23# 出会い
ガレオン領からライトレス領に帰還して数日が経過した。
行き帰りだけで12日、半月弱の経過。
随分と日数を要したが、公爵家からの招待とあれば行かない訳にもいかない。
お陰様でライトレス領の執務は遅れに遅れているが、その為の各地に派遣されている代官役人だ。
まあ、今回はその代官役人が不祥事を起こした訳だがな。
さて、俺は今、父上の書斎に呼ばれていた。
王都で乗った汽車、あれの有用性が忘れられず、我がライトレス領にも是非設置したいと言う嘆願書を父上に提出したのだ。
ライトレス領に帰還してから、日に何通も。
父上の返答はカルロス経由で来た。
直接言いに来い、と。
なので本日、赴いた次第だ。
「要件は嘆願書に書いた通りです。汽車を我が領に、是非」
父上は眉間に皺を寄せ、俺を睨む。
「来たかと思えば、挨拶も無しに要件か?」
「無駄話は結構。父上もお忙しいでしょう」
俺が澄まし顔で言ってやると、父上は溜息を吐いた。
「汽車の設置…簡単に言うが、どれほどコストが掛かると思っている」
「よくお考えを。あの機動性にはコストに見合う価値があります。我が領の主要都市を繋ぎ、汽車に積荷を運ばせるだけで商業自体が盛んになり、我が領の経済は潤います。移動時間の大幅な短縮にもなります。こんなもの、設置しない理由が無いでしょう」
俺の言葉を聞いた父上は、その目に剣呑さが増した。
「貴様が経済を語るか」
「語るも何も、今は早急な経済回復が必要でしょう。特に、クリントンが管轄していた地域では」
「クリントン、か…」
父上は苦虫を噛み潰したような顔をする。
「クリントンの行った違法な重税により貧困化した、村や町の経済を回復させる兆しになるかも知れません」
貧困化した村や町は、代官役人の報告を聞く限り、最早自力での経済回復は困難なレベルだ。
自力で無理なら、外部から取り入れるしかない。
新たな市場を作る必要がある。
「…ローグベルトの事か?」
「それに限った話ではありません」
父上は顎に手を当て、思案する。
「…検討はしよう」
「出来れば即決頂きたい所ですが」
「汽車の設置には、王宮の許可も必要なのだ。費用も馬鹿にならん。それに汽車を運用するとなれば、石炭の供給先の確保も必要だ。即決出来るような案件では無い」
「ふむ、まあ分かりました」
確かに、うちの領に炭鉱は少ない。
当面の課題は、汽車の運用に必須の石炭の安定した供給元の確保か。
長距離に渡り線路を敷くには、大量の鉄も必要だな。
今度、商業組合の連中に聞いてみるとしよう。
「それでは、要件はすみましたので」
踵を返して書斎を出ようとすると、父上に止められる。
「待て」
「…何か?」
「この後、家族で昼食を取る。貴様も参加しろ」
「結構。昼は済ませたばかりですので」
当然、嘘だ。
時刻はまだ10時、昼食など済ませている筈が無い。
余りにも見え透いた嘘だったからか、父上の俺を見る目が非常に険しい。
「ローファス…!」
「では」
怒る父上を尻目に、今度こそ出ようとした所で、窓の外よりトンビの高い鳴き声が響いた。
見ると暗黒色のトンビが窓の外を飛び回っていた。
暗黒色の羽毛に、ぎょろつく無数の眼。
あれは紛れも無く、《影喰らい》を用いて生み出した影の使い魔だ。
父上のものだろう。
トンビの鳴き声を聞き、父上は眉を顰める。
「——なんだと…?」
「何か、ありましたか?」
父上は静かに息を吐き、俺を見据える。
「《初代の墳墓》に、何者かが侵入した」
「…は?」
父上の思わぬ言葉に、俺は間の抜けた声を上げた。
*
《初代の墳墓》とは、読んで字の如くライトレスの初代の遺体が眠る墓所の事だ。
ライトレス領本都から少し外れた山の中に、地下墳墓への入り口がある。
《初代の墳墓》の存在は、ライトレス家の中でも極一部の人間しか知らない筈なのだが、どう言う訳か侵入者が現れたらしい。
一体何処で情報が漏れたのか。
俺は父上に命ぜられ、墳墓の様子を見に来ていた。
「全く、父上も人使いが荒い」
