紗倉桃のとある休日②
送られてきた住所に辿り着いて店内に入ると、思ったよりも騒々しい人々の声が桃達を迎えた。
「ごめんごめん、なんか新年会ラッシュ?とかで混んでるみたいで…騒がしくて」
「平気。予約してくれてありがと」
到着した事を連絡したら、先に集まっていたうちのひとりがわざわざ入り口の方まで出てきて、桃達に申し訳ない顔で告げる。
大学の友達は……と聞こうとする前に、どうやらもうすでに輪の中に入って仲良くしてるらしいことを知って一安心で桃も連れられた個室へ入っていった。
部屋には女数人…と男ひとりがテーブルを挟んで好きなように座り、早くも雑談を始めているみたいだった。
「みんな〜!主役きたよー」
掛け声に応じて、全員の視線が一点に集中する。
「きたきた、ほら座って?渚も!」
そのうちのひとりが立ち上がって、ふたりの手を引いてそれぞれ空けておいた座席へと腰を下ろさせた。
いわゆる主役席に座った桃は、口々に「おめでとう」と祝ってくれる友人達に感謝を伝えながら、冷静に室内を見回す。
……うわ、気まず。
真っ先に、高校時代付き合っていた元カレの姿を見つけて少しだけ居心地を悪くした。同時に、普段飲み会なんて来ない性格の彼が来てるということは…と脳内で憶測を立てた。
わざわざ女だらけのとこに来るなんて、よっぽど…
ま、いっか。どうでも。
交際していたとはいえほんの数週間。桃にとっては思い出にもならない存在を気に留めるのは早々にやめて、とりあえずメニュー表を開く。
「ここ、みんなの奢りだから。紗倉の好きなやつなんでも頼んでいーよ」
「ありがと」
「でも桃は金持ちじゃん、奢る必要なくない?むしろわたしらに恵んでほしいくらい…」
「あんた帰っていいよ」
「え?」
「帰んな、今すぐ。ばいばーい、さよならー」
何気ない会話の中で地雷を踏んだ女には軽く手を振ってあしらって、それを見た友人の顔が引きつった。
「ちょっと…今すぐ謝って」
「え…な、なんで?」
「紗倉そういうの冗談でも苦手だから。お金で寄ってくるやつ嫌いっていつも言ってたじゃん」
「あ、ご…ごめん」
「えー……許すと思ってんの?あたし心広くないから、あんたみたいなやつと関わりたくない。早く帰れよ」
「…桃、気持ちは分かるけど言いすぎ」
不機嫌を隠すことなく顕にしていたらそばに座っていた渚に軽く
せっかくのお祝いムード満載な空気感をこれ以上壊さないため、バカに構うのはやめよ…と気を持ち直して全員分の飲み物と適当におつまみになるものをいくつか注文した。
品が届くまでの間は、
「今日の服めっちゃかわいいね。まじ清楚」
「どんな服でも似合うよね〜」
「ありがと。…ま、あたし可愛いから」
「胸はないけど」
「ぶん殴るよ。みんなしていつもいじりやがって」
「ふはっ、だって貧乳以外にいじれるとこないんだもん」
「そうそう。良いとこのお嬢様で頭良くて運動神経もなかなか……口悪いだけで優しいし、桃ってけっこうスペック高くない?」
「それに加えて絵も上手で、ピアノもバイオリンも得意だもんね。…さすが私の大親友。誇らしいよ」
「おまけに超絶美少女も付け足しといて」
「自分で言っちゃう?」
「このあたしが謙遜なんてしたら、そっちのが嫌味でしょ」
「確かに。って考えたら…そりゃモテるよね〜、誰も放っておかないもん」
「ふふん、もっと褒めなさい」
今日という日が誕生日だからか、いつにも増してちやほやされて褒めちぎられた桃は単純な思考回路で気分を良くした。
無い胸を前に突き出して子供のように威張る桃を、全員が母性本能をくすぐられて可愛がる。
先ほどのような態度とはっきりした性格から、自分が嫌いな人間や自分を嫌いな人間は遠ざける桃の周りに残るのは、自然と彼女を本当に好いてる人間だけであった。
お世辞なんて必要もない、気楽な友人関係に恵まれた事に幸せを感じるものの、心の奥底では常に孤独感と空虚感がまとわりついていた。
それを微塵も表には出さないでニコニコ笑顔を作って、今日も今日とて表情管理は抜群である。……自分の中にある醜い感情だけは、絶対に他人には見せない。
「さて、じゃあ紗倉…みんな!お酒持った?」
そんなこんなで届いたジョッキやグラスを手に持って、全員で改めて「おめでとう!」と言われた言葉を受け止めて乾杯を交わす。
「っはぁー…ビールうんま」
「……いいな、私も飲みたい」
ひとりだけ未成年である渚は、一口でジョッキの半分を飲み干した豪快な桃を見て、羨む視線を送った。
「渚もそのうち、一緒に飲もうね!」
桃にしては珍しく屈託のない笑顔を見せて、残り半分をウキウキで喉に通す。このペースで飲み進めるからいつも酔い潰れるというのに、その日も後先なんて気にせず二杯目を頼んだ。
お酒は良い、程よくバカになれるのがたまらなく楽で、常にどこか策略的に…癖のように先の展開を予想するため、脳みそフル回転で物事を捉えて考える桃にとっては一種の救済でもあった。
途中でプレゼントなんかも貰いながら、最高潮に達した機嫌の良さから三杯、四杯とグラスを次々と空にして一時間。
「紗倉ぁ〜…まじ会いたかった!」
「あんたはこないだ会ったばっかじゃん」
「そうだけどさー……紗倉話しやすいし顔めっちゃかわいいから何回会っても飽きないんだよね。むしろもっと会いたい」
「ほんとあたしの顔好きだね」
「うん、好き。髪下ろしてんのも似合うね、かわいすぎ」
「でしょ?」
「ちゅーしていい?」
「いいよ」
「だめだよ」
酔った大学の友達に絡まれて、キス一歩手前まで行きそうだったふたりの間に割って入った渚は、額を押さえてため息をついた。
「ほんとに…貞操観念どうなってるの」
「このあたしに今さら貞操観念求める方がどうかしてるから」
「もっと自分のこと大事にしてよ」
「……うっさいな」
おそらく他人にとっては当たり前の価値観で心配されて、それが桃の胸を簡単に傷付ける。
こんな体、大事にしたところで……卑屈なことを思いかけて、嫌になって五杯目になるグラスに口をつけた。今は酒の苦い味が落ち着く。
…そういえば、あいつら今頃なにしてんだろ。
頭に浮かんだのは、顔さえどんなだったか思い出せないくらい関係の希薄な両親で、きっと娘の誕生日なんか忘れ去ってるであろうことを思ったら……心は深く沈んだ。
そんなの、もう慣れたことなのに。
誕生日ということもあってか、やけに感傷的になりやすい。
「…お手洗い借りる」
らしくない思いばかり抱える自分を落ち着かせるために、立ち上がって逃げるように席を外す。
廊下を進んで女子トイレに向かって、二つあるうちの手前の個室に入った。……尿意はないが、一応ちゃんと用を足すため下着を脱いで便座に腰を落ち着けた。
「…ちょっと、しっかり歩いてちょうだい?危ないわ」
「うぅう〜……気持ち悪い、先輩…」
「もう、あなた飲みすぎよ。…一緒に入るから、あと少し我慢できる?」
数秒して、ふたりの女の声が聞こえてくる。
「吐きそう……うぅ…」
「しんどそうね、そういう時は吐いちゃった方が楽よ?背中撫でてるから…ほら」
新年会か何かで来てたOLだろうか。大人びた話し方から社会人であることを察して、なんとなく耳を澄ませて会話を聞いてしまった。
ふたりはもう片方の個室に入ったようで、扉が閉まる気配の後ですぐ嘔吐く声が響いた。
あまり耳に入れたくない音ではあったものの、それでも耳を塞がなかったのは、
「ごめんなさ……っ先輩、すみませ…」
「大丈夫、いいのよ。たくさん出して…楽になりましょうね」
看病をしてる女の優しい声色に、どうしてか母親みを感じて……心を穏やかにさせてくれたからだった。
きっと声と同じで、どこまでも丁寧に背中を撫でてあげながら、顔は見えないけど心配そうで優しい表情を浮かべてるんだろう。
…どんな人なんだろ。
興味が湧いて、ふたりが出たタイミングで自分も出て、さり気なく顔を見てみちゃおうかな?なんて思惑が過ぎった時、隣でガタンと大きめの音が鳴る。
「ど、どうしたの…?」
「先輩大好きぃ……結婚しましょうよぉ…」
「やだ、酔いすぎよ?何言ってるの」
「だってぇ……こんなに優しくされたことないから…嬉しくて」
「大事な後輩だもの、このくらい当然よ」
「ほんと好き…先輩好きです、もはや愛かも」
「ふふ。そんなに慕ってもらえてうれしいわ?でも落ち着いて…」
「っ…先輩、わたしもう」
「あ…あーー、まじで飲みすぎた!やばいなー」
突然、今にもあれやこれや始まりそうな隣の雰囲気に耐えきれずにわざとらしく声を上げた。
桃の声にびっくりして、酔いすぎた女が壁に押さえつけていた相手から体を離したことは…見なくても分かった。
気まずいような静けさの中、どうしようか悩んだ後で桃はカラカラとペーパーを手に巻き付けて拭いてから、下着を履き直して個室の扉を開ける。そのタイミングで隣からも水を流す音が聞こえてきた。
…あ。見れるかも。
密かな期待を胸に手を洗う動作をしつつ、鏡越しに扉が開くのを待っていた桃だったが……まるで人が出てくる様子もない事に落胆して諦めた。そりゃ気まずいよね、と察したのもある。
「……桃」
トイレを出てすぐ、待ち構えていたらしい元カレに道を塞がれた。しつこそうな雰囲気と行動に呆れて、ため息を返す。
「なに」
「久しぶりに会えたのに、冷たくないか。一言も話してくれないし…」
「いや?あたしはいつもこんなんだけど。…てか、今日なんで来たの?」
「…お前に会いたかったからだよ」
薄々、そんな気はしていた。
「もう一回、俺とヨリ戻してくれないか」
「やだ」
「頼むよ。俺……桃よりかわいい子となんて、この先一生出会えない気がして」
「それはどんまい」
「っ…本気で、お前のこと愛してるんだ」
肩を掴まれて伝えられた言葉が、桃の中の大きな地雷を思いきり踏み抜いた。
⸺愛してる。
この世で一番、憎くて嫌いで仕方ないそれを言われた瞬間に、頭の中でブチンと何かが切れた。
「軽々しく…愛とかほざいてんなよ」
男の手を掴んで、投げるように振り払う。
「もう二度と、あたしの前に現れんな。クソ男」
吐き捨てるように拒絶して、呆気にとられた元カレだった今はもう興味もない男を置いて席へと戻った。
「トイレ混んでた?」
「…酔っぱらいが吐いてた」
「あらま。…まぁいいや」
桃が戻ったタイミングで、今度は渚が入れ違いでトイレへと向かっていく。…元カレは戻ってこないあたり、心折れて帰ったようだ。
鬱憤を晴らすため、そして何よりストッパーとして普段そばにいてくれている渚が席を外したことも相まって、その後の桃は荒れた気持ちで数分の間にあるだけ酒を胃に落とした。
酔えば酔うほど、思考が回らなくなる。
それが今はありがたくて、何もかも考えたくないと縋る思いで、渚が戻ってきてからもアルコールにその身を浸した。
「あんたら、今日は朝まで付き合ってもらうから」
「もちろんだよ、桃」
「もち!当たり前じゃん」
「何時まででも行けるよ〜!」
「いいねいいね。二次会どうする?カラオケ行っちゃう?」
「っと、待って。その前に」
ノリノリな友人達にも心救われたところで、ひとりが何かを頼んで、いつもなら推測できたであろうこともその時の桃には分からなかった。
「?…なに」
疑問の正体は、店員が運んできたものを目にして解消される。
「お誕生日おめでとう!」
その場にいた全員から祝福を受けながら、自分の前に置かれたバースデーケーキを呆然と見下ろした。
…誰からも誕生日を祝われなかった、幼少期の頃の光景が脳裏に蘇る。
人のいない、ただ広いだけの静かな家で、雇われた家政婦が用意した小さなケーキを前に、ひとりぽつんと無言で祝っていた…十数年前の今日が。
