160# 奇跡

 《魔紋病》——帝国中央都市にて流行する不治の病。


 流行とはいわれているものの、その発症者はそれ程多くはない。


 中央都市の総人口大凡二千万人に対し、《魔紋病》発症者は百人程度。


 その症状は、体内に特殊な魔素が蓄積し、肌に豹紋が浮き出てくるというもの。


 故に《魔紋病》。


 “富裕層の斑”、“悪魔の病巣”とも称される。


 魔素の豹紋——魔紋は魔素の蓄積と共に増していき、最終的には全身を覆い尽くし、発症者は死に至る。


 魔力を持たない者にとって、魔素は毒。


 つまり《魔紋病》は、毒が身体に蓄積していっているのと同義。


 魔紋は発症者に、想像を絶する苦痛を齎す。


 魔紋が広がるごとに、その苦痛も増していく。


 場合によっては、魔紋が全身を覆い尽くすよりも前に、苦痛に耐えられずに命を落とす場合もある。


 現代の帝国医学では治療法は確立されておらず、鎮痛剤により苦痛を和らげる程度の対症療法しか出来ない。


 この病は非常に珍しいもので、帝国では中央都市でのみ見られている。


 原因は一切不明——というのが帝国の公的見解。


 しかしテセウスは、この病の原因を既に突き止めている。


 《魔紋病》の発症者が現れ始めたのは、つい二年程前から。


 それは《魔王》の本体——翡翠の巨大魔石を発掘し、中央都市の地下研究所に安置してからの事であった。



「ハナちゃん…嘘、なんで…」


 とある病室にて、少女の友人は無数の管に繋がれ、ベッドに横たわっていた。


 そこは偶然か必然か、ローファスが滞在する政府系列の病院。


 《魔紋病》患者の専用病棟。


 完全隔離、面会は親族のみ。


 しかし、少女は通されていた。


 それは共に居たローファスの行動を、帝国政府が制限出来ない為。


 ローファスが入れろと言えば、病院側は拒否出来ない。


 少女は目に涙を浮かべながら、変わり果てたかつての友人を前に膝を崩していた。


 少女の声に反応し、友人のウノハナは僅かな反応を見せ、目を開ける。


 思わぬ来訪に驚いたのか、少し目を見開く。


 しかしそれ以上の反応は無い。


 指一つ動かせず、喋る事もままならない。


 点滴や繋がれた管から持続的に鎮痛剤が投与されているが、それでも限界がある。


 痩せ細ったウノハナの身体には、全身を覆う程の魔紋が浮き出ていた。


 病状はかなり進行している。


 《魔紋病》は一度発症すれば、苦痛の末に死に至る不治の病。


 鎮痛剤と生命維持装置により持っているが、ここまで病状が広がっているとなるとそう長くはないだろう。


 それを一目見て理解した少女は、泣き縋りながら謝罪の言葉を繰り返した。


 こんな事になっているとは知らなかった事。


 例え嫌われても、自分は友達だと思っている事。


 あの時の事をずっと悔いているという事。


 それらを懺悔する様に言いながら「あの時、味方になれなくて本当にごめんなさい…」と泣きじゃくりながら少女は話した。



 そんな少女の様子を、扉の前に立ち冷めた目で見るローファス。


『…確か、共に過ごした期間は一週間程度ではなかったかな。それにしては思い入れが深過ぎないか。あんなに感情的になって泣きじゃくって。理解に苦しむよ』


 そんなローファス対し、タブレットからテセウスの声が響く。


 雰囲気を壊さない為の最低限の配慮か、声はローファスにしか聞こえない程度に抑えたもの。


 ローファスは退屈そうに言う。


「人の感情の機微が分からん貴様だ。理解など出来るはずが無いだろう」


『おや、意外だね。君には理解できると?』


「過ごした期間は重要ではない。察するに奴は、これまで真に気を許せる存在が居なかったのだろう。だからこそ友と呼べる存在は、奴の中で掛け替えのないものだった。感情を砕くのも当然の話だ」


