22# 価値観

 月夜を昼の如く染め上げる様な、煌々と輝く光の巨竜が、蒼炎燃ゆる翼を広げ、こちらを睥睨する。


 巨竜からは、都市の一つや二つを容易く滅ぼしそうな程の、凄まじい魔力が感じられる。


 それは古来の文献よりその存在が確認される最高位の竜種、光と火を司る竜王ドラゴンロード——バハムート。


 間違っても人に従う様な存在では無い竜王バハムートは、ある一人の少年に、まるで服従する様に首を垂れた。


 少年はこちらに向き直ると、こちらに手を差し出す。


「さあ、私と共に征こう。世界を統べるに足る十分な力が、我々にはある」

 

 いずれ第二の魔王と呼ばれる少年——レイモンド・ロワ・ノーデンス・ガレオンが、不敵に微笑んだ。


 *


 ガレオン領本都の屋敷にて、数多くの貴族が集められた盛大なパーティが開かれていた。


 ガレオン領へ着いたのはつい先日。


 ライトレス領を出立し、いくつかの町や都市を経由し、ガレオン領の本都に到着するのに六日間を要した。


 本来ならば七日七晩掛かる所を、王都の汽車を経由する事で丸一日早く着く事が出来た。


 汽車は、中々素晴らしい乗り物だった。


 馬車よりも圧倒的に早く、揺れも少ない。


 是非とも我が領地にも欲しい所だが、父上とは初日の馬車以降、碌に会話をしていない為、そう言った話は出来ていない。


 まあ急ぐ様な事でも無い、この話は後日するとしよう。


 ガレオン家主催のパーティは、三日三晩行われる大規模なもので、三日間全て参加する家もあれば、一日だけ参加して帰郷する家もあったりと、その参加の仕方は自由だ。


 因みにライトレス家は、初日のみ参加する予定だ。


 父上の事だから三日間全て参加するものと思ったが、クリントンの汚職の件やその事後処理も落ち着いていない今、あまり領を空けたくないのだろう。


 ここ三ヶ月は、俺と同様に、父上も随分と忙しくされていたからな。


 最近だと、こちらで身柄を押さえていたクリントンの妻子等の処遇を巡り、セルペンテ子爵家と話し合いが行われているらしい。


 セルペンテ子爵家は、クリントンがやらかした事に対する謝罪と、賠償の請求には即座に応じたらしいが、妻子の身柄に関しては引き取りを渋っているのだとか。


 問題を起こした身内の家族等、揉め事の火種の様なもの。


 セルペンテも面倒を背負いたくないのだろうが、今後妻子の面倒をライトレスで見る等冗談では無いのだかな。


 因みに、セルペンテ子爵家はこのパーティには不参加だ。


 クリントンの件もあり、自主謹慎しているとの事だが、父上と直接顔を合わせるのが恐かっただけであろう。


 何はともあれ、早く帰れるのは俺としてもありがたい。


 留守にしている間は、商業組合の連中との話し合いが進まず、傀儡化した代官役人との密な連絡が出来ない為、一日でも早く帰郷出来るのは正直助かる。


 俺はライトレスの象徴である暗黒色を基調としたコートを着込み、パーティ会場に来ていた。


 パーティの序盤、暫くは俺と同様に暗黒色のスーツを着こなした父上に付き添い、主催元であるガレオン公爵や、他の有力貴族への挨拶回りだ。


 ライトレス家に相応しい、礼節ある毅然としたお辞儀を披露して回る。


 パーティは好きだが、正直この時間がこの世で一番の苦痛だ。


「もう少し愛想を良くしろ」


「…父上にだけは言われたくありません」


 父上が小声で叱って来たので、カウンターを返してやる。


 笑顔も無く仏頂面なのは父上、貴方も同じだ。


 挨拶周りが一通り終わり、漸く解放された。


