66# 新歓合宿Ⅰ

 それは、微睡。


 今となっては存在しない幻想。


 或いは、誰かの記憶——



「アステリア…彼は? 随分と仲が良さそうだが、知り合いかい?」


 入学式の後、仲良く話すアステリアとアベルを見たレイモンドは、そんな二人に割って入った。


 アステリアは、少しだけバツが悪そうに目を逸らした。


「あらレイモンド、ご機嫌様。彼はアベル。この前、魔物被害の多い地域に遠征した時に助けてくれたの」


「…ほう」


 値踏みする様にアベルを見据えるレイモンド。


 その後ろに控えていたローファスは、アベルの襟に貴族の証たる金のラインが無い事に気付くと嘲笑する様に鼻を鳴らした。


「なんだ下民では無いか。流石は王族。下賎な者とも分け隔てなく接するとは、何と器の大きい事か。俺にはとても真似出来ん」


 ローファスの物言いに、アステリアの眉間に皺が寄る。


 先日、魔物被害の多いと通報のあった村に討伐隊を率いて向かったアステリアは、想定外に強力な魔物と遭遇し、その際に偶然居合わせたアベルの助力で救われた。


 アベルは謂わば、アステリアの恩人である。


 そんな恩人を不当に貶され、アステリアは不愉快そうにローファスを睨む。


「下賎とは、随分な物言いね。知ってるわよ。貴方、ローファス・レイ・ライトレスね。噂は聞いてるわ。魔法の天才、ライトレスの麒麟児…で、選民思想が強過ぎるのがたまに傷、だったかしら」


