間話13# 暗黒貴族と船乗り貴族

 時計塔にて、ローファスとフォルが婚約を交わして少ししてからの事。


 フォルは国王陛下より直々に子爵の位を賜った後、魔法師団の支部に赴いて魔力検査を行った。


 検査方法は、水晶に似た特殊な魔法具に一滴の血を垂らすのみ。


 これにより、血中に含まれる魔素から解析される。


 魔力検査は魔力持ちが地位を得た際に必ず受けるものであり、それは例えば、魔力を持つ平民が騎士へと成り上がった時など。


 検査で分かる情報は大まかな魔力量と属性——そして血筋。


 魔力検査を行う理由は、騎士や貴族となった際に、血筋を明確にする為である。


 魔力の質や量は、血筋による影響を強く受ける為、貴族社会に置いて血が重要視されるのは当然の事。


 “血筋名”——それはローファスの名——ローファス・レイ・ライトレスでいう所の“レイ”に当たる部分であり、これは王家より与えられた家名たる“ライトレス”以上に強い繋がりを持つ、生涯変わる事の無い名である。


 この“血筋名”は、王族、貴族、騎士等の魔力を持つ階級が持つ事の出来る高貴な名であり、仮に魔力持ちであろうと平民が持つ事は許されない。


 魔法師団では、王国建国時より魔力持ちの血の情報が集積されている。


 王国内の魔力持ちを検査した際、多くの場合は蓄積された過去の記録の中に一致する血筋があり、その名を“血筋名”として名乗る事になる。


 余談だが、もし記録に無い血が発見された場合、より精密な検査により特性やルーツを調べられた後、新たな“血筋名”が名付けられる。


 検査してもしも未確認の血筋だった場合、新発見として魔法師団の上層部が総出となって精密検査に乗り出したり、王都の新聞に載ったりとちょっとした騒ぎになる。


 検査の結果、フォルの血筋の名は“ドーラ”というものだった。


 新たな血筋ではなかったが、検査官曰く、この血筋は王国建国時の頃より確認されている由緒あるものという事らしい。


 これは何百年も昔に没落して廃れた貴族の血筋だが、血が絶えず続いていた事に驚いた、とも。


 是非新聞に載せたいとも言われたが、フォルはこれを丁重に断った。


 “血筋名”が確定した後、貴族としての家名が王家より与えられるのが恒例。


 しかし今回、フォルと過去の没落貴族との血筋的な繋がりが確認された。


 この場合、フォルには選択肢が与えられる。


 過去の没落貴族の家名を復興という形で名乗るか、王家より貴族としての新たな家名を賜るか。


 そしてこの選択には、場合によっては貴族間の派閥の問題が関わってくる場合がある。


 故にフォルは、魔力検査の後にローファスと会う事になっていた。


 ライトレス領の領民から一貴族として独立する、フォルの今後についての相談の為に。


 本来であれば、推薦した貴族家の当主の指示を受けるものであるが、未だ正式な当主ではないローファスと相談する様に仕向けたのは他でも無いルーデンスである。


 それは学園卒業後に当主となる事が確定しているローファスに経験を積ませる為であり、それと同時に婚約者同士の時間を作る為の計らいでもあった。


 事実ローファスは、王都を救った英雄《黒魔導》と呼ばれる様になってから、随分と忙しない日々を送っていた。


 これまではヴェルメイ侯爵家との婚約予定という話が牽制となり、大貴族の嫡男でありながら一切の縁談話が来なかったローファス。


 しかし、英雄となってからはその抑えが機能しなくなり、他方より数多の縁談が殺到する様になった。


 女誑しという噂が、下級貴族や騎士家、引いては身分こそ低いが繋がりを持ちたい商家などから数多の縁談話を呼んでいた——うちの娘を是非側室に、愛人にと。


 挙げ句の果てには王家からも縁談の打診があり、ヴェルメイ侯爵家からは婚約予定の期限延長の申し出があった。


 無論、縁談話だけではない。


 レイモンド減刑の嘆願書の件での他貴族への牽制や、王都復興の援助の為の使い魔の行使、並行的に行方不明となったレイモンドの捜索——そして夜遅くまでライトレス領のローファスが担当する一部地域の経営の指示出し、etc…


