六章・EPエリクス

111# プロローグという名のエピローグ

 王都、王宮。


 王座の間にて、玉座に腰掛ける国王アレクセイの前——壇下でメイリンが跪いていた。


 王座の間には、王国元帥ガナードを含む軍部の武官、そして大臣ら文官が揃っている。


 どういう訳か国王を含め、皆が一様に緊張した面持ち。


 南方のダンジョンブレイクの鎮圧、その報告に参じたが、何やら王宮全体がひりついた空気に包まれている。


 何かあったのか、とメイリンは眉を顰める。


「面を上げよ」


 国王アレクセイの言葉に応じ、メイリンは跪いたまま顔を上げる。


「…報告書は確認した。進化したフロアボスの討伐遠征、ご苦労であった」


「有り難きお言葉」


 国王の労いの言葉に、メイリンは再び頭を下げる。


 とはいえ、フロアボスを討伐したのは名実共に《黒魔導》ローファスであり、メイリン含む王国軍は文字通り付き添っただけ。


 報告書にもその旨は記載しており、国王のこの労いの言葉は、正しく南方への遠征に対してのもの。


「——良い、楽にせよ。して《黒魔導》の姿が見えぬが…」


 メイリン率いた王国軍の帰還。


 国王は当然ローファスも共に帰って来ているものと思い、この場へメイリンと共に呼んだ筈だが、どういう訳かその姿は無い。


 ローファスは、先の王都襲撃での表彰式も欠席していた。


 またか、と国王は眉を顰める。


 国王の疑問の声に対し、メイリンは頭を下げ、平伏したまま返答する。


「ローファス殿は…“用事が出来た”と言われ、南方の地で行方をくらませました」


「なんだと…」


 国王は目を鋭く細める。


 メイリンは冷や汗を流しつつ、言葉を続ける。


「兵を上げて捜索致しましたが、見つけられず…誠に申し訳ございません」


 平伏したまま動かないメイリンに、国王は深い溜息を吐く。


「良い。顔を上げよ」


 国王の言葉に従い、顔を上げるメイリン。


 国王は問い掛ける。


「《黒魔導》は“用事が出来た”と言っておったのだな? 何処へ行ったか、心当たりはあるか」


「は、それが…」


 言い淀むメイリン。


 心当たりは——ある。


 ローファスは行方をくらませる前日、ギムレット伯爵が催した夜会でのバルコニーにて、こう漏らしていた。


 帝国…潰しておくか——と。


 ローファスは魔物の軍勢レギオンすらも単身で滅ぼし得る力を持つ。


 そんなローファスが口にすると、冗談でも笑えない。


 メイリンもまさかとは思うが、あの不穏な呟きが、此度の失踪と無関係とは思えない。


 しかし、その事を武官や文官が揃ったこの場で話して良いものかと、メイリンは言葉を詰まらせる。


 そんなメイリンの様子を察した元帥ガナードが、口を開く。


「陛下——どうやらメイリンは何か心当たりがある様子。自分の方で先に確認しても?」


 ガナードの進言に、立ち並ぶ武官と文官の間にひりついた空気が流れた。


 国王は僅かに目を細め、「許す」と首肯する。


 ガナードは一礼し、メイリンの元へ歩み寄る。


 メイリンより耳打ちにて、失踪前のローファスの呟きの内容を聞き、ガナードは目を見開く。


 ガナードは立ち並ぶ武官、文官に一瞬目をやり、言葉を選ぶ様に言う。


「…《黒魔導》ローファス卿は、いち早く王国の脅威を打ち払いに行かれた様です」


 ガナードの言葉に、武官らは「おぉ」と感嘆の声を漏らし、文官らは動揺する様に騒ついた。


「陛下の御前ぞ、鎮まらんか!」


 鬱陶しそうな国王の様子を察したガナードが、一喝する。


