151# エピローグ・エリクス

 此度の戦争——それにより生じた帝国と王国の被害は、その全てが無かった・・・・事に改変された。


 擬似的な過去の改変。


 それは世界のルールの裏をかき、詭弁により押し通された事象の改変。


 ライトレス領本都。


 本家の屋敷、そのベッドで、深い眠りに就ていたカルロスが目を覚す。


 脳死による植物人間、その事実が無かった事に改変された事による目覚め。


「おお、お目覚めか。筆頭・・殿よ」


 目覚めたカルロスに、くぐもった声が響く。


 ふとカルロスは声の主を見た。


 そこに居たのは、質素な鎧を身に纏い、顔に翁の面を被った巨漢。


 座っている椅子が小ぶりに見える程に体格が大きいその男は、カルロスが暗黒騎士筆頭であった頃に副官を勤めていた盟友。


 旧知の間柄ではあるが、大柄な肉体と不気味な翁の面を付けている事から、その見た目は非常に威圧的。


 それを起き掛けに見たカルロスは、ビクッと肩を振るわせた。


「ら、ランベール…!? 心臓に悪いですよ全く…」


「久々の再会だというのに、なんと失礼な男か」


 カッカッカと、言葉とは裏腹に機嫌良さげに笑う翁の面の巨漢——ランベール。


 ランベールはふと、同室のソファで眠る黒髪の女中——ユスリカを見た。


「愛弟子が、昼夜通して筆頭殿の看病をしておったのだそうだ。感謝する事よ」


「ユスリカが…? 確か私は、帝国軍と交戦して…——そうですか。世話を掛けましたね」


 帝国軍がステリア領に襲撃して来た事を思い返し、カルロスは申し訳なさそうに疲労により眠るユスリカを見る。


「…あれ・・から、どうなりましたか」


 様々な意味合いの集約されたその問い掛けに、ランベールは肩を竦める。


「アバウトな問いだのう…まあ、全ては終わった様なものよ。帝国へは坊ちゃん・・・・が向かわれたという」


「坊ちゃんが…!?」


 急ぎ起き上がろうとしたカルロスだったが、多量の血を失っている事から脳に血が回らず、フラついて倒れそうになりランベールに支えられる。


「少々落ち着かれい、筆頭殿よ」


「これが落ち着いていられますか…それと、私はもう筆頭ではありません…」


「儂にとっては筆頭殿は筆頭殿じゃ。まあ安心するが良い。旦那様は援軍に、我が弟子達を派遣しておる故——弟子の中でも最も腕利の者をな」


「アルバを…?」


 驚き、目を見開くカルロス。


 カルロスが把握しているローファスの実力は魔人化ハイエンドを習得した段階まで。


 しかしそれでも、圧倒的な力で祖父のライナスをねじ伏せるだけの実力はあった。


 その上、アルバまで派遣されたとなると——国一つ二つが容易く滅びかねない戦力である。


 カルロスをベッドに座らせ、ランベールは椅子から立ち上がる。


「あやつが行った以上、心配はいらん。では安静にしておられよ。儂は筆頭殿が目覚めた事を旦那様に伝えてくる故」


 それだけ言って、ランベールは背を向けた。


 カルロスが現役から退いて久しく、尚も暗黒騎士のネームドとして現役で居続けていた男ランベール。


 長らく守り続けていた暗黒騎士席の座を、つい最近弟子の一人に引き継ぎ引退——現在は隠居中の身である。


 古参の宿老として多くの暗黒騎士を弟子として鍛え、後進の育成に尽力していた傑物——《双槍の翁》ランベール。


 年老いながらも、老いを感じさせぬ程に鍛え上げられた肉体と、天を衝く程の長身。


 天井すれすれの頭を扉の上枠にごつんとぶつけながら、ランベールは部屋を後にした。


 *


 テセウスが齎した改変の影響は王国のステリア領、そして帝国内まで幅広く及んだ。


 王国襲撃の折に帝国軍を迎え撃ち、命を散らした騎士。


 暗黒騎士次席グレスの手で葬られた者を中心とした帝国兵。


 そして、ローファス達の襲撃により生じた被害、及び犠牲者。


 それら全ての死、被害が無かった事・・・・・へと改変された。


 ある巨大なクレーターの中心では、リンドウが上体を起こし、目を丸くする。


 ある廃墟地帯では、自壊した筈の再生核が運転を再開し、切腹の傷が癒えたヒガンが眉を顰める。


 あるスラムでは、地に伏せていた幾人もの軍人が目を覚まし——司令のオダマキは状況が掴めず首を傾げる。


