77# 焉に、始を
学年別トーナメントは、無事に閉幕した。
因みに、新入生の部の優勝はヴァルムだった。
ヴァルムは、決勝戦ですらぼんやりとしており、本気を出している様には見えなかったらしい。
そして、学年別トーナメントを終えて数日。
一件から程なくアステリアは、レイモンドと話し合いの場を作りたいとローファスに申し出た。
ローファスは、レイモンドに直接言えよ、とも思ったが、アステリアに話し合うべきと提言したのは他でも無いローファス自身である。
ローファスはレイモンドとアステリアの両者の間に立ち、時間と場所を取り決め、茶会の場をセッティングした。
アステリアからは、出来れば話し合いの場に、ローファスも一緒にいて欲しいと頼まれたが、それは丁重に断った。
婚約者同士の話し合いに部外者が入るべきでは無い、と。
無論建前で、もうこれ以上他人の惚れた腫れたに付き合ってはいられない、というのが本音であった。
それにローファスからして、その時の心情的にも、本気で他人の恋愛事情に付き合っている場合ではなかった。
アステリア、レイモンドは両者共にお互いの感情や本音を話し合い、茶会は実に半日にも及んだ。
最終的にはアステリアが謝罪し、レイモンドがそれを受け入れた事で話し合いは幕を閉じる。
二人の話し合いの内容は、場を設けたローファスすらも知らず、文字通り当事者——レイモンドとアステリアのみが知る所。
ただ、後にレイモンドがローファスに漏らした話によると、アステリアからは涙ながらに謝罪を受けたらしい。
婚約している身で、別の第三者に想いを寄せてしまった事。
それにより生じる責任も咎も、当然受け入れるつもりである事。
そしてそれに対し、婚約破棄の提案を出したのは、レイモンドの側であったそう。
しかし、これは飽く迄も当人同士の話し合いであり、婚約を取り決めたのは王家とガレオン公爵家である。
王家にはアステリアが、ガレオン公爵家にはレイモンドがそれぞれ婚約破棄の意思を伝え、以降は当人達を抜いた家同士での話し合いが行われるだろう。
よって、正式に婚約が破棄されるのはまだ先の話。
問題が解決したとは言えず、寧ろこれから、様々な問題がアステリアとレイモンドに降り掛かる。
しかしながら、この話し合いが二人にとっての大きな一区切りとなったのは事実だった。
話し合いを終え、茶会の場に残ったレイモンドは、一人でコーヒーを啜っていた。
ミルクも蜂蜜も入っていない、いつもローファスが好んで飲むどす黒いブラックコーヒー。
アステリアに好きな人が出来たと告げられた時は、視界が真っ暗になる思いだったが、互いに本音で話し合い、己のアステリアに対する想いを伝えた事もあったからか、今は思いの外すっきりしていた。
失恋したというのに、気分はそこまで悪くはない。
コーヒーには心を落ち着かせる作用があるという俗説を聞いた事があるが、まさかそのお陰だろうかとレイモンドは肩を竦める。
そんな茶会の場に、ノックもせずに扉を開け放ち、ずかずかと無遠慮に入って来た闖入者があった。
それは暗黒の外套を纏ったローファスである。
ローファスは、レイモンドの傍らにあるポットを奪うと、許可も得ずにコーヒーを注ぎ、一息に呷った。
そして、先程までアステリアが座っていた向かいの椅子にどかっと腰掛ける。
目を丸くするレイモンドに一言。
「で、どうする?」
「…どうする、とは?」
キョトンと首を傾げるレイモンドに、ローファスは言葉を続ける。
「不当な婚約破棄を、されたのだろう。ならば貴様には、報復する権利がある。今回の件、その責任を王家に追求するか、それともアステリアが想いを寄せるという平民を追い落とすか」
淡々と報復の案を挙げるローファス。
それにレイモンドは驚いた様に目を見開き——そして吹き出す様に笑った。
「ローファス、君って奴は。相変わらず…くくく」
「…何がおかしい」
「いや、ありがとう。私の為に怒ってくれているんだろう」