 これにより静まり返った王座の間にて、ガナードは跪き、国王の言葉を待った。


「…誠か、元帥よ」


「は。ローファス卿は失踪直前、その様な言葉を残していたと」


「ふむ…先んじて情報を得たのか」


「恐らく」


 頷くガナード。


 武官、文官らや国王の反応に、メイリンは状況が飲み込めず、首を傾げる。


 それに国王は、教えてやれとガナードに目配せをした。


 ガナードは一礼し、メイリンを見る。


「帝国より襲撃を受けたと、ステリア辺境伯より伝令があった」


「——!?」


 衝撃的な内容に、メイリンは目を見開く。


 半世紀もの間守られていた停戦協定が、今になって破られた。


 戦後半世紀、度重なる外交の結果、細やかな物資交換による交易が出来る程度には関係を修復する事が出来ていた。


 少なくともそれが、王国側の認識。


 それ故に、此度の突然ともいえる侵略行為には誰もが驚きを隠せない。


「帝国軍の規模は、精鋭千の大隊。そしてカラクリ兵器——《機獣》の万を超える大群」


「大隊に、万の大群…?」


 メイリンは、思わず声を震わせた。


 その規模ともなると小競り合いでは済まない、本気の侵略。


 帝国は文字通り、戦争を仕掛けて来ている。


 ガナードは言葉を続ける。


「幸いにも、帝国軍の規模に対して被害は驚く程に少ない。対応に当たった王国軍とステリアの固有戦力——白凰騎士らに少なく無い死傷者は出たが、国境周辺の村々を占領される事も無く、領民に至っては被害は0だ」


 そしてステリア辺境伯からの伝令の中には、その場に偶然・・居合わせたライトレスの勢力も帝国軍を撃退するのに助力したという。


 恐らく、ローファスに何かしらの手段で連絡を入れたのはライトレス家の者だろうと、ガナードと国王は当たりを付ける。


「待て、《黒魔導》は帝国に向かったという事か? 何をしに? まさか、襲撃に対する報復を…? 戦争になるぞ!」


「奇襲を受けたとはいえ、現状我ら王国は領民も領地も被害を受けていない! 今すぐ《黒魔導》を止め、帝国とは話し合いの場を設けるべきだ!」


 文官側が狼狽えた様に声を荒げた。


 それに武官側は腹に据えかねた様子で口火を切る。


「何を日和った事を! 大隊規模の軍と《機獣》万の大群の襲撃だぞ!?」


「宣戦布告も無しに停戦協定は破られたのだ! 戦争はもう始まっている!」


 口々に言い合い、文官と武官で意見が衝突する。


 ガナードは軽く息を吐き、王座の間に響き渡る程の叱責を飛ばす。


「控えよ! 今は軍議の場ではない!」


 びりびりと震動する空気。


 文官と武官は皆、口を閉ざした。


 「お耳汚しを」と一礼するガナードに、国王は「良い」と手をひらつかせる。


 国王は悩まし気に頬杖を突き、口を開く。


「此度のステリア襲撃、帝国側がどういう了見なのかを聞く必要は当然ある。だが、送った使者も未だに戻らん。どうやら帝国側に、話し合いをする気は無いらしい」


 国王の言葉に、緊迫した空気が流れる。


 しかし、と国王は続ける。


「《黒魔導》…本当に帝国へ向かったならば、その前に先ず、余に報告と相談位は欲しかったものだが…奴もライトレス・・・・・・・——これも定めか…」


 国王の呟きに、文官の一人が物言いたげな様子で手を上げた。


「…発言を許す。申してみよ」


 国王の許しを得、文官はおずおずと口を開く。


「申し上げます。王家、引いては陛下の許可無く他国を襲撃するのは明確な違反行為。例え襲撃に対する報復行為であっても、如何に王都を救った英雄であろうとも、規律は守らねばなりません」