 ある研究所の入り口前では、灰の中よりガバッと起き上がったアザミが、全身から汗を吹き出しながらキョロキョロと周囲を見回す。


 そしてダンジョン《付喪殿》跡地——それら同僚の生命反応を感じ取っていたスイレンが、僅かに目を潤ませながら天を仰いだ。


 あまりにも非科学的な状況に、夢か死に際の幻かと勘繰ってしまう。


 しかし、これがもしも現実なのであれば——正しく《神》の所業。


 同僚達の生命反応を噛み締めながら、スイレンは無線をオペレーターに繋ぐ——作戦終了、敗戦の報告をする為に。


 全帝国兵に、任務終了の無線が入ったのは間も無くの事。



 《神》へ至るには、三つの条件がある。


 一つ、《神域》——世界が定めた天井、生物の限界点を超えたエネルギー量と、それに伴う出力の習得。


 二つ、《神域》のエネルギーを、完全に扱えるだけの高い精神性。


 そして三つ、《神》に至らんとする明確な意志。


 この三つが全て揃った段階で、生物の存在位階は《神》へと昇華する。


 ローファスが全ての条件を揃えたのは、魔人化ハイエンドに至った瞬間であった。


 ローファスが有する膨大な魔力は、エネルギー総量だけで見るならば充分に《神》の領域にあったといえる。


 しかし、その出力は人の領域を超えるに至ってはいなかった。


 魔人化ハイエンドにより人の領域を超え、生物限界を越える出力を獲得した事で、ローファスは《神域》へと至った。


 そしてローファスは、天空都市での一件の後に現れたラースの話を聞き、《闇の神》及び六神と敵対する可能性を考慮した段階から、《神》と戦う為により強い力を欲した。


 当然、《神》と同じ土台に立つ事——《神》に至る事も視野に入れての事であった。


 残る条件は精神性——これが非常に難儀である。


 《神域》の莫大なエネルギーに耐え、振り回される事無く満足に扱えるだけの精神性。


 非常に難関であり、《神》に至る上で最も重要な条件でもある。


 精神性を《神》の領域にまで押し上げるには、途方も無い時間、経験、研鑽が必要——それこそ、人の寿命では到底足りない程の。


 故に人間が《神》に至る事は、基本的にはあり得ない事。


 しかしローファスは《神》へと至った。


 どうして、ローファス・レイ・ライトレスは人を超えた高い精神性を有していたのか。


 何故、どの段階で、どうやって。


 その答えは——夢。


 幾千幾万——二千八十万二千一回もの死の経験、その悪夢。


 本来ならば壊れ、廃人となる程の苦しみの奔流。


 それをローファスは、壊れる事・・・・を許されない中で経験させられ続けた。


 ローファスは悪夢を乗り越えた瞬間、人を超越した精神性に至っていた。


 元より高い精神性を持ち合わせ、《魔王》ラースとの邂逅で《神》に至らんとする明確な意志を固めた。


 故に魔人化ハイエンドによる《神域》への昇華は、《神》へと至るトリガーとなった。


 ローファスは《神》へと至った瞬間、知覚できる領域が広がり、様々な情報を知った。


 この世の理、そして人では知覚出来ない“世界のルール”、《神》という存在や《権能》。


 こうしてローファスは《神》に至った段階から、神々との対立を想定して己を強化するべく、自身の力の研究に没頭する様になった。


 アンネゲルトに自身の魔法の研究の協力を申し出たのも、その一環である。


 そして学園にて、《第二の魔王》の復活により引き起こされた王都襲撃。


 その一件でローファスは、《闇の神》より翡翠の魔力をふんだんに与えられ強化された《第二の魔王》と対峙する事となる。


 《第二の魔王》の力は、生物の限界を超えた領域——《神域》にあった。


 しかしそれでも、《神》に至り、エネルギー総量と出力で圧倒的に勝るローファスからすれば、容易く屠れる程度の相手であった。


 それこそ、想定していた《神》という脅威とは比べるべくもない。

 

 しかしこの一件で、ローファスは《神》となってから初めて、翡翠の魔力を直に目の当たりにする事となる。


 翡翠の魔力——《闇の神》が扱う力の一端を目にしたローファスは、感覚的に理解する——《闇の神》という存在には、自分一人ではどう足掻いても、絶対に勝てない・・・・という事を。


