101# チェックメイト

 納得のいく挨拶が出来たのか、ギムレット伯爵は満足げに微笑み、ローファスを椅子へ案内する。


 その物腰は大貴族と呼ばれる者とは思えぬ程に柔らかく、未だ正式に当主となっていないローファスに対しても決して軽んじる事無く、敬意を持って接しているのが伝わってくる。


 ローファスはギムレット伯爵に促されるままに、椅子に腰掛けた。


「紅茶——否、ローファス殿はコーヒーが好みでしたね…確かミルク、砂糖抜きの濃厚なものが」


 ギムレット伯爵は高らかに手を叩く。


 直後使用人が入室し、目の前でティーカップにコーヒーを注ぐ。


 そして淹れたてのどす黒いコーヒーが、ローファスの目の前に置かれた。


 迅速かつ周到、事前に準備して扉の外に待機していたのかとローファスは当たりをつける。


 であるなら、ギムレット伯爵が紅茶からコーヒーに言い直したのも、言ってしまえば茶番。


 ギムレット伯爵——度を越した完璧主義と噂には聞いていたが、どうやらユーモアもあるらしい。


 或いは、これらの茶番、言い回し一つがギムレット伯爵にとっての“完璧”に沿ったものなのか。


 何れにせよ、変わり者である事は間違いないらしいと、ローファスは目を細める。


「…成る程、俺の事をよく調べているらしい」


「来客の好みは事前に調べ準備しておく——この程度は招く側の義務であり責務ですよ。時にローファス殿、チェスは嗜まれますか?」


 ギムレット伯爵がそう口にすると、使用人がテーブルにチェス盤を置き、素早い手付きで駒を並べていく。


 ローファスは露骨に眉を顰めた。


「…遊びに来たのではない」


 ローファスに睨まれ、しかしギムレット伯爵は物怖じせず答える。


「然り、これは遊びではありません。チェスは良いですよ。一局打てば、二三言葉を交わすよりも余程相手の事が理解出来る」


「俺は、貴様が無様に出した救援要請に応じてやったのだが? 態々ここに来たのも、被害状況や魔物の群の詳細を聞く為だ。何より、理解し合う必要性を感じないのだが?」


 ライトレスの言葉に、ギムレット伯爵は「ふむ…」と整えた口髭をなぞる。


「情報…確かにそれは、金塊よりも重い価値がある。タロン卿、最新の被害状況と魔物の群の規模を纏めて来て下さい——迅速に」


「へ? は、はい! 直ちに…!」


 置物の如く微動だにせず直立していたタロンは、唐突に指示が出され、慌てた様子で部屋から出て行った。


 ギムレット伯爵は目を細めて笑い、チェス盤を指差す。


「タロン卿が戻るまで、暫し時間が出来ましたね。どうでしょう? 雑談でもしながら軽く一局」


「…」


 そうまでしてチェスがしたいか、とローファスは呆れ気味に溜息を吐き、諦めた様に駒に手を伸ばす。


「…タロンとやらが情報を持ってくるまでだ」


 先手を指し、ギムレット伯爵は満足げに笑う。


「そうこなくては」


 次はギムレット伯爵が駒を動かした。



 部屋に、静かな駒の音が響く。


 眉間に皺を寄せ、険しい顔のローファス。


 それに対し、ギムレット伯爵は涼しい顔で駒を指す。


 ふと、ギムレット伯爵は口を開く。


「失礼ながらローファス殿、かの伝承に聞く厄災——《魔王》を討伐されたというのは事実で? いえ、疑っている訳では無いのですが」


「…」


 ギムレット伯爵の思いの外ど直球な問いに、ローファスは白々しいと内心で吐き捨てる。


 そもそも此度、ダンジョンブレイクにて発生した魔物の群を討伐するべく、ローファス個人に救援要請を出したのは、ギムレット伯爵が先の王都襲撃について疑惑を持っている事に起因する。


