86# Re:エピローグ・ローグベルト
日の傾いた夕暮れ時。
ローファスは手紙の呼び出しに応じて王都の時計塔に赴いていた。
場所は時計塔の最上部、巨大な鐘の吊るされた鍾台。
封蝋にライトレス家の紋章が使われていた以上、無視する訳にはいかない。
恐らくは父のルーデンスだろう、とローファスは当たりをつける。
というよりも、ライトレスの紋章を公的に用いる人間が他に思い浮かばない。
仮病を使って表彰式に代理で参加させたものだから、直接小言を言う気なのだろう。
直接顔を合わせるのも久し振りではあるし、説教に付き合う位良いかとローファスは息を吐く。
それにしても、こんな見晴らしの良い場所で無くとも良かろうに、未だ復興作業の続く王都の街並みをローファスは眺める。
手紙には時刻も日付も記載されていなかった為、読んで直ぐにここまで来た。
少し待って、誰も来なければ帰ろう。
そもそも時刻も日付も記入していない時点で、召喚状としては不適切。
帰ったとして、咎められる謂れは無い。
しかし、ローファスは暫し、茜色に染まった王都の光景を眺めていた。
最近、ローファスには心が安まる暇が無かった。
学園生活ではアベルに対する警戒を怠らず、その上レイモンドからは、アステリアの内心を探れなどと懇願される始末。
学園内ではアベルから片時も離れようとしない色ボケ王女を相手にどう話を切り出そうかと苦心し、学年別トーナメントで漸くアベルと別々になったと話を切り出せば、異変を察知したアベルが突入してきた。
あの時、リルカの乱入が無ければ、ローファスはきっと苛立ちから本気でアベルを殺していただろう。
正しく、身に降り掛かる火の粉を払う様な気安さで。
六神を信用していないローファスからすれば、アベルが使徒だろうが、それが生かす理由にはなり得ない。
その後の、飛空艇での使徒同士の情報共有の場では、アベルの様子からまともに話にならないと踏んで、気を使って席を外した。
すると何故かリルカが追い掛けて来て、その際——
そして、レイモンドとアステリアに話し合いの場が設けられ、漸く話が綺麗にまとまったと思った矢先に、《闇の神》の介入による《
保有していた影の使い魔の総戦力を使う羽目になったり、その直後に帝国に飛ばされたり、割と無理して音速を超える速度で王都に蜻蛉返りした直後に、消耗の激しい魔人化まで使う羽目になった。
「しかし…こう言っては業腹だが、
奴——
ひょんな事から手渡された魔法具——刺した者を強制的にゴースト化させる小刀があったお陰で、結果的にレイモンドを殺さずに済んだ。
まるで、現状を打破する為に仕向けられたかの様な、好都合な魔法具。
ある種それは、転移させられた事を含めたとしても、ローファスにとって好都合過ぎる展開であった——それこそ、何者かの作為を感じざるを得ない程に。
転移後、ひっそりと付けていた使い魔越しに、
そもそも伝説の蘇生効力のある魔法具を複数所持している時点で、その重要度はかなり高い。
他にも多種多様の魔法具を持つ事を考えると、懐柔して利用するのがベターだろうか。
かつて自分を殺した事を許す気にはならないが、ローファスとレイモンド——友人同士を殺し合わせたくなかったという点には、ローファスとしても思う所がある。
そして何より、何度殺されようと貫こうとする強い意志には、目を見張るものがあった。
繰り返し殺された、それを自身と重ねた部分もあるかも知れない。
レイモンドとの戦闘の一部始終を見ていたローファスは、
と、それはそれとして、レイモンドとの天上での戦闘以降——。
それからは休む間も無く、自棄を起こしかねないレイモンドの拘束、並行してレイモンドの減刑を望む嘆願書の作成、また作成の為に父ルーデンスへ念話で事情を伝えつつ、各方面に奔走し協力を願って回った。
