199# 修羅場

 《竜王祭》闘技大会の栄えある優勝者として、王国代表のアベル・カロットは壇上にて姫巫女タチアナより直々に優勝トロフィーを受け取った。


 黄金の竜王が頂点に彫られたトロフィーを、アベルは観客に向けて掲げた。


 盛大な拍手と声援がアベルを包み込んだ。


 それは聖竜国民からの心からの祝福。


 聖竜国では勝者こそが正しく、強者こそが絶対の正義。


 それが他国の者であろうと、若かろうと関係ない。


 決勝では奇しくもローファスとの戦闘を見る事はできなかったが、少なくとも前年度優勝者であり最強の剣闘士として君臨していたボレアスは打ち破った。


 聖竜国の民がアベルを強者として認めるには、それだけでも十分であった。


 ともあれ……賞賛を受けるアベルはなんともやるせない顔であったが。



 閉会式を終え、王国の要人の為に用意された控え室に戻ったアベルを態々廊下に出てきて迎えたのは、アステリアだった。


「おかえりなさいアベル。優勝、おめでとう。見事な戦いぶりだったわよ!」


「うん、まあ…ローファストとは戦えなかったけど…」


「気にしないの! 優勝は優勝だから! ボレアスだって倒したじゃない!」


 やや納得できていない様子のアベルを、アステリアは励ます。


 そしてやや気まずそうに控え室の扉を見た。


「こんな所で立ち話もなんだし、場所を変えましょうか。ここはちょっと……立て込んでるから」


「立て込んで…?」


 そこでアベルはふと、決勝戦の終わり際にリルカ達がローファスを連れて行っていた事を思い出す。


「そうか、ローファスが居るのか! 丁度良かった、ローファスには話したい事があったんだよ」


「あ、ちょっと待って! 今はローファスだけじゃなくて——」


 アベルが喜び勇んで控え室の扉に手を掛け、アステリアがそれを止める。


 しかし間に合わず、扉は開かれた。


 そこでは——


「ちょっと! それ以上ロー君に近寄らないで! ロー君は私のなんだから!」


「お前のでもないだろ。どさくさに紛れて滅茶苦茶言ってんじゃねえよ」


「…人数が増えたようなので、多めにコーヒーをお淹れ致します」


 ローファスの左右に、まるで取り合うような構図でリルカとフォルが居り、その後ろでユスリカが大きめのポットでコーヒーの準備を始めた。


 そしてそれに相対するように、タチアナとそれに付き従う側近達が居た。


 リルカは睨むように牽制し、それにタチアナは余裕の面持ちで応える。


「…全くローファスよ。こんなに女が居るなら事前に言うておけ。碌に手土産も用意できておらんではないか…これから長い付き合いになるというに」


 やれやれと溜息混じりに言うタチアナ。


 この言葉にローファスは、いや前に婚約者と愛人がいる事は言っただろうと内心で突っ込む。


 そしてそれを聞いたリルカは、「はあ!?」とローファスをぎゅっと抱き寄せた。


「長い付き合いとかなに勝手な事言ってんの!? 絶対駄目だから! 今日でお別れ! そうだよねロー君!?」


「リルカ! お前マジで良い加減にしろ! 話が進まねえだろーが!」


「話を進めるって何ファーちゃん!? タチアナさんの受け入れとか冗談じゃないよ!?」


「そーじゃねーよ! 冷静になれって言ってんだ! お前アステリアと何話してたんだよ! 全然反省してねえじゃねーか!」


 ローファスの左右で姦しく仲間割れを始めたリルカとフォル。


 かと思えば、リルカの言葉にタチアナの後ろに控える側近が反応し、武器に手を掛けた。


「小娘ェ! 姫様に対して何だその態度は無礼者が!」


「そこに直れ! 王国の使者だろうと関係無い! 剣の錆にしてやる!」


 控え室で響く女達の怒声。


 ふとアベルが戻って来た事に気付いたローファスが、まるで助けを求めるような目を向けてきたが、無情にもアステリアがそっと扉を閉めた。


「…ね、立て込んでいたでしょう?」


「もの凄い修羅場だったな…」


 タチアナの件で荒れる事は予想されたが、何だかんだでローファスが収めるのだろうとアベルは思っていた。


 そんな事はなかった。


 寧ろローファスは、助けて欲しそうな顔をしていた。


 完璧超人だと思っていたローファスの意外な一面に、アベルは少しほっこりする。


 修羅場の渦中にいるローファスからすれば冗談ではないだろうが、ともあれこの件に関してアベルはどうする事もできない。


 部外者であるアベルが割って入れば余計拗れかねないし、何よりこういった仲裁に向いていない事はアベル自身理解している。


