161# 手の平
三国会談より二日。
約束では、ステリア襲撃に関与したものの調査の期日でもある。
しかし、ステリア襲撃に関与した者どころか、無関係である筈の帝国の要人が謎の死を遂げていた。
そんな中、帝国政府は現時点での暫定的な調査結果を伝えるべくローファスとの接触を試みるも、病室には不在。
レイモンドに問い合わせたが、連絡が付かないという。
無論、実際の所そんな事は無く、帝国政府との無駄なやり取りで時間が潰れるのを嫌がったローファスがのらりくらりと接触を避けているだけの事。
因みにローファスは、調査結果の報告は書面で良いと帝国政府に事前に通達していた。
それでも帝国政府がローファスと直接会いたがったのは、調査結果に不満を持たれない様もっともらしい言い訳がしたかった事と、何より要人の度重なる謎の不審死について問い質す——もとい、もう止めて下さいと懇願する為。
帝国政府は、これまでに無い程に追い込まれていた。
政府関係者や上場企業の役員など、特に影響力のある者達の度重なる不審死に加え、何やら帝国内で
事実としてつい昨日、突如として《魔紋病》の末期患者の一人が完治したという訳の分からない出来事があった。
病棟の記録と対応した看護師から確認するに、ローファスが押し入ったという《魔紋病》隔離部屋の患者だという。
帝国政府は即座に情報隠蔽を図るが、人の口に戸は立てられない。
何処から漏れたのか、帝国ネットワークのSNSには昨日の今日で「不治の病、初の完治!?」がトレンドに上がっている。
未だ都市伝説扱いではあるが、話題になっているだけに《魔紋病》患者の親族が聞き付け、病院には引っ切り無しに問い合わせが相次いでいる。
そしてこれに反応したのが帝国の大手製薬会社。
《魔紋病》患者の為の鎮痛薬などの対症療法の為の薬品は非常に高価なものであり、毎月新薬が開発される程に多くの金と利権が絡んでいる。
治療法が確立されていない不治の病であり、その症状と苦痛を和らげる為の高価な薬品は、死ぬその瞬間まで投与し続ける必要がある。
《魔紋病》の患者は中央都市——つまり 富裕層であり、どれだけ高価な薬品であろうと湯水の如く金を使う。
故に製薬会社にとって、《魔紋病》は正しく金のなる木。
そんな不治の病である筈の《魔紋病》の治療法が見つかった——それは製薬会社からすれば、この上無く面白く無い話。
製薬会社は帝国政府に巨額の資金提供をするパトロンの一つ。
そんな製薬会社より、帝国政府へ要求があった。
《魔紋病》の治療法、その詳細を出せと。
製薬会社は政府系列の病院——ローファスらが滞在し、《魔紋病》の隔離病棟がある病院とも深い繋がりがあり、その内部情報も得ている。
政府は情報隠蔽を図っているが、《魔紋病》末期患者の一人の病巣が完全に消失——完治し、そこに居合わせたのが現在帝国に滞在している王国貴族ローファス・レイ・ライトレスである事まで情報を網羅している。
分からないのは、名だたる帝国の医師らが匙を投げた《魔紋病》の治療法のみ。
治療に必要な道具は? コストは? 必要な時間は? 魔法の力なのか?
