153# 姫巫女

 帝国と王国、そして聖竜国の間で急遽開かれる事となった会談。


 帝国、王国間の戦争の仲裁者にしてこの会談の主催——聖竜国側の代表は姫巫女タチアナ・アヴァロカンド。


 帝国側の代表は、帝国軍国防長官——名をオウセン。


 軍服の上からでも分かる程に筋肉質で長身の巨漢であり、その頬には物々しい古傷が見て取れる。


 タチアナの背後には四名の精鋭——上級剣闘士が立っていた。


 国家間の会談にも関わらず、上級剣闘士は皆一様に、物々しい武器を隠しもせずに所持している。


 聖竜国側は、平和の為の話し合いの場とは思えぬ程の殺伐とした空気を纏っていた。


 対する帝国側、オウセンの背後には、聖竜国に合わせる様に四名の精鋭軍人——上級兵が立っている。


 武器を誇示する様に持つ聖竜国に対し、帝国側は一切の武装を所持していない——少なくとも表面上は。


 平和の為の話し合いに武装は不要、そんな雰囲気こそ出してはいるが、元より血中ナノマシンを武器に転用できる帝国兵に武装は不要。


 薬品一つで機人化デストラクション——異形化し、人外へと変ずる上級兵らを控えさせている時点で、真の非武装とはいえないだろう。


 この会談、主催は聖竜国であり、帝国側は表面上は消極的——しかし王国ステリアへの襲撃に関しては一刻も早く弁明をしたい、そんな思惑があり出席に同意した。


 しかしこの緊急で開かれた三国会談、指定の時間が過ぎているにも関わらず、話し合いは始まらない。


 それは一重に、王国側の遅延によるもの。


 指定していた時間を五分過ぎ、十分過ぎ——二十分過ぎた所で我慢の限界を迎えた聖竜国の姫巫女タチアナが、魔力の籠った握り拳を円卓に叩き付けた。


 未だ少女ともいえる程のうら若い女からは想像も付かぬ程の膂力。


 聖竜国一の魔力の持ち主であり、先天的な先祖返りニルヴァーナにより竜種に近い性質を持つタチアナは、軽く腕を振るうだけでも人間離れした怪力を発揮する。


 普段は自制により抑えられているが、一度感情的になると加減が出来なくなる。


 その一撃を受けながら破壊される事なく亀裂が入る程度で済んでいる円卓は、“壊れ難い”で有名な耐衝撃に特化した帝国製故である。


 円卓一つが駄目にされた程度で帝国側は動じたりはしない。


 しかし苛立ちに呼応する様にタチアナより発せられた竜種にも近い魔力波には、終始冷静でいたオウセンの顔色を青くさせ、その後ろに控える上級兵らの一部に構えを取らせた。


 上級兵らを牽制する様に、一部の上級剣闘士らも武器に手を掛ける。


 タチアナの苛立ちにより生じた一触即発の空気。


 それを制したのは、上級剣闘士の一人——タチアナに最も近しい位置に立つ、以前王国に訪れた際にも姫巫女の護衛として付き添っていた傑。


「控えろ」


 タチアナの側近たつ彼女の一言で、上級剣闘士らは構えを解いた。


 少し遅れ、顔を青くしたままのオウセンが咳払いをしつつ手を挙げ、上級兵らを諌める。


「…お前達もだ。姫巫女殿下の御前だぞ。無礼は許さん」


 オウセンの言葉に従い、上級兵らも構えを解く。


 意図せぬ形で展開された一幕にタチアナは目を丸くし、渋々といった調子で高まった魔力を鎮める。


「む、少し・・威圧的だったか? 悪かったな。威嚇する気は無かった」


「少し…? あ、いえ。こちらもご無礼を」


 悪びれもせずに言うタチアナに、オウセンは額の汗を拭いつつ頭を下げる。


 帝国と聖竜国は対等な同盟関係。


 国家的な上下関係は無いが、オウセンが軍の一役職者に過ぎないのに対してタチアナは聖竜国の王族——姫巫女。


 立場からして天と地程の差がある為、オウセンのこの対応は間違いでは無い。