「…その通りだな」


「であれば、厳正なる対処を」


 如何に《黒魔導》、如何に英雄といえど、王国に属する貴族である以上は、王国のルールに則らなければならない。


 国王としても、立場上一介の貴族を正当な理由無く優遇するなど、当然あってはならない事。


 故に国王は、王家の恒例に則り、揺るぎ無い判断を下す。


「問題無い」


「は…?」


 短く断ずる国王に、文官は眉を顰める。


「その…問題無い、とは?」


「《黒魔導》はライトレス家——故に、何の問題も無い」


 国王の、明確にライトレス家を贔屓する様な発言に、文官らは疎か武官らの間にも動揺が走る。


「それは…ライトレス家が王国東方の広大な地を治める大貴族だからでしょうか?」


 文官の一人が尋ね、国王はそれに首を横に振り否定する。


 国王は玉座より立ち上がると、背後に掲げられた白き旗——魔法王国シンテリオの象徴であり、王家の家紋。


 太陽の紋章を仰ぎ見た。


「皆知っての通り、ライトレス家は王国建国時より存在する最古の貴族家の一つだ。ライトレス家は古来より、王国の脅威を打ち払って来た」


「…それが理由、でしょうか?」


 文官のその問いに国王は答えず、玉座の側卓に置かれたグラス——その下に敷かれた木製のコースターを手に取る。


 太陽が描かれたコースター——それをひっくり返し、裏面に描かれた月が見える様に手に持った。


「ライトレス家の象徴は“月”——正確には、太陽を囲む様に三日月が描かれたのがライトレス家の紋章だ。この紋章の由来、意味を知っているか?」


 国王に問われ、ガナードやメイリンを含む武官、文官らは何処か気不味そうに目を逸らした。


 ライトレス家の家紋——太陽を喰らう三日月の紋章。


 見た者は誰しもが思う——王家の象徴たる太陽を喰らおうなど、不敬極まる紋章だと。


 しかし、誰もそれを口にする事は無い。


 相手は王国屈指の武力を持つ大貴族であり、何より王家がそれを咎めていないから。


 そんな空気を読み取り、国王はフッと笑う。


「王家に対して反逆を示唆する紋章——その様に言われる事もあるらしいな。しかしこれは、初代国王——アーサー・ロワ・シンテリオが直に描き、ライトレス家に与えたものだ」


 それは表に出ていない、王族で伝えられる逸話。


 初めて耳にする驚きの事実に、皆一様に目を見開く。


「太陽を囲い込む三日月。喰らおうとしているのではなく、盾となって守る様——それがあの紋章に込められた、本来の意味」


 国王は言葉を続ける。


「王家が太陽ならば、ライトレス家は月。近衛騎士が“王家の剣”ならば、ライトレス家は“王国の剣”だ。事実としてライトレス家は、これまで数多くの障害を打ち払って来た。先代は先の戦争にて帝国を撃退し、当代は暗黒騎士の練度を上げ、国内に存在する上級ダンジョンの管理を担っている」


 王国内に数多に存在するダンジョン——その中でも危険度の高い“上級”に分類されるダンジョンの管理は、現在一部を除いて、その殆どがライトレス家の暗黒騎士により管理されている。


 等級が然程高く無いダンジョンでも、管理を疎かにしてダンジョンブレイクを起こせば、南方の大湿原で起きた様な災害となる。


 万が一にも上級ダンジョンがダンジョンブレイクを起こした場合、その被害の大きさは南方の比ではなく、計り知れ無い程。


 過去、上級ダンジョンのダンジョンブレイクが原因で滅んだ国もある程。


 かつては王家直属の近衛騎士が各地域に派遣され、上級ダンジョンの管理を行なっていた。


 しかしライトレス家がルーデンスの代となり、固有戦力である暗黒騎士の練度が底上げされた——王国最強とされる近衛騎士と遜色無い程に。


 ことネームド騎士に至っては、近衛騎士すらも退ける程の実力を持つという。


 ルーデンスの代になり、個人の武として王国屈指とされていたライトレス家は、最強の軍事力を有する大貴族へと変わった。


 それこそ、今ではほぼ全ての上級ダンジョンの管理を、暗黒騎士だけで担える程に。


「そしてライトレスの次代——《黒魔導》は王都の危機を退けた英雄となり、南方のダンジョンブレイクすら収め、そして次は停戦協定を破った帝国を打ち払うべく、いち早く戦場へ向かった——“王国の剣”としてな」