 このパーティは立食式で、会場を行き交うウェイターからドリンクを貰い、乾いた喉を潤す。


 グラスを片手にパーティの雰囲気を楽しみながら会場を歩く。


 舞台で演奏される優雅な音楽に耳を傾けながら、自由に踊る貴族達を眺める。


 これぞパーティ、これぞ社交界、これぞ上流階級。


 だが…。


「…静かだな」


 はて、パーティとはこんなにも静かなものだっただろうか。


 演奏される音楽に、貴族達の囁くざわめき、以前はもっと賑やかに感じたものだが。


 このパーティは、謂わば上流階級の粋を集めた空間だ。


 その筈なのに、何故こうも物足り無さを感じるのか。


 何故こうも、辺境の漁村の、宴の下賎な馬鹿騒ぎがちらつくのか。


 ふと、脳裏にフォルの顔が浮かび、頭を振って散らす。


 馬鹿な、何故あいつの事など…。


 俺は溜息を吐く。


 フォルと過ごしたのはほんの数日だと言うのに、俺はどうしてしまったのか。


 情にでも絆されたのか?


 この俺が、平民相手に?


 馬鹿な。


 心の中で自問自答していると、唐突に声が掛かる。


「お疲れ様でございました」


「…!」


 気配も無く背後に居たカルロスに、普通にびっくりした。


 気配位、常時出しておけ馬鹿者。


 挨拶周りの際には使用人は席を外していたのだが、戻って来たのか。


「随分と長く御当主様と回られていましたな」


「この規模のパーティだと、多くの貴族が来ているからな。しかし、挨拶周りだけは、どうも好きになれんな」


「他家と繋がりを作る大切な機会です」


「そんな事は分かっている」


「それよりも、どうされたのです? 随分と退屈そうですが」


 首を傾げるカルロスに、俺は目を逸らす。


「…そう見えるか?」


「ええ。と、言うよりも今は…想い人でも思い出されていましたかな?」


「あ?」


 俺は巫山戯た事を抜かすカルロスを睨み付ける。


「貴様、死にたいのか? 俺は冗談は嫌いだ」


 威圧すると、カルロスは肩を竦める。


「これは失言を」


 ふと、カルロスは俺の手に持つ空になったグラスと、コートの内に隠された失った左腕に目を向ける。


「何か、お取り致しましょうか?」


「いらん」


 目聡いのは良い事だが、要らぬ世話だ。


 確かに片腕では、立食式だと食事もままならんが、持って来てどうする気だ。


 まさか、貴様が俺に食べさせる気か?


 そんな醜態を晒す位なら一食程度抜いた方がまだマシだ。


「では、何か片手でもつまめる物を…」


「いらんと言っているだろう!」


 それでも何か持って来ようとするカルロスを叱責し、俺はコートを翻してバルコニーに向かう。


「外の風に当たって来る。付き添いは不要だ」


「御意」


 俺はカルロスを置いて、一人バルコニーに出た。


 三日月の出る月夜。


 俺は手摺にもたれ、夜風を感じる。


 月光を浴び、挨拶回りの疲れが癒やされる様だ。


 しかし暫しの静寂は、俺が一人になるのを見計らったかの様に現れた闖入者により破られた。


「楽しんでいるかい、ローファス」

 

 まるで十年来の友人に話す様に、馴れ馴れしく声を掛けて来たそいつは、現時点では初対面の筈の相手。


 俺の暗黒色のコートと対照的に、純白のスーツに身を包んだブラウンの髪に青眼の少年。


 このパーティの主催元の嫡子であり、物語に置いては第二の魔王と呼ばれた存在。


 レイモンド・ロワ・ノーデンス・ガレオン。


 挨拶回りの時には姿を見せなかったが、接触する機会を伺っていたのか?


