94# 暗き死神Ⅱ

 魔法使いが至る極致の一つ、魔人化ハイエンドには二種のタイプが存在する。


 一つは身体そのものを作り変え、魔物へと転じて人の限界を超えた力を得る——《生成なまなり》。


 これは先天的な素質に大きく影響され、適性がない者には扱う事が出来ないかなり限定的な力と言える。


 そしてもう一つ、極限まで練り上げた高密度の魔力を鎧の如く身に纏う技法——《纏鎧てんがい》。


 それは人の身のままに、より強力な力を振るう為に生み出された業。


 適正の有無は無く、魔力をその身に宿す者であれば誰もが至る事の出来る人の技。


 然れど、それは並外れた努力の上にある。


 片や、人の身を捨てた才能の極致。


 片や、人の身を研ぎ上げた努力の極致。


 そのいずれもが魔人の名を冠す通り、人外の領域に足を踏み入れた技法。



 咄嗟に生み出した暗黒壁ダーククリフは刹那の拮抗も無く、紙が如く消し飛んだ。


 持ち前の魔法障壁も長く持たずに容易く突破された。


 最高硬度の防護魔法——《生者を拒む禊の門》の存在がローファスの脳裏に過ぎるが、この状況で詠唱破棄しても間に合わない。


 明確な死のイメージを、ローファスは久しく思い起こす。


 そして間も無く、暗黒の奔流が容赦無くローファスを飲み込んだ。


 命中、その確かな手応えを感じたライナスは、少し失望した様に息を吐く。


『…受け切れねぇなら転移で躱せよ。おめぇの術式展開速度なら出来んだろ』


 それはローファスへの小言ではなく、愚痴に近い呟き。


 暗黒の奔流が晴れる。


 ローファスは立っていた——その身に暗黒を纏いながら。


 深淵に迫る程に凝縮された高密度の霧状の暗黒が、ローファスの身体を守る様に纏わりついていた。


 その姿を見たライナスは目を細める。


 深淵を全身に纏うその様は、ルーデンスの魔力を鎧の如く纏う魔人化ハイエンドに酷似していた。


 ライナスは拍手する。


『魔人化…《纏鎧》か。なんだ、おめぇ出来たのかよ。ルーデンスと比べると練度は落ちるが、形になってるだけ大したもんだ——』


 穏やかな雰囲気で労いの言葉を口にするライナス。


 しかし、言い終わらぬ内に刺す様な怒気を発する。


『——とでも言うと思ったか? んだその低レベルの《纏鎧》は。あんま俺様・・を失望させんなよ』


 言うや否や、ライナスはその姿がブレて消える。


 次の瞬間には、ローファスは襟を鷲掴みにされ、力任せに真上へ投げ飛ばされた。


 訓練場の防護術式の膜を突破し、ローファスは勢い良く天井に激突して身体をめり込ませる。


「ぐ…」


 ローファスの口から苦悶の声が漏れる。


 その身に纏う暗黒の霧が衝撃を散らし、肉体に深刻なダメージは無い。


 しかし衝撃全てを消せる筈も無く、ローファスは軽い脳震盪を起こし、次の行動に移るのが僅かに遅れた。


 そんなローファスをライナスはつまらなそうに眺め、鎌を構える。


『——飽きた。場所、変えっぞ』


 その言葉の直後、暗黒に染まる視界と共に、ローファスの意識は一瞬途切れる。


 気付くとローファスは、天を舞っていた。


 視界の端には暗黒鎌ダークサイスの漆黒の斬撃により崩壊し、押し上げられた無数の瓦礫。


 今正に落下する——その刹那、ローファスの足を暗黒の腕が掴んだ。


「——!?」


『《纏鎧》を研ぎ澄ませろ。出来ねぇなら——そのまま死ね』


 いつの間にか至近距離に迫っていたライナスは、ローファスの足を掴んだまま勢い良く振り回し、そのまま地上へ向けて放り投げた。


 ローファスの落下と同時に粉塵が舞い上がり、山の岩肌にクレーターが出来る。


 ローファスの身を覆っていた暗黒の霧は、ライナスによる度重なる暗黒魔法の直撃と今の落下により、耐久限界を迎え散り散りとなって消えた。


 ローファスはよろめきながらも何とか立ち上がり、上空から見下ろしてくるライナスを忌々しげに睨み付けた。


 ローファスは頭より血を流し、その翡翠の左目が赤く染まる。


 ルーデンスの魔人化を真似て生み出した暗黒の鎧は、ローファスの膨大な魔力も合わさり非常に高い耐久性を誇るが、それでも限界はある。


 ローファスは再び魔力を練り上げ、暗黒の霧——《纏鎧》で身体を纏う。


 そして手に暗黒鎌ダークサイスを生み出して構えた。


 未だに戦意は衰えないローファスに、ライナスは僅かに感心しつつも——しかし失望した様に溜息を吐く。


『…ロー坊よぉ。またそれ・・かよ。ここまで明確な力の差を見せ付けたってのに、何で分かんねぇかなぁ。いつまでも相手の土俵で戦ってんじゃねぇよ』