「は、はあ?」
レイモンドの思わぬ返しに、ローファスは眉を顰める。
レイモンドは、穏やかに笑う。
「でも、私は大丈夫だ。失恋した筈なのだが、意外と平気でね。思いの外喪失感は無い。それに婚約破棄を切り出したのは私からだ」
「…そうか」
少しだけ、安堵した様に息を吐くローファス。
ローファスは、この一件でレイモンドが物語と同様に暴走する可能性を考えていた。
想い人との決別が、レイモンドの何かを壊してしまうのではないかと。
そして最悪、力尽くで止める覚悟をもってここに来た。
戦闘の準備もしていた。
しかし、レイモンドの様子はいつもと変わらない。
そこに居たのは、いつも通りの穏やかなレイモンドだった。
杞憂だったか、とローファスは肩を竦める。
と、そんな時に再び扉が勢い良く開かれた。
ぞろぞろと入って来たのは、オーガス、アンネゲルト、ヴァルムの三人だった。
「レイモンド! アステリア様と何か話し合ってたって聞いたけど、大丈夫!?」
入って来て早々、心配そうにそんな事を口にしたのはアンネゲルトだった。
「なんだ、ローファスもいるじゃねぇか」
目を丸くしてローファスを見るオーガス。
「…で、婚約破棄の噂は本当なのか?」
「ちょっとヴァルム! アナタ少しは言葉を選びなさいよ!」
デリカシーの欠片も無いど直球な問い掛けをするヴァルムに、アンネゲルトは平手打ちをかます。
が、ヴァルムはひょいっとアンネゲルトの手を避けた。
アンネゲルトはヴァルムを睨みつつ、慌ててレイモンドを見る。
「ち、違うのよレイモンド…最近、アステリア様がアベルって平民に言い寄ってるって噂があって、それで…」
言い訳がましく捲し立てるアンネゲルトに、ローファスは呆れる。
「…相変わらず騒がしいな」
アステリアとの話し合いを終えてからそれ程経っていないというのに、示し合わせた様にレイモンドの元に訪れた四人の友人達。
いつか五人で世界の理不尽を無くそうと、想いを馳せた同志。
レイモンドは心に熱い温もりを感じながら、自然と笑みが溢れた。
そして四人を見据え、口を開く。
「アンネゲルト、オーガス、ヴァルム、そしてローファス」
名を呼ばれ、四人はレイモンドを見る。
レイモンドは笑って続けた。
「実は先程、失恋したんだ。今日は人生で初めて酒を飲む。今宵は付き合ってもらうぞ——みんな」
その夜、五人は王都の下町に繰り出すのだった。
*
時は暫し遡る。
ライトレス領本都。
駅のホームに、時刻表をぼんやりと眺めながら汽車を待つ少女の姿があった。
太陽を喰らう三日月の紋章——ライトレスの家紋が襟元に刺繍された暗黒色のコートを纏い、透き通る様な金髪を風に靡かせる少女。
ファラティアナ・ローグベルト。
ファラティアナ——フォルは、これより王都へ向けて旅立つ所である。
線路はライトレス領の外までは続いていない為、汽車で行けるのは飽く迄も途中まで。
そこからは王国方面へ向かう行商人の馬車に同行するか、個人で馬か馬車を用意する必要がある。
フォルの後ろで、見送りに来た老執事カルロスが心配そうに口を開く。
「ファラティアナ様、本当に一人で行かれるのですか? やはり今からでもライトレス家の馬車を…」
「いい。アタシ、ライトレス領から出るの初めてなんだ。折角だから色々と見て回りたい」
「しかし…」
それでも不安が拭えない様子のカルロス。
それもその筈。
フォルが王都へ向かう目的、それは貴族になる為の最終段階——国王陛下より爵位を賜る授与式への参加。
本来ならば、爵位の授与を国王陛下が直々に行う事は基本無い。
しかし、今回は特例である。
先ず、フォルの功績の大きさ。
フォルは災害級の魔物を複数体討伐し、その魔石を王国に献上している。
その上、過去三百年もの間、未開域とされてきた魔の海域の開拓。
それだけでも、最低位の爵位たる準男爵では到底収まり切らぬ偉業である。
