89# 別れの言葉

 王都の街は復興中。


 学園は、当然ながら暫く休校。


 場所は王都を囲む防壁。


「まさか、こんな事になるなんて…」


 復興中の半壊した王都を眺めながら、アンネゲルトはぼそりと呟いた。


 何事も無かった日常は、たった一日で塗り替えられた。


 幸いにも知り合いに死者は出なかったが、それでも少なく無い国民や騎士達が犠牲になったという。


 その上、レイモンドも行方不明。


 ローファスの拘束を解いて行方をくらませたと聞いたのは数日前。


 レイモンドの捜索には、当然アンネゲルトも参加した。


 ローファスに魔力援助を受けながら、超大規模の索敵魔法まで行使した。


 しかし、レイモンドは見つからなかった。


 まるで神隠しにでもあった様に、何の痕跡も見つけられなかった。


 後にローファスに届けられたというレイモンドからの手紙を見せられ、無事である事に一先ず安堵した。


 ローファスは怒っていたが、アンネゲルトは姿を消したレイモンドの気持ちが少し分かる気がした。


 操られていたとはいえ、自分の力で王都が壊滅の危機に陥り、住民にも多くの被害が出たとあっては、理不尽な暴力を嫌っていたレイモンドからすれば許せない事だろう。


 レイモンドを操った何者か、それをアンネゲルトは知らされていない。


 しかし、手紙の文面からしてきっとレイモンドは、自身を操った何者かを打倒する為に王都を離れたのだろう。


 本音を言うなら、腹が立つ。


 終始蚊帳の外だった事にも、事情を話してくれないレイモンドにも、そしてそんなレイモンドの信頼を勝ち得ていない自分自身にも。


 あのローファスにすら、手紙だけ残して消えたのだから、他の三人もきっと何も知らないだろう。


 巫山戯た話だ、友達だと思っていたのは自分だけだったのか。


 アンネゲルトは、むすっとした顔で防壁を歩きながら、魔石を回収する。


 それは召喚獣を強制的に元居た場所へ送り返す荊の結界を行使する時に用いた魔石。


 自身の魔力だけでは発動出来ない術式を成り立たせる為、趣味で集めていた最高級の魔石全てをその補助に用いた。


 アンネゲルトは現在、そうして使用し消費し切れずに残った魔石を回収して回っている。


 魔石の価値は高く、今回使用したものも、それこそ競売に掛ければ一つ一つが屋敷が建つ程に高価なもの。


 捨て置くには勿体無い代物だ。


 ローファスら三人にも回収を手伝って欲しいと声を掛けたが、皆揃って予定があり、行けるか分からないと言われた。


 これにより、一人でせっせと拾って歩く羽目になっている。


 尤も、今回消費した魔石は、同等のものを王家から褒賞とは別に補填されたのだが。


 加えて、ローファス——ライトレス家からも同等の魔石がアンネゲルトの実家たるトリアンダフィリア家に寄贈された。


 これにより、以前よりも魔石が二倍近くに増えてしまった。


 トータルで見るととんでも無い資産である。


 アンネゲルトは、王家からも貰っているからと断ろうとしたが、知らされた時には既に実家が受け取ってしまっており、ローファスからも「俺の指示で使ったものだろう」と返却を強く拒否された。