「少し良いかな? 君と、話がしたいんだ——ローファス」


 レイモンドは不敵な笑みを浮かべ、俺を見ていた。


 *


 レイモンドに連れられ、ローファスが訪れたのはパーティ会場の庭園だった。


 そこにはローファスの他に、2名の男女が居た。


 見た所、歳はローファスと同じ位であろう。


 片や歳の割に背が高く、筋肉質な少年。


 片や緑を基調としたドレスを着る、小柄な色白の少女。


 いずれも、この世界においてはローファスとは初対面。


 しかしローファスは、彼等の事を知っている。


 ローファスと同様に、物語で四天王として第二の魔王レイモンドに付き従った者達だ。


 ローファスは目を細め、周囲を見回す。


 やはり、ヴァルムの姿は無い。


 レイモンドは、自らが声を掛け、集めた3人を見て微笑む。


「二人とも、待たせたね。これで全員揃ったよ」


 レイモンドの言葉に、先に待って居た二人は眉を顰めた。


「今度はライトレスの嫡男か。どう言う組み合わせだよ」


 言葉を発したのは背の高い筋肉質な少年——名をオーガス・ロエ・ディアマンテ。


 ディアマンテ伯爵家の嫡男である。


「…」


 そして、無言で訝しげな視線をローファスに向けているのが、緑のドレスの小柄な少女——名をアンネゲルト・ルウ・トリアンダフィリア。


 トリアンダフィリア伯爵家の次女である。


 そのいずれも、魔法の天才、ライトレスの麒麟児と称されるローファスと同様に、特定の分野で天才と呼ばれる程の者達だ。


 レイモンドは庭園の中央に立ち、こちらに向き直ると、静かに笑う。


 そして、その身から溢れる程の高密度の魔力を放出した。


 ローファスが冷や汗を流す程の高密度の魔力。


 それはまるで、魔の海域で遭遇したあの魔鯨を彷彿とさせた。


 他二人、オーガスとアンネゲルトはレイモンドの魔力を直に浴び、顔を真っ青にしている。


 オーガスは片膝をつき、アンネゲルトは震えながら顔を俯かせている。


 魔力の多いローファスは冷や汗程度で済んでいるが、上級貴族程の魔力を持ってしてもここまで追い込む程のレイモンドの魔力。


 どう言うつもりだ、とローファスが睨み付けると、レイモンドは直ぐに魔力放出を止めた。


 高密度の魔力から解放され、一気に空気を吐き出すオーガスやアンネゲルト。


 レイモンドは構わず、続けて手の中に小さな光の球を生み出した。


 一見すると下級魔法の光球ライトボールの縮小版の様にも見えるが、ローファスとアンネゲルトはそれを見て顔色を変える。


 レイモンドの行ったそれは、魔法使いの観点から見て常軌を逸した事だった。


 魔法の奥義とも呼べるものに無詠唱がある。


 ローファスもよく使用する無詠唱だが、これは詠唱、魔法名の宣言の工程を全てスキップして、最短で魔法を発動させる技術だ。


 無詠唱は、現在の魔法使いにとって神業と言って差し支えない技術だが、レイモンドが行使した光の球は次元が違う。

 

 その小さな光の球には、魔法には必ず存在する術式が組み込まれていなかったのだ。


 術式を介さない属性の具象化、それは最早魔法と呼べる代物では無い。


 魔法を超えた何か、魔法の先にある何かと言って良い。


 無論、そんな真似はローファスでも出来ない。


 因みに、魔法に明るく無いオーガスはぽかんとそれを見ているだけだ。


 レイモンドは一頻り手の平で光の球を転がした後、光の球を消し、その腕を振り上げる。


 魔力強化されたレイモンドのその腕は、地面を殴り付けた。


 凄まじい衝撃と地響き、そして殴り付けた地面にはクレーターが出来ていた。


 常軌を逸した膂力。


 ただ大量の魔力を込めただけでは、これ程の破壊力を出すのは不可能だ。


 純粋なポテンシャルもあるが、真に必要なのは身体と魔力の同調率だ。


 要するに、身体がどれだけ魔力を通すのに適しているか。


 ローファスやアンネゲルトは当然、それ以上にオーガスが驚き目を剥く。


 魔力、技術、膂力。


 それら全ての圧倒的力を見せ付けたレイモンドは、これまでの穏やかな笑みを一転させ、不敵な笑みを見せる。


「断言しよう。この王国で最も強い人間は、私を置いて他は無い。私の能力は、そのいずれも王国の人間の中で最も優れている。闘う力に限定するならば、この王国に私に勝てる人間は居ないだろう。これは過剰な自信ではなく、客観的観点から導き出した事実だ」