此度の授与式で、フォルは少なくとも男爵以上の爵位が約束されている。
そして、その後見人となるのが、王国建国より続き、今も尚貴族社会に大きな影響力を持つ大貴族、ライトレス侯爵家となれば、国王陛下も重い腰を上げるというもの。
フォルという存在に興味を示したのか、今回の授与式では爵位を直接授けたいと、他でも無い国王陛下が言い出したという話である。
ルーデンスも、フォルを推薦したライトレス家の当主として参列するべく、一足先に王都へ立っている。
本来ならば、フォルもルーデンスと共に馬車で王都へ向かう筈だったのだが、先の弁の通り“色々と見て回りたい”というフォルの要望があり、別々に向かう事となった。
しかしカルロスとしては、護衛を一人も付けずに行かせるのも不安であるし、何より、もしも道中でトラブルに遭遇し、万が一フォルが授与式の出席に間に合わなかった場合、爵位の授与そのものが無くなる可能性もある。
それだけは避けねばならない。
「ファラティアナ様、せめて護衛を。必要ならカルデラを呼び戻します故」
「カーラ、か…」
フォルは、ニコニコと笑う赤髪の少女を思い浮かべる。
魔の海域の開拓の際には、基本的に海図を描くのみで、戦いには一切参加しなかった。
しかし、フォルは長きに渡る開拓の果てに戦闘技術が大幅に向上した事で、カーラの強さに薄々勘付いていた。
そしてカーラは、魔の海域の探索を完全に終えた後も何かと理由を付けてローグベルトに残り、フォルの近くに居続けた。
カーラ宛に届く帰還命令書を無視し続け、遂には数名の暗黒騎士が迎えに来た。
しかしカーラは、駄々を捏ねてこれらを撃破。
最終的には桜色の髪の騎士が現れ、暴れるカーラを制圧し、半強制的に連れ帰るという一幕があった。
カーラは現在、命令違反で謹慎中との事だが、カルロスはこれを解いて呼び戻すと言っている。
フォルは少し考え、頷く。
「まあ、カーラなら良いか。先に行ってるから、追いつく様に言っといてくれ」
遠くより鳴り響く汽笛。
直に汽車が到着する合図である。
見れば、黒煙を上げながら黒塗りの汽車が迫っていた。
「お、お待ちを! 出発は共に!」
「えー? いいよ、もう汽車来たし」
待つ気は無いとばかりに背を向けるフォル。
カルロスは諦めた様に肩を落とすと、小包を取り出した。
「…分かりました、カルデラには後を追わせると致しましょう。それと、良ければこれをお持ちください」
「ん? なんだコレ」
フォルは手渡された小包の梱包を少し開け、中身を覗く。
そして、ドン引きした顔でカルロスを見た。
「これをアタシにどうしろと…てか、こんなの何処で手に入れたんだよ」
「然る筋から手に入れた純正の品です。もし、学園に寄る事があればお使い下さい」
「ああぁー? いや、使うかー?」
フォルへ納得する様な、いやそうでもない様な、何とも言えない顔でカルロスを見る。
カルロスは微笑み、サムズアップする。
「きっと良いサプライズになりますよ」
「あー…まあ、一応貰っとく…」
一応な、と念押しする様にフォルは小包を鞄に詰めた。
「では。次にお会いする時を楽しみにしております」
「ああ、カルロス。本当に、色々とありがとうな」
フォルの感謝の言葉に、カルロスは頭を下げた。
フォルはそのまま停車した汽車に乗り込む。
発車する汽車。
今生の別れでは無いだろうが、しかし次に会うのは暫く先になる。
フォルは何となく、そんな予感がした。
*
夜も深け、月明かりの照らす夜道。
レイモンドの失恋を慰める会は終わり、揃って帰路に着いていた。
酔い潰れたアンネゲルトをローファスが背負い、同じく酔い潰れたオーガスの巨体をヴァルムが軽々と担いでいた。
ローファスは、なんか前にも似た様な事があった様なと既視感を覚えつつ、「うー、うー」と唸るアンネゲルトが吐かぬ様丁重に運ぶ。
対するヴァルムのオーガスの運び方は、割と大雑把である。
そして誰よりも酒を呷っていたレイモンドは、少し顔を朱に染め、足取りもやや不安定だ。
