114# 出会い

 その男は、一つの所に留まらず、辺境の数あるスラム街を転々と渡り歩いていた。


 行く先々で問題を起こし、その全てを暴力で解決した。


 男には、それを可能にするだけの強靭な筋肉と、大柄な体格があった。


 頭は然程良くは無かったが、大概の物事は拳を振るう事でどうにかなった。


 腹が減れば奪えば良い。


 人肌が恋しければ襲えば良い。


 金が欲しければ他人を脅すか、役場に攫った人間を連れて行く事で金品と交換してくれる。


 不自由は無かったが、こんな生活を続けていると他方から恨みを買う。


 故に、一箇所に長く止まる事は出来なかった。


 男がこのスラム街に来たのもつい最近であるが、ここは他のスラムと比べて比較的治安が良かった。


 言い換えるなら、反社会的組織——ギャングの類が少ない。


 男は魔力を持たないが、生まれながらに恵まれた肉体を持っており、その筋肉は魔力持ち顔負けの怪力を生み出す程。


 例え相手が武器を持っていようとも、素手で容易く制圧できる。


 とはいえ、人間である事に変わりは無く、武装した人間複数人を相手するとなると分が悪い。


 だからこそ、ギャングに目を付けられる前にスラムを転々とするしかなかった。


 男は大概の事は暴力で解決出来る事と、それを可能にするだけの力が己にある事を理解しているが、勝ち目の無い戦いを挑む程馬鹿でもない。


 社交性が欠片も無く、人間社会の中でもより獣に近い性質を持つこの男には、その分野生的な勘が培われている。


 その野生の勘が、大音量で警鐘を鳴らしていた。


 金を持っていそうな白髪の若い女を襲った。


 その邪魔をしてきた一人の優男。


 普通ならば、いつも通り拳を軽く振るうだけで人一人程度容易く吹き飛ぶ。


 しかし、今回はそれが出来ない——優男に掴まれた腕が、ぴくりとも動かせない。


 白い髪の女は、恐らく魔力持ちである。


 であるなら、それを助けに入ったこの優男が仲間の魔力持ちである可能性は充分——というよりも、この細腕で自身の怪力を抑え込んでいる時点で魔力持ちであるのは間違い無い。