 《神》へと至り、《神》という存在を知り、自身の力の向上や戦略次第でどうにかなると思っていた。


 だが違う——《闇の神》は、“神”などという名で呼ばれているが、断じて《神》などではない。


 そんな枠に収まる様な存在ではない事を、ローファスは翡翠の魔力より感じ取った。


 そこからローファスの方針は、明確に《闇の神》を敵として定め、それを打倒する為のプランの準備へと切り替わった。


 《闇の神》のがある為、ローファス自身は表立って動く事は出来ない——故にプラン・・・は、水面下で密かに進められる事となる。


 そしてテセウスからの同盟の提案は、《闇の神》を打倒するプランの補強に繋がる。


 元よりかなり無理のあるプランではあったが、テセウスという存在は、その無理を解消するのに、助力者としてはこの上無く最適であった。


 《闇の神》を滅ぼすプランは、六神すら察知できぬままに、少しずつ進められていた。



 帝国、白を基調とした病室にてローファスは目を覚ます。


 神依アバタールの行使、その反動による後遺症か、身体が酷く怠く、魔力出力も幾分か落ちている。


 発動後の行動不能、そして一時的な弱体化というリスクがある為、神依アバタールは余程の事が無い限り使いたくない奥の手。


 それこそ、行動不能となった時の肉体の回収役・・・は必須であった。


「…ぁ」


 ふと声が響く。


 目を開けたローファスと、すぐ近くに居たフォルの目が合った。


 フォルの距離は非常に近しく、それこそ手を伸ばせば届く程。


 ローファスが目覚めた事に、フォルは顔を綻ばせた。


「ローファス…! 目を覚ま——」


 言い掛けたフォルを、ローファスは引き寄せて口付けをし、言葉を遮った。


「——んっ…んむー!?」


 突然の事に呆気に取られたフォルであったが、みるみるうちに顔を真っ赤に染めると、ローファスより身を離した。


「ななな!? とと、突然何してっ!?」


「…? そういう事・・・・・ではなかったのか?」


「そんな訳あるかー!? 時と場所を考えろ! 誰かに見られたらどうするんだよっ!」


 茹蛸の如く顔を赤らめ、裏声気味にあたふたとするフォルに、ローファスは寝惚けた様に首を傾げる。


 随分と近くに顔があった為、寝起きで意識が朦朧としていたローファスはおはようのキス的なものと勘違いをしていた。


 ふとローファスはフォルの後ろに目をやり、納得する様に頷く。


「確かにそうか。カルデラも居るしな」


「は…?」


 フォルはばっと振り返る。


 半開きの扉越しに、顔を真っ赤にして立ち尽くすカルデラと目が合った。


「カーラ…お前、いつからそこに…?」


 フォルに消え入りそうな声で問われ、カルデラは高速で目を逸らした。


「ちちち、違うんです誤解です、盗み見してた訳じゃ——」


「なんで気配消してたんだ」


「け、消してないですっ! 扉を開けたらお二人がその…いい感じでしたので…お邪魔になってはと思い——消しました…」


「消してるじゃねぇか」


 肩を落とし、観念した様に早々に自白するカルデラ。


 カルデラは普通に扉を開けた。


 しかし、フォルが目覚めたローファスと口付けしているのを目の当たりにし、咄嗟に気配を消した。


 カルデラが扉を開けたのにフォルが気付かなかったのは、その全意識がローファスに向いていた故。


「…俺は気付いていたがな。戸が開けられた時、お前は俺と——」


「言わなくて良いぃ!」


 フォローを入れる様に状況を説明するローファスに、フォルの悲鳴にも似た声が病室に響いた。



 ローファスの覚醒は、即座に周知された。


 ローファスが眠りに就いていた期間は、丸一日。


 その間、王国側の代表としてレイモンドが窓口となって帝国側とのやり取りを行なっていた。


 此度の帝国と王国の間での戦争——そして終結。


 その事後処理にしても、王家の介入があるのは今暫し先になる。


 本来ならばローファスが代表を務める所であるが、当の本人は行動不能状態。


 故に、家格的にレイモンドが交渉の窓口に立つのは自然な事。


 とはいえレイモンド自身、無罪扱いとなったとはいえ、王都襲撃の主犯の疑いが掛けられた後に行方不明となっていたりと、かなり微妙な立ち位置である。


 それ故に代表とはいえ、最低限の事しか口には出来ない。


 そんな中でのローファスの覚醒。


 静養も程々に、ローファスを王国代表とした上での、王国側と帝国側の緊急会談が開かれる事となる。


 ローファスが覚醒した段階で、状況は大きく変化していた。


 ローファスが目を覚まし、病室の窓から見えた光景は何とも異様——帝国の空を、無数の飛竜が飛び回っているというものだった。


 帝国首都、中央都市は、無数の竜種が占拠していた。


 ローファスが眠っている間にあった状況の変化とは、聖竜国の介入。


 緊急会談は、王国と帝国、そして聖竜国による、大国の列強三大国にて行われる事となる。


 病室にて、聖竜国側の魔力を感じ取ったローファスは一人面倒そうに溜め息を吐く。


 感じられた魔力の中には、聖竜国姫巫女——タチアナ・アヴァロカンドのものも含まれていた。



  —— 六章《EPエリクス》完 ——

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