79# 取引

「ロー君!」


 学園へ向けて飛翔していた所、飛空艇が並走する様にデスピアの隣についた。


 甲板から乗り出したリルカが、ローファスに呼び掛ける。


 ローファスは軽く舌打ちし、デスピアを消して甲板に飛び移った。


「…なんだ。急いでいるのだが」


「これ…一体何が起きてるの?」


 王都の惨状を指して言うリルカに、ローファスは肩を竦める。


「見ての通りだ。王都が魔物の群に襲われている。今、その鎮圧に当たっている」


「そっか…ロー君なら事情を知ってるかもって思ったけど、分からないんだね…」


 邪魔してごめん、と肩を落とすリルカ。


「なら、私達も手伝うよ」


「…そうしろ、手が足りん。貴様は市街地の方を——」


「——レイモンドの暴走、だよね?」


 ローファスが言い掛けた所で、船室から出て来たアベルが言葉を被せる様に言った。


「貴様…」


 ローファスは露骨に眉を顰め、アベルを威圧的に睨む。


 そんな視線を受けても、アベルは気にする様子も無く、ただ黒煙が上がる王都を見下ろす。


「…王都を襲う魔物——見覚えのあるのが何体か居た。俺の記憶が正しければ、レイモンドの召喚獣だ。って言うか、リルカも気付いてるでしょ」


 アベルに呆れた様に見られたリルカは、気不味そうに目を逸らす。


「レイモンドの召喚獣、ローファスが知らない訳無いよね?」


「…何が言いたい。此度の王都の襲撃、俺がその仲間だと?」


「ちょ、何言って…!」


 リルカがそんな馬鹿な、とアベルに目を向けるが、当のアベルは肩を竦めるのみ。


「いや、それは無いね。黒い魔物は、レイモンドの召喚獣を襲っている——まるで王都を、国民を守る様に」


 アベルは、真っ直ぐにローファスを見つめる。


「ローファスが悪だとは、もう思って無いよ」


「悪…チープな言葉だ。貴様の下らぬ物差しで測るな」


 そう悪態をつくなよ、とアベルは苦笑しながら、言葉を続ける。


「…もう気付いてるだろうし、元々隠す気も無いから言うけど、俺はアベルじゃない。初めまして——でもないかな、入学式で会ったし」


 目の前のアベルの姿をした、アベルでは無い誰か。


 ローファスがこうして面と向かって言葉を交わすのは、入学式の時を含めて二度目の事。


 しかしローファスは、強烈な既視感と拒否感を覚えていた。


 そして、暫しアベルを眺めて、その感覚の正体に思い至る。


「…いや。入学式が、初めてでは無い」


 肩を震わせながら、どす黒い瞳でアベルを見るローファス。


 アベルは首を傾げた。


「…ん? でも、それ以前に会った事なんて——」


 ローファスは一歩踏み出し、アベル言葉を遮る様に胸倉を掴み上げた。


 抑えきれない怒りと苛立ちが、ローファスから溢れ出す。


「ちょ、ロー君!?」


 リルカが止めようと縋るが、ローファスは意に介さない。


「貴様の言葉、覚えているぞ…“根暗”、“ダサいローブ”、他にも“性格ブスの顔だけ男”だったか?」


 怒るローファスに、「え、え?」と意味が分からずに混乱するリルカ。


 ローファスに詰められたアベルは、掴み上げられたまま、あちゃーと掌で顔を覆う。


「…あー、それ・・は確かに俺だわ。てか、聞こえてたの? マジ? うっわ…やっぱ二千万回ってそういう? あー、それは本当に申し訳無い」


「貴様…あの時はよくも殺してくれたなぁ!?」


 それは、かつてローファスがかつて見た夢——物語の夢の翌日に見た、二千八十万二千一回、無惨に殺害される夢。


 繰り返される死の中で、ローファスは数々の暴言と嘲笑を浴びた。


 ローファスの目の前に居るアベルは、間違い無く自分を殺した者の一人。


 それは何度も殺されたローファスの本能が、そう告げていた。


 アベルは気不味そうに目を逸らしながら、お手上げのポーズを取る。


「…リルカから話を聞いて、まさかとは思ってたけど。二千万…“ヴァイス・ストーリー”の初年度の世界売り上げ本数が確かそれ位だった。ローファスが殺されたって回数と一致する。そっか…それじゃローファスはアベル本人とじゃなくて、俺との間に因縁があったんだね」