 レイモンドは続ける。


「しかし、私の力を特定の分野で上回る人間が、この王国に四人居た。それもあろう事か同世代に。運命を感じたよ。一人はここに居ないが、それは君達の事だ」


 レイモンドは改めて三人を見据える。


「無様なものを見せたね。今のは、私の力を見せる為のちょっとしたデモンストレーションだ」


 レイモンドは肩を竦める。


「だが…繰り返すが本当に無様なものを見せた。こんなものはただの余興に過ぎない。魔力はローファスに劣り、魔法技術はアンネゲルトに劣り、膂力はオーガスに劣る」


 この言葉に、ローファス、アンネゲルト、オーガスの三人はそれぞれの顔を見比べる。


 無様な訳が無い。


 確かに、彼等三人ならばそれぞれの得意な分野において、レイモンド以上の力を発揮する。


 しかし、そんな王国でも最高峰クラスの力を有する彼等でも驚愕する程の…油断出来ないと断ずるだけの力をレイモンドは見せた。


 アンネゲルト、オーガスは今にも腰を抜かしそうな程の畏怖の目をレイモンドに向けている。


 その中でローファスは、唯一平静を崩さない。


 何故ならばローファスは、物語を介して、レイモンドの基礎能力が全体的に常軌を逸して高い事を知っていた。


 直にその目にしたのは初めての為、多少驚きはしたが、その程度。


 ローファスは鋭い目をレイモンドに向ける。


「それで、我々を集めた理由はなんだ。まさか、力自慢がしたかったのか?」


 これだけの力を見せ付けられながら、横柄な態度を取るローファスに、アンネゲルトやオーガスは目を剥く。


 対するレイモンドは穏やかに、友好的な笑みを見せた。


「自慢だなんて、君達と比べれば矮小な力だ。私は、君達と対等な関係が築きたいんだ」


「対等? 服従を求めるの間違いだろう。これだけ力任せに威圧しておいて、どの口が言っている」


「お、おい…!」


 オーガスが止めようとローファスの肩に手を掛けるが、その手はローファスが常時展開している魔法障壁に遮られる。


 アンネゲルトはレイモンドが怒らないか冷や冷やした目で見ていた。


 レイモンドはローファスの不遜な言葉を受け、笑った。


「嬉しいよ、ローファス。私を対等として接してくれる者は中々居ない。それと、威圧する意図は無かった。もしもそれで萎縮させてしまったなら、謝らせて欲しい」


 穏やかに謝罪するレイモンドに、アンネゲルトとオーガスの緊張は僅かに解れる。


 ローファスは、この期に及んで不遜な態度を崩さない。


「萎縮したのはそこの二人だ。それに俺は、我々を集めた理由を聞いた筈だが?」


「おい! いい加減にしろお前!」


「貴方、さっきからどう言うつもり…!?」


 ローファスの態度に業を煮やしたオーガスが詰め寄り、アンネゲルトは非難の目を向ける。


「貴様らこそ、伯爵家風情が誰に口を聞いている!?」


 威圧的に睨み返すローファス。


 ローファスは焦っていた。


 このままでは、物語のストーリー通り、レイモンドの取り巻きになってしまう。


 それはまずい、非常にまずい。


 レイモンドの取り巻きになれば、その先に待っているのは物語と同じく四天王となる道。


 そして訪れるのは、主人公勢力に嬲り殺される未来。


 それはローファスが最も恐れる結末だ。


 故に、ローファスは足掻く。


 他四天王とは関係を拗らせ、その上でレイモンドに服従しない態度を示し続ける。


 レイモンドは、そんなローファスを見据え、口を開く。


「理由、それは——世界を、統治する為だ」


 レイモンドの言葉に、アンネゲルトもオーガスも、ローファスさえも目を見張り、口を噤む。


 弱冠12歳の少年が発する、荒唐無稽な大それた言葉。


 しかしそれには、何処か子供のものとは思えない重みがあった。


 少なくとも、この場にいる王国きっての天才三人を圧倒する程の。


 その声には重みがあり、力があり、その場に傅きたくなる様な不思議な魅力があった。


 レイモンドは、微笑むと身の上を語る。


「私は、5歳の頃から10歳までの5年間、身分を隠して北の帝国で暮らしていた。帝国は、魔法国家である王国とは異なり、錬金術や科学と言う技術が発展した国だ。故に、帝国に魔法使いと呼べる存在は居ない。寧ろ、魔力を持つ者は差別の対象とされていた」