 と、そんなアベルとアステリアの下に、通路の奥より一人の騎士が現れ、敬礼した。


 それは暗黒騎士の頂点、九の数字を持つ序列持ち——ユスリカの付き添いでちゃっかり一緒に来た《無名》のシグである。


「あちらで一室確保しました、王女殿下!」


「ありがとう、助かったわシグ。アベルも疲れてるだろうし、休める場所が欲しかったから」


 ほっと安心しつつシグが差し示した方へ行くアステリア。


 シグはチラリと騒がしい控え室を流し見、そしてアベルを見た。


「ところで…なあ、カナデ。お前、若様の事気になってんだろ? 良いのか、あっち行かなくて」


 シグに小声で話し掛けられ、アベルの目の色が赤から青に変化した。


「あー、良いの良いの。混ざってもアベルに迷惑掛かるし。それに、もう私は流石にキャッキャウフフする歳じゃないしねー。私は精々サブヒロイン枠として、アベルが女体化するの気長に待つとするよ」


「——しないからな! 女体化なんて!」


 途端に目の色が赤に変化し、アベルはブンブンと首を振って否定する。


 アベルはそのままアステリアを追い抜き、早足で先に行ってしまった。


 待てよー、とシグは馴れ馴れしく付いていく。


「…」


 残されたアステリアは立ち止まり、困惑した様子でアベルの後ろ姿を見ていた。


 アベルが急に、人が変わったように女口調になった。


 理解が追いつかず、アステリアは眉を顰める。


「…え、今の何?」


 アベルと本当の意味で再会してからまだ日が浅い事もあり、アステリアはまだ、アベルの中に居るもう一人の魂の存在を知らない。



 王国の控え室。


 そこではローファスとタチアナが向かい合う形で座っていた。


 ローファスの後ろでは無数の暗黒腕ダークハンドがリルカとフォルを雁字搦めにして拘束し、タチアナの後ろでは五人の側近がコテンパンにのされて積み上がっている。


 口だけに留まらず、危うく乱闘騒ぎになりかけた所でローファス、タチアナがそれぞれが対処した。


 因みに、ローファスの後ろでは我関せずとマイペースにコーヒーを淹れるユスリカと、隅にちょこんと座るメイリンが「あ、当方はミルクありハチミツ抜きで」なんて呑気に注文している。


「…すまんのう。いつもならもう少し聞き分けも良いのじゃが、此度はどうも血の気が多くて敵わん」


 少し疲れたように眉間を押さえるタチアナ。


 深い溜息を吐くローファスの後ろで拘束されたリルカとフォルがわーきゃーと喚く。


「離してよロー君! まだタチアナさんが残ってるんだから!」


「ローファス! そいつらローファスの事を“黒もやし”とか酷い事言いやがった! ふざけやがって!」


 ローファスは無言で軽く指を振るい、拘束する二人の口を暗黒腕ダークハンドで塞いだ。


 そもそも黒もやしってなんだ、とローファスは肩を竦める。


 確かスイレンもそんな感じで野次られていたが、聖竜国では黒い出立で細身の者をそう揶揄する文化でもあるのかとローファスは小首を傾げた。


「いや…それはこちらにも言えた事だ」


「配下がお主に無礼な物言いをしたのが発端じゃ。それは配下を抑えられんかった妾の責。悪かったのう、ローファスの女ら」


 ローファス達に対して素直に頭を下げるタチアナ。


 これにリルカとフォルは少しだけ静かになる。


 さて、とローファスは本題に入る。


「本来ならこのタイミングで言う気はなかったのだが、こうなっては仕方ない。タチアナ、離婚だ」


 ローファスの切り出しに、リルカとフォルは驚いたように目を剥き、対するタチアナは想定していたのか落ち着いた様子で聞き返す。


「ふむ…理由を聞こう。妾とお主の間に何か問題があったか?」


「あったろう。俺達の婚姻を公の場で発表した」


「公表については遅かれ早かれせねばならなかった事。姫巫女たる妾の婚姻じゃぞ? 寧ろこれまで秘匿しておった方がおかしかった」


「タイミングが最悪だ。見ての通り貴様の側近共と俺の連れと拗れたろう」


「お主の女達についてじゃが、婚姻を結ぶに当たり、少なくとも妾は容認しておった。女達に事前に説明しておらなんだのはお主に問題があろう」


「説明する前に貴様が公表したんだろうが」


「それについては謝罪しよう。勝手な事をしてすまなんだ。しかし、それは離婚を切り出す理由としては些か弱かろう。少なくとも大陸中より集まった各国要人の前で公表してしまった以上、妾達の婚姻関係は周知の事となった訳じゃし、離婚するにしても正当な理由は必要であろう」