 タチアナは鼻を鳴らす。


「ふむ、それもこれも彼奴・・が来ぬのが悪い。全くローファスめ…相変わらず無礼な奴じゃ」


 思い返せば、学園の学年別闘技トーナメントの時もそうであった。


 突然現れたローファスがアステリアと話したいというから寛大に許し、代わりに後日会いに来いと言い含めていたにも関わらず、音沙汰無し。


 その後の無数の魔物による王都襲撃もあり、結局有耶無耶にされてしまった。


 当然、謝罪も申し開きも無し——姫巫女である自分に対して。


 こんな無礼者に出会ったのは生まれて初めてである。


「遅いのう。まだ来ぬのか彼奴は」


 苛立ちを隠しもしないタチアナであるが、彼女の会議室への入室も時間の一分前とギリギリなものであった。


 因みに一番待っているのは三十分以上前から会議室で待機しているオウセンら帝国側である。


「…姫、そう目鯨を立てられませぬよう。ローファス・レイ・ライトレスは病上がりとの事。準備に時間が掛かっておるのやも…」


 タチアナを宥める側近の上級剣闘士。


 しかしタチアナは納得しない。


「病上がり? あの男が? そんなもの嘘に決まっておる。お主もあの男の強さは知っておろう。あれ程の実力者が、帝国程度・・に遅れを取る筈が無い。どうせ仮病じゃ、そうに決まっておる」


「姫…」


 タチアナの歯に衣着せぬ着せぬ言動に、上級剣闘士は悩まし気にこめかみを抑える。


 目の前で帝国程度・・などと言われた当の帝国側は表立って反応は示さない。


 明確な格下扱い——しかし帝国側は、その程度・・・・の事でいちいち憤ったり対抗心を燃やしたりはしない。


 かといって笑って流す事もない。


 帝国側は終始、無愛想な仏頂面。


 表立って抗議する事はないが、不愉快である事を態度で示していた。


 その空気を察していた側近の上級剣闘士からすれば、この針の筵の如き雰囲気に溜息を吐きたくなる様な状況だが、当のタチアナは気にも止めていない。


 聖竜国は完全なる実力主義の国。


 血筋に関わらず、戦う力さえあれば成り上がる事が出来る。


 タチアナは己の実力と、自身が選別した上級剣闘士で構成された護衛群に、絶対の自信を持っている。


 弱肉強食、弱者は強者に逆らう事が許されない。


 それは自然と共にある聖竜国ならではの価値観。


 大陸一の古い歴史を誇る大国であり、その分その国風も独自なものを持っている。


 聖竜国、帝国間で流れるひりついた空気。


 ローファスが会議に遅参して訪れたのは、そんな折。


 会議室の扉が、勢い良く開け放たれた。



 少し・・遅れて会議室に来てみれば、先に待っていた二国間の空気はどういう訳かギスギスとしていた。


 両国の視線は、レイモンドを連れ立って現れたローファスに向けられる。


 僅かに流れる静寂。


 それを気に求めず、ローファスはズカズカと無遠慮に入室し、空いている席に腰掛ける。


 そして片肘を突き、まるで来てやったぞとでも言わんとする態度で両国要人らを睥睨した。


 遅参の謝罪も挨拶も無し、その上にこの横柄な態度。


 これには両国の護衛らも眉を顰めた。


 帝国側、国防長官のオウセンは無表情。


 聖竜国側、姫巫女のタチアナはばっと立ち上がった。


「ローファス! この妾を待たせるなど、お主一体何をしておったか!?」


 開口一番に発せられる怒声。


 これにローファスは、涼しい顔で頬杖を突き、気怠げに答える。


「…遅参の件ならば甘んじて受け入れられよ、姫巫女殿下。こちらは病上がりである事を事前に伝えている。それを参加しろと無理を押し付けてきたのはそちら側…本調子では無いが故に準備にも時間は掛かる——当然の事でしょう」


 何を当たり前の事を、と悪びれもせずに鼻を鳴らすローファス。


 ローファスの態度、そして無礼な物言いに、後ろに控える護衛の上級剣闘士らは額に青筋を立てる。


 しかしそれ以上に怒りが収まらない様子のタチアナは、席から離れるとつかつかと足音を響かせながらローファスに近付いていく。


「姫、お待ちを…!」


 側近が制止の声を上げるが、タチアナは止まらない。


 側近、護衛の上級剣闘士らが慌てて追い縋る。


「よう回る口じゃのうローファスよ。ここまでコケにされたのは生まれて初めてじゃ。病み上がりなどと、下らぬ仮病を——」


「仮病ではありませんよ、姫巫女殿下」


 ふとローファスを守る様に、レイモンドが立ち塞がった。


 歩みを止められたタチアナは、じろりとレイモンドを睨み付ける。


「主は確か…タリア・・・の婚約者か——退け。誰の許しを得て妾の歩みを妨げるか」


「殿下、過度な我儘が通用するのは自国のみとご理解を頂きたく」


 タチアナの怒気を受けながら、しかしレイモンドは動じず不敵な笑みを見せる。


 タチアナはすっと目を細めた。


「ほう、言うではないかガレオンの小倅。そういえば最近はガレオン外交官の話を聞かんのう。例の王都襲撃の事後処理に奔走中か? なんでも《魔王》の襲撃という話であったが——災難じゃったのう」