その結果、協力を要請した一人である聖女フランの声明により
しかも、嘆願書の連名を各貴族家へ願い出た際には、何がどうなったのか、アンネゲルトとの婚約の話まで出る始末。
アンネゲルトには元々婚約者が居た筈なのだが、それはどうなったのか。
考えていたら目眩がしそうになり、ローファスは雑念を飛ばす様に頭を振るう。
今はこれ以上考えるのは止めよう。
本気で知恵熱が出そうだと、ローファスは深い溜息を吐く。
そうこうしていると、時計塔の鐘が間近で鳴り響いた。
「…ここまでだな。時間を無駄にした」
普段見ない景色をゆっくり見れた事だし善しとしよう、そう思う事にして帰ろうとした所で、背後よりこつりと足音が響く。
咄嗟に放った魔力感知により懐かしい反応を感じ取り、足音の方へ自然と視線が向かう。
向かった視線の先に居たのは、学園の制服をラフに着崩した淡い金髪の少女。
そこに居た人物を目にし、ローファスは目を見開いた。
少女はローファスと目が合うと、少し照れ臭そうに頰を掻く。
「…よ、よう」
「——フォル…」
それは、実に三年振りの、再会だった。
*
「…ひ、久し振り」
少しだけぎこちない口調でそう言いながら、フォルはローファスの隣に立った。
向かい合うのが気恥ずかしくて、フォルはローファスに並ぶ形で茜色に染まった王都を見下ろす。
「…あの手紙は、お前か?」
「手紙…? あー…多分カーラだな。再会なら絶対ここにしようって…色々セッティングしてくれた」
「カーラ…カルデラの事か? カルロスの孫娘の」
「そうそう、カルデラ。カルロスの——ってカルロスの孫なのかアイツ!?」
初めて知る驚愕の事実に、フォルは目を見開いて驚く。
ローファスは少し呆れ気味に笑う。
「なんだ、知らなかったのか」
「だって、カーラもカルロスも、そんな事一言も…」
「三年近くも一緒に居てか」
「アイツ、あんまり自分の事話さないからなぁ…」
話していて、ふとフォルはローファスの物言いに違和感を覚える。
そして目を丸くした。
「…知ってたのか。魔の海域の開拓の事」
「カルロスの奴は上手く隠していたつもりの様だったがな。気付かぬ訳が無い。特にあの地域の事業は、俺の管轄でもあったからな」
ローグベルト周辺の地域——クリントンの悪政により経済的に疲弊した一帯で、ローファスは葡萄園に、養蜂場、酒造と、経済回復の為に色々と新しい事業を起こして人の雇い入れを行なっていた。
フォルは気恥ずかしさと、そして少しだけ、やはりと得心する。
「…開拓中、一回だけローファスの魔力を感じた時があった。初めて災害級の魔物と遭遇した時だ」
フォルは、開拓時に初めて災害級の魔物——
本来であれば、カーラが対応する筈であった所、突如として海の底より暗黒の触腕——ストラーフが現れ、三つ首の
それは、ローファスが魔の海域に番犬として放っていたストラーフが仕事をしただけ、とも取れる。
その場にいたカーラも、そう認識していた。
しかしフォルは——フォルだけはその時、僅かにローファスの魔力を、気配を感じた様な気がしていた。
ローファスは、それに肯定も否定もしない。
しかしその反応を見たフォルは、より確信を強めた。
見ていてくれていた、そう思うと、胸の奥が熱くなった。
フォルは衝動的にローファスに向き合い、袖を控えめに掴む。
そして、ローファスを真っ直ぐに見つめ、口を開く。
「貴族に、なった」
「…あぁ」
「アタシ、貴族になったんだ…!」
「あ、ああ」
ぐっと距離を縮めて改めて口にするフォルに、ローファスは気圧される様に仰反る。
フォルが着る学園の制服——その襟には、貴族の証たる金のラインが入っていた。
「学園に、入学するのか?」