 『それとも…』とライナスは暗黒鎌ダークサイスを振り上げる。


『まだ戦い方を選べる程、余裕があんのか? 流石に…俺様を舐め過ぎじゃねぇのか』


 いつまでも戦い方を変えようとしないローファスに、ライナスは苛立った様に呟く。


 そしてそれに呼応する様に、振り上げられた暗黒鎌ダークサイスの刃が肥大化する。


 天を覆う程巨大に、最早それが刃とは認識出来ない程に。


 それは魔人化により、暗黒鎌ダークサイスという術式の限界を超えた事で至った領域。


 振り下ろせば岩山を更地へと帰す比類無き一撃となる。


 如何に魔力量が優れるローファスでも、どう足掻いても到達出来ない魔法出力——人としての限界。


 ローファスは常軌を逸する程に巨大化した刃を見上げ、目を細めて鎌を下ろす。


 それは諦め——ではなく、戦法の切り替え。


 ローファスは即座に魔力を高め、詠唱破棄にて上級魔法を発動させる。


「——《光無き世界ライトレス》」


 ローファスを起点に、暗黒の濃霧が溢れ出す。


 瞬く間に地上が暗黒で満たされ、ローファスはその姿をくらませた。


 それにライナスは、迷わず肥大化した鎌の刃を振り下ろす。


 桁違いの暗黒の奔流が、上空より地上へ、まるで津波が如く降り注ぐ。


 如何に姿を隠そうとも、超広範囲の攻撃からは逃れる事は出来ない。


 ライナスの放った暗黒の奔流は、容易くローファスが居た岩山を消し飛ばした。


 これで死ねば所詮はその程度の男、ライトレス家を継ぐ資格は無い。


 適性が無いならば、ライトレス家に生まれた意味は無い。


 それは戦時中に生まれ、戦争と共に育ったライナスだからこその非情な価値観。


 帝国との戦争を終えて半世紀、それでもライナスの根底は変わらない。


 そしてローファスは、ライナス以上の魔力と魔法適正を持って生まれてきた麒麟児。


 殺す気で放ったが、この程度でローファスが死ぬとは、ライナスは微塵も考えてはいなかった。


『目眩し程度でどうにか出来る規模じゃなかったろ…どう切り抜けた』


 漂う暗黒の濃霧は魔力探知を妨害する為、ライナスはローファスの所在を追えないでいた。


 《光無き世界ライトレス》による暗黒の濃霧は、ライナスが放った暗黒鎌ダークサイスにより吹き飛ばされたが、それでも周囲に根強く漂っている。


 暗黒の濃霧が消えていないという事は、すなわち術者であるローファスの生存を意味している。


 ライナスが警戒しつつも周囲を見回していると、何処からともなく呪文詠唱が響く。


 それは——《光無き世界ライトレス》の呪文。


 後述詠唱——既に発動している《光無き世界ライトレス》に対して追加で呪文を詠唱し、その魔力出力、強度を高める技法。


 これにより散り散りに舞っていた暗黒の濃霧は、その量が爆発的に増え、上空に浮遊するライナスの周囲を覆い尽くした。


『オイオイ、この期に及んでまた目眩し——』


 ライナスが呆れた様に声を発した瞬間、暗黒の濃霧より巨大骨の腕が現れ、その魔人化した身体を鷲掴んだ。


 その直後、超高温の黒炎がライナスを包み込む。


『——あ? 影の使い魔だと…?』


 ライナスが何かをする前に、暗黒の濃霧より次々と使い魔が現れる。


 デスピアが両翼を羽ばたかせ、無数の黒風の斬撃を放つ。


 無数の魔晶霊クリスタルゴーストがライナスを囲み、一斉に《魔力吸収マナドレイン》を発動する。


 そして続け様に巨大な戦斧を振り被ったバールデルが突っ込み、黒風の魔力を纏った刃を振り下ろした。


 それらの攻撃を一身に浴びながら、ライナスは鎌を、ただ一振りする。


 それだけで周囲を取り囲んでいた影の使い魔はまとめて消し飛んだ。


『…ふむ、悪くねぇ。今までで一番良かった——で?』


 ローファスを探す様に、暗黒の濃霧が充満する地上を睥睨するライナス。


 そんなライナスを、暗黒の濃霧の中から大口を開けて現れた巨大な暗黒が、抵抗を許さぬままに飲み込んだ。


 その姿はまるで、深淵の沼より飛び上がった巨大な鯰の様。


 それはローファスの固有オリジナル魔法——《闇より暗い腹の中タルタロス》。


 飲み込まれたライナスは、腹の中で幾千にも及ぶ暗黒槍ダークランスを浴びる事となる。


 術式の檻に閉じ込める事が目的であった血染帽レッドキャップの時とは違い、今回は暗黒槍ダークランスは一本一本が魔力爆発を引き起こす。


 ライナスはこの瞬間、初めて防護魔法を使用する。


 それは魔人化した事で硬度と耐久力が桁外れに底上げされた暗黒壁ダーククリフの繭。