 それでもやはり納得出来ないアンネゲルトは、ローファスにはまた別の形で返そうと心に誓う。


 そんな事を考えつつ、アンネゲルトは魔力探知を用いて魔石の反応を探りながら防壁を歩く。


 結界の発動で荊の柱が出現した為、消費し切れなかった魔石は付近に散らばっている。


 置いた場所にある訳ではない為、一つ一つ探すのが非常に手間だ。


「おかしいわね…反応だとこの辺に…」


 きょろきょろと周りを見回すアンネゲルトに、ふと魔石が差し出される。


「探し物はこれかい? アンネ」


「あら、ありがとう」


 思わず受け取り、そして魔石を差し出して来た人物を見たアンネゲルトはぎょっと目を見開く。


「れ、レイ——」


「おっと」


 魔石を差し出してきた人物——レイモンドは、驚いて声を上げそうになったアンネゲルトの口を塞ぐ。


「静かに頼むよ。知っているだろう、追われる身なんだ」


 しーと、唇に人差し指を立て、悪戯っ子の様に微笑むレイモンドに、アンネゲルトは騒ぐのを止める。


 レイモンドはそっとアンネゲルトの口から手を離した。


「追われてるのは、貴方が行方をくらませたからでしょ。ローファスもみんなも、どれだけ心配したと思って…」


「それは…すまなかった」


 申し訳無さそうに謝るレイモンドに、アンネゲルトはそれ以上責める気になれず、溜息を吐く。


「それで、戻って来たって事は倒したの? 貴方を操ってたっていう…名前は知らないけど」


「そこまで聞いて…ああ、ローファスに宛てた手紙か」


 レイモンドは納得した様に呟き、首を横に振る。


「残念ながら、まだ手掛かりを追っている最中だ。これから国を出るから、アンネにはその挨拶に、ね」


 肩を竦めるレイモンド。


 アンネゲルトは目を剥く。


「国を出るって、なんで…」


 声を震わせるアンネゲルト。


 その直後、アンネゲルトの頭上でバチッと何かが弾けた。


 それは術式が焼き切れた音。


 目を見開くアンネゲルトに、レイモンドは肩を竦める。


「念話か。相手はローファスかな? 流石だ、油断ならないね」


「結界…対策済みって訳ね」


 レイモンドは、事前に周囲に結界を張り巡らせていた。


 それは、念話等の外部との連絡手段を禁ずる条件が課せられた結界。


 それはアンネゲルトでも気付けぬ程に洗練されたもの。


 これにより、咄嗟にローファスに連絡しようとしたアンネゲルトの念話は発動すら許されなかった。


「国を出る挨拶って…みんなには? なんで私だけに…」


「勿論、皆にも挨拶くらいはしたい…が、ヴァルムもオーガスも、聞けば私を止めようとするだろう。ローファスに至っては、今の私では勝てないしね」


「…私なら止めないって思ってるの?」


「自分一人では止められない、君ならそう理解しているだろう。だからローファスに連絡しようとした」


「…」


 図星であった。


 アンネゲルトは、優れた魔力操作と技術力を持っている。


 或いはその腕は、レイモンドをも凌ぐ程。


 しかし、他の三人とは違い、アンネゲルトは魔力量も素質も平凡。


 どれだけ技術があろうとも、地力の差があり過ぎて、一人ではどう足掻いてもレイモンドを止める事が出来ない。


「それより、ローファスと婚約するらしいじゃないか。おめでとう」


「は!?」


 唐突なレイモンドの言葉に、アンネゲルトは目を剥いて驚く。


「ちょ…なんでその事…て言うか、まだ決定じゃないし」


「あまり悠長にしていると、ローファスを誰かに盗られてしまうよ。彼は女性関係にだらしない様だからね」


 アンネゲルトはムスッと目を背ける。


「…よく、分からないのよ。ローファスをそういう目で見た事無いし」


「そうかい? 側から見るとその様にしか見えないが」


「そ、そうなの?」


「君達はよく行動を共にしていたからね。学園でも噂になっていた」


「その噂は、まあ…」


 確かに、アンネゲルト自身もそういった噂自体は聞いた事がある。


「それにアンネ…君、最近婚約者との婚約を破棄したんだろう? ローファスとの一件で」


「なんでそこまで知ってるの!?」


 その話はまだ公にはなっていない筈、とアンネゲルトは思わずレイモンドに詰め寄る。


