84# 終結

 フォルはその時、初めて見た。


 カーラが剣を抜く所——否、正確には納刀する所を。


 突如暴風と共に現れた白い巨虎の魔物。


 対峙するだけで動けなくなる程の圧倒的威圧、本能的恐怖。


 しかし想定を遥かに超えるその怪物は、何か行動を起こす前に、真っ二つになって息絶えた。


 アステリアは恐怖の面持ちでへなへなと座り込み、メイリンは呆然と動けないでいた。


 誰がやったかなど、明白であった。


 フォルは、カーラが剣を抜く所も、斬る所すら見えなかった。


 ただそこには、“斬った”という事実が残されていた。


 カーラは目を丸くするフォルの視線に気付くと、ばっと勢い良く頭を下げた。


「…かなり危険な魔物でしたので、勝手ながら処理致しました。出過ぎた真似をして申し訳ありません、ファラティアナ様」


 土下座しそうな勢いのカーラを、フォルは慌てて止める。


「い、いやいや! なんで謝ってんだよ、助かったって。ていうか、それなりに強くなったつもりだったけど、アタシもまだまだだなぁ」


 卓越した剣の腕を見ながらも、いつも通りに接し、苦笑しながらぽりぽりと頬を掻くフォルに、カーラは感極まった様に手を取った。


「そんな事ありませんっ! フォル様は最高ですっ!」


「お、おおう…急にどうした…」


 食い気味のカーラに、引き気味のフォル。


 二人のそんなやり取りに緊迫が解け、表情を和らげるアステリア。


 メイリンはじっとカーラを見据え、ぼそりと呟く。


「鮮血の如き赤髪に、未だ幼さの残る出立、そして視認出来ない程の神速の剣——間違い無い…ライトレスの《天剣》か」


 メイリンの呟きに、カーラはぴくりと反応を示す。


 《天剣》。


 それはカーラ——ネームドの暗黒騎士、カルデラ・イデア・コールドヴァークに付けられた二つ名。


「…私の事をご存知で?」


「知らぬ訳が無い。当方も一応、軍部に身を置く身の上。噂は予々。まさかライトレス家の暗黒騎士第三席殿・・・・とこんな所で会えるとは」


 光栄だ、と頭を下げるメイリンに、カーラは一瞬冷ややかに目を細め、ニコリと笑って見せた。


「私の事は、どうぞカーラとお呼び下さい…その呼び名、嫌いなんですよ。筆頭以外の数字なんて無意味です。そうでしょう——王国魔法師団の筆頭殿?」


「う、む…そうか、今後は気を付けよう。カーラ殿」


 笑顔に反して冷ややかな声のカーラに、メイリンは息を詰まらせつつも頷く。


 そんな二人のやり取りを尻目に、アステリアは気遣わし気にフォルを見る。


 フォルは、険しい面持ちで天上——ローファスを凝視していた。


「…ねぇ、どうかしたの?」


「いや…今、声が…」


 フォルは、何か声が聞こえた様な気がした。


 聞き間違いとも取れる細やかな声。


 しかし聞こえたその言葉は、到底フォルが無視できるようなものではなかった。


 何せその謎の声が伝えてきたのは、ローファスに危険が迫っているというものだったのだから。


 天上の戦いは既にほぼ決着しており、遠目から見てもローファスが勝利を収めているのは明白。


