77#/おまけSS…荊の令嬢の介抱

 泥酔し、眠ってしまったアンネゲルトを背負い、ローファスは女子寮に訪れていた。


 寮の玄関口で、当直の職員と目が合った。


 寮監——ではなく、雇われの女職員。


 しかし、上級貴族であるアンネゲルトの事は当然、ローファスの顔も知っている。


 女子寮は当然の事ながら男子禁制。


 純潔である事が重んじられている貴族の子女は、婚前交渉など言語道断。


 噂が立つ事も許されない。


 故に当直に就く職員は、性別が女である事は大前提として、万が一の時の為に貴族の子女を守れるだけの実力者が選抜されている。


 本来であれば女職員は、当直としてローファスを止めるべき立場にある。


 女職員は知っている。


 アンネゲルトに婚約者がいる事、そして同時に、ライトレス家嫡男のローファスと深い友人関係にある事を。


 泥酔したアンネゲルトを連れ、寝室へと向かおうとしているローファス——状況だけ見るなら完全にアウトである。


 故に女職員は立ち上がり、カウンターを出る。


 そしてローファスらを素通りし、外に出て煙草に火を点けた。


 煙草を持つ指先は、恐怖で震えていた。


 私は何も見ていない——彼女はそう心の中で繰り返していた。


 相手は、かの武闘派貴族ライトレス家——その中でも天才とまで謂れているローファスである。


 如何に相応の実力を持つといっても、勝ち目は無い。


 下手をすれば、口封じに消されかねない。


 故に女職員は、全力で何も見なかったアピールをしていた。


 そんな彼女に、ローファスは口を開く。


「…職務中に煙草は止めろ。不愉快だ」


 女職員は即座に煙草を捨てて踏み潰し、そしてマッチと残りの煙草も全て捨てた。


「酔ったアンネゲルトを送りに来ただけだ。妙な勘違いをするなよ」


 そう吐き捨て、ローファスは先に進んだ。


 女職員はへなへなと座り込む。


 寿命が削られた気がした。



 アンネゲルトの部屋に着いたローファスは、真っ直ぐに寝室へ向かう。


 そして、アンネゲルトをベッドに優しく横たわらせた。


 速やかに離れようとしたローファスの裾を、アンネゲルトが掴んだ。


「…アンネゲルト?」


「…」


 返答は無く、ただ無言で裾を離さないアンネゲルト。


 困惑するローファスに、アンネゲルトは静かに口を開く。


「…レイモンドは、“アンネ”って呼ぶ」


「は…?」


 突如妙な事を口走りだしたアンネゲルトに、ローファスは眉を顰める。


「レイモンドは、私の事、愛称で呼ぶの」


 辿々しくも、そう口にするアンネゲルト。


 ローファスは耳を傾ける。


「なんで、ローファスは愛称で…呼んでくれないの」


「…呼ばれたいのか?」


「…」


 またも沈黙。


 ローファスは軽く息を吐きつつ、言葉を続ける。


「愛称は、特別親しい相手に呼ぶものだと俺は思っている」


「…私は、親しくないの?」


「そういう意味ではないが…」


 なんと言ったものかと頭を掻くローファスの裾を、アンネゲルトは強く引く。


「…もう遅いし…ローファスも、一緒に寝ない?」


「は?」


「ベッドは…一つしかないけど」


 横たわったまま、ローファスを真っ直ぐに見つめるアンネゲルト。


 ローファスはそんなアンネゲルトから目を離せず、裾を掴む手を優しく握る。


「ローファス…」


「アンネゲルト——それは…お互いの家にとって良くないだろう」


 諭す様に言うローファス。


 そんなローファスをぼんやりと見つめるアンネゲルトは、そっと裾を手放した。


「そう、ね…そうかも」


「飲み過ぎだ、今夜は休め」


 そう言い、ローファスは背を向けて歩き出す。


「ローファス」


 呼び止めるアンネゲルト。


 ローファスは歩みを止める。


「…忘れて。どうかしてた」


「ああ…また明日な」


 その会話を最後に、寝室の扉は閉められた。


 酔っていたアンネゲルトはその一件をすっかり忘れ——ローファスは全力で忘れる様に努めたという。



 そして翌日——王都は《第二の魔王レイモンド》が放った召喚獣による襲撃を受ける。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る