115# 理想

 帝国において、魔力を持つ者は迫害の対象である。


 それは一重に、過去の王国との戦争による被害から、魔力を持つ者に対する畏怖、そして危険性からくるもの。


 魔力持ちは危険——その認識は、大きく間違ってはいない。


 魔力持ちは、その魔力量にもよるが、幼子であろうと熊を真正面から殴り殺す事もある。


 魔力持ちが、魔力を持たない人間よりも生物的に強力なのは純然たる事実であり、その力の扱い方を誤れば悲劇に発展する場合もあるだろう。


 魔力を身体に通して身体能力を向上させる《身体強化》——それは魔力持ちにとって、呼吸するのと同様に容易く行えてしまう。


 人が腕を動かす為、自然と筋肉の操作を行う様に、魔力持ちは魔力を肉体に通して《身体強化》を行う。


 それは殆どの場合、無意識の内に行われる。


 しかし、魔力持ちが迫害の対象となっている帝国においては話は別。


 魔力を持つ事が露呈しては、村八分にされる恐れもあり、最悪の場合死に追いやられる場合もある——それは今となっては古い風習とされているが、“魔女狩り”と呼ばれていた。


 故に、帝国で生まれた魔力持ちは、無意識に発してしまう魔力を敢えて抑え込む様になる。


 それが出来ないものから、魔力持ち——魔女として殺されていった。


 そうして魔力を抑える事が当たり前となり世代を経ていくと、魔力を持ちながらに、自身が魔力持ちである事すら自覚しない者が現れ始める。


 その身に魔力を内包しながら、その発散の仕方を知らない——謂わばそれは環境への適応。


 それを退化と呼ぶか進化と呼ぶかは、立場によって変わるであろう。


 だからこそ、己を魔力持ちと知らぬ者であろうとも、ふとした拍子に魔力が発現した事で訳も分からぬ内に“悪魔”と呼ばれつい先程まで隣人だった者達に嬲り殺しにされる——そんな事も、起こり得た。


 帝国で魔力持ちであると発覚する事は死を意味する。


 それが、己が魔力持ちであると自覚する帝国人の認識。



 故に、レイモンドは目の前に広がっている光景に、少しばかり驚いていた。


 廃墟広間の中央に置かれた簡易暖炉——灯油ストーブを囲みながら、わいわいと楽しげにはしゃぐ幼い子供達。


 全てではないが、その半数以上が魔力持ちである事をレイモンドは感じ取る。


 帝国において、魔力持ちの子供がここまで無邪気に、楽し気に過ごしている事実に、レイモンドの口より「ほう…」と感嘆にも似た声が漏れた。


「…ここは、孤児院かい?」


「そんな大層なもんじゃないよ。身寄りの無い子を引き取ってたら、いつの間にかこんな大所帯になっちゃってさ」


 ぽりぽりと頬を掻くアマネに、レイモンドは口元を緩める。


「立派だね。中々出来る事ではない」


「…表面だけ見ればそう感じるかもね。でも、内情はかなり火の車だよ」


 アマネは溜息を吐きつつ、通路の奥に姿を消す。


 そして間も無く、幾つかの缶詰を手に戻って来た。


 そして机の上にどさりと置くと、積んだ缶詰の上に懐から取り出した果実を置いた。


「ほら、これだけあれば空腹は満たされるでしょ。あ、開け方は分かる?」


「…先程、火の車と言っていた筈だが」


「私が居なくなってたら、この子達の生活も危ぶまれてた訳だし…命に値段を付ける訳じゃないけど、まあこんなもんじゃない?」


 私の命の値段は、とアマネは冗談めかして笑う。


「君の命の値段が、缶詰三つ? 些か安過ぎる気もするが」


「帝国のスラムじゃこんなもんだよ。王国・・はそんなに裕福で人道的な場所だったの?」


「さて——」


 どうだろうね、そう言い掛けたレイモンドは固まる。


 何故、アマネは自分が王国から来た事を知っているのか。


 帝国と王国の関係は、決して良いとはいえない。


 先の戦争の影響で帝国民が王国に抱く印象が決して良いものではない事を、レイモンドは知っている。


 そもそもレイモンドは現時点において、紛う事無き不法入国者——もしも王国人である事が知られたなら、面倒事になる事は必至。


 故に、王国人であると気取られぬ様発言には気を付けていた。


 レイモンドが王国人であると知られている筈が無い——つまりアマネのこれは、所謂鎌掛け。


 刹那にも満たぬ程僅かな沈黙——一拍子置き、レイモンドは即座に取り繕う。


「——さてね。私は王国に行った事が無いから、向こうの事はよく知らないんだ」


「いや、無理無理。流石に分かるから」


 アマネは真顔で手を横に振って見せる。


 確信しているかの様なアマネに、レイモンドはすっと目を細めた。


 そして、徐に背を壁に預けて腕を組み、軽く首を傾げた。


「…何故、私が王国出身だと? 参考までに聞きたいね」


「雰囲気」


「雰囲気…?」


 あまりにもざっくりとしたアマネの返答に、レイモンドは顔を引き攣らせる。


「…具体的には?」


 レイモンドの問いに、アマネは顎に手を当てて思案する。


「んー…一言で言うのは難しいかな。肉付き良いし身綺麗だし、少なくともスラム育ちじゃないってのと…後は、上品というか、気取った仕草?」


「気取った、仕草…?」


「昔、近所に王国人が住んでた事があってね。その人達の仕草が特徴的だったから。あんたと似た様な感じだった。例えるなら、そうだね…グラスを小指を立てて持つ、みたいな感じ?」


