ニックおじさんと僕の探検の歴史

まにゅあ

第1話 探検の始まり

「僕の部品がなくなっちゃったんだけど、どこにあるか知らない?」


「ふむ。部品がなくなったと。どこの部品だい?」

 ニックおじさんが心配そうに僕の内臓を覗き込む。


「胃の部品。それで最近、消化の調子が悪いんだ」


「それは大変だ。早速調達しよう」

 ニックおじさんは、ボロボロな茶色い鞄を肩にかけた。

 先端が削れて丸くなったつるはしを片手に、小屋を出て行こうとする。


「僕も連れて行ってくれない?」


 僕がそんなお願いをしたのは初めてのことだったから、おじさんは驚いたようだった。

 

 だけど、すぐにいつもの笑顔を浮かべて、「いいよ」と言ってくれた。


 やった!

 勇気を出して言ってみてよかった。

 これで僕も探検に行けるんだ。


 持ち物には何がいるだろう?

 

 ニックおじさんが探検に出かけるのを、これまで何度も見てきた。


 だから、その記憶を頼りにして、荷物を詰め込んでいく。

 この日のために僕が作った、手作りの茶色い鞄に。


 地下でんできた美味しい水の入ったペットボトル、

 味はいまいちだけど栄養たっぷりのレーション、

 洞窟探検には必須のヘッドライト、

 方角を確かめるための方位磁石、などなど。


「焦らなくても大丈夫だよ。ゆっくりと準備しなさい」

 ニックおじさんはそう言って、僕が準備できるまで待っていてくれた。

「行こうか」


 僕はおじさんのよりもちょっとだけ短いつるはしを手に取って、探検に出発する。


 何か欲しいものができたとき、僕たちの世界では洞窟を探検する。


 洞窟には色々なものが眠っている。


 ――例えば、僕の体の部品とか。


 僕たちはそれらを掘って持ち帰り、暮らしている。


「今日はどのあたりを掘るの?」


 僕はいつも探検から帰ったニックおじさんにせがんで、探検の話を聞かせてもらっていた。


 だから一度も行ったことがなくても、洞窟のつくりをよく知っていた。


「ふむ。《鳴き竜のお腹》なんてどうだろうね」


「いいと思う! 前に僕の脚の部品を見つけてきてくれた場所だよね?」


「そうだよ。胃の部品もおそらく眠っている」


「前から気になっていたんだけど、洞窟のどこに欲しい部品が眠っているのか、どうやったら分かるの?」


 おじさんは白いあごひげを手で触りながら、なんと答えようか考えているようだった。


 少ししてから、おじさんはゆっくりと話し始めた。


「ふむ。洞窟はね、生きているんだよ。私や君と同じように喜び、ときに悲しみ、そうして毎日を生きている。私はただ、彼――洞窟の性別が男性であるように私には感じられるんだ――その彼の声に耳を傾けて、欲しいものが眠っている場所に向かい、近くの壁をこのつるはしで掘る。それだけのことなんだよ」


 先の丸くなったつるはしを、ニックおじさんは愛おしそうに見つめる。


 以前、「それほど先が丸くなったつるはしだと、掘りにくくない?」と僕が訊いたとき、おじさんは「時間は思い出だよ。物を見て、時間を感じられるというのは、かけがえのない瞬間だ」と言っていた。