 公的な発表——復活した《魔王》の襲撃は当然、それを打ち倒したというローファスの実力すらも疑っているのだ。


「…討伐した——そう肯定して、貴様は納得するのか? 疑惑を持ち、俺の実力を試そうとしている他でも無い貴様が」


「誤解ですよ。ただの興味本位です。疑惑などと、人聞きの悪い」


 しかし、とギムレット伯爵は続ける。


「国王陛下が公表した先の王都襲撃の全容——少々きな臭く感じたのは事実…いえ、この位は多少頭の回る貴族であれば皆感じているでしょう。表立って疑問を呈しているのは私くらいなものでしょうが」


「…王家に刃向かう気か?」


「それこそまさかです。私からすれば、真相などどうでも良いのですよ。ただ…もう少し上手くやって欲しかったとは思いますが。こんな事では、いつ足を掬われるやも…」


 言い掛け、ギムレット伯爵はそれを誤魔化す様に咳払いをした。


「ああ、誤解なさらず。誓って、反逆の意志はありません。ただ——今回の国王陛下の対応はあまりにも杜撰。余程切迫していたのでしょうが、それを私程度に気取られる様ではね」


「…何が言いたい」


「王国の未来に不安を感じざるを得ない、という事ですよ」


 ローファスは駒——黒のポーンを進め、ギムレット伯爵の駒——白のルークを弾き飛ばした。


「不敬罪だぞ」


 ローファスに鋭い目で睨まれ、しかしギムレット伯爵は慌てる事も萎縮する事もせず、肩を竦めて見せる。


「これは大変、口を滑らせてしまった。まさかローファス殿に弱みを握られてしまうとは…」


 大袈裟に天を仰ぐギムレット伯爵。


 その芝居掛かった口調と仕草に、ローファスは白々しさすら覚える。


 しかしギムレット伯爵は、王国でも数少ない大貴族と呼ばれる者の一人——初対面の相手に失言する程軽率な筈が無い。


 そして何より、油断ならない曲者である事を、ローファスは短いやり取りから感じ取っていた。


 王家に対する不満。


 そんな不用意な発言を、無意味にする筈が無い。


 一体何を考えている、とローファスは警戒する。


 その警戒を見透かす様に、ギムレット伯爵は目を細めて笑う。


「今の話、聞かなかった事にして下さい、ローファス殿。これはほんの気持ちです」


 言うや否や、チェス盤の横に少なく無い金貨が積まれる。


 賄賂、袖の下——それも実に態とらしい。


「いらん」


「足りませんか? では——」


 拒否するローファスに、ギムレット伯爵は更に金貨を積み上げる。


「…試すにしては余りにもお粗末だ。何が狙いだ」


 真意を探る様に目を細めるローファス。


 ギムレット伯爵はそれを見据え、「ふむ…」と髭をなぞる。


 そして積み上げた金貨を放置し、何事も無かったかの様にチェスの駒を進めた。


「…まあ、貴方は侯爵家。金銭に困っている筈もありませんね。では私の娘など妾に如何でしょう? 長女で歳は16、ローファス殿の一つ上。身内贔屓もありますが、妻に似て美人です。胸も大きい」


「結構だ」


「歳上は好みませんか? では二女でしょうか。14歳です。その下となると9歳の三女が…」


 実の娘を薦めているとは思えぬ程に淡々と話すギムレットに、ローファスはその先を遮る様に睨み付けた。


「…女好きというのはデマでしたか? それとも同年代は好みではありませんかね」


「折角の申し出痛み要るが、ここ最近縁談話は山の様に来ている。そういったものは、いちいち対応している暇も無いので全て断らせて貰っている」


「成る程…まあそうでしょうね。今やローファス殿は、国王陛下より《黒魔導》の称号を与えられた英雄です。引く手も数多でしょう。それこそ——トリアンダフィリア家からも縁談の話が来たのでは?」


「…」


 その問いにローファスは無言で返す。


 ギムレット家は、アンネゲルトの元婚約者の家。


 アンネゲルトが婚約者を捨て、ローファスに靡いた。


 正確には家が絡んでいる為事実とは異なるが、構図としては正にそれであり、ギムレット家からすればローファスへの印象は決して良くは無いだろう。


 ただローファスは、その問いに答える義務は無い。


 又、文句を言われる筋合いも追求される謂れも無い。


 無言を貫くローファスに、ギムレット伯爵は苦笑した。


「ああ、勘違いなさらず。アンネゲルト嬢と我が愚息の間であったトラブルについて、ローファス殿を責める気は毛頭ありません。その…例の件について、アンネゲルト嬢から何処まで聞かれていますか?」