 敵対者であろう白い魔人も既に人の姿に戻っており。戦意を喪失している様に思える。


 その筈なのに、フォルはどういう訳か言い知れない不安に苛まれる。


 フォルは衝動的に、魔力を爆発的に高めた。


 ローファスにもしもの事があってからでは、全てが遅い。


「——ルナ。ブレスだ、今直ぐ、最大火力!」


「フォル様!?」


 カーラが驚きの声を上げるが、フォルは無視して魔力を高める。


 背後に現れたルーナマールは、やれやれと溜息混じりにその姿を変容させる。


 ルーナマールのタツノオトシゴの如き姿は、胴が蛇の様に伸び、鱗が刺々しく逆立った。


 頭部には一対の螺旋角、口は裂け鋭利な牙が並ぶ。


 その姿は、正しく竜種。


 水竜と化したルーナマールは、フォルから魔力を吸い上げ、体内に多量の水を生成する。


 そして大口を開け、ローファスの背後に向けて超高圧の水圧ブレスを放った。



 同時刻、飛空艇。


 唐突な巨大な火の鳥の出現と、その消滅に《緋の風》の面々は酷くどよめいていた。


 いきなり絶対絶命かと思いきや、突然の落雷が火の鳥を穿った。


 飛空艇の甲板では、《緋の風》の面々がおり、その中でも遠距離攻撃組——リルカの魔法、ホークの魔導銃、エルマの弓で周辺を飛び交う鳥型の召喚獣を相手に応戦していた。


 無論、突然の火の鳥の出現と消滅には、皆一様に開いた口が塞がらないといった様子であった。


 しかしその最中、リルカに対して風が吹き抜ける。


 それは今となっては懐かしさすら感じる、約三年振りの——風神の導。


 その風は、リルカに風神の意思を明確に伝えた。


 ここまで明確なメッセージは、これまでに無かった。


 風神の意思を受けたリルカは、「嘘…」と呟き、血相を変えて天上の戦い——ローファスに意識を向ける。


 そして一切の迷い無く、残りの魔力を全て込めた魔法を発動した。


 それはかつて、戮翼デスピアが用いた風の斬撃——《凪断ち》。


 それをリルカ流にアレンジし、魔力効率と質を極限まで高めた真空の刃。


 真空の刃はリルカの魔力を喰らい、巨大な斬撃と化してローファスの後方に放たれた。


 突然最大出力の魔法をぶっ放したリルカに、その場に居合わせた《緋の風》の面々が目を丸くして驚いたのは言うまでも無い。



 同時刻。


 アベルは市街地民家の屋根に腰掛け、空を見上げて天上の白と黒の戦いを眺めていた。


『…ローファス、主人公じゃなくてラスボスだった件について』


 戦いとも言えぬ程に一方的な展開を見せる魔人化したローファスに、青い火の玉転生者は呆れた様な気の無い声を出す。


 唯一原作で魔人化が実装されなかったローファス。


 その理由の一端を垣間見た気がした。


 そりゃこんな敵が出てきたら誰も勝てんわ、と青い火の玉転生者は投げやりに呟く。


 対するアベルは、翡翠の魔力で魔人化したレイモンドを見据えながら、あの時仮に自分が封じられ無かったとして、果たしてあれ・・に勝つ事は出来ただろうか、とポーションを飲みながら考える。