患者の命を救う為の義心——当然、そんなものはありはしない。
《魔紋病》の治療法が確立してしまうと、高価な薬品の持続的な消費が減り、利益が著しく落ちる。
この《魔紋病》の専用の鎮痛薬の開発や独占販売だけで、国家予算並みの金が動いている。
それが失われる事など、あってはならない。
しかし製薬会社から情報提供の要求を受けた政府だが、治療法に関する情報は一切不明。
利権と欲に駆られた者はその行動を抑制出来ず、時に愚かな行動を取る事もある。
治療法の情報提供の要求に対し、芳しい返答が得られなかった製薬会社は、次なる要求を帝国政府に対して行う。
それは、ローファスと話し合いの場を設けさせろ、というもの。
重要なパトロンである製薬会社の要求を断れず、かといって出来る限りローファスを刺激したくない事から受ける事も出来ず、帝国政府は途方に暮れていた。
何よりローファスと連絡が取れない為、政府側としてもどうする事も出来ない訳だが。
しかし、政府にも大きな影響力を持つ製薬会社がこうして出張って来る事を予見していた
《智と式を司る機神テセウス》が動けない現状、その人格を模して生み出された
物理的な力は皆無、しかしネットワークという電脳空間では、
『今、下らない横槍を入れられては困るよ。事態がややこしくなるだろう』
電子の情報の海の中で、テセウスは無感情に呟く。
『…ローファスが《魔紋病》を治してしまった時点で、こうなる事は想定出来た。しかし残念だよ、他でも無い君の会社を貶める事になるとは。だが致し方ない。物事には優先順位がある。如何に
製薬会社は、他でも無い創造主の甥であり、つい先日自殺を止めた少女の祖父が代表を務める会社であった。
製薬会社の汚職発覚と、それに伴う株価暴落。
政府のパトロンから外れ、政界での影響力が完全に失われるのは少し先の事。
*
「ローファスさんローファスさん! 見て見て、ハナちゃんからメールが来たの! 今度話そうって! 今度話そうって! 元気になったみたい! 良かったよー!」
「…そうか、それは良かったな。それで、何故貴様がこの病室を知っている」
三国会談より三日目の朝、少女がローファスの病室を訪ねて来た。
そしてスマートフォンを取り出すと、病状が回復したウノハナから来たというメールの画面を満面の笑みで見せてくる。
つい二日前、絶望の面持ちで飛び降り自殺を図ろうとしたとは思えない程に生き生きとしている。
無理やり飲ませた気付けポーションには、確かに抗うつ作用もあった。
しかしこれは、幾ら何でも効き過ぎである。
因みに、ローファスが滞在している病室の場所はテセウスが教えたらしい。
本来ならば一般人がローファスの滞在する病室まで辿り着ける筈も無いのだが、これも恐らくはテセウスの手引きだろう。
何を勝手に、とローファスは内心で舌を打つ。
そしてそんなローファスと少女のやり取りを病室の隅で遠目に見るのは、先に訪れていた三名の女性——フォル、リルカ、そしてアンネゲルト。
「…ちょっと話が違うよアンネゲルトさん。ロー君、女作ってるじゃん」
むすっとしながら文句を言うリルカに、アンネゲルトは肩を竦める。
「馬鹿ね、そんな訳ないじゃない。だって魔力が無いのよ。貴族として相手を選ぶ基準から外れているわ」
「でも貴族って愛人いっぱい持つらしいじゃん。魔力無くても、好みのタイプなら愛人にするんでしょ? よく聞くよ、そう言う話」
「ローファスは違うわよ。違うに決まっているわ。だってもしそうなら、ただの女好きじゃない」
自分に言い聞かせる様に否定しながらも、アンネゲルトはかりかりと落ち着き無く親指の爪を噛む。
そんな最中、会話に参加せずに静観していたフォルが口を開く——ローファスに対して。
「ローファス、その娘は? これから長い付き合いになるのか?」
暗に新しい嫁かと尋ねるフォル。
かけ引き無しのど直球な問い掛けに、リルカとアンネゲルトは目を見開く。
しかしその問いの意味を察せない少女は首を傾げ、同様に言葉通りの意味で捉えたローファスは眉を顰めた。
「長い…? いや、その予定は今の所無いが…」
血縁の保護は一先ずテセウス(本体)が復活を遂げるまで——のつもりではあるが。
そういえば、全てが終わった後にテセウスを殺す契約となっている。
血縁の保護も契約の範疇であるが、これはテセウスの死後はどうなるのだろうかとローファスは首を傾げる。
だが、深く考える事はしない。
ローファスは今、それ所ではなかった。
テセウスとの連絡手段の為と渡された魔動式小型タブレット。
無論これは、連絡手段以外の用途としても扱える。
幸いにも、操作方法はそこまで複雑なものではなく、テセウスから軽いレクチャーを受ける程度でローファスはタブレットの機能を使いこなしていた。
このタブレット。
連絡手段としても有能だが、それ以上に情報収集のツールとしてこの上無く便利である。
特にSNS。
昨晩この機能を見つけたローファスは、寝る間も惜しんで帝国の情報収集に明け暮れていた。
そして見つけた。
SNS上の現在のトレンドを。
『親エリクス家ローファス』
どういう事だとローファスは顔を引き攣らせた。