 今ならそのときのおじさんの気持ちが、少しだけ分かる気がする。


 おじさんは洞窟との思い出を、つるはしの丸くなった先に見ていたのだ。


 僕たちは洞窟の入口にたどり着く。


「……これが、洞窟」


「嬉しそうだね。君と一緒に来られてよかったと、私も思っているよ。

 ――さて、だけどここからが本番だよ。まだ探検は始まってすらいないのだから」


 僕が頷き、おじさんは微笑む。


「さあ、行こう」


 ヘッドライトを点け、僕たちは暗闇が支配する洞窟へと足を踏み入れた。


 歩くたびに足音が反響して、下からだけじゃなくて、右や左、上からも足音が聞こえてくる。


 不思議な感覚だった。


 前へ――洞窟の奥へと進んでいるはずなんだけど、どうにも同じ場所に留まり続けているみたいな気分だった。


「洞窟探検で大切なのは、自分の居場所を見失わないことだよ」

 ニックおじさんがよく口にしていた言葉を思い出す。


 僕は歩きながら、今の自分が洞窟のどのあたりにいるのか、思い浮かべてみようとした。


 だけど、上手くいかなかった。


 おじさんの後ろをついていくので精いっぱいだった。


 ――おじさんは、やっぱりすごいや。


 僕の胸の内の呟きに頷くみたいに、洞窟のどこかで、ぽちゃんと水滴が落ちる音がした。


「もうそろそろ《鳴き竜のお腹》だよ」


 どれくらい歩いたのか。


 おじさんのその言葉で、洞窟に半ば溶け込んでいた僕の意識が浮上する。


 大人一人が歩けるほどの幅しかなかった道が終わり、暗闇で果ての見えない巨大な空間が現れた。


「これが、《鳴き竜のお腹》……」


 だけど――。


「……竜の鳴き声、聞こえないね」


 ここでは竜が鳴くような音がするから《鳴き竜のお腹》と呼ばれている、とおじさんからは聞いていた。


「焦ってはいけないよ。せかせかしていると、大切なものを見落としてしまうからね」


 おじさんは広い空間の真ん中のほうへ、ゆっくりと歩き出す。


 僕も後に続いた。


 するとどうだろう。


 先ほどまで辺りは静けさに満ちていたのに、突然、ゴオォォォとお腹の底から響くような、まさに竜の鳴き声みたいな音が聞こえてきたのだ。


「すごい! でもどうして?」


 竜の鳴き声は、かなりの迫力があった。


 僕は間違いなく目を丸くしていたと思う。


「ゆっくりと辺りを見渡してごらん」


 そう言われて、周りにヘッドライトの光を向けてみた。


 だけど空間があまりにも広くて、ライトの光が壁まで届かない。


 何もない空間を照らしても、淡い光の筋が見えるだけで、当然ながら何も目で捉えることはできなかった。


 辺りには、何もない空間が広がるばかりだった。


 途端に自分がどこか得体のしれない場所に放り出された気がして、不安になった。


 かろうじて正気を保てたのは、隣にニックおじさんがいたからだった。


 おじさんはいつも一人でこんな場所を探検しているのだ。


 心細くならないのだろうか。


「……何も、見えないよ」

 僕が何とか言葉にできたのは、それくらいだった。


 ニックおじさんは僕の気持ちを見透かし、慈しむように、僕の頭を優しく撫でながら、

「目で見ることは確かに大切なことだよ。だけど、それがすべてではない。そのことを感じ取れる機会は多くない。君は今とても大切なことを学んでいる最中なんだ。――さあ、目を閉じて、ゆっくりと辺りの様子を感じてごらん」


 おじさんの言葉に背中を押され、僕は瞼を下ろす。


 右手でおじさんの左手を握っていた。


 これで怖くない。


 僕は自分の意識を、おじさんの左手から、周りの空間へと少しずつ広げていく。

 