 国王はじろりと、武官文官ら全てを睥睨する。


「ライトレス家は、建国時より変わらぬ厚い忠誠を王家に示し、行動している。故に、問題などありはしない」


 国王の言葉を受け、その場の者達は皆一様に口を閉ざした。


 ライトレス家には、明確に特別扱いをされるだけの地盤と実績があった。


 王家はライトレス家に対し、今回の勝手を容認するだけの信頼を置いている。


 異を唱える事など、出来る筈も無い程の。


 国王は押し黙った武官、文官らを一瞥し、溜息混じりに「しかし…」と続けた。


「《黒魔導》——ローファスとは少し話をしたいものだな。停戦協定を破り、宣戦布告も無しに仕掛けて来たのは帝国側…とはいえ、だから王国側我らも国際法を破って良いという事にはならん。王国として帝国に攻撃を仕掛けるならば、国際法に則り布告をせねばならん」


 どうにかしてローファスに連絡する手段は無いものか、と国王はふとメイリンを見る。


 ローファスと共に南方への遠征に同行していた彼女ならば或いは、と。


 突然視線を向けられ、肩をびくつかせるメイリン。


 いやいや、と国王は首を横に振る。


 メイリンにその手段があるなら、南方で行方をくらませたローファスの捜索をする筈も無い。


「ふむ——直ぐに《黒魔導》に縁のある者を呼べ。学友、知り合い——誰でも良い。連絡手段を持つ可能性がある者を、しらみ潰しに探し出すのだ」


 国王の号令の下、その場の武官、文官らは一斉に動き出す。


 ローファスに縁のある者、連絡手段を持つ可能性がある者——


 真っ先に挙がる候補者は、学園にてよく行動を共にしていたアンネゲルト、ヴァルム、オーガスの三名。


 そして、未だ公的な発表はされていないが、正式に婚約者となったファラティアナ。


 以上の四名が、ローファスと連絡を取る手段を持つであろう最有力候補。


 しかしここで、慌しく動き出した武官、文官らを前にして、王座の間の扉が勢い良く開かれた。


 入って来たのは黄金の甲冑に身を包んだ金髪の偉丈夫。


 近衛騎士——王宮内において唯一武装する事が認められている王家の剣。


 そしてその男は、一介の近衛騎士に在らず。


 近衛騎士の頂点に立つ者であり、率いる者。


 《王国最強の騎士》の異名を持つその男は、近衛騎士団長チーフ——ヴァルフレイム。


 先の王都襲撃の折には、数多の災害級の魔物が王宮に押し寄せた。


 魔法防護壁も破壊され、王宮に侵入しようとした災害級を前に先陣に立ち、一歩たりとて中には入れなかった。


 最強の名は伊達では無く、この男が居る限り王宮が落ちる事は無いとまで謂れる傑物。


 団長チーフヴァルフレイムは、呆気に取られる武官、文官らに一瞥もくれず、ずかずかと玉座の前に赴き、国王アレクセイの前に跪いた。


 国王以外は意に介さぬその所作を、咎める者はこの場には居ない。


 この男に対して誰も何も言わず、何も言えない。


 近衛騎士は王家の剣、ライトレスは王国の剣。


 そしてこの男、《王国最強の騎士》ヴァルフレイムは——国王陛下の剣であるが故に。


「緊急の報告が」


 跪いたまま、そう短く口にするヴァルフレイム。


 まさか帝国に動きが、と戦慄する周囲を尻目に、国王アレクセイはその報告を聞かんと耳を傾ける。


「申してみよ」


 発言の許可を得たヴァルフレイムは、静かに口を開く。


「《黒魔導》ローファス卿より、伝令が届きました」


 ヴァルフレイムの言葉に、王座の間は緊張に包まれる。


 そしてヴァルフレイムは、やや言い難そうに続けた。


「以下、伝令の内容になりますが、その……先刻、帝国の中央都市を制圧した、事後処理は任せる——と」


「…えっ?」


 国王アレクセイは、思わず聞き返した。



 余談だが、王都と南方は距離的にかなり離れており、移動手段が馬となればそれなりの月日を要する。


 本来であれば移動に5日以上掛かる距離、しかしメイリンらはローファスが行方不明となった件を早急に報告するべく、中継の休みも最低限に只管馬を走らせた。


 これによりローファスが南方で行方をくらましてからメイリンが王都に帰還するまでに掛かったのは、丸三日。


 三日——それは、ローファスが帝国に赴いて敵勢力を殲滅させるのに、十分過ぎる時間であった。

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