第10話
「……うぉっ」
晴が戻れば、すでに鳴の準備は完了していた。
「あ、お帰りなさい晴」
「今日も洋服……なんだな」
「はい。事前に山の方へ行くことは分かっていたので。着物だと動きづらいから」
その思考を一応は持っていたんだな、と晴は苦笑した。
「少し調べてみたのですが、疾様を御神送りしなくてはならない丹生川上神社はかなり山奥にあるみたいです。式神の牛車が使えない場所なので徒歩で向かうしかありませんね」
鳴の話を半分聞きながら、晴は淡々と自分の身だしなみを整えていく。
彼岸屋を出発する際に念のために持ってきた仕事用のカッターシャツとベスト、それからネクタイは、ものの見事によれていた。
今日は昨日と比べて気温が高くなりそうだ、と部屋から覗く太陽に目を細めながら晴は腕を
ふと視線を感じたのでその方を向けば、何かを不安に思っているような困り顔の鳴が晴を見つめていた。もう、何度も見てきた表情だ。晴はゆっくりと鳴に近付き、そして彼の頬にそっと掌を添える。鳴は静かに目を伏せて、縋るようにして晴の掌に触れた。
「何が不安になった?」
「……疲れてるのに、晴に山道を歩かせなきゃいけないんだと思うと……何だか、申し訳ないなって」
「そんなこと考えなくていいだろ。俺はそんなやわじゃねェよ」
うん、と渋々鳴は納得した。その様子を見届けた晴は、おう、と彼に向かって微笑んだ。
「……じゃあ、花梨さんにご挨拶してきますね。少しここで待っていてください」
そう言って鳴は花梨屋の女将に挨拶をしに部屋を後にした。
二人だけの甘い世界から現実へと戻れば、ぴょこん、といつの間にか晴の肩に乗っていた疾が言う。
「……お前たち、
「はあ?」
晴は本気で、どうしてそう思われているのか分からないという表情で、疾を睨みつけたのだった。
◆◇◆◇◆
一泊という短い時間ではあったが、それでもかなり身も心もリフレッシュできたと思う。
花梨屋は彼岸屋の姉妹旅館だ。つまり、花梨屋の女将は鳴の親戚筋でもあり、この手の話にも理解がある。彼女の厚意で荷物一式を御神送りが終わるまで預かってくれると申し出てくれたのだ。鳴たちはそんな女将の厚意に甘える形となり、その優しさに感謝した。
花梨屋から目的地である丹生川上神社までは約二十分ほどある。麓までは車で行けるが、そこから神社へ向かう道中は徒歩でなくてはならない。そこそこの勾配に思わず笑みが引き攣る。加えてこの夏日の暑さである。
「……大丈夫か、鳴?」
「はい、大丈夫、ですっ」
晴は後ろを付いてくる鳴に気を配りつつ山道を行く。小岩の連なる道は、晴が鳴に手を差し伸べて上がらせる。自分で登れます、と頬を膨らませてはいるが、鳴の顔色は今朝よりも青い。息切れが酷く、発汗もあった。早く彼を休ませてやりたいと思いが募る。晴の表情は一層険しくなった。差し伸べた手を取る度に、鳴の手が力無く震えているのが怖かった。
「鳴」
「問題ありません」
鳴は意地でも目的地に着くまで休まない気でいた。変なところで頑固な男だ。もう少し頼ってもらいたいのだが、強がる彼には何も言えない。
そんなもどかしい距離を、晴と鳴は生きていた。
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