「貴様が何なのかは知らん。だが、よくもおめおめと俺の目の前に出て来れたものだな」


「それは本当にごめん。俺は確かに、少なくとも五回はローファスを殺してる。謝って済む話じゃ無いのは分かってるけど、マジで悪気は無かった」


「…殺す」


 ローファスは空いた左義手に暗黒鎌ダークサイスを生み出し、アベルの首筋に刃を沿わせる。


 アベルは慌てた様子も無く、静かに答える。


「俺個人への恨みは仕方無い。でも、それならアベルは関係無い」


「関係無いから、アベルの肉体の中にいる自分の事も見逃せと?」


「いや、そうじゃない…そこで、取引」


「あ?」


 ローファスは眉を顰めつつ、両手を上げたまま抵抗の意思を見せないアベルを下す——無論、鎌は向けたまま。


 アベルは反抗の意思が無い事を示しつつ、懐から魔法アイテムを取り出し、ローファスに見せる。


 それは、柄に髑髏の装飾が施された禍々しい小刀。


「何だそれは」


「生者を強制的にゴースト化させる魔法アイテム。一時的にだけどね。やった事は無いけど、多分これを使えば俺だけアベルの身体から切り離せる」


 アベルより手渡され、それをローファスはまじまじと観察する。


 小刀には、あまり現代では見ない術式が込められており、ローファスは「古代遺物アーティファクトか」と推察する。


 小刀に込められた術式は、以前文献で見た、古代に廃れた死霊魔法のものと特徴と一致する。


「どうやって使う?」


「俺の心臓に刺せば良い。身体は傷付かないから」


「ほう」


 ローファスは興味深そうに髑髏の小刀を眺め、暗黒鎌ダークサイスを消して小刀をアベルに向ける。


「ならば、早速試すとしよう」


「ちょ、待って! 取引っつったじゃん!?」


 ここで初めて、焦る様に後退るアベル。


「取引だと? 何の要求をする気かは知らんが、小刀はこちらにある。それとも貴様曰く悪では無いという俺が、本当に殺しに来るとは思わなかったか?」


 呆れた様子で、まあものは試しだと小刀の切先をアベルに向けて突くローファス。


「うおっ!?」


 アベルは寸前で身体を捻り、ぎりぎりそれを回避する。


 しかし無理な身体の捻り方をしたのか、腰の辺りからグキっと鈍い音が発せられた。


「あああああー! 腰があああー!?」


 絶叫を上げながら、一人甲板を転げ回るアベル。


 ローファスはそれをゴミでも見るかの様に見下ろしながら、リルカに問う。


「…おい。何なんだこいつは」


「いや、それは私もよく分かんない。ていうか、ロー君と関わりがあるっぽいのが意外なんだけど」


 困惑と居た堪れ無さが入り混じった様な視線を転がるアベルに向けながら、リルカは答える。


 俺はこんなのに殺されたのか? とローファスは頭痛に苛まれる様にこめかみを抑え、しかしアベルのこの醜態に毒気も抜け、小刀を下ろす。


「…取引とは何だ。聞くだけ聞いてやる。手短にしろ」


 そもそも今はこんな奴に構っている場合ではなかった、とローファスは頭を冷やす様に深く息を吐き、学園の方を見遣る。


 一頻り転がったアベルは、覚束ない足取りで起き上がり、涙目で腰を摩りながら答えた。


「ローファスはレイモンドを止めに行こうとしてるんだよね。場所は前回と同じ学園?」


「だとしたら何だ。貴様には関係無いだろう」


「いや…レイモンドとは友達、なんだよね。なら、ローファスは戦わない方が良い。死ぬよ」


「なに…?」


 少しだけ軟化していたローファスの雰囲気に、再び険が生じた。


「俺の予想が正しければ、今のレイモンドは正常じゃない。誰の声も、例えローファスの声でも止まらない。それこそ、死ぬまでね。ローファスは、友達を殺してでも止められ——」


「——おい」


 アベルが言い終わる前に、ローファスは再びその胸倉に掴み掛かり、力任せに引き寄せた。


「知った風な口を聞くな。貴様程度が何を知っている」


「ローファスこそ、今のレイモンドの状態を何処まで把握してる? ほぼ間違い無く、《闇の神》に操られてるよ」


 《闇の神》、その単語を聞き、ローファスは目を細める。


「《闇の神》だと…? 出鱈目を。奴は…レイモンドは、《第二の魔王》だった頃の記憶を思い出しただけだ。それ以上でも、それ以下でも無い」


「認識の違いかな…そもそも原作も——《第二の魔王》レイモンドも、《闇の神》による精神汚染を受けて、王国に反旗を翻したんだ」


 諭す様に言うアベル。


 ローファスはそれを聞き入れず、激昂する。


「馬鹿を言うな! レイモンドが歪んだのは、最愛のアステリアに裏切られたからだろうが! あの女がアベルなどという平民にうつつを抜かした! それさえ無ければ、レイモンドは…」