「なんだと…」


 ローファスの額に青筋が立つ。


 アステリアはレイモンドを見た。


「レイモンド。これは忠告だけど、付き合う相手は選んだ方が良いわよ」


「…ローファスは大切な友人だ。幾ら君といえど、交友関係にまで口を出される筋合いは無い」


 腹に据えかねた様子で目を細めるレイモンドに、アステリアは負けじと睨み返す。


「そう? なら、お互い様ね。アベルの事も口出し無用で頼むわ」


「…そうか。君がそう言うならば、私からこれ以上話す事はない」


 暫しの睨み合い。


 両者の間でヒリついた空気が流れ、その末にレイモンドは事の発端となったアベルを一睨みし、踵を返して背を向ける。


 それは、婚約していたレイモンドとアステリアの間に亀裂が入った瞬間だった。


「…何を惚けている下民、渦中は貴様だ。ただで済むと——」


「渦中はどう考えてもアンタでしょ」


 アベルを睨みながら口走るローファスの脇腹を、アンネゲルトが半目で睨みながら肘で小突く。


「…ぬ。アンネゲルト、貴様まさか奴の肩を持つ気か?」


「何アホな事言ってんのよ。元はと言えばアンタが——」


 アンネゲルトとローファスが言い合いに発展しそうになった所で、オーガスが呆れた様に仲裁に入る。


「おい、痴話喧嘩はその辺にしろ。レイモンドが先に行ったぞ」


「「誰が痴話喧嘩だ(よ)!?」」


 見事に言葉をハモらせるローファスとアンネゲルト。


 オーガスは肩を竦めながら先に進んでいるレイモンドを指差す。


 ヴァルムは我関せずといった調子でレイモンドの後に付いて歩いていた。


 ローファスは舌を打つ。


「ちっ、覚えていろ」


 まるで三下の如き言葉を吐き捨て、ローファスはレイモンドを追った。


 オーガスとアンネゲルトは、溜息混じりにそれに続く。


 残されたアステリアは、疲れた様に息を吐いた。


「…大丈夫?」


 気遣わし気なアベルの言葉に、アステリアは救われる様な心持ちで微笑む。


「なんか、ごめんなさい。巻き込む様な形になって…」


「いや、そんな事は…」


「気分転換にお茶にしたいわね。そうだ、街に焼き菓子の美味しい店があるの。行きましょ、今回のお詫びに奢ってあげる」


 とても綺麗なアステリアの笑顔。


 その笑顔に見惚れ、笑って頷いた所で、アベルの視界は暗転した。


 *


 目を開ける。


 視界に入って来たのは、学生寮の真新しい天井だった。


 眠い目を擦りながら、上体を起こした。


「また夢、か」


 入学式の後のアステリアやレイモンド達とのやり取り…アベルの記憶。


 ゲーム画面で見たグラフィックとは違う、リアルな感じ。


 最近、こうしたアベルの記憶ともいえる夢をよく見る。


 まるで、ゲームでしか知らない知識の足りない部分を、補足する様に。


 俺をこのアベルの肉体に転生させた六神が見せているのか、それともアベルの意識と一つの肉体を共有している事から、アベルの記憶が断続的に流れ込んできているのか。


「ローファス…意外とコミカルな奴だったんだな」


 思い出されるのは、去り際のローファスとアンネゲルトのやり取り。


 あんな漫才みたいなやり取りが、あの場面であったなんて知らなかった。


 少なくとも、ゲームでは無かった。


 アベルの記憶と、俺の原作知識…齟齬や認識の違いが出るのも当然か。


 俺の原作知識は、抜けている部分がかなり多い。


 それに——


「四天王同士の…悪役のあんなやり取りは、出来れば見たく無かったなー」


 いずれ倒す必要があるのに、そんな人間味を見せられると…なんというか、やり難くなる。


 ゲームではフォーカスが当たっていないだけで、悪役の彼等にも家族や友人がいる。


 これがゲームではなく、純粋なリアルであると再認識させられる。


 今後、もしも彼等が悪役として目の前に立ち塞がった時、果たして俺は非情な判断を下せるだろうか?


 殺してでも止めるという決断を。


 原作のアベル達が、そうしたのと同じ様に。



 新歓合宿。


 一言でいうなら、新入生歓迎を目的に企画された合宿である。


 内容としては、学園が保有する針葉樹林——《餓狼の森》で一泊二日のキャンプをするというもの。


 因みに、原作ではこの新歓合宿の終盤に負けイベントが発生するのだが、それは原作の流れ通りに事が進んだらの話。


 とはいえ、今回はプロローグの時の様に四魔獣とは関わりが無い為、余程な事が無い限り流れは変わらない筈だ。


 今回の新歓合宿イベントは、アステリアとの仲を深める為の重要な局面。


 なのだが、アステリアとは出会の段階から始める必要がある。


 気合いを入れないとな。


「良いかアベル。分かっているとは思うが、新歓合宿はアステリアと親睦を深める為の重要なイベントだ。だが、今回はプロローグでの出会いも、入学式後のカフェデートも出来ていない。言ってみれば初対面。難易度はベリィハード。でも、アベルならやれると俺は信じてる。頑張って口説き落としてくれ。一先ず合宿中に、最低でもご飯に一緒に行く約束をする程度の仲にはなっておきたいね」


『待て、何を勝手に…口説き落とすって、アステリアを? 僕がか?』


 狼狽える火の玉アベルを、俺は叱責する。


「当たり前だ! なんでアステリアとのラブイベントを俺がやんだよ。そこはアベルがやんなきゃ意味無いだろうが!」


『ラブイベ…? よく分からないが、何でそんなに僕とアステリアの仲に固執する?』


「あ? ヒロイン全員のハーレムエンド目指してるっつってんだろ。結婚までいったアステリアやファラティアナは当然として、他のヒロイン…リルカ、フラン、メイリン…それと、タチアナか」