 男は魔力持ちを恐れない。


 碌に魔力の扱いを知らない帝国の魔力持ち程度、男からすればどうとでもなる。


 そんな男が恐れる存在は、この世に二つある。


 一つは大型の《機獣》——あれは人の勝てる相手では無く、それは強靭な肉体を持つこの男も同様。


 もう一つは、魔力の扱い方を熟知した魔力持ち——魔法使い。


 これも《機獣》と同様に、魔力を持たない人間が、生身で勝てる相手ではない。


 男は人生において一度だけ、“魔法使い”と遭遇した事がある。


 何も出来ず、何もさせて貰えず、ただただ命からがら逃げる事しか出来なかった。


 忘れもしない六年前、貧困の街中を無防備に歩いていた育ちの良さそうな子供を攫おうとした時、その親と思われる男に返り討ちにあった。


 あの“魔法使い”も、この男と同様に栗色の髪を靡かせていた。


「お、お前…“魔法使い”——か…?」


 男は、目の前の栗色の髪の優男に、声を震わせながら問い掛けた。


 優男——レイモンドは微笑みを浮かべたまま、首を傾ける。


「…自分より力が強い者は“魔力持ち”かい? 勘弁してくれ、もう“魔女狩り”の時代じゃないだろう。君の力は、君が思っている以上に矮小だった——そういう事だろう?」


「…っ」


 レイモンドが優しく手を離すと、男は飛び退く様に白髪の少女——アマネから離れた。


 そんな男に、レイモンドは冷ややかな目を向ける。


「返事は?」


「…! そ、そう…僕の力は、弱かった…それだけ…」


 ガタガタと身体を震わせながら、男は怯えた様子で復唱する様に言う。


 レイモンドは満足そうに笑う。


「良かった。君とは仲良く出来そうだ…しかし、ここにはもう近付かない方が良いかも知れない。治安も良くなさそうだしね」


「わ、分かった…二度と、顔を見せない…!」


「そうか。なら行くと良い。足元に気を付けて」


 優しく諭す様に言うレイモンドを前に、男は恐怖の面持ちで走り去った。


 それを一瞥もせず、レイモンドは地面で仰向けに倒れたままぽかんと口を開ける白髪の少女——アマネに手を差し出す。


「災難だったね。立てるかい?」


「あ、あぁ…どーも」


 アマネは遠慮がちにレイモンドの手を取り、引き上げられる形で起き上がった。


 土で汚れた服を軽く払いながら、アマネはちらりとレイモンドを見る。


「あー、えっと…素直にお礼を言っても良い感じ?」


「…それは、どういう意味かな」


 アマネの妙な言い回しに、レイモンドは眉を顰めた。


「いや、タダで助ける訳ないでしょ? お金は無いし、だったらこのまま路地裏に連れ込まれて襲われたり…とか?」


「…私はそんなに人相が悪いだろうか。いや、悪いのは治安の方か」


 悩まし気に溜息を吐くレイモンドに、アマネは目を丸くする。


「うっそ。まさか本当に善意?」


「逆に、ここの人は若い女性が暴漢に襲われていても助けないのか?」


「助ける訳ないじゃん。他人の為に身を危険に晒す? あり得ないでしょ」


 ぷっと吹き出す様に笑うアマネに、レイモンドは首を傾げる。


「ほう? 君が先程助けていた盗人の少年は、他人ではなかったのかな?」


「あー…結構前から見てたんだね。あんた、性格悪いって言われない?」


「どうかな。友人からは“良い性格をしている”と褒められた事はあるが」


「多分それ褒めてないよ。あんた天然?」


「…過度に恩を着せる気はないが、一応私は君の恩人だろう。随分な言い草だ」


 やれやれと肩を竦めるレイモンド。


 アマネはにっと笑い、手を差し出す——まるで握手を求める様に。


「私はアマネ。あんたは?」


「名乗る程のものでもないよ。では、先を急ぐのでね」


 レイモンドは差し出された手を取らず、そのまま踵を返して背を向ける。


 アマネはそれに追い縋る様に、強引にレイモンドの手を取った。


「…積極的だね。だが、少し慎みを覚えた方が良い」


「そっちこそ、名乗られたら名乗り返すのが礼儀じゃない?」


「無法も法なら、無礼も一つの礼儀だと私は思うね」


「…は? 何言ってんの? 無法のスラムと掛けてる感じ? 賢そうな雰囲気出してるけど全然意味分かんないよ?」


「……先を急いでいると言った筈だが」


「“急がば回れ”って言うでしょ。そう生き急いでも良い事無いよ」


 片や振り解こうと、片や振り解かれまいと手を握り締め、半ば綱引きの様な状態の二人。


 最終的に業を煮やしたアマネが、ガバッとレイモンドに抱き付いた。


 そして、まるで周りに聞かせるかの様に大声で話す。


「ああ! さっきは助かったよ! よく見たら良い男だねあんた!」


「は、何を…?」


 アマネの突然の暴挙に、レイモンドは一瞬固まるが、直ぐに振り解こうと肩に手を掛ける。


 それにアマネは、耳元で囁く。


「黙って聞いて。通報されたくなきゃね…あんた、魔力持ちでしょ?」


「…」


 レイモンドはすっと目を細める。


「…それは君もだろう。まさかとは思うが、脅す気か?」


「勘違いしないで。通報するのは私じゃない」


 アマネはそっとその身を離し、周りを顎で指し示した。


 周囲には、姿を隠しながらちらちらとこちらを伺うスラムの住民達。


「あんた、“無法も法”って言ってたよね。その通り、このスラムにはこのスラムのルールがある。私が魔力持ちなんてとっくの昔に知られてるよ。ここの住民にとって大事なのは、利があるかどうかさ」


「…成る程。興味深い話だが、私は元より、ここに長居する気はないのだがね」


「なら余計、波風立てない様にして欲しいね。あんたの行動一つで、同じ魔力持ちの私まで割を食う羽目になるんだ」


「話が見えないね」


「ここの住民は、あんたが思っているより目敏いって事さ。今のご時世、魔力持ちは通報するだけで金になる。役場から報奨金が出るからね」


「…つまり、魔力持ちは報奨金以上の利があると示していなければ通報される、という事かな。それがこのスラム・・・・・ルールだと」


「そういう事。理解が早いね」


「面倒な…」


 思いの外厄介な所に来てしまったらしい、とレイモンドは重い溜息を吐く。


 襲われる少女を見捨てる選択肢などレイモンドには無かったが、それにしても少し軽率だったかとレイモンドは肩を落とす。


 ここにはここの事情があるのだろうが、レイモンドにも《闇の神》を誅するという使命がある。


 こんな所で歩みを止める訳にはいかない。


「申し訳無いが、こちらも君の事情に付き合う程お人好しでは——」


 ふと、言い掛けたレイモンドは気付く。


 目の前の白髪の少女——アマネの周囲を光の蝶が舞っていた。


 今の今まで《闇の神》の手掛かりの元まで導く様に先導していた光の小精霊エレメントが、それを止めてアマネに擦り寄っている。


 それは、まるで懐いている様にも見えた。


 これに関して、いつも賑やかな程に饒舌な小精霊エレメント達は、どういう訳か黙りを決め込んでいる。


 その行動の意味や意図が分からず、レイモンドは固まる。


「君…」


「…? なに?」


「いや」


 アマネを注意深く観察したレイモンドは、直ぐにかぶりを振る。


 小精霊エレメントが人間に対して過度に興味を示すのは非常に珍しい。


 或いは、自身と同様に属性——小精霊エレメントとの親和性が高いのかとも思ったが、見る限り彼女は小精霊エレメントを察知出来ていない。


 疑問は拭えないが、そういう事もあるかとレイモンドは自身を納得させる。


 あの異様に高い魔力量を誇るローファスにすら小精霊エレメントは大した反応を示さないのだが、奇妙な事もあるものだと。


 ふとアマネは、周囲に気を配りながら、レイモンドの手を取る。


「…取り敢えず、場所を移すよ。ここは人目につく」


「君について行く理由が、私にはないのだけれどね」


「良いから付いて来て」

 