「…」


 タチアナの正論に、ローファスは黙る。


 全くもってその通り。


 ローファスとタチアナの婚姻は、つい先程大陸中の各国が知る所となってしまった。


 つまり下手な理由で離婚を切り出せば、ローファスは国際的に後ろ指を刺される事になる。


 当然、ライトレス家も批難の対象となるだろう。


 直接攻撃を受けるような事はないだろうが、少なくともイメージダウンは避けられない。


 後世にまで語られる汚点となりかねない。


 そもそもそれは、タチアナが各国の要人の前で大々的に発表したから生じている問題なのだが。


 いや、これは寧ろローファスを繋ぎ止めておく為にタチアナが仕掛けた一手。


 実際、これはローファスにかなり効果的である。


「…既に俺の目的は達している。もう貴様の夫でいる必要はない。寧ろ貴様との婚姻関係など、今後の俺の人生の足枷でしかない」


「随分な言い草じゃのう。目的と言うと、《霊堂》の件か。正直、未だによう分からんのう。お主は考古学に傾倒しておるようには見えんし、妾の夫となってまで入りたがった意味も分からん」


 ローファスがタチアナと婚姻を結んだ理由は、そうしなければ《霊堂》に入れなかったから。


 しかしタチアナからすれば、婚姻を結んでいざ《霊堂》に案内してみれば、入って何かするのかと思えば何もせず、ローファスは暫し最奥にある竜王象と見つめ合っていただけ。


 姫巫女にしか聞こえない祖霊の声がローファスに聞こえたとも考えにくく、かといってタチアナに対して《大地の竜王》から啓示があった訳でもない。


 タチアナからして、正しく謎。


「ローファスよ。お主の行動は不可解な点が多過ぎる。せめて妾が納得できる理由を言え。なぜ妾と婚姻を結んだ。お主は一体、なんの目的で聖竜国を訪れ、なにを成そうとしている。それを隠したまま己が要求だけを通そうなど、虫が良過ぎるとは思わんか」


「…確かに、道理だな」


 タチアナの主張は最も。


 何より、事情を知らない者から見れば、ローファスの動向は限りなく不審に映るだろう。


 ここまで来た以上、事情を説明するのはローファスとしても吝かではない。


 寧ろ隠し通そうとする方があらぬ警戒心を抱かせかねないだろう。


 問題なのは、事情を話すにしても何をどこまで説明するか。


 ローファスは頭を高速で回転させて思案する。


 意図した訳ではないが、聖竜国にはフランを除いたかつてのアベルパーティがおり、テセウスと帝国軍最強のスイレンも戦力として控えている。


 役者は出揃った。


 この役者達を手駒とし、効率良く運用できるかはこの説明に掛かっていると言って良いだろう。


 と、そんな折に控え室の扉が僅かに開いている事にローファスは気付く。


 隙間から覗き込んでいるのは青緑の瞳。


 ローファスと目が合うと気まずそうに目を逸らし、観念したように扉が開かれる。


 アステリアだった。


 後ろにはアベルも居る。


「べ、別に聞き耳を立てていた訳じゃないのよ? 部屋が静かになったってシグが教えてくれたから、ちょっと様子を見に来ただけで…ねえアベル?」


「う、うん…本当に盗み聞きなんてしてない、今来た所だし。本当に、ローファスとタチアナが離婚するとかしないで揉めてるとか、全然何も知ら——もが!?」


 突然言い訳を始めたアステリアに、赤裸々に盗み聞きの自白を始めたアベル。


 アステリアは急いでアベルの口を塞いだ。


 普通に聞いてんじゃねーか、なんなんだこの天然カップルは、とローファスは内心で突っ込みつつ、溜息混じりに「入れ」と促す。


 いそいそと入室するアステリアとアベル、そして最後に「失礼しゃーす」と低姿勢で入って来た暗黒騎士シグ。


「シグ、貴様は扉の前にいろ。盗み聞きされないようにな」


「…うっす」


 ローファスより命じられ、シグはビシッと敬礼して控え室から出て扉を閉める。


 アステリアとアベルは肩身が少し狭そうに隅の椅子に座った。


 そしてローファスは「暴れるなよ」と念押ししつつ、リルカとフォルを拘束から解放した。


「先に言っておくぞ、リルカ、アベル——タチアナは地神の使徒だ」


「「…!」」


 ローファスの言葉に、リルカとアベルは目を見開く。


 その言葉の意味が分からず、名前を出されたタチアナは眉を顰めた。


「…? なんの話じゃ?」


「そしてタチアナ…いや、全員聞け。俺がここにいる理由を説明する」


 ローファスはそう前置きし、言葉を続ける。


 情報を精査し、この場の全員に伝わるように簡潔に。


「俺は、今夜復活する《邪竜》を滅ぼす為に聖竜国に来た。地神シュー・アヴァロに依頼されてな」


 その言葉にほぼ全員が目を見開く中で、フォルとメイリンとユスリカの三人はポカンとしていたという。

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