まあ、《初代の墳墓》はライトレス家の中でも秘匿性の高い場所、現状俺以外に行ける人間が居ないのも事実。
家族で食卓を囲むよりはずっとマシだ。
俺は慣れぬ山道を、魔力を通して強化した脚力で力任せに駆け抜けていた。
今まで墳墓に侵入者が出たなど、聞いた事すら無いと言うのに。
まあ、身の程知らずの墓荒らしか何処とも知らずに迷い込んだ間抜けだろう。
いずれにせよ、態々見に行く必要は無いと思うのだがな。
墓荒らし程度ならどうせ既に死んでいる。
墳墓の中には、かつて初代が使役した影の使い魔達が蔓延っている。
初代の影の使い魔達は、初代の死後もどういう訳か存在し続けた。
本来ならば影の使い魔は術者が死ねば消滅するのだがな。
残された影の使い魔達は初代の遺体を古来より守っており、初代の眠りを妨げようとする者には容赦無く襲い掛かる。
神代の時代から現存する影の使い魔達は、そのいずれもが常軌を逸して強力だ。
しかも、何処から魔力を補給しているのかは不明だが、影の使い魔特有の傷を負っても即座に再生する、不死性も持ち合わせている。
墓荒らし程度ならば、荒らす事は疎か何も出来ずに殺されて終わりだ。
要するに俺は死体回収に向かわされている訳だ。
そんな雑務は暗黒騎士にでもやらせたい所だが、《初代の墳墓》の危険度は暗黒騎士の手にも余る。
一度入れば、戦闘のスペシャリストとされる暗黒騎士ですら死ぬ。
生きて帰れる可能性があるとするなら、暗黒騎士筆頭のアルバ位なものだろう。
因みにカルロスは…若い頃なら兎も角、今は厳しいかもな。
まあ、そもそも《初代の墳墓》は、存在自体が秘匿されている。
暗黒騎士は無論、騎士筆頭のアルバや、執事のカルロス、母上や愚弟すらその存在を知らん。
現在《初代の墳墓》の存在を知るのは、現当主である父上、先代の隠居中の祖父、そして嫡男の俺の三人だけだ。
だと言うのに、まさかこんな雑用をする羽目になるとはな。
まあ良いか、《初代の墳墓》には遅かれ早かれ赴く必要があった。
墳墓の深奥、祭壇で祈りを捧げて賜ったライトレス家に伝わる使い魔を、以前駄目にしてしまったからな。
クリントンに憑け、魔鯨に諸共滅ぼされたあの使えない暗黒の下級精霊だ。
あれはマジで使えなかったな。
無能を寄越すなと、祭壇で一言文句を言ってやりたい程だ。
「——あ?」
ふと、墳墓の入り口付近で、妙な違和感を感じた。
あまり感じた事が無いタイプの、不自然な魔力の残痕。
魔力探知は何の反応も示していないが、注意深く観察すると空間の一部に魔力の綻びを見つけた。
俺はそれを魔力を宿した手で触れ、その綻びを強引に引き剥がす。
引き剥がされたそれは、空間がひび割れる様に霧散し、内部に隠されたものが姿を現す。
「これは…」
現れたのは、巨大な赤い船。
それは物語において、飛空艇と呼ばれる物だ。
不可視化に魔力遮断、他にも隠蔽に人払い等、随分と高度な術式が織り込まれた結界が張られていたらしいな。
飛空艇は魔力を動力に動く空飛ぶ船で、古に失われたロストテクノロジーだ。
物語に置いても、飛空艇の一隻しか存在しなかった。
この飛空艇は、まさしくそれだ。
「《緋の風》の船…?」
《緋の風》…物語で飛空艇に乗り、各地の遺跡やダンジョンを巡っていたトレジャーハンターの集団だ。
通称、空賊。
無断で各地の遺跡やダンジョンに侵入し、そこで得た埋蔵品や財宝、魔法具等を売り払って生計を立てている連中。
トレジャーハンターとは言うが、やっている事は墓荒らしと同じだ。
盗賊の様に民間人に対して略奪行為こそしていないが、要するに無法者の集団である。
だが、何故こいつらがここに居る?
《緋の風》の連中は多くの遺跡やダンジョンに探索に入っているだけあってそれなりの実力者達ではあるが、それでも《初代の墳墓》に入れば間違い無く生きては帰れないだろう。
ここで全滅すれば、三年後の物語には登場しない筈だ。
ならば、ここでは死なない何かが起きるのか?
それとも、これは魔鯨の出現と同様に物語の流れとは異なる展開なのか?