『…なんだ。拗らせコミュ障の体験談か』


「ぶち殺すぞ貴様」


『ああ、是非頼むよ。全てが終わった後にね。元よりそういう契約だ』


 そんなやり取りをしながら、ローファスはウノハナの身体に広がる魔紋をじっと見据える。


 そしてふと思う。


 これ、もの凄く見覚えがあるな、と。


 それは以前、《緋の風》のサブリーダーであるイズが患っていた治療法の無い風土病。


 体内に魔素が蓄積し、それが肌に豹紋となって現れる。


 度を越した苦痛により、立って歩く事すら困難になる。


 正しく同じ症状。


 そして当時では気付けなかった事も、《神》へと至った今だから理解出来る事もある。


 ウノハナに蓄積した魔素。


 やや変質してはいるが、この性質は正しく——翡翠の魔力。


 ふとローファスは思い出す。


 そういえば、つい最近まで中央都市の地下には、《魔王》の本体が置かれていた。


 聞く所によると、魔力を動力として活用する技術が実用化されており、無尽蔵に魔力を生み出す翡翠の魔石は、正しく最高の資源だったという。


 魔力から抽出される無限ともいえる動力を電気に変換し、それだけで中央都市で消費される電力が余裕で賄えていたのだとか。


 つまりそれは、中央都市の全域に、翡翠の魔力が元となった電気が行き渡っていたという事。


 ローファスはじとっとした目を、タブレットに向ける。


 テセウスは目を逸らしながら口笛を吹いた。


『…オフレコで頼むよ。《魔紋病》の原因は、公的には不明という事になっているからね』


「無限のエネルギーという甘い蜜の対価は、不治の病か。まあ元凶は貴様な訳だが」


『中央都市人口二千万人。《魔紋病》発症者は百人程度。つまり一人当たりの発症確率は0.0005%——害よりも利の方が圧倒的に大きい。寧ろこの程度、負って当然のリスクだろう。それとも、君ならやらないとでも?』


「いや、同じ条件であれば俺も同様の事をしただろう。但し俺の場合、その《魔紋病》とやらはデメリットにならない訳だが」


『…どういう事かな?』


 テセウスは知らない。


 《魔紋病》を治療する手段をローファスが持っている事を。


 テセウスは王国で起きた情勢の多くを、偵察用のドローンから情報を得ている。


 しかし、全ての事象を知っている訳では無い。


「なんだ、知らないのか。ステルスドローンでも、流石に飛空艇までは追えなかった訳か」


『…?』


 一人で納得しつつ、ローファスは病に伏すウノハナの元に近付く。


 そして床にへたり込む少女を見下ろす。


「おい小娘。その女の病を治してやる。その代わり、二度と自死を選ばないと誓え」


「治してって…は?」


 少女は眉を顰めた。


「あなた、《魔紋病》を知らないの? 治療方法の無い不治の病、そう連日ニュースでやってるでしょ。出来もしない事を軽々しく…」


「帝国の事情は知らん。だが、その病は不治の病ではない。治療法なら俺が知っている」


「えぇ…?」


 ローファスがあまりにも自信満々に言うものだから、少女も否定出来ずに困惑する。


 とはいえ、信じられる筈も無い。


 帝国の医学は大陸でも最先端。


 その帝国が、治療法の手掛かりすら掴めていない。


 にも関わらず、この少女とそう歳の変わらぬであろう若い男は治療法を知ると言う。


 どう控えめに見ても医者には見えず、寧ろ殺し屋と言われた方が納得出来そうな程に鋭い雰囲気を纏っている。


「すいません、ちょっと信じられないです…」


 懐疑的な様子の少女に、ローファスは深い溜息を吐く。


「貴様が信じようが信じまいが、事実として俺はその女の病を治療する事が出来る。そして俺が要求しているのは、貴様の命でもなければ金銭でもない。自害しないという意思表示のみだ。信じられない、だからどうした? 貴様は己の下らぬ猜疑心を満たす為だけに、目の前に垂らされた可能性を振り払うのか?」