 きっと加護無しの今の状態では手も足も出ず、結局は青い火の玉転生者の魔法アイテム頼りになっていた。


 自分はまだまだ弱い。


 強くならねば、そう決意を新たにしていると、無数の火の粉が視界の端で舞った。


「…!」


 それは、アベルが初めて受ける——火神の導。


 火神の指令が、アベルの脳内に響く。


 火神から下された指令、それは敵対者の排除。


 ローファスに仇なす敵対者を即刻排除せよ、絶対にローファス自身に対処させてはならない——というもの。


「唐突過ぎるだろう…!」


 その意思を受けたアベルは、ぼやきつつも急ぎ手の中に蒼炎を集中させる。


 狙いはローファスの背後、その空間の歪み。


『な、なに!? どしたの急に!?』


「ローファスの身が危ないらしい!」


 驚く青い火の玉転生者に返答しつつ、アベルは圧縮した蒼炎を放たんとする——その刹那、どういう訳か火神よりストップが掛かる。


「——は!? 何故…!?」


 急遽魔法を放つのを抑え、疑問の声を上げるアベル。


 火神からは、ただ“不要になった”とだけ返ってきた。


 間も無く、雷・水・風の三属性がローファスの背後に現れた複数の竜種を軒並み粉砕した。


「ヴァルムにリルカ、そしてこれは…ファラティアナ、か…?」


 アベルの驚く声が漏れた。



 王都の端の市街地の一角にて、光の障壁がドーム状に展開されていた。


 中には学園の生徒や、保護された住民が集められている。


 上級の魔法使いである教師陣は騎士団に合流し、逃げ遅れた国民の救助に当たっていた。


 光の障壁は召喚獣の侵入を完全に防いでおり、それを展開する術者は民家の屋根にて胡座をかき、天上の戦いを見守っていた。


 学園長アインベル。


 そしてその隣には、白の宝玉がふわふわと浮いていた。


「…む。そうじゃな、不要な様じゃ。しかし、今回のローファス君は随分と皆に好かれておる様じゃのう」


 学園長は、光の魔法の発動を止め、ほっほと楽し気に笑う。


「しかし《闇の神》も抜け目ないのう。まさかローファス君を…いや、逆に手段を選ぶだけの余裕が無くなってきているという事か」


 白の宝玉は明滅し、姿を消す。


 学園長は首を傾げた。


「ふむ…ローファス君とは一度会って話した方が良さそうじゃの」


 呟いた直後、三属性の奔流が天上にて瞬いた。



「…ここまでの見事な横槍は、正直想定外だった。ヴァルムと彼女等に感謝する事だ。君自身が迎撃してくれていたなら、こちら側・・・・の勝利だったというのに」


 ローファスに刃で心臓を一突きにされたレイモンドは、三属性の魔法の前に息絶え、光の粒子として霧散する竜種達を見遣りながら言う。


 ローファスは竜種に何か細工でもされていたのか、と目を細める。


 特定の攻撃、或いは個人の魔力に反応して発動するタイプの術式——迎撃か、特殊な効力を発揮するトラップか。


 竜種が光の粒子と化した今となっては、如何にローファスといえど術式の解析は出来ない。


 ただ、舞い散る光の粒子に纏わりつく翡翠の魔力からは、かなり嫌な気配が感じられる。


 ローファスは目を細め、レイモンドを睨む。


「結果が全てだ。敗者の貴様が何を口にしようが、負け惜しみでしかない」


「その通り、私の完敗だ。もうとして話せる時間も幾ばくも無い——これは、この趣味の悪い呪具の効力だろうね」


 レイモンドに突き立てられた刃。


 それはアベルから拝借した、刺した対象を強制的にゴースト化させる効力を持つという小刀。


 ローファスの狙いは、最初からこの小刀をレイモンドに使用する事。


 強制的にゴースト化させ、魂を肉体から切り離すという特性のこの呪具は、この状況を打開する唯一と言っても良い解決策であった。


 アベル転生者よりこの小刀を手渡された瞬間から、ローファスはここまでの道筋を思い描いていた。


 帝国まで転移させられたのは流石に想定外であったが。



 レイモンドの突き立てられた傷口から、翡翠の魔力がみるみる内に抜けていく。


 レイモンドは、まるで憑き物が落ちたかの様な顔で、目を伏せた。


「精神汚染とは、よくいったものだな。まるで、悪夢でも見ていたかのようだ…ヴァルムも、すまなかった。生きていて何よりだ」


「あの程度で、俺が死ぬ訳無いだろう」


 何でも無いかの様に言うヴァルムに、レイモンドは苦笑し、そしてローファスを見た。


「…世話を、掛けた」


「全くだ」