 この情報は、ローファスも物語を介して知っている。


 だが、それを知らないアンネゲルトやオーガスは聴き入る。


「半世紀も前、王国と帝国は戦争状態にあった。今でこそ相互不可侵の関係にあるが、当時は両国互いに、正しく仇敵として憎しみ合っていたそうだ。その時の価値観の名残だろう、魔法使いは悪だと言う風潮が帝国には根強く残っている」


 レイモンドは、左手を広げて言葉を紡ぐ。


「帝国の辺境では、魔女狩りと称して魔力持ちが殺される事もある。私はそれを、直に見た。何の罪も犯していない、ただ魔力を持って生まれただけの幼子が、嬲り殺しにされたのを」


 そしてレイモンドは、続けて右手も広げた。


「対して王国では、魔力を持つ者が貴族として権力を持ち、時には魔力を持たない民を戯れに殺める事もある。魔法と言う力を振り翳し、無力な民を一方的に嬲る…いずれの国も、罪の無い民が死んでいる」


 レイモンドは三人に問い掛ける。


「この世は、理不尽で溢れているとは思わないか? 右の国では魔力を持つ者を崇拝し権力を持たせ、左の国では魔女狩りと称して殺害の対象となる。犠牲になっているのは、いずれも罪の無い無力な民…全ては価値観の相違が生んだ非劇だ」