「…いや。何も聞いていない」


「そうでしたか。そう言って下さるなら、この話はここまでにしましょう。愚息の処遇はこちらでしますので、手出し無用に願います」


 安堵した様に微笑み、頭を下げるギムレットに、ローファスは顔を顰めた。


「…本当に何も聞いていないし、何もせん。そもそも貴様の息子なぞ知らん」


 アンネゲルトの元婚約者——大貴族ギムレット家の嫡男。


 アンネゲルトとその男の間で言い争う等のトラブルがあったとは聞き及んでいるが、それ以上の事をローファスは知らない。


 ギムレット伯爵の口振りから、余程の事があったのだろうかと、ローファスは眉を顰める。


 話していないという事は、アンネゲルト自身あまり知られたくない内容である可能性もある。


 気にならないといえば嘘になるが、それはアンネゲルト自身の口から聞くべき事。


 ローファスはこの話題を追求せず、静かにチェスの駒を進めた。


 話が途切れ、ギムレット伯爵は仕切り直す様に咳払いをして口を開く。


「時に…話は変わりますが、レイモンド殿が行方不明になられたとか」


「…」


 ギムレット伯爵の露骨な探りに、ローファスは無言で返す。


「先の王都襲撃と関係があるのでしょうか? ローファス殿はご友人だそうですが、どう思われます?」


 余りにも配慮が無く、不躾で直球な問い掛けに、ローファスは不快げに眉を顰める。


 但しこれは恐らく誘い。


 感情を露わにすれば、それこそギムレット伯爵に不用意に情報を与える事になる。


 ギムレット伯爵がどの程度の情報を掴んでいるか分からない以上、ローファスは下手な発言が出来ない。


「…王都襲撃に関しては国王陛下の発表通りだ。それ以上でも以下でも無い。レイモンドの件は知らん」


「知らんとは…冷たいのですね。ご友人だったのでしょう?」


「“だった”ではない。勝手な解釈でものを語るな」


 ローファスに睨まれ、ギムレット伯爵は口を噤む。


「……これは失礼を。私自身、レイモンド殿とお会いした事がありますが、彼は次期国王として最適な人材でした。これはお世辞では無く本心です。それ故に、我々貴族も不安は大きいのです。そんな彼が行方不明に…そして次代の国王にならない可能性が出て来たのですから」


 アステリアの王位継承権の剥奪は未だ公表されておらず、レイモンドの王位継承が現状では絶望的な事も公にはされていない。


 先の王都襲撃の一件により、王位継承に関してごたついている事は、ローファス自身理解している。


 何せアステリア自身の口から王位剥奪の件を聞き、何より次期王位継承第一位となる第二王女アリアとの見合いを国王陛下より勧められていたのだ。


 次期国王候補はレイモンド以外にも他公爵家に居る筈であり、それらをすっ飛ばしてローファスに話を持って来る。


 これだけでも、レイモンドの失墜で如何に国王陛下が追い詰められているかが窺い知れるというもの。


 事実レイモンドには、平民、貴族を問わず数多くの支持者が居た。


 先の一件でレイモンドに対して疑念を抱く者は当然居るだろうが、次期国王候補から退くとなれば惜しむ声が上がったとしても不思議では無い。


 しかし、とローファスはギムレット伯爵を見据える。


「…随分とレイモンドを持ち上げるではないか。ギムレット伯爵家は派閥が違う筈だが、いつ鞍替えを?」


 貴族には幾つかの派閥がある。


 大きく分けて王族派と貴族派の二種。


 そして貴族派の中でも五つの公爵家に対し、それぞれ五つの派閥が存在する。


 ライトレス家は明確に派閥入りを表明をしていない中立派ではあるが、その中でもガレオン公爵家寄りとされている。


 ギムレット伯爵家は、ヴァナルガンド公爵家の派閥。


 ヴァナルガンド家——公爵家の中で最も古く、歴史のある家。


 南の統括者として大貴族と称されるギムレット伯爵は、ヴァナルガンド派に属する数ある貴族の中でも筆頭とされている。


 そんなギムレット伯爵が、派閥違いのレイモンドの事を手放しに賞賛する。


 ヴァナルガンド家にも次期国王候補が居る中で、それは不義にあたる——それが本心ともなれば尚更に。


「ギムレット家は代々ヴァナルガンド派閥。鞍替えなどという裏切りにも等しい行為、そう易々とは出来ません。それに私が評価しているのは飽く迄もレイモンド殿個人であり、ガレオン公爵家ではありません」


