第14話

 どうしたらこの人間をこの場所から救うことができるのだろうか。今にも千切れてしまいそうな命の糸を、露はただ漠然と見つめることしかできなかった。


 鳴は顔を赤く染め、とても苦しそうに息を荒くしている。早くしなければ本当に死んでしまうかもしれない。何か、何か方法があるはずだ。

 今まで何もしてこなかっただけで、本当はここから出ることなど容易たやすかったのではないだろうか。露は必死に考える。


 ふと、愛する者の声が露の脳裏を掠めた。それは双頭竜かのじょの片割れである、番いの疾の声だった。


 ◆◇◆◇◆


 ——『おれはお露のうたが好きだ。たとえ離れてしまったとしても、必ずその謌を聞いたなら、たちまち、お前のもとへ駆けつけられる自信がある!』

 ——『ふふ、変な疾どの。私たちは一心同体ではないですか。離れてしまうなど、そのようなことがあるのでしょうか?』

 ——『万が一の話だ。万が一にでもこの体が二つに分かった時、おれがお前を見つけるために、お前が歌う謌を頼りに探すのだ。そうすればほら、すぐに見つけることができるだろう?』

 ——『そう、でしょうか?』

 ——『ああ。だから、長く離れようともおれは決してお前のことを諦めないし忘れない。必ずお前のもとに帰る。約束だ、お露』


 ……嗚呼。彼のことを、忘れたことなど一度だってない。

 ただ私が、自分の使命をぽっかりと開いた穴に落としてしまったように忘れていただけだ。


 ◆◇◆◇◆


 露はその重く大きな体躯をゆっくりと動かし始める。地鳴りのようなものが聞こえた気がしたが、そんなことはどうだっていい。今はただ目の前の救える命を守ることが先決だと、彼女の信念が働いた。


 謌え、謌え、謌え!


 声が枯れようとも、喉が潰れようとも、体中が悲鳴を上げようとも、もがき苦しむことになったとしても、謌え‼


 露はひたすらに天に向かって、えるように竜の謌を紡ぐ。謌の音階しらべは周囲の空間を優しく包み込むような、ドーム状の結界を作り出していく。


 これは『祈雨きううたい』だ。


 旱魃地全域に雨の結界を作り出す謌の結界。今の露の状態では、力のコントロールが不安定なために小域間での結界となってしまった。竜の体では気付きにくい旱魃地の暑さに鳴は倒れたのだと推測した、彼女の想いが至った結界だった。

 少しずつその結界内の気温が下がり始めた。暑さが薄れたことにより息をしやすくなったのか、鳴の表情が和らいでいく。


 力だけが衰退し、図体だけが膨らみ続けた露の五十余年という歳月は、簡単に取り戻すことはできない。だが、それでも彼女は思うのだ。


 雨を降らすことができなくなっても、この謌には他の力があったのだと。

 自分のこれまで籠っていた時間は、目の前の命を救うためにあったのではないかと。

 人のために力を使うことがこんなにも心満たされることだったのかと、長らく感じることのなかった幸福感に、露は自然と涙した。


 ピキリ、とどこからか硬いものに亀裂の入ったかのような音が露の耳を掠めた。恐らく、この神隠しの空間が崩壊を始めた音だ。亀裂音は段々と大きくなっていく。露はせめて外敵が攻めてきたとしても鳴だけは身を賭してでも守ろうと、彼の上に覆い被さった。


 ついに空間を作り出していた結界が破られた。


 敵は誰だ、と目を見張る。しかしそこにいたのは、長らく焦がれ続けた、かけがえのない『番い』の姿だった。

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