「もし伝わるなら…《影狼》の方の君にも、謝りたい。前回は私の弱さ故に、道を違ってしまった。すまなかったと」


「残念だが貴様と違い、俺はもう・・乗っ取られる事はない」


 ローファスの言葉に、レイモンドは静かに目を閉じる。


「そうか…オーガスやアンネにも謝りたかったが、もう時間だな…」


 その身より、翡翠の魔力が完全に抜け切り、それと同時に《第二の魔王レイモンド》の意思が肉体から切り離される。


 ゴースト化したレイモンドは、光の粒子と化して天へ昇っていく。


 それはまるで、成仏でもするかの様に。


『ローファス…世界を、任せる』


 《第二の魔王レイモンド》は、最期に微笑み、光となって消えた。


 光の粒子は天へと還る。


「任せるな、そんな大それた事。貴様の理想は己の手で完遂して見せろ——レイモンド」


 《第二の魔王》が肉体から離れ、意識を失ったレイモンドを抱き寄せ、ローファスは呟いた。



 《第二の魔王》が消えてから間も無く、制御を失った召喚獣はより凶暴化する事となった。


 王都に放たれた膨大な数の召喚獣は、その八割が騎士団、魔法師団と、ローファスの影の使い魔により駆逐されていた。


 そして未だ生存している残り二割は、その殆どが討伐し切れない程に強力な個体ばかりとなっていた。


 これまで破壊活動に重きを置いた行動を取っていた召喚獣は、その動きを一変させる。


 それは破壊から、虐殺へのシフト。


 《第二の魔王》の目的は飽く迄も王都の機能停止であり、召喚獣にもその様な指示が出されていた。


 しかし、《第二の魔王》亡き今、召喚獣は、元来の魔物としての本能を優先させる。


 そこにあるのは飢えを満たす為の獲物の捕食と、弱者を嬲る残虐性。


 これまでと行動パターンを変えた召喚獣は、獲物を求めて王都を巡る。


 そして召喚獣達は、これまでは敢えて見逃していた、国民の避難所に目を向けた。


 騎士団や魔法師団でも倒し切れない力を持つ魔物が、避難所に集まる国民を喰らわんと迫る。


 それは正しく、国民の危機。


 しかしここで、召喚獣達の動きが止まった。


 より正確には、地面より伸びた荊棘の蔓が、召喚獣に纏わりついて拘束していた。


 荊棘の蔓は、王都全域に現れた。


 防壁より、王都を囲む様に天に聳える72の巨大な荊棘の柱。


 荊棘の柱同士が魔力を放ち合い、王都を魔力で構成された膜が包み込んだ。


 それは、アンネゲルトが多大なる準備の末に発動した大魔法。


 王都全域を対象とした荊の結界。


 結界に施された術式内容は、召喚魔法により喚び出された魔物の、強制送還。


 地面より伸びる荊棘の蔓は、召喚獣を締め上げると、そのまま地面に開いた亜空間の穴に引き摺り込んでいく。


 召喚獣達は、瞬く間に姿を消していった。


 天上よりその光景を見たローファスは、暫し目を丸くし、口角を釣り上げた。


「荊の結界…! アンネゲルトか!」


 ローファスの期待通り…否、期待以上の働き。


 それはローファスが見惚れる程の、緻密に練られた最高位の結界。


「この精度でこの規模…オーガスも手伝ったのだろうが、こうも易々と成功させるとはな」


「…今回、俺は役立たずだったらしいな」


 ヴァルムは黄金竜殻を解き、自嘲する様に肩を竦めて見せた。


 ローファスは喉を鳴らして笑う。


「くっく…そうだな」


「そんな事はない…という慰めを待っていたのだが?」


「いやいや、言い訳のしようも無く、貴様は役立たずだったろう。大方隙をつかれて転移を食らったのだろうがな」


「相手はレイモンドだぞ。油断もする」


 暫し笑い合った後、ローファスはじっとヴァルムを見据える。


「何も聞かんのか? レイモンドの事を」


「…あれは、レイモンドであってレイモンドではなかった。俺からすれば、それ以上の情報は不要だ」


 それに、とヴァルムは続ける。


「必要であれば、お前から話すだろう」


 真っ直ぐな目でヴァルムに見られ、それにローファスは目を丸くする。


 そして思わず吹き出すと、腹を抱えて笑い出した。


 それはもうケラケラと、ヴァルムが眉を顰める程の大笑。


 一頻り笑い、目尻に浮かぶ涙を拭ってローファスは言う。


「…いつの日か、気が向けば話してやる」


「何だそれは」


 その会話を区切りに、二人は地上へと降りる。


 眠るレイモンドを抱えながら。

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