 言いながらギムレット伯爵は、ローファスの駒を取り、王手チェックを防ぐ。


「ヴァナルガンド公爵家を支持しているのはギムレット伯爵家という立場としてであり、レイモンドを支持しているの個人的なものであると?」


「然り」


 ギムレット伯爵は首肯する。


「今の王国には、レイモンド殿の様な理想高き王が必要なのです」


「王国の在り方に不満があると?」


「逆に、ローファス殿は満足されているのですか? 人は皆、多かれ少なかれ現状に不満を抱くものです」


「俺やその他大勢を引き合いに出すな。俺は貴様個人に聞いている」


 ローファスに問われたギムレット伯爵は薄ら笑いを消し、静かに答える。


「…今に始まった事ではありませんが、現在の王国は腐敗しています」


 ギムレット伯爵の王国批判とも取れる言葉に、ローファスは肯定も否定もせず、耳を傾ける。


 ギムレット伯爵は駒を進め、ローファスの駒——黒のビショップを倒し、手に取って見せる。


「特に酷いのは六神教会。上層部は寄金の取り合い、足の引っ張り合い——利益と自己保身に塗れた俗物で溢れています」


 黒のビショップをテーブルに積まれた金貨の上に転がし、ギムレット伯爵はローファス駒——黒のルークを指差し、言葉を続ける。


「次に貴族。形骸化した封建制度…ノブレスオブリージュとは最早過去の概念——そう断言出来る程度には貴族全体の質が落ちています。テーブルに積んだこの賄賂…受け取らなかった貴族はタロン卿とローファス殿——貴方だけでしたよ。嘆かわしい事にね」


 贈賄も収賄も王国法で禁じられているのですがね、とギムレット伯爵は付け加える。


 ローファスは静かに駒を進め、手を止めた。


 貴族の質が落ちている、その言葉を聞いたローファスの脳裏には、かつて身勝手な増税や略奪、領民の拉致等に手を染めていたクリントンや、一介の商人に経済を握られたステリア領が思い浮かぶ。


「貴様の言葉にも一理ある」 


 ローファスの肯定的な反応に気を良くしたギムレット伯爵が、喜びから両手を広げた。


「やはり、貴方なら同意頂けると——」


 だが、とローファスはギムレット伯爵の言葉を遮る。


「その変革を他者レイモンドに委ねている時点で、貴様もたかが知れている」


 ローファスはギムレット伯爵の駒——白いキングを手に取り、ギムレット伯爵の眼前に差し出した。


「真にレイモンドを支持するならば、批判では無く理想を語れ。奴は己が理想に忠実に生き、行動している」


 ギムレット伯爵は差し出されたキングの駒を受け取り、盤面を見て僅かに目を剥く。


「チェックメイト…? いつの間に…」


 と、ここで書類を持ったタロンが戻って来た。


 ローファスは立ち上がり、タロンから書類を引ったくる様に奪い取る。


 ひぃ、と腰を抜かすタロンを尻目に、ローファスはギムレット伯爵に目を向ける。


「救援要請は受けてやる。だが、ダンジョンブレイクは人災——魔物の間引きを怠った間抜けがいる筈だ。俺が戻るまでにそいつの首を用意しておけ」


 容赦無く言い放つローファス。


 それと、とローファスは付け加える。


「…チェスに誘うなら、せめて駒の動かし方を覚えてからにしろ」


 ローファスはそう吐き捨て、ばんっと扉を勢い良く閉めて退室した。


「嫌われてしまいましたね…」


 呆然とするタロンに、ギムレット伯爵は肩を竦めて言う。


「…また独自の駒の動きでやっていたのですか?」


「ええ。怒ってましたね」


「そりゃそうですよ…」


 タロンの呆れた声が客間に響いた。

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