「ふむ…」
物語開始前の出来事は情報が少な過ぎて、展開が読めん。
だが、いずれにせよ我がライトレス家の先祖の墓に入り込まれている以上、放っておく訳にもいかんか。
それこそ、万が一《初代の墳墓》の深奥が荒らされでもすれば初代の影の使い魔達がどんな行動を起こすか分かったものでは無い。
初代の影の使い魔は飽く迄も初代の従者であって、ライトレス家の支配下にある訳では無いからな。
万が一初代の影の使い魔共が街に出てきて暴れでもすれば、受ける被害は甚大だ。
無尽蔵に再生する不死身の化け物等、手が付けられんからな。
外部の者が下手な刺激を与えぬ様に墓守をするのも歴代ライトレス家当主の役目だ。
それに《緋の風》には、奴が居る。
いずれ主人公勢力に加わるヒロインの一人が。
「全く面倒な…」
俺は憂鬱な行末に溜息を吐きつつ、《初代の墳墓》に足を踏み入れた。
*
墳墓、地下??階。
《初代の墳墓》は下に階層が広がる地下墳墓だ。
階層を下る事に、大気に漂う魔素の濃度が濃くなり、それに伴い影の使い魔の強さが増していく。
空賊《緋の風》の一員にして、現時点では見習いの、弱冠12歳の少女は一人、暗闇に包まれた通路に蹲っていた。
色素の薄い茶髪を後ろで短く括り、左耳に翼を模したピアスを付けた小柄な少女。
リルカ・スカイフィールド。
物語において、主人公勢力に加わるヒロインの一人だ。
だが、そんなリルカは今、窮地に立たされていた。
墳墓内に一緒に入った仲間——他の《緋の風》メンバーはここには居ない。
転移トラップ。
古の遺跡や、高難度のダンジョンで稀に見る凶悪なトラップだ。
リルカはそれに引っ掛かり、《緋の風》のメンバーと離れ離れになってしまった。
恐らく、ここは先程まで居た階層では無い。
彷徨いている暗黒の魔物は、先程まで居た階層のものとは明らかにレベルが違う。
この階層の暗黒の魔物は、一体一体が挑む事すら憚られる程の威圧感を放っている。
リルカは隠れ潜み、魔物をやり過ごす事でどうにか生き永らえていた。
そもそもこの墳墓の魔物は、何処かおかしい。
一階層の魔物すら、高難度ダンジョンに出現する魔物と遜色無い力を持って居た。
その上、手傷を与えても即座に再生すると言うインチキぶりだ。
《緋の風》の仲間達も、流石に勝てないと即座に撤退の決断をしたが、明かり一つ無い暗闇の回廊の中、絶え間無く押し寄せる暗黒の魔物に追い立てられ、逃げる事もままならなかった。
その上での、転移トラップだ。
「あはは…こりゃ死んだかな」
笑っては見たものの、リルカの目は絶望に満ちていた。
ダンジョン内で単身転移トラップに掛かると言う事は、死を意味する。
ダンジョンで一人になった時の生還率は、限り無く低いからだ。
その上、ここは彷徨く魔物から察するに恐らくより下の階層。
きっと《緋の風》の他のメンバーは、リルカを捜索するだろうが、合流出来る可能性は低い。
その上、万が一合流出来たとしても、脱出出来るかは別問題だ。
一人で死ぬか、皆で一緒に死ぬか。
或いは、リルカもこんな事を考えたくは無いが、他の皆が無事である保証も無い。
転移トラップに引っ掛かったのは自分の失態だ。
そんな自分の事など見捨てて、他の仲間達だけでも生き残って欲しい。
しかし《緋の風》の仲間達はきっと、否、絶対にリルカの事を見捨てない。
《緋の風》のメンバー同士の結束は非常に固い。
血こそ繋がっては居ないが、それこそ彼等にとってリルカは家族だ。
この墳墓に入ったのは、当然貴重な魔法具が眠ると言う情報を得たからだ。
しかしそもそもの理由は、《緋の風》のメンバーの一人、リルカが姉の様に慕う存在の為だった。
「ごめん、イズ姉…」
イズ姉——イズは《緋の風》のサブリーダーであり、2年前から重い病に侵されていた。
病はある地域で見られる非常に珍しい風土病で、特殊な魔素に身体が侵されて発症するものだ。
症状は身体に黒い痣が時間と共に広がっていき、痣が増えるごとに痛みが増していくと言うもの。
最後には痣の苦痛に耐え切れずに息絶えるという、一度発症すれば治療しない限り確実に死亡する難病。