 少しむすっとしながら、アマネは強引にレイモンドの手を引く。


 レイモンドは溜息混じりに、まあ良いかとアマネに手を引かれるままに後に続く。


 何れにせよ、小精霊エレメントが先導を止めてしまった以上は、闇雲に進んでも無駄足になりかねない。


 帝国の国土は、王国の半分程の面積だが、それでも手掛かりも無しに進むには広大過ぎる。


 或いは、小精霊エレメントが離れようとしないこのアマネという少女が、《闇の神》の手掛かりなのだろうか。


 レイモンドは、手を引きながら先に進むアマネの後ろ姿を暫し眺め、己の考えを否定する様にかぶりを振る。


 彼女は確かに魔力持ちであり、それなりに高い魔力量である事が感じられる。


 それこそ王国貴族、或いは上級貴族と比べても遜色無い程の魔力量。


 帝国に置いておくのが勿体無い程のポテンシャル——しかし、所詮はその程度。


 《闇の神》から感じた翡翠の魔力の気配は無いし、彼女は見た感じ、ただのスラムに隠れ住まう魔力持ち——少しばかり、小精霊エレメントが興味を引かれていているだけの。


 しかし、何故かレイモンドは、このアマネという白髪の少女が妙に気になった。


 昔何処かで会った様な、そんな既視感を胸の奥底に秘めながら。



 レイモンドはアマネに連れられ、スラムの隅に立つ廃墟に辿り着いた。


 風化と老朽の進んだ、二階建てからなる今にも崩れそうなその廃墟は、ひび割れた壁が錆びた金属の板やベニヤ板で補修されている。


 自分は一体何処に連れて来られたのか、とレイモンドは目を細める。


「…ここは?」


「私の家」


「家…?」


 これが? とレイモンドは思わず眉を顰める。


 レイモンドは幼少期に五年程。帝国の辺境——ここと同様にスラムと呼ばれる地域で過ごしていた時期がある。


 しかし、そのスラムの住民達は、最低限住居と呼べる建物に住んでいた。


 貧困が進んだか、或いはアマネが魔力持ちである事が関係しているのか。


「と言うか、何故見も知らぬ男を自宅まで連れて来ている? 君は先程暴漢に襲われたばかりだろう。流石に、不用心が過ぎるのではないか」


 咎める様に言うレイモンドに、アマネは肩を竦めて見せる。


「無理矢理連れて来ておいてなんだけど、不用心はあんたの方だよ。ここまで来て他人の私を心配とか、どれだけお人好しなんだか…」


 少しだけ心配そうに、しかし心無しか嬉しそうにアマネは笑い、レイモンドを見る。


「世間知らずなのか知らないけど、気を付けなよ? 誘われるままに女に付いて行って、行った先で待ち伏せしてた男達にタコ殴りにされて身ぐるみ剥がされるとか、スラムここじゃ親の顔より見る光景なんだからさ」


 苦笑するアマネを前に、レイモンドの魔力探知は複数の魔力反応を感じ取る。


 複数の魔力反応は、廃墟——アマネの家の中から発せられていた。


 帝国において、魔力持ちは珍しい——見つかればただでは済まないが故に、魔力を隠すなり、人里から離れて隠れ潜んでいる為。


 一つの家に、複数の魔力持ち——それはつまり、魔力持ち同士が寄り合い共同生活をしているという事。


 待ち伏せ、まさか魔力持ち複数人であれば自分をどうにか出来ると考えたのか——そんな思考が、レイモンドの脳裏によぎる。


 レイモンドの身に付けている衣類は、無理な山越えでやや汚れてはいるものの、見れば上質なものであるのは分かる。


 上質な外套という金目の物を身に付けている——それだけでも襲われる理由としては、充分過ぎるだろう。


 ふと廃墟のガラスのひび割れた窓より視線を感じ、レイモンドが徐にそちらを向くと、幼い瞳と目が合った。


 レイモンドの視線に気付くと、驚いた様に姿を隠す。


 余程慌てていたのか、アンテナの様に伸びる一本のアホ毛が窓際にて揺らめいていた。


 子供…? と目を細めるレイモンドに、アマネは苦笑する。


「…まあ、中に入って。さっき助けてくれたお礼もしたいしさ」


「礼は不要だ。元より見返りを求めていた訳でも——」


 くぅ——と、レイモンドの腹の虫がか細く鳴いた。


 思えば丸一日、何も口に入れていない。


「早く入りなよ。食料を分けるだけの備蓄はあるからさ」


 にっと口角を上げて笑うアマネ。


 その強気に笑みを浮かべる表情が少しだけローファスに似ている気がして、レイモンドは断りの言葉を一瞬躊躇う。


「ほら、入りなって」


 その一瞬の隙を付いたアマネに背を押され、レイモンドは廃墟の中へと招き入れられた。

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