小さな修道院での昔語り

「ああ、お嬢さん。よろしければこちらの酢キャベツサワークラウトもいかがでしょうか? たっぷり味が染みこんでいますから、こちらのパンに挟んで頂くのがお勧めですよ」

「はい、ありがとうございます。それじゃ、遠慮なく頂きますね。……うん、お酢がたっぷり効いてて、噛み締めるたびに口の中に染みこんでるのがたまらないですね。あ、すみません、これのおかわり頂いてもいいですか?」

「もちろん、いいですよ。貴重な熊と鰻の肉を頂いてしまいましたからね。それくらいで埋め合わせになるのでしたら、こちらからお願いしたいところですよ」

 夢中になってサワークラウトのサンドイッチを頬張るわたしに、ほつれの目立つ修道服に身を包んだ初老の修道士様が柔らかく微笑みかける。


 ――ドリード村からルエンの町まで馬車で一週間ほどなのは、わたし自身の経験則や村での話でよく知っていた。その一方で、ルエンからセラムスまでの街道は一度も使ったことがなかったし、誰かから話を聞いたこともなかったのでどれくらいかかるのか――ちなみに二週間ほどらしい――も正直わからず、どんな道なのかの知識もなかったから御者を続けることに不安がなかったと言ったら嘘になるのだけど。

 実際に馬車を走らせてみたら、これまでの山道と違いある程度整備されていたのでお尻も快適だったし、途中に簡易宿や乗り合い馬車の停車場などがあってそこで休憩や宿泊ができるのが、野宿ばかりのこれまでとは違い心も体も休められるので本当に助かることだった。

 そんな風に少し快適になった救世(?)の旅もルエンの町から出て四日目を迎えた今日、わたしたちは街道沿いにぽつんと建っていた修道院に一晩の宿を求めることになったのだけど。


「兄ちゃん、食事のときも手袋外さないのなんでー?」「ほんとだ、へんなのー」「ごはん食べるときは、ちゃんと外さないといけないんだよ。しゅーどーしさまがそう言ってたから」「いけないんだ、いけないんだー」「……だったらお兄さん、もしかしてわるい人なの?」

「あはは、そうだね。もしかしたら僕は悪い人かもしれないよ。実はキミたちを頭から食べちゃうような化け物で、そうならないためにずっと手袋を外さないでいるのかも、なんてね。だからキミたちのためにも僕のためにも、この手袋には触らないようにしてもらえるかな?」

 修道院の住人とともに囲むことになった夕食の席では、エストが子どもたちに囲まれて一緒に笑い合っていた。その賑やかで微笑ましい光景に、わたしの目尻も自然とにや下がってしまう。

 そして、なんとなく満たされた気分で視線をそこから横に向けたわたしは、笑みをさらに深いものにしてしまうのだ。

 縦に長い食卓の隅っこの方でいつものようにヴェールを掛けたまま食事を続けるシアの周りでは、おとなしそうな女の子たちが何名か集まっているようだった。

 ローブの裾を――恐る恐る?――つまんでいる五歳くらいの女の子の頭を、自分は背を向けたままそっとひと撫でするシア。かと思うと、今度は隣に座って食事中の七歳くらいの女の子が口からスープをこぼしているのを見かねたのか、袖口から取り出した手布ハンカチで口元を拭ってあげている。

 日頃冷ややかな態度を――主にわたしへ――取り続けている魔女の、思わぬ優しさ溢れる光景に心をほっこりさせながら、わたしはふたつめのサンドイッチを口に運んだ。

「――申し訳ありませんね。子供たちがお連れの方に迷惑を掛けてしまっているみたいで。お客様が来たときには行儀よく、と。都度都度教えてはいるつもりですが、私一人ですとなかなか目も行き届かなくて」

「いえいえ、一晩宿をお借りできるだけで大変ありがたいことですし、二人ともきっと迷惑だなんて感じてないと思いますから、どうか気にしないでくださいね。それより、これだけの人数の子供たちを、修道士様お一人でお世話してるんですよね。いろいろと大変じゃないですか?」

 そんな心温まる光景をのんきに眺めていたわたしに、すまなさそうに修道士様が話しかけてきたので、ちゃんと顔を向き合わせて微笑みながら彼の懸念をやんわりと否定する。それから、お客様にはしゃいでいる子供たちの数を数えつつ、そう尋ねてみた。

「そうですね。大変は大変ですが、その分やりがいはあります。ですから手間や苦労などはそれほど気にはならないのですが、先立つもののやりくりだけが頭の痛いところでして。野菜や着るものの類は菜園やあるいは寄進などでなんとかなっていますが、さすがに獣肉だけはどうにもならないものでして。ですから、あなた方にこうして訪れて頂きましたことは、こちらも大変ありがたかった次第です」

「それは、こちらもお役に立ててよかったです。でも――ごめんなさい、ここまで聞いていいのかわからないんですけど。修道院で孤児を育てるのはよくあることだと思いますが、その場合って修道士様おとなもそれなりに大勢いらっしゃるのが普通ですよね? なのにこちらだと修道士様おとながお一人だけなのは、どういった理由があるんでしょうか?」

