第8話

「————」


 妙な胸の痛みで目が覚める。

 横を向けば愛しい相方がすやすやと気持ち良さそうに眠っていた。晴はそのことを確認すると、とりあえず深く息を吐いた。

 傍に置いていた携帯の時刻を見れば現在朝の五時を回ったところだ。やっと昨夜の酒が抜けてきたので手洗いに行こうと思い立ち、晴は痺れた左腕をそっと鳴の頭から外して、音を出さぬように部屋を出た。


 まだ寝惚けた脳で足元が覚束ないので、壁に手を当てつたいながら数分掛けて手洗い場に辿り着いた。用を済まして水場で手を洗う。完全に覚醒した晴が、部屋へ戻ろうと水場を後にしようとした、その時——。


「わああっ⁉」という鳴の叫び声が晴の耳を穿った。


 その瞬間、晴の意識は鳴の安否へと向く。廊下を走ってはいけないと脳で理解はしているものの、今はそんなことを気にしていられるほど晴の心に余裕は無かった。晴は何事よりも優先して鳴を護らなければならない『護衛官』なのである。


「鳴‼ ——!」


 勢いよく部屋の戸を開けた瞬間に飛び込んできたその光景に、晴は思わず「は?」と声を漏らした。

 何故ならば——叫び声を発した張本人・鳴は目をキラキラと輝かせて、まるで子供のような無邪気な表情でいたからだ。彼の想像していた光景と違い、まずは鳴が無事であったことに彼は安堵したが、その直後、鳴の腕の中で眠る『それ』にしばらく開いた口が塞がらなかった。


「…………鳴」

「あっ! おはようございます晴! 昨日はよく眠れましたか?」

「鳴、それは今訊くことじゃない。『それ』は何だ」

「へ? ……えと……何でしょう?」


 首を傾げた鳴の腕の中で眠る『それ』は、どう見ても晴が最近夢に見ていた『小さな竜』と姿が酷似していた。


 ◆◇◆◇◆


「——すまぬ。『彼岸屋』の主人がこの旅館に泊まっているという噂を聞きつけてな。こうして山から地へと降り立った次第だ!」

「何でそんな胸張って言ってんだ。人様の主の膝借りてる分際で」

「あのぉ……」

「お前のものではないだろ!」

「俺の大切な人ではある。早く降りやがれ馬鹿が」

「何ぃい⁉ 仮にも【竜神】であるおれに向かって馬鹿とは失礼な‼」

「えーと……」

「あんたが神様だろうが何だろうが、人様の膝上に乗ってる時点であんたの方が失礼だと思うけどな」

「何ぃい‼」

「あのお!」


 何だか分からない会話をかれこれ十分以上は白熱させていた晴と小さな竜。終わる気配の無い会話に鳴はどうすればいいのか分からず、とりあえず会話を止めることから始めようとさえぎった。三回目でやっと会話は納まり、晴と小さな竜の視線が一斉に鳴を捉えた。その圧に一瞬、鳴はひるんだ。

「どうした鳴? 足を痛めたか?」と少し心配そうな表情で晴が鳴を見る。それがちょっとだけ面白くて、鳴は思わず苦笑した。


「いいえ? 少し落ち着きましょう?」

「落ち着いている」

「うん、今はね? ねぇ晴、竜さんのお話聞きましょう?」

「はあ? お前が泊まってるって聞いて、面白半分に見物に来たって話だろ? そんなやつの話を聞く義理なんて……」


「——違う‼」


 それまで大人しくしていた小さな竜が大きく反論した。その目は真面目そのものだった。ただならぬ様子に、晴と鳴は顔を見合わせた。


「……違うのだ……」

「……竜さん、一体何が違うのか、詳しくお教え願えますか?」


 鳴が優しく諭せば、小さな竜はぽつりぽつりと自らについて話し始めた。

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