 学園が休校中でありながらも、ローファスは日夜休む間もない日々を送っていた。


 それこそ、婚約を交わしたフォルと過ごす時間を中々取れない程に。


 忙しない日々を送るローファスを気遣い、フォルも会いたいと口にしなかった。


 フォルとしても、ローファスの足枷にはなりたくなかったから。


 しかし今回、ルーデンスの計らいにより会う機会が設けられた事で、フォルは少しばかり心を躍らせた。


 どういう訳かカルデラの方が浮き足立ち、ただの相談で会う事になっているにも関わらず綿密なデートプランなどを練り始めた為、フォルはこれを拒否。


 会えるとはいっても、今回の目的は飽く迄も今後の相談。


 ローファスがどれだけの時間を取れるかも分からない。


 しかし今回の相談に際し、ローファスがフォルに提案した時間は、朝から夕暮れまで——実質的に丸一日。


 ローファスは、立て込んだスケジュールをどうにか調整し、フォルと過ごす時間を作っていた。


 その連絡を受けた時、カルデラはガッツポーズをし、フォルはそれに呆れた態度を見せつつも、内心では嬉しくて仕方がなかった。



 そして当日の朝——男子寮のローファスの私室の前に来たフォルは、扉を叩いた。



 ばこん…ばこんと、ローファスの私室では断続的に衝撃音が響く。


 部屋全体に防音と耐震の術式が施されている為、外に漏れる事は無い。


 ローファスは暗黒の魔力を乗せた拳を振り被り、力を調整しつつ振り抜いた。


 拳の先に立っていたのは、影の使い魔たるエルフ王——バールデル。


 バールデルの魔法障壁は容易く砕け、その顔にローファスの拳が減り込んで吹き飛んだ。


 凄まじい衝撃を響かせながらその身を壁に激突させる。


 壁からずり落ち、力無く横たわるバールデルに、ローファスは手をグーパーとさせながら問う。


「…今のはどうだ」


 殴られた衝撃で頭部が弾け飛んだバールデルは、よろよろと身体を起こすと両手を上げてクロスさせ、「×」と答えた。


「ふむ…出力は抑えたのだが、今のも駄目か——もう一度だ、バール」


 ローファスの無慈悲なアンコールに、バールデルはびくっと肩を震わせるが、即座に頭部を再生させてよろよろとローファスの前に立った。


「よし、そのまま魔法障壁を最大出力で張っておけ——」


「——何してんだ、ローファス…」


 突然声を掛けられ、拳を振り上げたまま固まったローファスは、ふと後ろを振り返る。


 フォルが何とも言えない顔で立っていた。


「フォルか。もうそんな時間か?」


 ローファスは時計を見るが、約束の時間まで未だ30分はあった。


「いや、早く着いちゃってさ…ノックはしたんだけど、凄い衝撃が扉越しに響いてたから何かあったのかと——あ、勝手に入ってごめん」


「いや、謝る必要は無い。お前が来るからと鍵は開けていたのだからな」


 言いながらローファスは、バールデルにさっさと戻れと顎で指示を出す。


 バールデルはじっとフォルを見据え、軽く頭を下げてから影の中に消えた。


「よく来た。まあ座れ」


「あ、うん」


 フォルは初めてローファスの私室に入った事にやや緊張しつつ、促されるままにソファに腰掛ける。


 ローファスは人差し指を軽く振るった。


 それにより、一部荒れた部屋が魔力で満たされ、みるみるうちに修復されていく。


 倒れた家具は元の位置に戻り、壁に抉れて出来た傷は瞬く間に塞がった。


 ローファスが何気無く使った魔法に、フォルは驚いた様に目を丸くする。


「すっご…何だ今の」


「今の…? ああ、別に大したものではない。この部屋に張った結界には“原状回復”の術式が込められていてな、それを発動させただけだ」


「原状回復?」


「ああ——まあ、簡単に言えば部屋自体が家具の配置や細かな状態を記憶している様なものだな。定期的にやれば埃も積らんから掃除いらずだしな」


「ほぇー、魔法って便利なんだなー」


 しみじみと言うフォルだが、いやいやと首を振り、直ぐにローファスに向き直る。


「ってそうじゃなくて、何してんだよ。使い魔ぶん殴って…そんなにストレスが溜まってたのか?」


 心配そうにするフォルだが、ローファスはいや、と否定する。


「今のは練習だ」


「練習…? なんの?」


「レイモンド——俺の友人が逃げて行方をくらませたのは以前話しただろう」


「あ、うん。洗脳・・されて魔物を呼び寄せたっていう…確か、ローファスの大事な友達、だったよな」


「大事…まあ、そうだな。その様なものだ」


 ローファスは少し気恥ずかしげに顔を逸らしつつ、しかし次の瞬間には思い返す様に額に青筋を立て、拳を握り締める。


「あのキザ男を見つけ出した時——死なない程度に殴り付け、痛手を負わせる為の練習だ」


「なんで!?」


 大事な友達なんじゃないの!? と驚くフォル。


「奴の魔法障壁は中々堅牢だからな。それを破り、尚且つ軽傷以上の手傷を負わせるとなると、ある程度力を込めねばならん。かと言って力を込め過ぎて殺してしまっては本末転倒。しかし加減し過ぎて軽傷を負わせる程度では俺の気が済まんのだ」