『…何か勘違いをしている様だが、他の仲間達とはそんな関係では無かったぞ』


 そんな事を言う火の玉アベルに、俺は肩を竦めて見せる。


「あーあ、ハーレム系鈍感主人公はこれだから…」


『ハーレム…鈍感? よく分からないが、良い意味では無さそうだな』


 確かに良い意味では無い。


 揶揄だからね。


「兎に角、他のヒロインに関して、進展が無かったという事は恐らくフラグ回収が充分じゃなかったんだよ。可哀想に、リルカちゃんとか絶対アベルの事好きだったじゃん?」


『違っ…リルカはそんなんじゃ…』


「あんだけ好き好きオーラ出されておいて、そんなんじゃ無いは通らんでしょうよアベルさん? ま、今は良いや。出会いはまだ先だし。先ずはアステリアよ」


『話を聞け』


 アベルとそんなやり取りをしつつも、恙無く学園生活は続いた。



 学園生活に於いて、ゲームでは殆どカットされていた魔法の授業も、個人的には中々楽しめた。


 当然だが、コマンド一つでMP魔力を消費して魔法をぶっ放していたゲームとは訳が違う。


 魔法にも、発動する為に必要な要素として、呪文詠唱や術式の構築等、覚える事が沢山ある。


 そして、呪文詠唱も無しに何となくの感覚だけで魔法を発動させちゃっているアベルの異常性も理解した。


 この主人公、碌に術式への理解も無しに感覚だけで魔法を行使出来てしまっている。


 それも、聞く所によると物心着く前から出来ていたそうだ。


 その辺はゲームでもあまり触れられ無かった内容だが、現実として見ると明らかにアベルはおかしい。


 魔力総量もその辺の貴族の子息よりは多いらしいし、実はこいつマジもんの天才なんじゃないの?