 レイモンドの言葉に圧倒され、息を呑む三人。


「この世には未だ無いのだよ。人を傷付けてはいけない、殺めてはいけない、そんな当たり前の価値観が」


 レイモンドは広げていた手を握り締め、目に強い力を宿す。


 それは決意を表明する様に。


「ならば私がなろう、この世で唯一の価値観に。総べての人間を導く、絶対の指導者に」


 世界の王として君臨する宣言。


 ともすれば、王家に対する反逆を示唆するものだ。


 そしてレイモンドから手が差し出される。


「私一人の力では無理だ。だが、君達が力を貸してくれるならば、実現可能な未来だ。どうか手を貸して欲しい。王国の繁栄と、この世の理不尽を消し去る為に」


 そこに居たのは、物語に置いて第二の魔王と呼ばれた、王国を滅ぼさんと破壊の限りを尽くしたレイモンドではなく、圧倒的カリスマ性を持つ義心に満ちた指導者の姿だった。


 アンネゲルト、オーガスは、まるで心酔した様にレイモンドの元へ行き、その前に跪いた。


 ローファスも、レイモンドの元に跪きたい強い衝動に駆られたが、寸前で踏み止まる。


 これは洗脳魔法の類では無い。


 純粋なレイモンドのカリスマ性によるものだ。


 ローファスは静かに息を吐き、レイモンドを見据える。


「無理だな」


 ローファスが示したのは容認でも拒絶でも無く、否定。


 レイモンドは僅かに眉を顰め、アンネゲルトやオーガスは信じられないと言った目でローファスを見る。


「レイモンド、貴様は失敗する」


「…それは、何故? 私の力に不安があるのか? ならば…」


 レイモンドが天に手を掲げるが、しかしローファスはそれを否定する。


「違う。別に貴様の力は疑っていない。だが、その上で無理だと言っている。我々だけでは、世界は疎か、この王国一つ落とす事すら出来ん」


「…それは、私の力を見てから判断して欲しい」


 レイモンドの上空に展開される魔法陣。


 そこから溢れ出すのは光と青い炎。


 これは召喚魔法。


 レイモンドの規格外の基礎能力等はおまけに過ぎない。


 第二の魔王レイモンドの本領は、この召喚魔法にある。


 魔法陣から現れ、レイモンドの背後に降り立ったそれは、巨大な光の竜。


 人里の目に触れぬ秘境に住まうとされる、最高位の竜王ドラゴンロード——バハムート。


 召喚され、その場に存在するだけで、夜の闇は昼が如く照らされる。


 燃ゆる蒼炎の翼は、触れずともその熱気が揺らめいて見える程だ。


 バハムートは服従を示す様にレイモンドに首を垂れた。


 アンネゲルトは腰が抜けてへたり込み、オーガスは動く事すら出来ずに固まる。


「…これが私の召喚魔法だ。このレベルの魔物を、私は何体も保有している。ローファス、これで君の憂いは晴れたかな?」


 レイモンドはローファスに微笑み掛け、再び手を差し出した。


「さあ、私と共に征こう。世界を統べるに足る十分な力が我々にはある」


 竜王バハムートの凄まじい魔力をその身に浴び、ローファスは——大して何も感じなかった。


 或いは、一昔前のローファスならば驚き慄いたかも知れない。


 このレベルの魔物を複数体使役出来るのであれば、本当に王国を、世界を手に出来るかもと夢想したかも知れない。


 だが、物語の全容を知り、魔鯨と相対した経験を持つローファスの目には、バハムートは大した脅威には写らなかった。


 ローファスは指輪に仕込んだ針で指を切り、その血を己の影に垂らす。


 そして生み出す——万物を刈る死の鎌を。


「——【命を刈り取る農夫の鎌】」


 発動したのは古代魔法。


 ローファスは、竜王バハムートに対して脅威を感じなかったが、だからと言って慢心も油断もしない。


 魔鯨と比べれば雑魚も同然だが、属性不利を考えれば油断出来る相手では無い。


 ローファスは確実に殺せる魔法で、確実に殺す選択をした。


 目を見開くレイモンドを尻目に、ローファスは死の鎌を軽く一振りした。


 直後、刃が届いていないにも関わらず、音も無くバハムートの首が飛んだ。


 断末魔すら発する事も出来ず、竜王バハムートは光となって霧散する。


 レイモンドは何が起きたのか分からないと言った様子でぽかんと口を開けている。


 消えたバハムートを見たローファスは、鼻で笑った。


「この竜は光属性だろう? 暗黒に対して属性優位の位置にいながら、一撃とはな。時にレイモンドよ、貴様の力はいつ見せてくれるのだ?」


 ローファスの最大限の煽りを受けたレイモンドは、この時初めて感情を見せる。


 それは煽られた怒りでも、バハムートを倒された悲しみでも無く、喜びだった。


「はは、なんてデタラメな…素晴らしい…!」


 心の底から、嬉しそうな笑み。


 レイモンドは溢れる笑いを堪え、それを隠す様に口元を隠し、ローファスに対して頭を下げた。


「ローファス、本当にすまなかった。どうやら私は、君の実力を随分と低く見積もっていたらしい。心から謝罪するよ」


 レイモンドは顔を上げ、ローファスを見る。


「そして確信したよ、ローファス。やはり君の存在は、私の計画に必須だと。この場では君の理解を得るのは難しそうだ。また後日、対談する機会が欲しい」


 ローファスの手を取り、まるで恋人にでも話す様に甘く囁くレイモンド。


 アンネゲルトはそんな二人を見て、雷に打たれた様な衝撃を受けた。


 そして「アリかも…」とぼそっと誰にも聞こえない声で呟く。


 ローファスは急ぎ、その手を振り払った。


「離せ! 俺にそっちの気は無いぞ気色悪い!」


「はは、誤解だ。心配せずとも、私には愛しい婚約者が居る」


「…ふん。話は終わりか? 俺は帰らせてもらう」


 ローファスはコートを翻し、パーティ会場に向けて踵を返した。


 これにて、ヴァルムを除いた三者とレイモンドの会合は終わりを告げた。


 その後、ローファスは一人で、アンネゲルトとオーガスはレイモンドに追従する形でそれぞれ会場に戻った。


 余談だが、レイモンドにより庭園に張られていた結界により、ここでの騒ぎは外部に気取られる事は無かった。


 会場へ一人戻るローファスは、一先ずレイモンドの取り巻きに加わらなかった事に胸を撫で下ろす。


 しかしレイモンドはまだ諦めた様子は無かった為、ローファスも油断は出来そうに無い。


「しかし…愛しの婚約者、ね」


 ローファスは呟く。


「だがレイモンドの婚約者は確か…いや、今は考えるだけ無駄か」


 ローファスはその思考を頭の片隅に追いやった。


 物語開始後の学園にて、レイモンドはその婚約者が原因で、その人格に大きな歪みを生じさせる事となる。


 しかし、物語の主人公視点しか知らないローファスは、それに思い至らない。


 物語第二章において、レイモンドの歪められた人格は、その理想すらも歪ませて王国を滅亡寸前に追いやった。


 その未来は足音を立てながら、ゆっくりと近付いていた。

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