「…君の前で何かを飲んだ覚えは無いし、そんな小指を立てる癖は無いのだが」


「分かんないよ? 自覚が無いだけで、案外やってるかも…」


「断言するが、やっていない」


 きっぱりと否定するレイモンド。


 それがアマネには子供がムキになっている様に見え、くすくすと笑う。


「そう? ま、そういう事。自覚無いかも知れないけど、あんたは何気無い仕草からして結構目立つ。特にスラムじゃ目に付くよ」


「…そうかい」


 そもそも先導する光の蝶を追って少しばかり立ち寄っただけなのだが、とレイモンドは息を吐く。


 レイモンドからすればこのスラムは、本来ならば立ち止まる予定すら無かった通過点に過ぎない。


 しかしながら、先導してくれていた光の蝶は、アマネの周囲を舞うばかり。


 どうしたものかと悩みながら、レイモンドはアマネの白い髪に目を向ける。


 多種多様の人種が入り混じる王国では然程珍しくも無いが、黒髪の人種の多い帝国でこの白髪はかなり珍しい。


 色素の薄い色白の肌や、赤みがかった瞳も非常に特徴的。


 レイモンドの栗色の髪もそれなりに目を引くだろうが、アマネの外見程では無いだろう。


 ふとレイモンドは、その色素が抜け切った様な純白の髪に、再び強烈な既視感を覚えた。


 やはりこのアマネという少女、何処かで——レイモンドは記憶を掘り返すが、どれだけ遡ろうと思い出せない。


「…昔、近所に王国人が住んでいたという話だが、それはこの辺か? 特徴は?」


「え、なによ急に…」


 突然前のめりに顔を近付けて来たレイモンドに、アマネは咄嗟に身を引いた。


「その王国人が少し気になってね」


「気になってって…もう結構昔の話だよ? この辺じゃないし、その王国人だってもう居ない筈だし」


「…私は以前、帝国で過ごした事がある。もう五年以上前の話だが、或いは——」


 言い掛けたレイモンドは、咄嗟に口を噤む。


 以前帝国に住んでいた時に会った事があるのかも知れない、レイモンドはそう考え、勢いで聞いてしまった。


 しかし、ここは魔法とは違う技術——科学という文明が進んでいる帝国。


 何処から情報が漏れるか分からない状況であり、そんな中で自身の素性を口に出すのは愚の骨頂。


 柄にも無く冷静さを欠いてしまったなと、レイモンドは手の平で顔を覆う。


「五年、前…?」


 アマネはそんなレイモンドをじっと見る——その流れる様な栗色の髪を。


 そしてアマネは、僅かに目を見開いた。


「あんた…まさか——」


 何かを言い掛けた所で、突如としてアマネとレイモンドの間に子供が割って入った。


 そして机に積まれた缶詰や果実を掴み取ると、そそくさとストーブを囲む皆の元へ戻って行く。


 突然の事に目を丸くするレイモンド。


 アマネは素早い手付きで小さなコソ泥の首根っこを引っ捕まえた。


「こら! これはこの人のもんだよ!」


「なんだよー! 良いじゃん減るもんじゃないし!」


「減るでしょどう考えても!」


 ジタバタと暴れる子供を、アマネは叱り付ける。


 年齢的には姉弟、しかしその様子はまるで親子の様。


「だってそいつ全然持っていかねーじゃん! おれ達だって腹減ってんだ!」


「この人は私の恩人だよ! そいつ呼ばわりするんじゃないの!」


 わーきゃーと、レイモンドの目の前で繰り広げられる、まるでわんぱくそうな息子と肝っ玉母ちゃんの様なやり取り。


 その少年の頭には、一本の特徴的なアホ毛が伸びていた。


 先程窓から顔を覗かせていた子か、とレイモンドは目を細め、アマネに首根っこを掴まれたままジタバタしている少年の目線に合わせる様に背を屈めた。


「君、これも持って行くと良い」


 レイモンドは、掴み損ねて机に残されていた缶詰を取ると、少年に差し出した。


 目を丸くする少年。


 アマネは少年を下ろすと、慌てた様子で止める。


「ちょ、これはあんたにあげたもので——」


「その通り、これは私が受け取ったものだ。故にどう扱おうが私の勝手、そうだろう?」


「いや、それはそうかも、だけど…」


 腑に落ちない様子のアマネを気に留めず、レイモンドは少年の手に缶詰を握らせる。


「ほら、食べると良い。その代わり、皆で分けるんだ。腹を空かせているのは君だけではないのだろう」


 微笑み掛けるレイモンドに、少年はムスッと顔を顰める。


「何だお前、アマネ狙いか? 物好きだな、こんなガサツ女の何処が良いんだか」


「ショウッ!」


 ブチ切れた様に少年の名を呼ぶアマネ。


 わんぱくな少年——ショウは缶詰と果実を抱えて逃げる様に走り去った。