今はこんなにも、眩しい。
うるさいくらいの人の声で溢れた場所で、心から自分の誕生を祝ってくれる友人に囲まれて、金では買えない空間と時間に、うるうると目頭を熱くする。
「ありが…とう」
生まれてきてよかった、なんて……そこまではまだ思えないけど。
「あんたらに出会えて、よかった」
包み隠さず本音を言えば、みんな嬉しそうに…そして照れくさい笑顔を見せてくれた。
酒の影響も相まって、本当に珍しく人前で涙を流した桃を、これまた珍しくつられ泣きしたこともない渚が涙腺を緩ませて見守った。
「もう嬉しすぎるから、ひとりひとりにキスしまくっていい?えろいやつ」
「もち!」
「しちゃお!」
「いいよ!」
「だめだよ」
しかしこんな時でも軽口は変わらない桃に、渚の涙はすぐ引っ込んだ。
「まったく……桃はまだわかるけど、なんでみんなまで乗り気なの?」
「だって紗倉かわいいから。余裕」
「いつもお世話になってるし?」
「大好きだもん、みんな」
「私も大好きだけどさ…」
「ならいいじゃん、渚もする?」
「しないよ」
「ドケチ」
「これは私の感覚が正常です、ケチとかじゃないです」
すっかり普段と変わらない調子に戻って、ケーキをつまみに酒をまた飲んだ後は二次会へ向かうため店を出た。
「…そういえばさ」
カラオケに向かう途中、思い出したように渚が口を開く。
「皆月さんっぽい人、いたんだよね」
「え。まじ?」
「うん。…後ろ姿しかちゃんと見てないんだけど、トイレ行った時にすれ違って」
「……もしかして、誰かと一緒じゃなかった?」
タイミング的に、あの酔っぱらい女か看病してた女だと察して聞けば、まさにその通りだったらしく渚は驚いた顔で頷いた。
「追えばよかったのに」
「いや、酔っぱらいの相手してて大変そうだったから…さすがに悪いかなって」
どうやら皆月さんとやらに似てたのは、看病してた方のようで……長い黒髪の感じや、一瞬見えた豊満な胸の感じがそっくりだったとか。
あの穏やかな声の感じで黒髪ロングの巨乳……仮にブスでもモテるだろうな、なんてだいぶ失礼なことを思う。最終的に大事なのは…容姿よりやっぱり中身だよね、と。
仮に美人なら…モテモテだろうな。
こんなにも興味が湧くなんて、滅多にない。
「ちゃんと顔、見てみたかったな…」
「桃は見てないの?」
「トイレしてたから。あたしは声だけ……でも、話で聞いてるその皆月って女とは違う気もする」
「なんで?」
「二十代にしては落ち着きすぎっていうか…もっと大人な感じだったから。あと口説かれてたけど、やんわり断れてたし」
「あー…じゃあ違うか」
分かりやすく気を落とした渚の背中を、ポンと叩く。
「ま、運命ならまた会えるよ」
「……桃って、ほんと運命好きだね」
「まぁね。計算尽くしなのも…飽きるからさ」
自分にもそんな出会いを期待して告げた、その数週間後。
渚は本当に、運命的な再会を果たしたようで。
「これからは皆月さんとの時間を大切にしたいから…前みたく会えなくなるかも」
「全然いいよ。会えなかった分、取り戻してきなね」
「うん!ありがとう、桃」
「いーえ」
ようやく復活した大親友の恋路を応援すると共に、心にはぽっかりと穴が空いたような寂しさが湧き上がってきた。
そこからまた、誕生日のお祝いも過ぎて何も変わらない日常に戻ってしまった桃は、失った……いや、そもそも持ち合わせてない何かを埋めるように男遊びに明け暮れた。
一生、人に囲まれているようで…心はずっと孤独な日々が死ぬまで続くんだと思い込んでいた桃は、いずれ終わりが来ることなんてしらないまま、爛れた生活を続けていった。
運命の相手と出会える、その日まで。
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