 ローファスに詰められ、少女は息を呑む。


 それとも、とローファスは続けた。


「この後死ぬ予定でもあって、嘘でも誓いを立てるのは都合が悪いとでも?」


 少女は目を逸らす。


「い、いや、その…本当に治療出来るんだったら幾らでも誓います、けど…」


「ならば口に出して言え。内容は具体的である程良い」


「は、はあ…」


 困惑しつつも、少女はローファスを前に誓いを立てる。


「こ、金輪際、自殺なんて絶対にしません。だから、ハナちゃんを治して…下さい」


 ローファスの目を見て、はっきりと口に出して言う少女。


 それを聞いたローファスはにっと口角を上げ、返答する。


 人としてではなく《》として、《》らしく。


「——貴様の願い、聞き届けよう。ここに契約・・は成った」


 《神》の前で誓いを立てる——それは大いなる意味を持つ。


 対価を差し出し、恩恵を受ける。


 それは明確な《神》との契約。


 ローファスとの契約が成立した直後、その証として少女の左手の甲に、三日月の紋章が浮かび上がった。


「えっ…え、え?」


 突然の出来事に、何だこの怪奇現象はと慌てる少女。


 対するローファスは、興味深くそれを見据える。


「ふむ…相手側からの申し出であれば神力・・の消費は殆ど無いのか。魔法契約書コントラクトも無しに契約を結べるのは便利だな。まあ性質上、そうそう使える手でも無いが」


『おい。私の創造主の血縁を君の好奇心を満たす為の実験に使うのは止めてくれないか』


 割と真剣な口調で責めるテセウスに、ローファスは肩を竦める。


「そう目くじらを立てるな。自棄を起こさせないために必要な処置だろう」


『私が望むのは適正な環境下での放牧だ。強制力の伴った管理ではない』


「人を下等生物呼ばわりする奴が何を今更。そもそも王国を手中に収める事に意識を割き過ぎて管理を怠ったのは貴様だろう」


『む…』


 身から出た錆だとローファスに正論を言われ、テセウスは押し黙る。


「では契約を遂行するとしよう」


 ローファスは、手の甲に浮き出た三日月の紋章に困惑する少女を尻目に、ウノハナに手を翳す。


 同時、ローファスの影から無数の黒い手が伸びた。


 それを見た少女は、あまりにも不気味なビジュアルに「ひぃ!?」とまるでホラー映画でも見たかの如く顔を引き攣らせる。


 無数の黒い手——それは影の使い魔であるエルフ兵の手。


 元が《魔晶霊クリスタル・ゴースト》であるエルフ兵は、ゴーストの固有能力であ《魔力吸収マナドレイン》を扱う事が出来る。


 これにより《魔紋病》により体内に蓄積した魔素を吸い取り、体外へと取り除く事も可能。


 何体ものエルフ兵により多重に発動された《魔力吸収マナドレイン》は、ウノハナの体内から瞬く間に翡翠の魔素を吸い取り、身体に浮かんだ魔紋はその全てが消えた。


「え…嘘」


 目を剥き、驚く少女。


 ウノハナは一瞬目を見開くと、一言も発する事無く眠る様に気絶した。


「ハナちゃん…? え、ハナちゃん!?」


『心配しなくて良い、眠っただけだよ。《魔紋病》の苦痛は、患者の眠りを妨げる。鎮痛剤で痛みを緩和させても、患者は慢性的な睡眠不足に陥っている場合が殆どだ。完治した事で痛みが消え、緊張の糸が切れたのだろう』


 心配する少女を落ち着かせる様に、テセウスが説明する。


 知った風に説明するテセウスだが、内心ではかなり驚いていた。


 確立していなかった《魔紋病》の治療法。


 見る限り、患者の身体に負担が掛かっている様子も無く、その上短時間。


 後遺症の有無は経過を見てみない事には分からないが、ローファスの口振りから見るにこの治療が初めてではない。


 ローファスが説明も無しにやったという事は、恐らく安全面についても問題は無いのだろう。


 不治の病の完治——それは正しく奇跡にも等しい事。


 しかしその奇跡は、決して良い事ばかりではない。


 テセウスは苦々しく笑う。


『《魔紋病》の完治か…はは、まさか本当に治療出来てしまうとはね。だが…やってしまったね。今後はこういった事をする前に事前に相談してくれ。その方が互いに面倒が無くて済む』


「…面倒だと?」


『ああ、面倒だ。不治の病の完治——まさか絶賛されてめでたしめでたしで終わるとでも? 愚かな下等生物である人間共が? あり得ないだろう』


「…帝国の面倒事か? 巻き込まれてやる筋合いは無いな」


『巻き込まれるも何も無い。問題の起点となっているのは治療法を持つ君だぞ。本体であれば兎も角、一介のAIでしかない今の私では情報操作にも限度がある。電子上でなら兎も角、人の口を直接塞ぐ事は出来ないという事だ』


 その直後、病室の扉がノックも無しに勢い良く開け放たれる。


 病室に血相を変えて入ってきたのは、患者のバイタルモニターをリアルタイムで確認していたであろう看護師であった。


「し、失礼します! モニターに異常がございまして——」


 言いながら看護師は、魔紋が消失したウノハナを見て、飛び跳ねる様に驚く。


「す、直ぐに先生を呼んで来ますので!」


 誰かが口を開くよりも前に、看護師は病室から走って出て行った。


 一瞬の出来事にぽかんとするローファスと少女。


 テセウスの溜息がタブレットから響く。


『…ほらね。面倒事が始まるよ』


 ローファスは舌打ちすると、少女の首根っこを掴んで引き寄せ、己が沈むと共に影の中に引き摺り込んだ。


 少女に悲鳴一つ上げさせない鮮やかな手口。


 二人と一台のタブレットは、影渡りシャドウムーヴにより病室から姿を消した。


 そこに残されたのは不治の病が完治したという奇跡と、間も無くやってくる医者の驚愕のみ。

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