 ただ、どうも頭の方はあまり宜しくないらしい。


 勉学、特に魔法学に関しては、受けるのが二度目である筈のアベルよりも、どういう訳か俺の方がその内容を理解している程だ。


 それでも俺は、未だに魔法の発動が上手く出来ず、アベルは何となくで出来てしまう。


 納得出来ない。


 さて、そんな細やかな授業パートを挟みつつも、いよいよ待ちに待った新歓合宿だ。


 場所は針葉樹林《餓狼の森》。


 新入生達は森を前にした広場の一角に集められ、班分けする様に教師陣より言い渡されていた。


 原作ではアステリア側から誘ってくれるのだが、今回は事情が違う。


 てな訳で…。


「アベル、Go!」


 小声でGoサインを出すが、火の玉アベルは中々肉体の主導権を握りに来ない。


『…まさか、今からアステリアに声を掛けに行けと? 無茶を言うな』


「おいおいアベル、ヒヨッてんの? 今更奥手になるなよー。相手は未来の嫁さんだぜ?」


『…アステリアを見てみろ』


「ん?」


 火の玉アベルに言われるままにアステリアの方を見る。


 アステリアの周りには多くの人が集まっていた。


 どうやら多くの人から同じ班になろうと誘われているらしく、アステリアは愛想笑いをしながら断りを入れている。


 生徒達の襟には金のライン…群がっているのは当然の様に貴族か。


 ゲームではアステリア側から積極的に声を掛けて来たから気にならなかったが、かなりの人気だな。


 競争率が高過ぎる。


『王族だからな。今面識の無い平民の僕が行っても悪目立ちするだけだ』


「…先ずは認知される所からだと思うけどねー? ま、第一印象が重要なのは認めるけどさ」


 ゲームのプロローグは、二人の出会いとしては完璧だった。


 強力な魔物の前にピンチに陥ったアステリアを、偶然居合わせたアベルが颯爽と助ける…正に100点満点の出会い。


 こんなのされたら誰でも惚れるわ、俺でも惚れる自信があるね。


 女ってのは結局、心の何処かでは白馬に乗った王子様が現れるのを望んでるもんよ。


 ま、アベルは白馬に乗ってないけどね。


 と、ここでふと気になり、火の玉アベルを見る。


「てかアベルさ」


『なんだ』


「ずっと思ってたんだけどさ、なんか消極的過ぎない? アステリアに対してさ」


『…』


 黙り込む火の玉アベル


 行動方針については知識担当の俺が決める。


 それは、この身体に転生した際に六神の火神より言われていた事。


 アベル自身も、その事については納得していた。


 だから、俺の定めたハーレムエンドを目指すという目標にも、ぶつくさ文句を言いながらも従ってくれている。


 しかしながら、事アステリアが関わると、アベルはどうも消極的になっている。


 原作での結婚相手、そしてアベル自身も好きだった筈の人。


 なのにアベルは、プロローグでアステリアとの出会いが無くとも、入学式後の親睦を深めるデートが無くとも、流れ的に仕方無いといった態度を見せるだけ。


 本当に好きな相手なら、もう一度一緒になりたいと思うのが普通ではないだろうか。


「…もう、アステリアの事好きじゃ無いの? まさか、飽きたとか言わないよね?」


『そんな! そんな事ある訳…!』


 火の玉アベルが、感情を昂らせた様に大きく燃える。


 俺は真っ直ぐ火の玉アベルを見据える。


「じゃ、なんで?」


『それは…』


 火の玉アベルの火の勢いが衰え、言い淀んでの暫しの沈黙。


 そんな中、俺と火の玉アベルとのやり取りを遮る様に声が響いた。


「あっ! 君!」


「…?」


 声のした方を見ると、そこには驚いた様に俺を見る栗色の髪の少女が居た。


 あれ? この娘、この前の…。


「確かアベル君、だったよね? ビックリ。新入生だったんだ。てっきり凄腕の探索者かと…」


「あー…えっと」


 思わぬ人物に突然声を掛けられ、少し困っていると、少女はニンマリと笑った。


「突然声掛けてごめんね? あ、まだ名乗ってなかったね。私はミラ。魔法学園の二年生」


 自己紹介をしてくれた栗色の髪の少女、ミラ。


「上級生、だったんだ…」


 そう言えば、この前街の裏路地でミラ先輩に絡んでいた貴族達も上級生だったっけ。


「あれ、なんで新歓合宿に上級生が?」


「委員会でね。他にも上級生は何人か混じってるよ。経験の浅い新入生だけで《餓狼の森》は危険だからね」


「へぇ?」


 そんな設定だったっけ?


 新歓合宿はゲームでも最序盤の話だし、あんまり細かくは覚えてないな。


 もしくは、ゲームでも語られていない裏設定かな?


「私達上級生の役割は、新入生達が危険な事をしない様監督する事。それと、班分けであぶれちゃった子と組んであげる事。ここまではOK? 一人ぼっちのアベル君」


 首を傾けて、にっこりと笑うミラ先輩。


 俺はふと周囲を見る。


 俺以外の新入生達は、大体がグループとして固まりつつあった。


 おっとマジかよ、火の玉アベルと話してて出遅れちゃってんじゃん。


 ぼっちなの俺だけ?


「という訳で、優しい先輩が組んであげます」


「班分けって、ソロじゃ駄目なの?」


「ソロ…一人って事? 駄目よ、先生の説明聞いてなかったの?」


 聞いてなかったなー…。


「もう。最低三人で組まなきゃ森に入っちゃ駄目って言われてたじゃない」


「三人…? なら、もう一人いるって事?」


「そうね…でも、他にあぶれてる新入生は見当たらないしなー…上級生の私もいるし、最悪二人ででも…」


 ミラ先輩が「んー…」と悩まし気に首を捻っている。


 え、本当に俺以外にあぶれた人いないの?


 マジで、なんかショックなんだけど。


 いやいや、居るだろあぶれた奴一人くらい。


 広場を見回していると、隅の方で一人立ち尽くす新入生を見つけた。


 お、いんじゃん。


「あの人、一人じゃない?」


「あ、本当だ。早速誘いましょう」

 

 俺とミラ先輩でぼっちを決め込む新入生の元へ駆け寄る。


「おーい君、一人? 良かったら私達と…」


 声を掛けたミラ先輩が固まった。


「…?」


 不審に思い、ぼっちの新入生を見る。


「「…あ」」


 俺とぼっちの新入生の声が重なる。


 それは見覚えのある顔…入学式の後、貴族達と共に居た、騎士家系の大柄な男子生徒だった。


 こいつ、新入生だったのかよ。

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