猫又ノワールの幸運

笛路

ノワール

 



「ううっ、寒いにゃ……」


 猫又のノワールは黒い前足で、これまた黒い顔を擦りながらボヤいた。

 年末の冷え込んだこの日、天高くから粉雪が月光に照らされキラキラと舞い落ちてきていた。


「ママー、ママー…………おなかへったにゃぁ」


 どこからか仔猫の鳴き声が聞こえてくる。か弱く、今にも事切れそうな声。

 猫又のノワールはその声の方向へと歩いていく。

 するりするりと、人混みの間を抜けて。

 二股に分かれた尻尾をふにゃりふにゃりと揺らしながら。


 ノワールはいつからこんなことをしているのかは覚えていない。

 気がついたら尻尾が二股に別れていて、冬の間だけ魔法が使えるようになっていた。

 特に二十三日から二十五日に掛けては、ありえないほどに魔力が上昇する。


「ニャァ…………」

「あぁ、ここにいたのね。大丈夫。私が素敵な家族をプレゼントしてあげる」


 ノワールは真っ白な仔猫の首の後ろを優しく咥えると、ぴょんと空に駆け上がった。

 彼女は『導きの魔法』と呼んでいる、特別な期間だけに使える魔法を発動させた。


 仔猫の額から一本の光の糸が伸びていく。

 光の糸を辿り、着いたのは白い壁の大きな建物。屋根の上には金色の十字が建てられていた。

 中からは賛美歌が聞こえてくる。

 ノワールは扉の隙間からするりと入り込み、赤いコートを着た幼い女の子の足元に白い仔猫をそっと置いた。


「この子が今日から貴女のママになるわ。だから大丈夫」


 女の子の額に繋がった光の糸を確認し、白い仔猫の額にキスを落とした。

 導きの魔法で二人は繋がっている。だから大丈夫だとノワールは知っている。


 白い建物からゆっくりと立ち去るその後ろから、聞こえてくる声。


「ママ、ママ! みて、こねこ!」

「まぁ、大変だわ。弱ってるみたいね? 早く家に帰って温めてあげましょう」

「うん!」


 ――――ほら、ね?




 特別な期間中、ノワールは全力で世界を駆け回る。

 世界中で泣いている猫たちを助けるために。

 二股の尻尾をふにゃりふにゃりと揺らしながら。


「はぁ、疲れたにゃふ…………」


 二十五日の夕方、ノワールは怪我をして暴れるサビ猫を、導きの魔法で繋がった医者に届けた。

 猫たちの声は今は聞こえない。

 

 ――――ちょっとだけ。


 ノワールはそう思って路地裏の片隅で丸まった。

 今日も天高くから粉雪が月光に照らされて、キラキラと舞い落ちてきている。

 ザクザクと雪を踏みしめる音が近づいてくる。だがノワールは疲れ果てていて目を開けない。


「こんなところにいたのか」


 優しい声が路地裏に響く。

 低くて柔らかい人間の男の声に耳をピクリと動かし、ノワールは目蓋をもたげて視線を向けた。


 男の額から伸びる光の糸。

 それがノワールの額と繋がっていた。

 ノワールはゆったりと立ち上がり、左右上下を確認するが、光の糸は、自分を通り過ぎていないことに気付いた。


 ――――導きの魔法?


 それが自分と繋がっている。

 ノワールは言いしれぬ不安を感じ、そろりと後退りをした。


「逃げるな」

「……」


 男がゆっくりと近付いてくる。

 ノワールはその場にしゃがみ、耳はへたりと折れ、二股の尻尾は後ろ足に巻きつけられつつあった。


「そんなに怖がるな。迎えに来ただけだ」


 男がそっと人差し指をノワールの鼻先に伸ばしてきた。

 ノワールはそれをそっと嗅いでみる。


 ――――いい匂い。


「おいで?」


 ふわりと笑う男から漂うなんとも言えない安心する香り。

 ノワールはすくっと立ち上がり、男の足に擦り寄った。


「お前は、とても強大な魔力を持っているね。そのうち人化できるかも、な?」


 ――――人化。


 猫又になって何年が経ったのだろうかと、ノワールは考えた。が、何も覚えてはいない。

 ただ、冬の特別な期間に、困っている猫たちを人間と繋いでいた。


 まさか、自分と繋がる人間がいるとは思っていなかった。

 魔法を使える人間の住む国は知っていたが、まさか導きの魔法を使えるとは知らなかった。

 ましてや、向こうから探しに来るなど。


 猫又のノワールは、人間の男に抱き上げられ、大きな腕の中に閉じ込められた。


「私たちの家に帰ろう?」

「にゃ」


 ――――うん、帰る。


 ノワールは男の手のひらに頭を擦り付けて目を細めた。


 人化出来るかもしれないと男が言った。

 人化をしたら、男は喜ぶだろうか?

 男は、自分のことを大好きになってくれるだろうか?

 自分の唯一になってくれるだろうか?


 猫又のノワールは、いつか人化することを夢見ながら、男の腕に体を預け、目蓋をゆっくりと閉じた。


 ――――必ずなるからね。




 ―― fin ――



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