「あんのクソガキ…!」


 色白の頰を真っ赤に染め、ぷるぷると怒りに肩を震わせるアマネ——レイモンドは、そんなアマネの様子を微笑まし気に眺めていた。


 アマネはレイモンドの視線に気付くと、バツが悪そうに顔を顰める。


「…悪かったね、うちの子が缶詰取っちゃって。でもあんまり甘やかす様な事は——なに笑ってんの」


「いや、良いお母さんだなと思ってね」


「そんな歳じゃないんだけど?」


 可笑しくて堪らない、そんな様子で笑みを浮かべるレイモンドに、アマネは唇を尖らせる。


 そこでふとストーブの方より賑やかな声が上がり、レイモンドは自然と其方を見る。


 ストーブを囲む子供達の元に戻ったショウが、缶詰を開けて皆に配っているのが見えた。


 魔力の有無に関わらず、和気藹々と少ない食料を笑顔で分け合う幼子達。


 魔力を持つ者と、魔力を持たない者の調和——それはレイモンドが求めた理想そのもの。


 この光景こそ、レイモンドが見たかったもの。


 《闇の神》を討ち滅ぼし、その後に自害する——その決意が思わず揺らいでしまいそうな程に、その光景はキラキラと輝いて見えた。


「そうか…まさか帝国の、それもスラムで見られるとはね」


「なに…?」


「いや。皆、喧嘩もせずに微笑ましいなと」


「まあ、喧嘩は良くするけどね。でも、食べ物に関して取り合いしたりとかは無いよ。みんな——特に年長のショウは、誰よりも飢えの苦しみを知っているから…」


「…そうか」


 レイモンドはにこやかに缶詰や果実を頬張る子供達を眺めながら、短く返す。


 レイモンドは公爵家出身という事もあり、生まれた頃より生活に不自由を感じた事は無い。


 飢えを知らないレイモンドには、彼等の感覚は想像はできても、本当の意味では理解出来ないだろう。


 ただただ、今の彼等の在り方が、レイモンドには直視出来ぬ程に眩く見える。


「…何故、私をここに連れて来た?」


 ふと、レイモンドはアマネに問い掛ける。


「礼と言うなら、食料の受け渡しならば外でも出来た筈だ。私の様な、初対面の男を招き入れた理由は? 幼子達を危険に晒すとは考えなかったのか?」


 アマネを先程襲った暴漢は、“金になる”と口ずさんでいた。


 それはつまり、帝国では人身売買紛いの行いが日常的に行われているという事。


 人身売買は、基本的には貧困層や女子供の様な立場の弱い者が狙われる。


 そんな環境で見知らぬ男を女子供しかいないこの場に招き入れるなど、正気の沙汰ではない。


 少しだけ責める様な口調のレイモンドに、アマネは肩を竦める。


「…あんた、悪い奴じゃなさそうだったし、それに——」


「それに?」


「放っておけなかったって言うか…あんた、なんか野垂れ死にそうな顔してたし」


「…」


 アマネのあんまりな言い分に、レイモンドは目を細める。


 そこまで後が無さそうな浮浪者に見えたのだろうかと、レイモンドは目を逸らす。


 しかしながら、レイモンドは事実として《闇の神》打倒後は死ぬつもりであった為、あながち間違いでもない。


 その事情を知る由もないアマネにその内心を気取られる筈も無いが、何らかの形で顔に出ていただろうかとレイモンドは己の頰に触れる。


「で、名前は?」


「む…?」


「まだ、あんたの名前聞いてないよ」


「…あぁ」


 再び名を問われ、確かに名乗っていないなとレイモンドは息を吐く。


 レイモンドは少しだけ思案した後、口を開く。


「私の名は——レイ・・だ」


 レイモンドが名乗ったのは、偽名という程的外れでもない名。


 レイ——王国でも、多少名前の傾向が異なる帝国でも通用しそうなものをレイモンドは選んだ。


 何の因果か、それは友人ローファスの血筋名——“レイ”と同じ発音。


 そう名乗った事をローファスに知られたならば、彼は一体どんな顔をするだろうかと、レイモンドは少しだけ好奇心をくすぐられる。


「レイ——」


 反芻する様に口にし、何故かアマネは、少しだけ落胆した様に息を吐く。


 しかし、直ぐに顔に勝気そうな笑みを浮かべると、握手を求める様に手を差し出した。


「改めて、私はアマネ。今度は手を取ってくれるよね? 確か、王国では握手は挨拶の基本なんでしょ」


「…私は、自分が王国人だと認めた覚えはないのだが。まあ、差し出された手を何度も断るのは、淑女に対して失礼と言うものだろう」


 レイモンドは、苦笑混じりにアマネの握手に応じた。


 これも何かの縁かと、自分に言い聞かせながら。

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