 始めは何も感じ取ることができなかった。


 視界が閉ざされた状態で何かを感じられるはずがない、という雑念が、頭の中で渦巻いてもいた。


 しかし、次第に僕の頭の中は凪いでいき、気づけば平らな白い空間に僕一人で立っていた。


 隣にニックおじさんはいない。


 だけど、僕は不思議と不安を感じなかった。


 僕はただ、その平たい空間がゆっくりと形作られていくのを眺めていた。


 ごつごつとした岩肌が波紋のように広がっていき、大きくて広い空間――これは《鳴き竜のお腹》だ――が形成されていく。


 ああ、そういうことか。


 その光景をながら、僕は竜の鳴き声の正体を知る。


 僕はその光景との別れを惜しみながら、大きく息を吐いた。


 先ほどまで感じていた白い世界は僕の中から消えて、また馴染みのある世界の感覚が僕の中へと入ってくるのが分かった。


 ゆっくりと瞼を持ち上げる。


 隣ではニックおじさんが微笑んでいる。


「どうだい、何か分かったかな」

 おじさんは、僕がすでに何らかの手ごたえを掴んだことに気づいているようだった。


「うん。壁の色んなところに穴が開いていて、それらから吹き込んでくる風が、この真ん中の空間でぶつかり合って、大きな音を立てているんだね」


「ふむ」


 おじさんはただ一言それだけを口にして、

「君の胃の部品を探そうか」

 壁のほうへと向かっていく。


 暗くておじさんの顔は見えなかった。


 だけど声の調子から、おじさんの機嫌がいいことが分かった。


 おじさんはよく「それが正しいかどうかは、慎重に考えなければならないよ。一度正しいと思ってしまったら、それ以上考えることをやめてしまうからね」と言っていた。


 おじさんは安易に僕の答えを肯定しないことで、僕に考え続けることの大切さを改めて伝えたかったんじゃないかな。


 壁にたどり着き、おじさんの隣で見よう見まねでつるはしを振るう。


 おじさんのつるはしは、カン、カンと小気味のいい音を立てている。


 だけど、どうにも僕の振るうつるはしは、コツ、コツという感じで味気ない。


「……つるはしが上手く作れていなかったのかな」


 おじさんの物を真似して自作したつるはし。ちょっぴり短いけど。


 つるはしの材質や先端の丸み具合も忠実に再現したつもりだったけど、どこかに見落としがあったのかもしれない。


「貸してみなさい」

 ニックおじさんはそう言って、僕の手からつるはしを受け取り、壁に向かって振るった。


 カン――と先ほどのおじさんの物と同じ、小気味のいい音が鳴った。


「よく出来ているよ。あとは振るう者の技量だな。こればかりは何千、何万回と振るしかない。焦らずに少しずつ上手になっていけばいい」

 おじさんはそう告げて、僕の手につるはしを握らせた。


 僕は一所懸命につるはしを振るった。


 少しでもいい音が鳴るように。


 よく岩が削れるように。


 おじさんは時折掘る場所を変えながら、つるはしを振るっていく。


 カン、カン、カン――。


 いつ聞いても、いい音だなと思った。


 おじさんが振るうタイミングに合わせて、僕も壁につるはしの先を打ち付ける。


 コン、コン、コン――。


 まだまだ道のりは長そうだ。


 振るい方と音の関係を脳にインプットし、フィードバックをかけながらおじさんの振るい方に合わせようとするけれど、一朝一夕にはいかなかった。


 むしろフィードバックをかけるたびに、どんどんといい音から遠ざかっていくような気さえした。


 おじさんがつるはしを振るう動作も、目で見て真似しているつもりだけど、どこかが違っているんだろう。


 もし本当に同じ振るい方なら、おじさんと同じ音が鳴るはずだから。


「これも先ほどと似たような話だよ。目で見えている事柄がすべてとは限らない。もっと深いところへ潜り込むような、あるいは、あえて対象から距離をとるような、そんな覚悟が大事なんだ。

 目で見てすべてを理解できるほど、世界は単純じゃないってことかもしれない。表面的なものの奥にあるものに、どれだけ手を伸ばせるか。死ぬまでに少しでも世界の深きところに触れてみたいと私は思っているんだ」

 ニックおじさんはいつになく饒舌だった。


 探検中でテンションがハイになっているのかもしれない。


 その気持ちはよく分かった。僕も普段より心臓が早く脈打っていた。


「私が君を作ったのも、それが動機だったのかもしれないね」

 おじさんは遠い目をして、そんな風に言う。


「僕を作ったことを後悔しているの?」


「まさか!」

 おじさんは今日一番に驚いた風だった。


「君を作ったことに、後悔など微塵もないよ。私は君と過ごす中で色々なことを学ばせてもらっている。今日も君が一緒に探検に行きたいと言ってくれて、私は心の底から嬉しかったよ」