「…」


 皮肉の利いたタチアナの言葉に、レイモンドは尚も動じない。


 タチアナは王都襲撃の折、白の魔人と黒の魔人——レイモンドとローファスによる天上での戦闘を見ていた。


 あれだけ派手に魔力波を撒き散らす様な戦いを目の当たりにすれば、ある程度の技量を持つ魔法使いであれば、白い魔人とレイモンドが同一人物である事を見抜くのは容易い。


 当時の魔人化ハイエンドしたレイモンドは翡翠の魔力により濁ってはいたものの、レイモンドの魔力に相違無かった。


 しかし王家による公的な発表では《魔王》の復活。


 六神教会すらも同様の見解を示した。


 何らかの情報操作があったのは明らか。


 しかし王国側が《魔王》の復活であったと断言している以上、タチアナもどうこういう気は無い。


 これは王国の問題。


 しかしタチアナ自身、被害という被害を受けた訳ではないが、巻き込まれたのは事実。


 その主犯格と思しき男に、良い印象などある筈が無い。


 それを理解しているからこそ、レイモンドも挑発的な皮肉を甘んじて受け入れる。


 対立する二人を尻目に、ローファスは頬杖を突いたまま気怠げに口を開く。


「…ふむ、妙な話だ。役者が揃っているというのにいつまで経っても会談が始まらん。時に帝国よ、この会談の主催者ホストは誰だったか?」


 突然話を振られた帝国側——オウセンはぴくりと眉をひくつかせ、その視線を遠慮がちにタチアナに向ける。


「…この会談の主催は、聖竜国姫巫女殿下です」


 肩を竦めつつ答えるオウセン。


 タチアナは見る見る内に顔を赤くする。


「おのれローファス…! お主は何処までも妾を愚弄する気——」


 怒気を発しながらそのまで言い掛けたタチアナであったが、ふと口を閉ざした。


 遮る様に立つレイモンド越しに見えるローファスは、傲岸不遜を絵に描いた様な男である。


 しかし違和感。


 目の前のローファスは、以前相対した時よりも存在感が薄い様に思えた。


 僅かに乱れのある不安定な魔力、よく見れば血色も悪い。


 それは竜種の血を色濃く受け継ぎ、あらゆる感覚が人よりも優れているからこそ分かった些細な差違。


 これはまるで、本当に病み上がりの様ではないか。


「ローファス…よもやお主、体調が悪いのか?」


 目を丸くし、きょとんとした顔で首を傾げるタチアナ。


 何を今更、とローファスを除くその場の全員が眉を顰めた。


「こちらは病み上がりであると、再三に渡り通告しておりましたが?」


「そうじゃな…その報告は確かに受けておる」


 目も合わせずに淡々と述べるローファスに、タチアナはすっと身を引くと、静かに自席に座る。


 そして神妙な面持ちで頭を下げた。


「…悪かったな。よもや本当に体調を崩しておるとは思わなんだ。非礼を働いた」


 王族と同等の地位である姫巫女が頭を下げた事に、帝国側のオウセン、そして王国側のレイモンドは僅かに目を見開く。


 しかしタチアナの護衛達は動じない。


 我儘で身勝手な一面こそあるが、タチアナは何よりも道理を重んじる。


 ローファスに対しては姫巫女という立場を軽んじられた事に怒りを露わにしたが、それはそれとして、自身の勘違いから非礼を働いた事も事実。


 故に過ちがあればそれを認め謝罪する、それは当然の事。


 そんなタチアナの性質を、護衛達はよく理解していた。


「謝罪は結構、こちらも出遅れた身故」


 タチアナの謝罪を受け入れつつも、ローファスはしかし、と続ける。


「会談を始める前にお聞したい。王国我らと帝国の諍いに割り込む様に介入してきた貴国の意図を——聖竜国の立ち位置を」


 言外に聖竜国はどちら側に付く気だと、ローファスは睨み問い掛ける。


 敵対するならば容赦はしない、という威圧的な態度。


 殺気にも似たローファスの威圧を受けながら、しかしタチアナは肩を竦めるのみ。


「なんじゃその敵国にでも向けるかの様な目は。我らは同盟国じゃろう」


「聖竜国は、帝国とも同盟国だった筈。故に貴国の立ち位置を聞いている」


「親しき隣人同士が喧嘩を始めたならば、それを止めるのは当然の事。何かおかしな事があるか、ローファスよ」


 不思議そうに首を傾げるタチアナに、ローファスは目を鋭く細める。


「…聖竜国は飽く迄も中立であると?」


 ローファスの問いに、タチアナはニヤリと口角を上げ——首を横に振り否定した。


「いや? どちらの味方をするかは、両国の主張を聞いてから決めるとしよう」


 タチアナの言葉に、その場はピリついた空気に包まれた。


 王国側——ローファスとレイモンドは眉を顰め、帝国側——オウセンと上級兵らは顔を険しくする。


 要するにタチアナの言葉は、漁夫の利を取りに来たと公言しているようなもの。


 オウセンは立ち上がると、タチアナを睨んだ。


「話が違いますぞ、姫巫女殿下…! 王国との話し合いの場を仲介するというから、我々はこの会談に応じたのだ…!」


「勘違いをするな。妾は両国の言い分を聞いてやると言ったのだ」


「な、詭弁を…!」


 噛み付くオウセンに、ニヤニヤと笑うタチアナ。


 そんな両国を尻目に、ローファスは椅子の背もたれに体重を預ける。


「…成る程、この後聖竜国とも戦争になる可能性もある訳か。それは流石に面倒だな、レイモンド。帝国に聖竜国…戦後処理が倍だ」


 指を折りながら両国を敗戦国に数えるローファス。


 それはレイモンドに向けた言葉、しかし周囲に聞こえやすい様に態とらしく高らかな声量。


 それは戦争すれば、当然王国が勝つと公言するに等しい。


 挑発的な言葉に、タチアナ含む聖竜国側はじろりとローファスを睨む。


「…随分と好戦的じゃのう。王国側は闘争が望みか?」


「さて…ただ、この会談は平和の為の話し合いなのでしょう。その主催ホストがあまり掻き乱さぬ事です、姫巫女殿下」


「ぬ…」


 ぐうの音も出ず、押し黙るタチアナ。


 タチアナは暫しの沈黙の後に溜息を吐き、ボソリと「全く生意気な奴じゃ…」と吐き捨てる。


「…立ち位置を明確にしろと言うたな。我ら聖竜国アヴァロカンドは、親しき隣国たる王国シンテリオと帝国エリクスの戦争を善しとせん。故の介入じゃ。間に合わず・・・・・、既に多少やり合った後のようじゃがのう」


 間に合わず——と、まるで王国と帝国の間で戦争が起きる事を事前に察知していたかの様な口振りにローファスは眉を顰めつつ、耳を傾ける。


「両国の言い分を聞いて片方の味方をすると言ったな。誤解を招いたならば訂正しよう。共闘して片方を潰すと言う意図は無い。王国が帝国首都にまで攻め込む事になった経緯を確認し、両国の言い分を聞いた上でどちらに正当性があるのかを判断する」


 タチアナの言葉を聞き、オウセンは「…そう言う事であれば」と納得した様子で着席する。


「…最初からそう言っていれば良いものを」


「聞こえておるぞ」


 ローファスのふと出た呟きを、優れた聴覚で捉えたタチアナがじとっと睨む。


 そんな一幕がありつつも、会談は本題へと移る。


 漸くまともな話し合いが出来そうだと、殺伐とした空気にハラハラしていたレイモンドは胸を撫で下ろす。


 そしていつか世界の王になった暁には、外交官はローファスに任せようと心に決める。


 もしこのレイモンドの内心をローファスが知ったなら、世界統一した後に何処と外交する気だとツッコミを入れていた事だろう。

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