何故かローファスは、帝国で親エリクス家として話題に上がっていた。
調べてみると、動画投稿サイトにタイトル付きで映像が上がっていた。
『“暗き死神”の孫ローファス・レイ・ライトレス、帝国に滞在中。中央都市のフォンダンショコラを絶賛』
『ローファス・レイ・ライトレス、身を挺して身投げした女学生を助け、生きろと説得。某高等学校のいじめ事情に嘆く』
目立ったもので以上の二点、凄く良い感じに編集されている。
コメント欄には「めっちゃイケメンじゃん」や「ショコラ頬張ってて可愛い」、「“暗き死神”って教科書に載ってる大戦の? え、そのお孫さん? クソ人格者じゃん惚れた」、「映画化決定」などの好意的なもので溢れている。
まるで客寄せドラゴンの如き状態。
因みに否定的なコメントも時折見かけるが、書かれて二秒程で削除されていた。
これらの情報を流しているのが誰なのか、そんな事は明白だった。
この現場に居たのは、ローファスと少女——そしてテセウスである。
この二点の動画を筆頭に、ネット上にはローファスに関する様々な情報が流される事となる。
先日より話題に上がっていた不治の病を治したのは実はローファスであるという事であったり、王国では《魔王》を討伐した英雄として讃えられているといったものから、幼い頃から領地経営に携わり名君とされている事まで。
そんな王国の有力者が親エリクス家という情報は、帝国民——特に半世紀前の大戦を直に経験していない世代に好意的に受け入れられていた。
かなりオーバーに書かれてはいるものの、虚偽が一切無いのが始末に悪い。
そうした情報操作に奔走しているのか、昨晩からテセウスと連絡が付かない。
いや、少女と普通に連絡が付いていたという事を鑑みるに、敢えて応答していないのかも知れない。
因みに、正確な事実はこうだとローファス自身がコメントに打ち込んでみたが、速攻で消された。
夜が明けた今も尚、ローファスや王国に関する情報がネット上に上がり続けている。
ローファスの事ばかりが目立っているが、他にも様々な王国の情報が上がっている。
その中でも特に話題を集めているのは、『王国外交官の息子、国境山脈での遭難に帝国スラムで保護される。その折にスラムの少女と恋仲に』や『ローファス・レイ・ライトレスの婚約者、軍の暴走爆撃機から親子を救う』などの動画付きの記事だろうか。
ローファスの情報を中心とした、度を越した王国のポジティブキャンペーン。
これをやっているのが、つい数日前まで本気で王国を潰して帝国に吸収しようとしていた者だというのだから笑えない。
これは恐らく今後の帝国と王国が同盟関係になる事への布石、民意誘導。
だが、それだけにしてはローファス個人の情報が多過ぎる。
まるでローファスが帝国で受け入れられる土台を作っているかのような。
そして、まるでそのローファスに当てがうかの様に病室に送り込まれて来た少女。
ここまであからさまであれば、流石にローファスも察しが付く。
テセウスは間違い無く、ローファスを帝国に取り込もうとしている。
テセウスは以前言っていた——
まさかこいつ、自分をその帝国の指導者——もといお目付け役に据える気かと、ローファスは戦慄する。
広大なライトレス領の十分の一程度しかない地域を経営するだけで一杯一杯なのに、帝国の経営まで負うなど冗談ではないとローファスは顔を青くする。
相手はテセウス。
このまま放置すれば、瞬く間に外堀と内堀を完全に埋め立てられ、拒否出来ない状況を作られた上で、ローファスは帝国の割と重要なポストに据えられる事になるだろう。
その地位には密かにレイモンドを据えようとしていたローファスからすれば、本当に冗談ではない。
何か行動を起こさねばと思考を高速で巡らせていると、病室の扉がノックされる。
入室して来たのは、階級の高そうな帝国兵だった。
「失礼致します。王国より使者様がお越しになられました。聖竜国大使館でローファス様をお待ちです。至急、レイモンド様と来るようにとの仰せです」
「…くそ」
ローファスは悪態を吐きつつ、席を立つ。
この三日間、散々ローファスにしてやられた帝国からすれば、年貢の納め時の如く写った事だろう。
元よりそう見せる為、王家の介入があった折にはその様に演技して見せる予定であった。
しかしこの悪態は正真正銘の本音。
行動を起こそうとした瞬間の邪魔、まるで見計らったかの様なタイミング。
そう、確かに今日は、早ければ王家の介入がある日ではあった。
それは事前に分かっていた事。
当然、ローファスはその対応に追われる事となる。
王国の使者とやらは恐らく王家——或いはそれに連なる者。
片手間の対応など出来る筈も無い。
恐らく今日一日、ローファスの行動は著しく制限される。
それも、事前に予測出来た事。
分体と思い甘く見ていた。
本体でなくとも、その知能指数は人のそれより遥かに上。
《権能》が
その厄介さは依然として健在である。
「…少し席を外すぞ」
病室の女性陣にそう告げつつ、ローファスは王国の使者が待つ場へと向かった。
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