「何言ってんの。そもそもアステリアとアベルが恋愛関係になったのは二部以降——レイモンドとの戦いの後でしょ。確かに、婚約してるのに平民アベルに構い過ぎるアステリアにも多少の非はあったかもね。でも、アベルは冒頭でアステリアの命を救ってるし、その恩人が自分との関わりの所為で周りから不当に扱われ出したんだから、それから守ろうと擁護するのは当然でしょ」


「…ぬ」


「あと、履き違えるなよ。仮に婚約者に裏切られたとしても、反乱起こして王国全土に攻撃仕掛けて良い理由にはならないだろ。それに少なくとも、一部の…魔王ラース討伐時点で、アステリアはレイモンドと結婚する気でいた。碌に話も聞かずに暴走したのは《第二の魔王レイモンド》の方…というのが世間の見方。でも実際は違う。レイモンドは本来なら、仮に婚約者に裏切られたとしても、その程度・・で王国に反逆するなんて馬鹿な真似をする奴じゃなかった筈だ。それともローファス。お前の友達は、そんな器の小さな奴だったの?」


「…」


 アベルに詰められ、ローファスは押し黙る。


 確かに、違和感はあった。


 夢に見た物語では、入学式の際にアベルの件でアステリアとレイモンドが対立して以降、魔王ラースや四魔獣の出現もあり、二人の間でまともな話し合いがされている様子は見られなかった。


 そして、その一件が片付いた直後に、レイモンド側が反乱という狂った様な行動に出た——これは夢を見たローファスからしても異常行動であり、だからこそ現実でレイモンドと会う事となった時はこの上無い警戒を寄せていた。


 故に、初めて出会ったパーティでの別れ際にレイモンドが放った“愛しい婚約者”という言い回しに酷い違和感を覚えた。


 いや、貴様は将来王国に反乱を起こしてその婚約者と敵対するだろう、と。


 しかし、実際にレイモンドと関わり、その為人を知り、何故反逆などという暴挙に踏み出したのかと疑問を抱いていた。


 レイモンドは多少手段を選ばない部分はあるが、それでもその本質は限り無く善性に寄ったものである。


 世の理不尽を嫌い、弱者が虐げられる事が許せないと、だから世界の王になって世のルールを作ると言っていた。


 物語で起こしていた反逆も、此度の召喚獣による王都襲撃も、レイモンドの望みとは掛け離れたもの。


 レイモンドは器の小さな人間だったか?


 ローファスは、静かに首を横に振る。


「…いや。確かに、貴様の言う事にも一理ある。成る程、《闇の神》による精神汚染か」


 ローファスはそっとアベルの胸倉を放し、踵を返す。


「待って、どこ行く気?」


「レイモンドと話す」


「話が通じなかったら?」


「…それが俺の知るレイモンドでは無いと判断したら、その時は——殺す。もしも《闇の神》がレイモンドを操っているというならば、諸共殺してやる」


 暗黒の魔力をその身から迸らせながら、ローファスは殺意を込めて言う。


「待って、選択肢に“殺す”を入れないでよ。せめて一緒にやろう。俺も魔法アイテムとか使えるし、多少は役に…」


 慌てて追い縋るアベルを、ローファスは苛ついた様子で突き飛ばした。


「図に乗るな。まさか貴様、この俺と対等のつもりか? 甚だ図々しい。レイモンドは俺一人でやる。貴様はその後だ。首でも洗って待っていろ」


 そう吐き捨て、外套を翻すローファス。


 完全な拒絶、ある種当然ともいえる反応。


 聞く耳を持たないローファスに、アベルは「あー…」と天を仰いだ。


「…取引ってのはさ、後で俺の命を差し出す代わりに、レイモンドから手を引いてもらおうと思ってたんだよ。最悪でも共闘できれば良かったんだ。なのに、話してる内になんで——一人で殺る気になっちゃうかなぁ…」


