の中にいろ。」


 キースがそう告げると、男達はまた、一塊の集団へと戻った。

先ほどと違ってその眼には、何が何でも生き残ろうという決意が宿っていた。


 残りの3人も家の中に放り込んだ後で、キースはシャルルだけ外に出るように命令して、軽やかに家の屋根に飛び乗った。


「今、この村でトルポがいないのはこの家だけだ。他の場所からは、おぞましい数の気配を感じる。なんでかわかるか?」


屋根の上のキースがシャルルに語りかけた。


「人が…いるから?」


「連中、釣りをしてやがるのさ。餌をこの家に閉じ込めて、のこのこ助けに来た獲物を喰おうとしてるんだろ」


 シャルルに答えを告げながらキースが槍を構えると、あたりの廃墟から一斉に黒い煙が噴き出した。


「来るぞ!俺が上であいつらを撃ち落とす!お前は取りこぼした奴らが家に入るのを防げ!」


 キースが叫ぶのと同時に黒煙はこちらに向かって凄まじい勢いで向かってきた。

煙に見えていたのは、小さな、と言ってもシャルルの手のひらくらいはある、コウモリの群れだった。


 シャルルは取り敢えず家の周りに、巨大な蜘蛛の巣をいくつか貼ってみてから、屋根の上を見上げると、不思議なものが見えた。


 キースが槍を振るうと、その穂先に切り裂かれた空気が、見えない刃となってコウモリ達を切り裂いていく。


 屋根の上で、満月の灯りに照らされながら、透明なヴェールを纏って舞を踊っているかのようにキースの所作は美しく流麗だった。


 キースの作り出す透明なヴェールは、家全体を包み込み、風の刃となってシャルル達を守っていた。

これが、グランテールの守護神の本当の姿なんだな、とシャルルはそれを見上げていた。


 シャルルは、時折ヴェールの隙間を、飛び抜けてくるトルポを、蜘蛛の巣で捕獲していた。

キス•ド•ウォールの扱いにも慣れてきたようで、咄嗟に飛んできたトルポの身体を捕らえられるようになっていた。


 シャルルとキースが外で闘っているとき、エメリアは家の中から、ギュッと斧を握りしめながら、地面を見つめていた。


 エメリアは葛藤していた。


彼女の心の中では、キースの命令通りに迷惑をかけぬよう家の中に留まらねばならないという気持ちと、

今すぐ外に飛び出してシャルルと他の人々のために命を懸けなければならないという気持ちが、

ドキドキと音を立ててぶつかり合っていた。


 彼女の生い立ちは、勇気や正義といった素晴らしい感情を獲得するにはあまりに暗く短かった。


 彼女の、生来の性質とは別に、獲得してきたものは、息を殺しその場をやり過ごすという生きる術と、有用性を示すための自己犠牲による義務感しかなかった。


 エメリアが、葛藤を終え、飛び出すことを決心したとき。

持ち上げた彼女の目に、キラッと輝く青い光が見えた。


「シャル君!あそこ!誰かいる!」


エメリアが叫びながら家から飛び出してきた。


「エメリア!家の中に戻って!」


シャルルがトルポの群れを絡め取りながらエメリアに気を取られたとき、キースはその青い光の正体に気がついて、まずいな、と思った。


 エメリアが見つけた青い光の中では、恐ろしい黒いモヤに囲まれたメイシーがそれに抗っていた。


 メイシーは、その性格に反して、エルフ特有の防御魔法の使い手だった。

彼女の防御魔法は堅牢で、トルポ程度に簡単に破られるものではなかったが、彼女の攻撃能力はシャルルを跪かせるのが精一杯の可愛らしいものだった。


 昨日の夜は、防御魔法でトルポの気を引くうちに、引き連れてきた男達がちまちまとトルポを駆除することで上手くいった。

 今日も同じ手順を踏もうとしたのだが、昨日のよりずっと凶暴で一回り身体の大きなトルポ達に、男達が情けなくあっという間にやられてしまい、メイシーは独り取り残されてしまった。


 メイシーは、訪れようとしている自分の体力と魔力の限界と、目の前を覆う黒いトルポの群れのせいで、シャルル達が来たことにも気がついてなかった。



「シャルル!あそこにメイシーがいる!」


屋根の上からキースが呼びかけた。


 シャルルはその声に、すぐ反応してメイシーを見つけることができたが、飛び出そうとする身体を自分自身でグッとその場に押さえつけた。


『何をしとる早う助けてやれ!助けて抱きしめてキスをしてパーティに勧誘してキースはここに置き去りしてハーレ…』


『やかましい!これもあんたか!』


『何でもワシらを疑うでない!メイシーのパーティメンバーが偶然いつもより弱かっただけじゃ。偶然体調の悪いものもおったようじゃの』


『あんたはその偶然に干渉できるんだろ!』


 つい先日誓った自身の美徳、何をも優先してエメリアの幸せのために行動せねばならないという美徳のために、シャルルはその場を離れるわけにはいかなかった。


 そんなことを知ってか知らずか鼻息を荒くしながら機関銃のように言葉を乱射する神を、シャルルは頭の中で怒鳴りつけた。


「シャルル!俺はここを動けねぇ!お前がメイシーを助けに行くんだ!」


再びキースが屋根の上からシャルルに叫んだ。


 シャルルは今すぐ自分を2つに切り裂いて別々に動ければどんなにいいだろうか、と考えながらキースを睨んだ。

 

 キースはこのシャルルの瞳を見て、彼が抱えている事情をようやく察することができた。


「エメリア!ここに残って中の人間を守れ!」


「でも…」


 キースは、自分で助けに行こうとするエメリアを制止した。

 エメリアは自分で助けに行がなければという義務感で一杯になっていた。


「大丈夫だ!シャルルのが適役だ!」


『そうじゃ!はよういけ!』


「シャルル。お前の美徳は今だけ俺が預かってやる。早く行け。」


『はよう!はよう!』


 キースは厳しくエメリアを止めたあと、一方で、シャルルには落ち着いて話しかけた。

その言葉の間には、合いの手のように老人の言葉が挟み込まれていた。


「シャル君…私からもお願い」


2人の言葉を聞いて、耐え難いことではあったが、シャルルは自身の美徳をキースに一旦預けることに決めた。


 そこからのシャルルは速かった。


 シャルルは自分の目の前に、左手からぬるぬるとした液体を射出してその上をスケートダンサーのように華麗に滑った。

運動能力の低いシャルルだったがそうとは思えないほど美しい姿勢を保っていた、この三日間これだけを必死に練習した成果だった。


 勢いのままシャルルはメイシーの前に飛び出し、今度は右手から出した蜘蛛の巣で、群がるトルポを鮮やかに絡め取った。


「姫、もう大丈夫ですよ」


 メイシーの深い青い瞳の中に、鼻持ちならないキザな男が、金のウェーブヘアを輝かせ、黒いモヤをかき分け美しい月光と共に舞い降りてきた。

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