おじさんは手に持ったつるはしに憂いの眼差しを向けて、

「やはり、一人で探検するのは心細いからね」


 僕はおじさんの手をぎゅっと握った。


 おじさんほどすごくても、洞窟にいると心細くなるものなのだ。


 僕は少しでもおじさんの寂しさを和らげることができているだろうか。


 これからは一緒に探検に行けるように、僕も元気にならないと。


 僕はおじさんの手を握った。


「……ありがとう。とても温かいよ」


 僕を作ったのはニックおじさんで、この肌の温もりをくれたのもニックおじさん。


 だから、お礼を言われるのは何だかむず痒かった。

 

 だけど、おじさんが嬉しそうなので、これ以上は考えないことにした。


「再開しよう。君の部品を探さないと」

 しばらくして、おじさんは再びつるはしを振るい始めた。


 僕もおじさんの隣でつるはしを振るう。


「……なかなか見つからないね」


 それからあちこちの壁を掘ってみたけれど、どこにも胃の部品が見当たらない。


 ここにはないんじゃ、と思い始めたところで、おじさんは「あったぞ!」と前方の壁を指し示した。


 覗き込んでみれば、確かに灰色の部品が壁に埋まっていた。


 おじさんは部品を傷つけないように、慎重に周りの岩壁をつるはしで砕いていく。

 いつになく真剣な表情で。


 僕は黙って、おじさんの採掘を見守っていた。


 どれくらいの時間が経っただろう。


 おじさんは額に浮かぶ汗を拭い、掘った壁に手を入れて、部品を取り出した。


 灰色で、使い古されたことが一目で分かる部品だったけど、それは確かに胃の部品だった。


「無事に見つかってよかったよ」

 おじさんはまるで宝石を扱うような慎重な手つきで、僕にその部品を差し出した。


「……ありがとう」


 手豆でいっぱいのおじさんの手を見て、僕は心を揺さぶられた。

 おじさんは僕を作るときにも、こうして一つ一つの部品をつるはしで掘っていったんだろう。


 今回不注意で胃の部品をなくしてしまった自分を恥じるとともに、おじさんに対する感謝の念で胸の内がいっぱいになった。


 僕は胃の部品を口から呑み込む。


 カチリ、と体内で部品がハマる音がした。


「うん、これでお腹の調子も元通りだよ」


「ふむ。それはよかった」


 ニックおじさんの笑顔は、いつも僕を温かい気持ちにさせてくれる。


 おじさんも僕と過ごす中で、同じように感じてくれていたら嬉しいなと思う。


「帰ろうか、私たちの家に」


 おじさんと僕は並んで、来た道を引き返し始めた。


 途中で狭い道もあるから、ずっとこうして並んで歩くことはできない。


 それでも、少しでもおじさんの隣を歩きたいと思ったんだ。

 少しでもおじさんの支えになれたらって。


 僕がこんな風に考えることができるのも、おじさんが僕を作ってくれたから。


 おじさんは以前、僕にこんな風に言った。

「感謝などいらないよ。君は、君の生きたいように生きればいい。もし私のことが嫌いになったら、ここを出て行ってくれて構わない。君はすべからく自由なんだ」と。


 あのとき僕は、自分がおじさんのことを嫌いになるはずがないと思った。


 それは間違っていなかった。


 僕は昔も今も、そしてこれからも、おじさんのことを好きであり続けるだろう。


 おじさんは先ほどの言葉で、僕に自由を与えたつもりだったのかもしれない。


 だけど、僕はますますおじさんのことを好きになった。


 おじさんにとっては大きな誤算だったと言えるだろうね。


 誰かを好きになるのも、僕がおじさんのことを好きでいるのも、自由の一つのかたちじゃないかって思うんだ。


 おじさんに言ったら、「それは、君が私に作られたことに対して、恩義を感じているからだろう」と言って、認めようとはしないだろうけど。


 だけど、そんな風に互いの考えがズレているからこそ、僕たちは互いのことを理解しようって、一所懸命になれるんだと思う。


 それは、とても素敵な神様からの贈り物だ。


 が、こうして出会えたことこそが、本当の贈り物と言えるかもしれないけど。


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