病の特効薬は高額で、今までは痛み止めでその場しのぎをしていたが、最近になって病が急激に進行し、イズは苦痛から1日の殆どをベッドで過ごす様になっていた。
イズの病状は深刻であり、リルカを含む《緋の風》のメンバー達は特効薬の購入を決意し、多少無茶でも、レアアイテムを狙って難度の高いダンジョンや古代遺跡の探索に入っていた。
当然イズは止めたが、リーダーを含めメンバー達は止まらなかった。
危険な目に遭った事は一度や二度では足りない程だが、メンバー同士の高い結束の力で切り抜けて来た。
難度の高いダンジョンの情報を集め、今回白羽の矢が立ったのがこの《初代の墳墓》だ。
この墳墓は、高価な魔法具が眠る未開拓のダンジョンとの情報を聞きつけ、探索に入った。
確かに他の古代遺跡やダンジョンと比べて、明らかに情報が少なかった。
情報の少なさを、他に探索した者が居らず、レアアイテムも手付かずで残っているかも、とポジティブに捉えていたが、それは余りにも大きな間違いだった。
《緋の風》は、これまでに幾つかの高難度ダンジョンや古代遺跡を探索したが、全てアイテムが取り尽くされており、成果が得られずに焦っていた。
そう言った背景はあったが、それを加味しても浅はかだったと言える。
リルカは深く大きく、息を吐いた。
「…よし、落ち込むのおーわりっと」
リルカは不安を振り払う様に両頬を叩き、気を引き締める。
ここで塞ぎ込んでいても、待つのは死だ。
何よりここで諦めるのは、自分を捜索するであろう仲間達への裏切りに等しい行為だ。
リルカは行動を開始する。
せめて、少しでも出口に近づける様、少しでも上の階層に行ける様に。
リルカは周囲に魔物の気配が無いか注意を払いながら、回廊を進む。
この回廊は迷路の様に入り組んでおり、灯りが無い為暗闇に包まれている。
リルカも松明の類は持って居ないが、ダンジョンを探索する上で夜目の技能を得ている。
この暗闇も、リルカからすれば昼の様に鮮明に見える。
ダンジョンや古代遺跡は明かりが無く、暗闇である事も多い。
そんな中で松明やランタン等を使おうものなら、位置が明るみになり、魔物から総攻撃を受ける場合もあるのだ。
暗闇の中で明かりを照らす等、己の居場所を曝け出す様なもの。
故に、夜目はダンジョンを探索する上で必須の技能。
リルカも、探索のメンバーに加わる上で最初に覚えた技能の一つだ。
「——あれ…?」
そしてそれは、夜目の技能を持って居たからこそ気付いた違和感。
リルカの足元にある影。
普段明るい場所で見慣れたそれは、暗闇の中でも変わらずそこにあった。
違和感。
はて、こんな光の差し込まない暗闇の中で、影など出来るだろうか。
己の影を見ながら疑問を抱いていると、ふとその影に——
——無数の眼が開き、ギョロリと一斉にリルカを見た。
「——っ」
声にならない悲鳴。
咄嗟に飛び退くが、その影は無数の眼をギョロつかせながらリルカの足元に張り付いて追ってくる。
そして影から、無数の触手が現れ、リルカの身体に巻き付いていく。
「嘘…嘘嘘嘘!?」
身体中に触手が絡みつき、抵抗すら出来ないまま、リルカの身体はゆっくりと影の中に引き摺り込まれていく。
「だ、誰か…!」
最後には助けを呼ぶ口すらも触手により塞がれ、リルカは最早涙を流すことしか出来ない。
唯一残された視界すら、触手が塞がんとした瞬間——影の触手は一斉に断ち切られた。
「あえ…?」
突如として拘束されていた身体に自由が戻り、呆気に取られ間抜けな声を上げるリルカ。
身体が半分影の中に沈んだリルカは、首根っこを掴まれ、そのまま引き上げられた。
リルカはへたり込み、顔を上げる。
そこに居たのは仲間では無く、忌々しげに睥睨する黒衣に身を包んだ少年だった。
黒衣の少年——ローファス・レイ・ライトレスは、目付きの悪い目でリルカを睨みながら、面倒そうに呟く。
「…やはり貴様か。リルカ・スカイフィールド」
「はえ? なんで私の名前を?」
リルカの口から出たのは、感謝の言葉でも安堵の言葉でもなく、なんとも間の抜けた疑問だった。
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