 アベルは溜息を吐きつつ、決意した様にローファスを睨む。


 そしてゆっくりと近付き、背後から掴み掛かった。


 しかし、アベルの手はローファスの魔法障壁により阻まれる。


 ローファスは額に青筋を立て、じろりと振り返った。


「…貴様、何のつもりだ。そんなにここで死にたいか」


「俺の命差し出して止まるならそうするけど、ローファスは止まらないんでしょ? なら、本当に申し訳無いけど、こう・・するしかないね…!」


 アベルはローファスに向けて、手に握っていた結晶を握り潰す。


 アベルが砕いたそれは、転移結晶。


 転移の光が、魔法障壁ごとローファスを包み込む。


「転移だと…!? 貴様、こんなものまで…だが、余り舐めるなよ」


 一度発動された転移魔法は、基本的に解く事が出来ない。


 しかし膨大な魔力を持つローファスは、それだけ魔法に対する耐性を持っている。


 如何に転移結晶であろうと、ローファスがその気になれば抵抗レジストする事は容易。


 転移の光は、魔法耐性に阻まれてローファスにまで届かない。


 だが、その事はアベルも想定していた。


 アベルは間髪入れずにポーチからアイテムを取り出し、宙に投げる。


 それは赤い瞳の眼球——《カトブレパスの邪視》。


 対象の魔法耐性を、一時的に著しく低下させる呪具。


 投げられた赤い眼球がローファスをギロリと睨み——直後、ローファスの身体からパリンと何かが割れる音が響いた。


 それはローファスの抵抗レジストが、無効化された音。


 転移の光が、完全にローファスを包む。


 ローファスは奥歯を噛み締め、忌々し気にアベルを睨み付けた。


「次から次へと、貴様…!」


「レイモンドは、俺とアベルが止める。大丈夫、お前も、お前の友達も絶対に死なせない」


 交わした言葉を最後に、ローファスは光に飲まれて消えた。



 一連のやり取りの末、転移により何処かへと消えたローファス。


 呆然と眺める事しか出来なかったリルカは、我に返ると、アベルに掴み掛かった。


「あんた、何してんの…? ロー君を…ローファス君を何処へやったの!?」


 焦りと怒りにより、血相を変えて詰め寄るリルカ。


 アベルはされるがまま、肩を竦めて一言。


「帝国」


「…は?」


「前にダンジョンの転移トラップに引っ掛かってさ。それがダンジョン間を移動するタイプのもので、帝国の辺境にあるダンジョンまで飛ばされた事があったんだ。今の転移の行き先は、そこ」


「そんな経緯は聞いてない…! 何でローファス君を! 協力するって話だったでしょ!?」


「その予定だったけど…レイモンドの件、ローファスは一人で解決しようとしてた。下手をすれば、俺達を行動不能にしてでも一人でやりかね無い雰囲気だったよ。万が一そんな事されたら、最悪の結末になりかねない」


 リルカはアベルの胸倉を掴んだまま、目を細める。


「何、最悪の結末って」


「レイモンド、或いはローファスの…死」


 アベルの言葉を受け、リルカは顔色を変えて手を離す。


「そんな、ローファス君に限って…」


 大袈裟な、とでも言いたげなリルカに、アベルは首を横に振る。


「レイモンドとローファス、どちらが強いかまでは俺には分からないけど、実力に大きな開きがあるとは思えない。ただ、ローファスが黒い魔物を操れる様に、レイモンドは召喚獣を使役して戦力に出来る。その上、レイモンドには魔人化もある。二人が本気で戦ったとして、勝敗がどう転ぶか分からない」


「それは…」


 それは、リルカにも分からない。


 だからこそ、共に戦うべきだったとリルカは思う。


「でも、ロー君無しにレイモンドをどうする気…? 私達だけでどうにか出来る相手なの?」


 かつて共に戦った仲間はここには居らず、六神の加護も受けていない。


 ここには、前回の記憶と経験を引き継ぎ、前回以下の力しか持たないアベルとリルカしか居ない。


 当然、レイモンドに勝てる筈が無い。


 しかしアベルは、にっと笑う。


「レイモンドは、と、アベル・・・でやる。リルカと《緋の風》のみんなは召喚獣の対応に当たっててよ」


「は、はあ?」


 困惑するリルカに、アベルは自信満々に胸を叩いた。


「大丈夫、策はある」


「いや、策って…」


「おいおい、まさか疑ってる? 見くびって貰っちゃ困るな…」


 心配そうなリルカに、アベルはやれやれと肩を竦め、ビシッと親指で自分を指す。


「俺みたいな存在の事を、巷じゃ“転生オリ主”って言うんだぜ。原作知識はチートって所、見せてやるよ」


 アベルは不敵に笑った。


 リルカは尚も、不安そうだった。

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