第2話 決意の朝に 後編
大男に思いっきり蹴り飛ばされたのだ。シャルルの目では追うことはできなかったが、なんとなく何が起きたかは理解できていた。
シャルルは、怒りによって頭の戸棚の中に痛みもしまい込もうとしたが、どうしても入りきらなかったようで胃の奥がズキズキと痛み、立ち上がることができなかった。
その時、脳内にあの聞き飽きた老人の声が響いた。
『無力じゃのう、シャルル。』
シャルルは痛みと、怒りと、神の言う無力さでそれどころではなかったので返事をしなかったが、神はそのまま語り続けた。
『お主の美徳を貫こうとする姿勢は素晴らしいがこのままではのう』
『何度も言うがこれは美徳などではない』
今度はシャルルが相手の言葉を遮って話し始めた。
『美徳とは、強い目的と信念を持って魂に刻み込んだ誓いのことだ。それは自分自身との契約だ。僕のこれは…朝起きた時にピンクブルボンの豆を挽くように僕が今こうしたいと思ったことをやってるだけなんだ』
感情を露わにし、想いを語るシャルルの話を、珍しく遮ることなく神が聞いていた。
『あくまで美徳ではなく習性じゃというところかの…。してシャルルよ、お主このままではその習性も貫くことはできんぞ?力が要るのではないかね?』
『力を…?もらえるのか…?』
『無論じゃ。ワシらが持つ運命の書にも、神は転生者に力を与えるものと記してある。』
『なんでも良い…彼女を助けることができるのなら…』
シャルルが答えると神が満足気に手を叩く音が脳内に溢れ返った。祝福の拍手の音を聞きながらシャルルは、腹の痛みがなくなっていることに気づき、すくりと立ち上がった。
立ち上がったことに気づいた大男がまた何やら叫んでいたが、シャルルの耳に届いたのは、別の言葉だった。
「逃げて…」
ウェイトレスの少女が、意を決して必死の気持ちで搾り出した、か細い声だった。
シャルルは、その声を聞いて怒りにまかせ、少女の気持ちを考えずに怒鳴り散らしてしまった自分に対して深く反省した。
そして、できるだけ優しい声色でその声に返事をした。
「もう大丈夫ですよ、お姫様。今あなたを捕らえている醜い鳥籠を壊して差し上げましょう。」
シャルルが右手をかざし、彼女を助けたいと願うと、掌から水のようなものが噴出された。
掌から出たそれは、みるみるうちに大男にまとわりつき、ガッチリと固まってしまった。触ってみると、ベタベタとしたとりもちのような感触があった。
なんだこれ、とシャルルが疑問に思っていると、神が答えてくれた。
『どうじゃ、お主のスキルは!満足したか!?右手からは相手を拘束する粘度の高い、左手からは逆に摩擦力を軽減する液体が出せるのじゃ!』
『なんだか…随分と地味な能力ですね…』
嬉しそうに話す神に、シャルルが率直な感想を述べる。
『何を言う!一見すると地味な能力を使い方と工夫などの試行錯誤で使いこなすべしと運命の書物にも書いておる!』
『さ、先ほどから出てくる運命の書とはなんですか?』
シャルルは神が機嫌を損ねそうなことを察して慌てて話を逸らした。
『運命の書は運命の書じゃ、ついこの間お主の世界に観光に行った仲間が気に入って大量に買ってきての。お主たちの生き様が事細かに書かれておったゆえ、今回の冒険の重要参考資料にしてある。』
『僕たちの世界の本…?』
『ワシの1番気に入っとるのは、勇者による勇者のための冒険学〜冴えない俺が異世界に転生したらなんと幼馴染もついてきて〜じゃの』
『それはライトノベルだ!断じて僕たちの生き様を描いているのではない!』
全く想像しなかった神からの返答に、シャルルは必死に否定をしたが、神からの返事はなく、こちらの話を聞く気は一切ないようだった。
そんなことより…とシャルルは少女の元へ駆け寄った。
大男は口まで粘液で塞がれ、必死に鼻息を立てながら何やらモゴモゴ言っていたので、神を見習ってシャルルは聞かないことに決め無視をした。
「大丈夫でしたか…?怖い想いをしたでしょう、どうかここまでのことは悪夢だと記憶してください。僕がここから素晴らしい夢に変えて見せますから」
「ふふ…どうもありがとう」
駆け寄ったシャルルの手を取りながら少女は可愛らしく微笑んだ。
10代…20代初めくらいの黒髪がよく似合う可愛らしい女性だった。
店主の趣味だろうか華奢な身体に似合わない胸が強調されたメイド服を着せられていた。
「こんなところではあなたのような美しい花を飾る花瓶もありませんね…
どこか落ち着ける場所へ移動しましょうか。ところでお名前をお聞きしても良いですか?」
いつものように、いつもより長々と、シャルルは話し続けた。
彼なりに恐ろしい経験をした少女を慰めようとしていたのかもしれない。
「何言ってるのシャル君?エメリアよ?どうしちゃったの?」
驚いてキョトンとするエメリアを前に、シャルルは、ギターの音が鳴るヴァイオリンで演奏された音楽を聞かされているかのような全く理解のできない感情に支配されていた。
「ど、どうして僕の名前を…?」
当然の疑問だった、ほんの2時間前につけられたこの名前は、シャルル自身も気に入っていないこともあって、まだ誰にも名乗っていないのだ。
「知ってるに決まってるでしょ!シャルル=レント君!私たち幼馴染じゃない!」
シャルルの視界の端ではたった2時間前に手に入れさせられた金髪が、怪しくイタズラっぽく揺れていた。
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