第8話

 厳島神社に向かう電車に揺られながら、透は横目に鳴を見つめた。どうしてだか、今は彼から目を離してはいけないような気がした。


 だって、今にも、この世界から消えてしまうそうな彼が怖かったから。


 車窓から遠くを眺める儚い横顔の彼から、透は目が離せずにいた。地平線で輝いている日が、少しずつ傾き始めている。

 嫌なくらいに美しい夕日が透たちを優しく照らしていた。


 ◆◇◆◇◆


 電車を降りてフェリーを経由し、透たちはようやく目的地である宮島に辿り着いた。その頃にはすっかり夕方になってしまい、観光客による賑わいの声も落ち着きを見せていた。

 宮島のシンボルでもある厳島神社の大鳥居は朱色に輝き、満潮により幻想的な世界を作り出している。そこがいかに神聖な場所であるかを夕日は表していた。

 幼い頃に来た以来だった透は、幼少期には感じられなかったであろう大鳥居の息を吞むほどのその美しさを、大人になった今、しっかりと噛み締めていた。


「……ここが、厳島」

「綺麗ですよね、夕日も射していて。私も、本当の意味で見るのは初めてです」

「ええ、本当に。……ああ、晴にも見せたかったな……」

「……?」


 大鳥居を見つめる鳴の瞳は、愁いを帯びほんの少し潤んでいる。揺らめく彼の視界に映るものはなんだろう。透は鳴に、彼が呟いた『晴』なる人物について訊こうと思ったが、今彼に訊くのは違うと感じて心の中にそっと仕舞った。


「……あ、そういえば鳴さん。携帯で写真を撮って、それを晴さんに送ったらいいんじゃ……?」


 何の気なしに鳴に訊いた透だったが、彼女の言葉に鳴は少しだけ困ったような表情をした。


「あー……。僕、携帯電話、持ってないんですよね」

「えッ?」

「家が厳しいからというわけではなくて……あまり必要としてこなかった人生だったというか……」


 お恥ずかしい話です、と彼の乾いた笑みが透の胸をぎゅっと締める。

 現代に生きる身として必須アイテムの一つと言っても過言ではないだろう携帯電話。それを持っていないというのは現代っ子としての感覚を持つ透にとって不思議な話だった。

 必要としてこなかったと鳴自身が言っているのだから気にしなければいいものを、彼の表情がそれを許してくれない。透は何故だかいたたまれない気持ちになり、もう一度心を静めようと大鳥居の夕日を眺めるのだった。


 ◆◇◆◇◆


「あの、透さん」


 不意に意識が現実に戻る。鳴に名を呼ばれた透は烏橙を撫でていた手を止め「はい?」と彼に振り返った。


「ここの辺りにお土産が買える場所はありますか? 家の者に、買って帰りたくて」

「いいですね! ちょっと探してみましょうか」


 宮島には『宮島表参道商店街』という、厳島神社に続く商店街があるらしい。土産物屋や食べ歩きができる屋台等が並んでおり、歩くだけでも楽しい場所だということが調べたサイトから伝わる。

 透が調べ物に夢中になっている頃、ふと烏橙が鳴の腕の中で口を開いた。


「……あの時の襲撃、どうも腑に落ちない」


 その声は鳴にしか届かないほどの小さな音であったが、鳴には嫌なくらいはっきりと聞こえた。


「……申し訳ございません。此度の事件で犯人を取り逃がしてしまったことは『彼岸屋』の落ち度です。しかしながら烏橙様、犯人に心当たりなどはないのでしょうか?」

「秋が目覚め、夏の力が枯れていくことをよく思わない輩は多い。相手が妖なら、尚更な」

「枯れるのを嫌う……妖……」


 思い浮かぶのは、水に関連する者らだった。

 水辺に住まう妖怪たちが環境を失うことに怖れを抱き、その怖れが負の力となって、今回『襲撃』という形で事件が起きたのかもしれない。

 鳴は当時の現場に居合わせたわけではないため、真相については定かではない。けれど、帰宅した担当護衛官だった晴の周囲に付着していた穢れは、鳴にどこかを彷彿とさせ、彼の心に暗い影を落とした。


「これから、何も起きなければいいが……」


 烏橙の言葉が不自然に途切れる。どうしたのだろうかと烏橙の見つめる先を鳴もなぞれば、そこには不思議そうに彼らを見つめている透がいた。鳴が彼女に気づくと、透は嬉しそうに笑って軽い足取りで彼らの許に駆け戻った。


「鳴さん! 面白そうなお土産が売ってそうなお店を見つけましたよ……ってどうかしたんですか?」


 静かに彼女に微笑む鳴に、透の心で不安がじわりと募る。


 鳴は今日、もしかしたらこれから起こり得る、起こってしまうであろうに、どうしたら彼女を巻き込まずに済むかを考えていた。


 そうだ、今からでも遅くはない。簡単じゃないか、彼女を突き放してしまえば巻き込まずに済む話だ。


 けれど、鳴にはそれができない。不器用なのだ、かなしいほどに。


 何も知らない透に、鳴は行きましょうかと、今にも泣き出しそうな顔で彼女に微笑むのだった。

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