 レイモンドは肩を竦め、その周囲に淡い光を放つ蝶々が舞う。


「私の身近な存在である君達の情報は、彼らが教えてくれるんだ。私の意思に関わらずね」


「何それ…光の、精霊…? それも召喚獣?」


「今の私は、もう召喚魔法を扱えない。彼ら・・は精霊ではなく、その下位——小精霊エレメントさ」


 小精霊エレメントは、自然が精霊と化す前の段階と言われている存在である。


 精霊の様な自我や意思を持たず、故にその姿を表す事も無い架空の概念、というのが王国での認識。


 しかし蝶々の姿をした小精霊エレメントは、表す筈の無い姿を見せ、まるで意思があるかの様にレイモンドの周囲を舞っていた。


 未知の魔法現象に、持ち前の研究者意識が刺激されたアンネゲルトは食い入る様に見る。


小精霊エレメント、実在したのね…確かに、精霊よりも存在が希薄——」


「あー…今は君とローファスの仲について話したいのだが」


 呆れるレイモンドに、アンネゲルトは目を細める。


「なに。レイモンドはそんなに私とローファスにくっついて欲しいの?」


「それは君次第…だが、私はアンネを応援していてね」


「応援って…」


「ライバルは多いという事さ。もう既に、幾人かはローファスの心をものにしているようだし」


「…は?」


 何気なく口にしたレイモンドの言葉に、アンネゲルトは固まる。


「それ、どういう…」


「今のローファスには、婚約者一名、寵姫一名…今後そういった関係に発展する可能性がある者は三名…否、最近もう一人増えたかな? これはアンネを除いたローファスの女性関係…」


「レイモンド…」


 アンネゲルトは絶句した様に口元に手を当てる。


「貴方…ちょっとローファスの事調べ過ぎじゃない? なに、やっぱりローファスの事好きなの? そう言う感じなの?」


「違う」


 ドン引きしつつも、後半はちょっと興奮気味に顔を赤らめるアンネゲルト。


 しかしレイモンドは、真顔でそれを否定する。


 そんなレイモンドに、アンネゲルトはふと首を傾げた。


「…もしかして、そういうのアステリア殿下にもしてた?」


「…」


 レイモンドは、露骨に目を逸らした。


「レイモンド…」


「違う。これは私の意思では無く、小精霊エレメント達が勝手に…」


「それ、止めさせる事は出来ないの?」


「…」


 レイモンドは再び目を逸らした。


「出来るんじゃない」


「いや、その…」


 珍しく狼狽えるレイモンドに、アンネゲルトは割と本気で心配そうに、そして諭す様に言う。


「一歩間違えたらストーカーよ? 幾らなんでも、それは褒められたものではないわ」


「う…うむ。その通り、だな…」


「でも、貴方のローファスに対する気持ちまで否定する気は無いの。寧ろ、それはとても素晴らしい事だと私は思…」


「だからそれは違うと言っているだろう」


 それだけは断固として否定するレイモンドに、アンネゲルトは「そう…」と残念そうに呟く。


 そんなやり取りをしつつ、レイモンドは話の最後に別れを告げる。


「では、もう行くよ」


「…そう。また帰ってくるのよね?」


「無論だ。でなければ、私の減刑の為に動いてくれた皆に申し訳が立たない」


「たまには連絡して。それと、何でも手伝うから。私やローファス、ヴァルムもオーガスも、貴方への協力は惜しまないから」


「…ありがとう」


 噛み締める様に微笑み、レイモンドはそのまま光の粒子となって姿を消した。


 光属性の転移——その行き先は、レイモンド以外誰も知らない。


 防壁に一人残されたアンネゲルトは、暫しレイモンドが居た場所をぼんやりと眺め、息を吐く。


「婚約者に、寵姫って…本当に女誑しじゃない——ローファスのバカ…」


 アンネゲルトは、拗ねた様に呟いた。



 因みにこの半刻程後、予定を終えたローファス、ヴァルム、オーガスがほぼ同時にアンネゲルトの元へ集まる事となり、魔石の回収は思いの外早くに終わったそう。


 しかし、今回のレイモンドとのやり取りを、アンネゲルトが話す事は無かった。


 それと、その時はローファスに対して、ほんの少しだけツンケンしていたらしい。

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