幕間 リフィル・クレセンド
その日の昼、普段とは違う騒がしさに、リフィルは部屋を出て中庭へと向かった。
「よし、その調子だ、アルマ」
「はっ、はい。ねえさま」
(……!)
中庭では、姉のイスカと……そして、めったに見ることはない、弟のアルマがいた。
他にはアルマ付きのメイドを含めた使用人達が何人か彼らの様子を遠巻きに見守っている。
「イスカ姉様が、アルマに剣を教えてる……?」
イスカが腕を組んで見守る中、アルマはぎこちなく木製の剣を振っている。
リフィルには、なぜ突然そんなことになったのか、全く分からなかった。
アルマとは、彼が生まれてからほんの数度しか顔を合わせたことが無い。
交わした会話もほぼゼロ。
彼は部屋から殆ど出てこないのだから、屋敷の中ですれ違うことさえ無ければ、食事の席を一緒に囲みもしないのだ。
ただリフィルが知っているのは、彼が自分よりひとつ年下の、クレセンド家の長男であること。
そして、生まれつき重い病気に冒されていて、長くは生きられないと言われていること。
そして、病気故に家を継げず、周囲からは「クレセンドの面汚し」と囁かれていること。
リフィルの周りにも彼を蔑む者は多い。
クレセンド家に仕える使用人でも、彼やその世話を一人で行っているメイドを見下しているのだ。
そして、リフィルに言う。
――お嬢様も彼に近づいてはいけませんよ。病が移ったら大変ですから。
(……くだらないわ)
彼らの言葉を聞くたびに、リフィルの中に暗い感情が渦巻く。
(アルマが面汚しなんて、あたしは思わない)
以前、リフィルは彼を、屋敷の書庫で見かけたことがあった。
周囲の目があり声は掛けられなかったが、静かに真剣な眼差しでページをめくる彼の姿は、今もリフィルの中に焼き付いている。
文字や文章は、生まれた瞬間から当たり前に読み解けるものじゃない。
相応の勉強と経験が必要だ。読み書きができないまま生涯を終える者も少なくない。
リフィルは幼い頃から家庭教師に教わっているため可能だが、アルマにはそういった教師は存在しない。
教えたとすれば彼付きのメイドしかいないが、それでもその習熟度はかなりのものだった。
実際、後からリフィルがアルマの読んでいた本を手に取ってみたところ、半分も読めなかったのだから。
「やっぱり、アルマ様はアルマ様だな」
「どういう心変わりかしら。クレセンド家のことを思うなら、大人しくしてくれていればいいのに」
(……ッ!)
アルマの姿を遠巻きに見ていた使用人達の声に、リフィルは唇を噛んだ。
雇われの身でありながら、その家の子息を愚弄するような発言は当然許されるものでは無い。
しかし、クレセンド家全体のことを考えたとき、決して彼らの発言が間違いであるとは言いきれない。
アルマの存在が、結果的にどれほどクレセンド家の立場を危ぶめたか……彼らがクレセンド家を思うからこそ、その憤りの矛先はアルマに向いてしまう。
(あたしに力があれば……イスカ姉様、ラウダ姉様以上の、クレセンド家を変える力があれば、アルマの汚名だって拭い去ることができるのに)
ぐっと握りこぶしを締め、リフィルは強く思う。
いつからか、それこそが自分の使命だと彼女は思うようになっていた。
「ぐぶっ……!?」
「アルマ様っ!」
(っ!? アルマ……!)
突然、アルマが口を押さえて膝をついた。
場が騒然とする中、彼付きのメイドが駆け寄る。
「だ、大丈夫。飲み込んだから」
「飲み込んで大丈夫なものなのですか……!?」
「あー……ええと、ごめん。癖で」
「癖!? いつ、そんな癖をおつけになられたんですか!」
「えっ! いや、そのぉ……」
気まずげに頬を掻くアルマ。
リフィルは大丈夫そうな彼の姿にホッとしつつ、しかし一方で仲良さげに会話するメイドの姿に嫉妬も覚えてしまう。
姉の自分でも殆ど話せていないのに、と。
「今日はここまでにしておくか。とはいえ、私は仕事に戻るから直接見てやれるのはまたの機会になるが」
「はい……姉様。貴重なお時間を頂き、ありがとうございました」
「可愛い弟の頼みだ。私も嬉しかったよ。良い息抜きにもなったしな」
イスカはそう言いつつ、アルマの頭を撫でる。
「今後のやり方はアズリアに伝えてある。それと何かあればいつでも手紙を寄越してくれ」
「はい。これからもよろしくお願いします!」
そうして稽古の場はお開きになった。
ほんの僅かな時間、それもリフィルが見たのは拙い素振りだけ。
それでも、アルマは満足げな笑みを浮かべていた。
そんな姿が使用人達を呆れさせるのだが、リフィルは違う印象を抱いていた。
(なんだか……大人っぽくなった?)
彼女はアルマとは違い、外に出たり、他の貴族の令息や令嬢と会う機会も多い。
しかし、そんな同年代の相手、誰と比べても、今のアルマはなぜか大人びて見えた。
(あれも本で身につけたのかしら……興味あるわ。話してみたい、けど……)
これまで何度か、アルマの部屋を訪ねたいと思ったことはあったが、他の人の目が気になって実現はしなかった。
そういう他者の意見や意志を一切気にしないイスカが羨ましいと思う程度に、リフィルはナイーブだった。
(まぁでも、大丈夫よ。こうして中庭で稽古するようになるなら、きっとタイミングは来るわ!)
どこか浮き足立つ気持ちに囚われながら、リフィルはその場を後にした。
他の人の目がなくて、二人きりになれたら……そのときはうんと可愛がってあげよう。
そんな風に思いながら。
しかし、そんな彼女の思惑に反し、アルマが彼女の前に現れるのはまた遠い先のこととなる。
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