 たとえばわたしのように、親を亡くした子供がその後どうなるか。

 通常なら親戚や近所の人の元に預けられたり、時には貴族に引き取られることもある中、修道院が面倒を見ることもよくある話だ。ただ一人、二人ではなくもっと大勢の子供を引き取り育てるなら、修道士や尼僧をはじめとする大人たちも多数いるのがあたりまえのはずだろう。

「ああ、そのことですか。これでも私、以前はスティリア王国に仕えておりまして。神官長とは言いませんが、それなりの――例えば王族の生誕の儀に参列できるくらいの地位には就いていたのですよね。それが、貴女もご存じでしょうが六年ほど前ですか、帝国に攻め滅ぼされてしまったわけです」

 修道士様の語りに導かれるように、遠い記憶が甦る。あの、なにもかも炎と悲鳴の中に消えてしまった遠い日の。

「あの子たちは皆、その時家族を失ってどこにも行く当てがなかった子たちです。同じように居場所を奪われたこともあってでしょうか、思い切って私が全員引き取ることにしたのですよ。放棄されていた修道院ここを再建する代わりに、教会から援助をして頂くという形で。もっとも、人手が足りないからと人員の追加は断られてしまいましたが」

 そう言って、悪戯っぽく微笑む偉大な修道士様の顔をじっと見つめながら、わたしは記憶の箱をひっくり返してみる。

(……ダメ、だ。ぜんぜん思い出せないや。生誕の儀に参列してたなら、わたしも顔くらい見てたはずなのに……)

 わたしの本当の誕生日ではなかったけれど。それでも六年間、王女アデリアの生誕の儀には影姫として参加していたのに、覚えているのはせいぜい神官長らしき老爺のいかめしい髭面くらいだった。

 子供だったから仕方ないとは言え、自分の記憶力の足りなさにうんざりしながら改めて記憶かこから現実いまに意識を戻すと、じっとこちらを見つめている修道士様と目が合ってしまう。

「え……と、なにか……?」

「ああ、申し訳ありません。どうも貴女の顔に見覚えがある気がしたもので、つい見入ってしまいました」

 その言葉に、ドキリと胸が騒いだ。自分のことばかり気にしていたけれど、相手にも同じようなことがあっても不思議じゃないと、ようやく気づくことができて。

「見覚え、ですか? 心当たり、ありましたか?」

「はい、そうですね。ひとつあったのですが……どうでしょうかね。すみません、お名前をもう一度伺ってもよろしいですか?」

「――リアン=リンツ、ですけど。それが、なにか?」

「ありがとうございます。それでは、リアンさん。貴女の親戚にアデリアという方がいらっしゃいませんでしたか?」

 恐れ、同時に覚悟もしていた質問に、鼓動が大きく跳ね上がる。それでも、わたしはなんとか平静を装うと、なんでもない顔をして口を開いた。

「アデリア、ですか? さあ、心当たりはありませんけど」

「そうですか。いえ、貴女の髪が赤くてさらに長ければ、成長したアデリア様に見えるように感じられたものですから、念のためと聞かせて頂いたのですが。……どうやら他人の空似、私の早とちりだったようですね。失礼いたしました」

「いえいえ、そんな。その手の間違いなんて誰にでもあることですから、謝る必要なんてまったくありませんよ。……そんなに似てますか? その、わたしとアデリア王女って」

 そう、本当は間違っていないのだからあなたは謝る必要なんてないんですよ、と。言えない申し訳なさを振り払うように、わたしはぶんぶんと手を左右に振り回しながら、必要もない問いを投げかけてしまう。……自分を守りたいなら、余計なことだとわかりきってるくせに。

「そうですね。もちろん私が覚えているのは六年前の、まだ子供だった頃の王女殿下でしかありませんから。今の貴女がそっくりそのまま、というわけではないのですが。髪の色さえ除けば、ああ大きくなって髪も短くなったけれど、それでも昔の面影は残っていますね、と。そう言い切れるくらいには、似ていると思いますよ。

 ――もっとも、亡国の王女様に似ていると言われても嬉しいものではないでしょうから、あなたには失礼な発言だったかもしれませんが」

「いえいえ、失礼だなんて、そんなことはありません。むしろ王女様に似てるだなんて言われて、少し嬉しくなっているくらいですから。それに修道士様の話しぶりだと、とてもいい王女様だったみたいなので、なおさらです」

 わたしのその言葉が嬉しかったのか、修道士様はとたんに相好を崩してアデリア王女の思い出を語り始めた。

 おそらくそのほとんどがわたしのことなのだと思うと、少し恥ずかしくなってくるけれど正直悪い気はしない。なによりも自分だけじゃなくてアデルのことも誉められてる気がして、それがとても嬉しかった。まだこの世界に残されているものがあるのだと、そう思うことができたから。

 ――だから、だろうか。

 修道士様のお話に耳を傾けながら噛み締めるサンドイッチは、これまでにないほどに美味しく感じられ、肺腑の隅々まで味が染みこんできたような気がしたのだった。

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