 暗黒槍ダークランス単体の爆発は大した事が無くとも、全方位より同時多発的に幾千もの連続爆破を受けては、如何に強力な防護魔法を展開しようと、一溜りもない。


 無数の連続魔力爆発を腹の中で引き起こし、タルタロスはそのフォルムが大きく膨れ上がる。


 しかし間も無く、タルタロスの丸みを浴びた胴は、内より暗黒の奔流が溢れ破裂した。


 ライナスは、身に纏う暗黒のローブが大きく損傷しており、破れたフードの奥からは深淵の髑髏——魔人化したライナスの顔が露出している。


 決して少なく無いダメージ。


 しかしライナスは、機嫌良さげに笑った。


『なんだ今の…知らねぇ魔法だ。オリジナルか? 相変わらず良いセンスしてやがる。これならルーデンスの《纏鎧》を削ぐ位出来そうだな。この規模なら躱わすのも困難——』


 感嘆した様に口にするライナスの背後より、暗黒の濃霧よりローファスが飛び出した。


 ローファスの手には《命を刈り取る農夫の鎌》が構えられ、その深淵の如き刃がライナスに向けて振り下ろされる。


 ライナスは咄嗟にその刃を暗黒鎌ダークサイスで受けた。


『…——おめぇ、ロー坊…なんで出て来た』


 呆然とした様に呟くライナスに、ローファスは答えず、そのまま《命を刈り取る農夫の鎌》を押し込む。


 暗黒鎌ダークサイスは罅が入り、次の瞬間には真っ二つとなる。


 ライナスの暗黒色の左腕が、無情にも宙を舞った。


「…チェックメイトというやつか? クソジジイ」


 深淵の如き刃をライナスに向け、ローファスは睨む。


 ライナスは失った左腕をちらりと見、続けてローファスを睥睨する。


 そして——失望した様に息を吐いた。


『…なあロー坊よぉ。何で今、首を狙わなかった。まさか、肉親への情とか言わねぇよな?』


「あ?」


『今の一連の魔法——常人にゃ真似出来ねぇ魔法の連発…それでも尚、おめぇは九分九厘魔力を残してんだろう。すげぇよ、マジですげぇ。その戦術的余裕タクティカルアドバンテージは、この世界でおめぇしか持てねぇだろうよ』


「…何が言いたい?」


『だからよぉ。なんでその優位を捨てて、俺様の目の前に出て来ちゃってんのよ。何、馬鹿なの? 死ななきゃ直んねぇなら、いっぺんマジで殺してやろうか』


「…貴様。立場を分かっているのか?」


 片腕を失い、全身ボロボロの満身創痍。


 右手に持つ暗黒鎌ダークサイスは、刃部分を失っており戦いの役には立たない。


 その上で、《命を刈り取る農夫の鎌》を向けられている。


 誰の目から見ても勝敗は明らか。


 しかしライナスは、その余裕の態度を崩さない。


『言うに事欠いてチェックメイトだぁ? そりゃ勝利した相手を殺した時に口にする言葉だろうが』


 ライナスの失われた左腕より流れ落ちる血が、破損した暗黒鎌ダークサイスに収束していき、刃を象っていく。


 そしてその鎌はその形を収縮させていき——《命を刈り取る農夫の鎌》へと変化した。


「——な!?」


 魔法の変化、初めて見るその現象にローファスは目を剥いて驚く。


 その隙を突く様に、ライナスは《命を刈り取る農夫の鎌》を振り被る。


『過信、驕り、詰めの甘さ。それがおめぇの敗因だ——バカ孫』


「く——この…!」


 振り下ろされた《命を刈り取る農夫の鎌》に、ローファスもそれに応戦する。


 相対する二つの《命を刈り取る農夫の鎌》、ぶつかり合う古代魔法。


 凄まじい衝撃波が周囲に駆け抜け、視界に入る範囲の全ての雲が細切れに切り裂かれた。


 《命を刈り取る農夫の鎌》は、ローファスが知る中でも最高位の攻撃性能を誇る魔法。


 最強の盾が《生者を拒む禊の門》ならば、《命を刈り取る農夫の鎌》は正しく最強の矛と呼べる魔法。


 そんな最強の矛同士をぶつけ合うのは、ローファスからしても初めての事。


 ローファスは持ち前の膨大な魔力を自らの《命を刈り取る農夫の鎌》に注ぎ込んだ。


 しかし魔人化は、魔法を更に上の次元ステージへ昇華させる。


 魔人化したライナスが振るう《命を刈り取る農夫の鎌》は、正しく死の神が振るう鎌。


 拮抗は一瞬。


 ローファスの《命を刈り取る農夫の鎌》に罅が入った。


 ローファスの頬を、死の風が撫でる。


 次の瞬間、ローファスはその胴より血を吹き出した。


 力無く落下するローファス。


 それをつまらなそうに見下ろすライナス。


 深々と切り裂かれたローファスの胸の傷は、悠に心臓にまで達していた。

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