「二人とも、酒に強いんだな」
人一人を抱えながらも、足取り確かに歩くローファスとヴァルムに、レイモンドは感心した様に言う。
「強いも何も、俺はそもそも飲んでいない。ヴァルムは別だがな」
呆れた様に言うローファス。
対するヴァルムは、レイモンドに続いて飲んでいた。
運ばれてくる酒をがぶがぶと、正しく浴びる様にと表現して差し支えが無い程度には。
それでいて頰に赤み一つ無く、体幹に一切の揺らぎが無い。
「酒は、昔から父に付き合っていたからな。そういえば、お前はザルだとよく言われていた」
そんな何でもない会話を交わしながらの帰り道。
レイモンドにはそれが仄かに温かく、心地良かった。
帰り道の岐路、アンネゲルトを背負ったローファスが立ち止まる。
「俺はこいつを送り届けて来る。先に行っていろ」
ローファスの視線の先には女子寮。
レイモンドはニヤリと笑った。
「ローファス…ちゃんと同意は得るんだよ」
直後、巨大な
しかし、それはレイモンドを覆う魔法障壁に防がれる。
防いだとはいえ、中々に殺傷力の高い攻撃魔法だった。
レイモンドの額から冷や汗が流れた。
「おいおい、ローファス…」
「少しは酔いが覚めたか、酔っ払い」
ローファスは鼻を鳴らし、そのままアンネゲルトを背負って女子寮へ向かった。
残された男三人はそのまま歩き、男子寮に辿り着く。
「私はもう少し夜風に当たって帰るよ。オーガスを頼めるかい、ヴァルム」
オーガスを担いだヴァルムは、怪訝そうにレイモンドを見る。
「一人で大丈夫か?」
「問題無い。ローファスの魔法で、多少だが酔いは覚めたからね」
顔の赤みはまだ残っているが、確かに先程と比べると足取りはしっかりしている。
「もう遅い。程々にな」
「ああ、そうするよ」
会話もそこそこに、ヴァルムと別れたレイモンドは、月夜の道を一人歩む。
キラキラと照らす月明かり、そして程良く頬を撫でる風は心地良く、酔いの火照りを冷ますのには丁度良い。
明かりの消えた街並みを暫し歩き、ふと寂れた公園が目に入る。
チカチカと点滅する魔石の灯、そしてそれに照らされるベンチ。
あそこで一休みして帰ろう。
ふと、そう思い立ち、レイモンドはベンチに近付く。
「…?」
そのベンチに備え付けられたサイドテーブルに、ある物が置かれていた。
それは、五個のマグカップ。
そのうちの一つは湯気が立っており、紅茶が入っている。
他四つのマグカップにもそれぞれ、ブラックコーヒー、ミルクコーヒー、紅茶、ミルクが入っていた。
何故こんな所に、一体誰が。
そんな疑問を抱きながら、その五個のマグカップをまじまじと見つめ——レイモンドは、強烈な既視感に襲われた。
「…ッ」
この光景を、レイモンドは以前に、何処かで見た気がした。
忘れてはいけない、でも思い出せないそんな記憶。
そしてレイモンドの頭に、強い思いが浮き上がる。
アステリアを許すな。
憎きアベルを滅ぼせ。
——そんな思いが。
それを自覚したレイモンドは暫し沈黙し、ハッと笑った。
「…何を馬鹿な。私も、思いの外狭量だったらしい」
飲み過ぎだな、と思考を散らす様に頭を振り、レイモンドは踵を返した。
ベンチに背を向け、学生寮へと歩みを進める。
瞬間、肩をがしっと力強く掴まれた。
レイモンドは眉を顰め、振り返る。
誰も居ない。
しかし、肩を掴まれている感覚だけは残り続けていた。
「一体、何が…」
訳が分からず、レイモンドが警戒の色を見せた——その時、頭の中に声が響く。
『おいおい、駄目じゃないかレイモンド君。自分の憎しみは大切にしないと。今回君に与えられた配役は
その声が聞こえた瞬間、レイモンドの意識は闇に飲まれた。
そして異様な魔力がその身から溢れ、レイモンドの瞳を翡翠に染め上げる。
それは《第二の魔王》の再誕——
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