「しない」
「はぁ? なら、何故制服を…」
「これはカルロスにサプライズでって渡された。あと、今それは良い」
「あ、ああ…」
強制的に話題を戻され、ローファスは動揺しながらもフォルから目を離さない。
フォルはローファスの手を取り、そして顔を俯かせる。
「…表彰式で、王様から正式に爵位を貰った。階位は子爵」
「子爵…!?」
ローファスは目を剥いて驚く。
平民から貴族になる場合、基本的に余程な事がなければ最下位の準男爵、大きな功績が認められても男爵である。
平民がそれらを飛び越え、下級貴族の最上位たる子爵となる。
これはローファスが知る中でも、前代未聞の事。
驚くローファスに、フォルは続ける。
「…足りないか?」
「なに…?」
「まだ、アタシはお前と同じ世界に立てて無いか?」
フォルの問い掛けに、ローファスは暫し沈黙し、そして手を握り返した。
「…無理難題を言ったと、そう思っていた。平民に、貴族に成れなどと…」
ローファスの言葉に、フォルは静かに耳を傾ける。
「だが、お前は約束通り貴族に成った。しかし、三年だ。今のお前ならば、引く手数多だろう。俺以外にも、十分に選択肢は…」
「ローファス」
フォルは、ローファスの言葉を遮った。
そして、優しくローファスの頰を触れる。
「背、伸びたよな。昔はアタシより低かったのに」
三年前と違い、今では見上げる程に背の伸びたローファスに、フォルは微笑む。
「強くもなったよな。空で戦ってるの見た」
「あ、あぁ」
フォルの言葉の意図が読めず、生返事を返すローファス。
それにフォルはにっと笑い、ぐにっとローファスの頰をつねった。
「——!?」
意味が分からず、驚くローファス。
フォルは悪戯っ子の様に笑った。
「なのに、気は小さくなったか? 前はもっと自信満々だったろ。俺以上の男はいない! 俺様最強! みたいな感じでさ」
「…そんな間抜けな事、言った覚えは無いのだが」
「でも最強なんだろ?」
「まあな。俺が最強なのは純然たる事実だ」
否定せず、寧ろ全力で肯定するローファスに、フォルはそれがおかしくてまた笑った。
「だったらさ、今更アタシを試す様な事言うなよ。アタシは、お前の横に立つ為に貴族を目指してたんだぞ。それともアタシの事、まだ嫌いか?」
嫌い。
それは以前、告白して来たフォルにローファスが放った言葉。
「…気にして、いたのか」
「当たり前だ。好きな奴から言われたら、普通に落ち込むだろ」
フォルの言葉に、ローファスは申し訳なさげに目を伏せる。
「すまなかった…本当は、嫌いではなかった。今も昔も、
「…っ」
ローファスの言葉を受けたフォルは、耳の先まで赤く染め、仰反る様に数歩退がった。
「ぁ…ローファ——」
茹ダコの如く頰を真っ赤に染めたフォルが口を開いた所で、暗くなって来た夜空に花火が打ち上がった。
ドン、ドンと轟音を響かせながら、夜空を彩色の火花が明るく染める。
花火なんか上げる予定あったか? と、ローファスは怪訝そうに眉を顰め、対するフォルは魅入る様に目を見開いた。
辺境育ちのフォルは、ここまで見事な花火を見るのは初めての事。
フォルは感動した様に呟く。
「…綺麗だな」
ローファスは答える。
「あぁ——綺麗だ」
二人で並び、暫し打ち上がる花火を共に眺める。
そして、花火に明るく照らされるフォルを、ローファスは真っ直ぐに見据えた。
「…あの時、魔法を放ってくれたな。背後に現れた竜種のブレスから、俺を守る為に」
「ん、まあな。アタシだけじゃなかったけどな」
「あれが無ければ、どうやら俺は危なかったらしい。だから——」
「…だから?」
「願いを言え。俺に出来る範囲で聞いてやる」
ローファスからの思わぬ提案に、フォルは目を丸くする。