 理想は全治半年程度の治癒魔法でも癒えぬ傷を負わせる事だ、とローファスは力説する。


 フォルは引き気味に首を傾げる。


「えっと、友達…なんだよな?」


「無論——だが親しき中にも礼儀ありだ。奴の減刑の為に、父上に下げたくも無い頭を下げ、オーガスやアンネゲルトにも実家への働き掛けを頼み込み、他貴族への牽制やら情報操作やらを散々やった。クソみたいな六神教会に借りを作る羽目にもなった。当の本人を最大限の注意を払いながら拘束した状態で、だ…! その上で漸く、漸く無罪まで漕ぎ着けたというのに…」


 ローファスは拳を振り上げ、椅子の肘掛けに叩き付け、粉砕した。


「あのキザ男、全てをほっぽり出して行方不明だ…! こちらが全力で捜索したにも関わらず、足取りさえ掴めん。挙げ句の果てに、こちらを嘲笑う様な手紙まで寄越してきた。ここまでコケにされたのだ——死なない程度に殴っても罰は当たらんだろう」


 それで万が一天罰があろうものなら、それを下した神を俺が殺してやる、とローファスは拳をぷるぷると震わせる。


「まあ…ほどほどにな」


 肩を竦めるフォルに、ローファスはハッとした様に怒りを沈め、もう一度人差し指を振るう。


 それにより、粉砕された肘掛けが元通りに修復した。


「…すまなかったな。少々感情的になった」


「いいよ。寧ろ今のローファスは、前と比べて落ち着き過ぎだと思ってた位だし」


 にんまりと笑うフォルに、ローファスは肩を竦める。


「それを言うならフォルもだろう。初対面の時なぞ、身の程知らずにも突っ掛かって来たものだが」


「お、覚えてたのか…アレは男のフリしてたし——てか、忘れろよな」


「あんな強烈な第一印象、忘れられる訳がないだろう。あの生意気なクソガキが、今となっては…」


「なんだよ。相変わらず男勝りだって言いたいのか?」


「いや? 寧ろ、随分と女らしく——綺麗になった…とな」


 ローファスの思わぬ言葉に、フォルはカッと顔が熱くなる。


「そ、そりゃ…どうも?」


 気恥ずかしさから目を逸らしつつ、頰を染めながらぼそりと呟くフォル。


 フォルは羞恥から話題を変えようと周囲を見回し、ふと今し方ローファスにより修復された肘掛けに目を止めた。


「そ、それにしてもその原状回復? って魔法、壊れた物も直せるなんて本当に便利だな」


「あぁ——これは“原状回復”という効力を持つ術式を結界魔法で部屋全体に施しているのだ。厳密には魔法と呼べる程のものではない。この修復は、正確には結界魔法に込められた術式が引き起こす現象の一つに過ぎん」


「ん…? よく分からないけど、それって魔法じゃないのか?」


「分かり難いか。簡単に言えば、これは“原状回復”という魔法ではない。破損したものの修復は、結界魔法が部屋を元の状態に戻そうとして引き起こされる副次的現象だ」


「えっと、ごめん。分からん」


 全然簡単に説明出来ていないローファスに、フォルは真面目な顔でそう言い切る。


 ローファスは苦笑した。


「まあ、色々と理屈をこねてはいるが別に魔法という認識でも問題はない。魔法が引き起こす現状という事に変わりは無いからな。すまんな、少し複雑に話し過ぎた」


「いや、寧ろアタシから話振ったのに全然ついて行けてなくてごめん。でも、やっぱ魔法って凄いよなー。アタシ魔法はからきしだからさ」


 頰をぽりぽりと掻きながら言うフォルに、ローファスは首を傾げる。


「魔法なら、お前も使っていただろう」


「うん? いや、アタシは魔法使えないけど…」


「ん? いや…しかし以前、治癒魔法を使っていたではないか」


 フォルは以前、ローファスが魔鯨との戦闘で負傷した際に治癒魔法を行使した事があった。


 今でこそ魔力探知を常時発動しているローファスだが、そんな事をまともな魔法使いがやれば一時間と持たずに脳が焼き切れるだろう。


 当時のローファスがそんな常軌を逸した馬鹿げた行為を無意味にする筈も無く、だからこそ、当初はフォルが魔力持ちである事に気付けないでいた。


 フォルが治癒魔法を行使した事が、魔力持ちであると判明したきっかけである。


 しかしフォルは、その時以降治癒魔法を行使する事が出来なくなっていた。


「あ、あの治癒魔法——あれ、アタシが使ったんじゃないんだ」


「なに…?」


「後から聞いた事だけど、あれはルナがやってくれたんだってさ。あの鯨の化け物との戦いも、遠目から全部見てたらしい」


「ルナ…ルーナマールか」


「そそ。ルナ曰く、アタシが何をしたいのかを読み取って肩代わりする形で発動した——とかなんとか」


「肩代わり…フォルの魔力を用いてルーナマールが魔法を発動させたという事か」


「そう、かな? 確かにルナが魔法を使う時は大体アタシの魔力を使ってるかな」


「成る程」


 ローファスは得心いった様に頷く。


 精霊憑きと精霊の関係性は、分かっていない事が多い。


 しかしフォルが魔法を扱えなくとも、代理でルーナマールが行使したというなら、理屈としては頷ける話。


 物語におけるファラティアナも、基本的には身体強化による近接戦闘を主軸にしてはいたが、ここぞという時にはルーナマールが水魔法により援護していた。


 とはいえ、精霊憑きと精霊との関係性は、上下のある主従関係や対等な友人関係など様々だが、フォルとルーナマールの関係はあまり見ないもの。


 友人として特別親し気な感じではなく、かといって上下関係がある様にも見えない。


 その関係性は、強いていうなら出来の悪い妹を遠目から見守り、必要に応じて手助けをする兄——そんな兄妹の様な距離感。


 夢で物語を通して見たローファスでも、フォルと精霊ルーナマールの関係性は、深くまでは分からなかった。


「…まあ、魔力があるなら魔法は使える筈だ。必要なら今度魔法の入門書を用意するが?」


 望むなら学園への入学も、と言い掛けたローファスだが、フォルはこれに慌てた様子で首を左右に振った。


「いやいや、良いよ! 魔法はちょっと興味はあるけど、ルナがいるし。アタシが魔法を使える様になったら、ルナは戦闘の役割が減って拗ねるかもだし」


「む、そうか」


 精霊憑きと精霊の関係性は、ローファスからすれば未知の領域。


 関係が拗れかねないならば、ローファスからしても無理に勧める訳にはいかない。


 そんなこんなで、暫し二人で他愛無い雑談をした所で、ローファスは本題に入る。


 ローファスとしても、フォルとの時間を中々取れない為、今日は良い機会と少し無理にスケジュールを調整して多めに時間を取ったが、他愛無い会話だけで終わらせる訳にはいかない。


 フォルの家名について、話すべき事は話さなくてはならない。


「フォル…そろそろ貴族としての家名についての話を——」


 言い掛けた所で、フォルがローファスの顔を覗き込む様にずいっと身を乗り出した。


 鼻と鼻が触れる程に近く、じっと見つめてくるフォルに、ローファスは言葉を詰まらせる。


「ど、どうした。俺の顔に何か付いているのか?」


「くま」


「くま…?」


 妙な事を口走るフォルに、ローファスは眉を顰める。


「さっきから気になってたんだけど、目の下に隈が出来てる」


「あぁ、隈か。そうだな…最近、少し寝不足だからな」


「やっぱり。ならこっち来いよ。このソファ、アタシには少し広いんだ」


「——!?」


 何を思ったか、フォルはローファスの手を引いて己が座るソファ——隣に腰掛けさせる。


 そしてローファスの頭を優しく手で包み込み、ぐいっと下に引き下げ——フォルの膝の上にすとんと下ろした。


 膝枕をされる形となり、ローファスはぱちくりとフォルを見上げる。


 フォルはにっと笑う。


「婚約者なんだし、これくらい良いだろ? ローファスが嫌なら止めるけど」


「嫌…ではないが、真面目な話をする姿勢でもないだろう」


 困惑するローファスの頭を、フォルは優しく撫でる。


「アタシはどんな姿勢でもローファスの話ならちゃんと聞くけど? それとも、恥ずかしくて話せないとか?」


 揶揄う様に言うフォルに、ローファスはにっと口角を上げ——手を伸ばしてフォルの頰に触れた。


 優しく頰を撫でられ、フォルは固まり、みるみる内に赤面していく。


「——そうか。フォルがそう言うならば、遠慮なく話そう。少々複雑な話だ。後でちゃんと覚えているか確認してやるから、精々頑張って聞く事だ」


 フォルの頰をなぞる様にして指先を移動させ、次は耳元を優しく触れながら、ローファスは言う。


 フォルの口からはこそばゆさから「…ぅ」と声が漏れ、赤面したまま半目でローファスを見下ろす。


「ローファス、お前…意地悪な奴だな」


「お互いにな」



 夜、ローファスとの話を終えて借宿に戻ったフォルは、カルデラの質問攻めを食らう事になる。


 しかしフォルは、幸せそうに笑うばかりで何一つとして話そうとはしなかった。


 フォルが幸せそうなのはカルデラとしても喜ばしい事ではあるが、その内情を見れなかった事に膝を折って悔しがっていた。


 如何にカルデラといえど、多重の結界が張られ簡易的な要塞と化しているローファスの私室の中までは覗き見る事は出来なかったらしい。

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