「太っ腹だな。なんでも良いのか?」
「無論だ」
「それ…結婚したい、とかも?」
「お前がそれを望むなら」
「…ほーう? ふぅーん、そういう感じか」
意味ありげに目を細めるフォル。
んー…と、フォルは少し悩む様に頭を傾け、ちらりとローファスを見る。
「ローファスはさ、仮にアタシと結婚したとして…アタシ以外に嫁を娶る予定はあるのか?」
「…うん?」
フォルからの予想外の問いに、ローファスは困惑しつつ、視線を明後日の方へ向ける。
「…今の所、予定は無い。が、可能性はゼロでは無い。貴族である以上、政略婚は常に選択肢としてある…無論相手は選ぶが」
ローファスは、脳裏に先日婚約話が上がった学友の姿を浮かべながら言う。
そんな微細な変化を感じ取ったフォルは、目を細めてローファスのネクタイに手を伸ばし、きゅっと引き寄せる。
「今、他の女の事考えたか?」
「…さあな」
露骨に目を逸らすローファスに、フォルは軽く溜息を漏らす。
そして、改めてローファスの目を真っ直ぐに見据え、口を開く。
「まあ良いや。なら願いは、その嫁の候補にリルカを入れてくれ」
「はあ?」
ローファスの口から、困惑の声が上がる。
フォルの願いは、ローファスの思いもよらぬものだった。
願いに対する第一声が承諾ではなかった事に、フォルは眉を顰める。
「なんだよ。何でも良いって言ったのローファスだろ」
「いや、確かに言ったが…てっきり結婚しろと言われるものとばかり…と言うか、何故今リルカが出てくる?」
以前、フォルに会ったとリルカから聞いた事はあった。
その時にフォルとローファスの間で何があったかまで知られていた為、ある程度の関係にはなったのだろうが。
しかしそれでも、この場面でリルカの名前を出された事に、ローファスは疑問を抱かずにはいられない。
「リルカには、魔の海域の探索を少し手伝って貰ったんだ。それもあって、予定より早く貴族に成れた。リルカのお陰で、あの戦いにも間に合った」
それに、とフォルは続ける。
「この借りは、利子付きで返すって約束したしなぁ」
そう言いながら、フォルは頰をぽりぽりと掻く。
「どんなやり取りをしたかは知らんが、それで普通嫁候補に推すか? それに…これにはリルカの意志確認もいる。俺の一存でどうにかなる問題でもない」
「成る程。つまりリルカが良いって言ったら嫁にしても良いとは思っている、と」
「…フォル」
ローファスは頭痛に悩む様に頭を抱え、それにフォルはしてやったりと笑った。
「…揚げ足を取るな。それとも俺をからかっているのか?」
「拗ねるなよ。大体、結婚なんて大事な決定、二人で決めるもんだろ。それを、アタシの一存で決めさせようとしたんだ。しかも、“願いを言え”だぞ? それで結婚は…なんか嫌だろ」
「う、む…そうか、確かにそうかも知れん…すまん」
何やら叱られている様な気分になり、ローファスは謝罪を口にする。
それにフォルは「へー、素直じゃん」と少し驚いた様に笑った。
「…それに、アタシの気持ちはもう三年前に伝えてる。貴族に成れって言われたから成った。だから——アタシは、ローファスの返事が欲しい」
「…そうか」
真っ直ぐに見つめて来るフォルの青い瞳を、ローファスは見つめ返す。
そして、意を決した様に口を開く。
「…フォル、俺は——」
夜空に鳴り響く、一際大きな轟音。
明るく彩色に染め上げる一際大きな花火。
ローファスの答えを聞いたフォルは、少し涙ぐみながら満面の笑みを浮かべた。
そしてその手を、ローファスの背に回す。
「…
「あぁ」
短いやり取りの後、花火に照らされた二つの影は、一つに重なった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます