16# ステリア領

 北方ステリア領は、王国の北に位置する帝国との国境に面している。


 治めるのは、過去に帝国との戦争で多大なる功績を上げたと言うステリア辺境伯だ。


 氷雪山脈にも面した寒冷地であるステリア領は、農作にも適さず、度々起きる帝国との小競り合いもあり随分と苦労の絶えない領地と聞く。


 その分、兵士は一人一人が精強で、練度が高いらしい。



 転移結晶の光が収まり、俺とユスリカは、薄暗い部屋の中央に立っていた。


 俺とユスリカの足元の床には、魔法陣が刻まれている。


 この魔法陣は転移先のマーキングとして刻まれたものだな。


 つまりここは既に、ステリア領と言う事になる。


 転移結晶による長距離転移は初めてだが、本当に一瞬で移動するんだな。


「わ、若様ぁ…」


 ユスリカがその場に崩れ落ちた。


 心無しか綺麗な黒髪が乱れている。


「どうした」


「どうしたではありません…何故、この様な暴挙に……こんなの後で筆頭に何を言われるか…ただでさえ、宴の後から当たりが強いのに…」


 何やらぶつぶつと呟きながら項垂れるユスリカ。


「なんだ、職場の人間関係に不満があるのか?」


 そう問いかけると、ユスリカは深い溜め息を吐き、すっと立ち上がる。


「滅相もございません。お見苦しい所をお見せ致しました」


 そして通常通りの声色で、優雅なお辞儀をして見せた。


 随分と切替の早い奴だな。


 そうこうしていると、部屋の外より忙しない足音が聞こえ、扉が勢い良く開かれた。


 入って来たのは、武装した男だ。


 男は俺達を見ると、訝しげに眉を顰める。


「あ? なんだお前ら。新しい搬入の話は聞いてないが…」


 こいつは、奴隷の購入者に雇われた屋敷の警備か何かだろう。


 しかし成る程、この男の言葉から推察するに、ここは転移で送られて来た奴隷を受け取る場と言う事か。


 転移結晶はあくまでも奴隷の受渡しに使用し、奴隷商と購入者は念話か何かで取引したのだろう。


 転移結晶程の小さな物ならば、他の積荷に紛れさせて輸送する事も出来る。


 それにこの男の口振から、ここの購入者は奴隷を度々購入している事が伺えるな。


 ユスリカは冷めた目で男を見据える。


「若様、あの者の処遇は?」


「殺すな」


「御意」


 ユスリカは凄まじい速度で男に接近し、ワンドを振るう。


 男は咄嗟に腰に下げた剣に手を伸ばすが、間に合う筈もない。


 頭を殴打された男は、そのまま壁に叩き付けられ、力なく倒れた。


 男の頭からは血が流れ、ワンドの先からは血が滴っている。


 …おい、生きてるかあれ?


「こ、殺してはいません。本当です」


 俺の視線に気付いたユスリカが、そう弁明する。


 本当か? まあ、警備程度なら死んでも良いか。


 と言うかそのワンド、治療された時にも持っていたからてっきり魔力を通す触媒か何かと思っていたが、殴打用の武器だったのか。


 扉の外は通路となっており、窓の外には雪が吹雪いているのが確認出来る。


 思えば、転移する前よりも肌寒さを感じるな。


 建物の中でもこの寒さ、流石は寒冷地のステリア領だな。


「な、なんだ貴様らは!?」


 物音に気付いて来たのか、現れたのは先程の者と同様の装備の男。


 また警備兵か、夜分遅いと言うのにご苦労な事だな。


 警備兵はユスリカに速やかに処理されていた。


 そこそこ大きな音を立てたが、それ以上警備が来る様子は無い。


 懐中時計を見ると、針が指し示す時刻は深夜の3時だ。


 皆が寝静まる時間、流石に警備の数も少ないな。


 居るのも夜の見回り位なものか。


「しかし、随分と広い屋敷だな。一部屋一部屋探すのも面倒だ」


 ここは通路の一角だが、通路の長さを見るだけでこの屋敷が如何に大きいか窺い知れると言うものだ。


 俺は広範囲に魔力を飛ばし、魔力探知を行う。


 だが、屋敷内からの反応は帰って来ない。


 魔力探知は、魔力を持つ者を見つけ出すものだ。


 魔物や、人間でも魔力を有する者にしか反応はしない。


 つまりこの屋敷には、魔力持ちは居ないと言う事だ。


 記録にあった奴隷購入者は、見覚えの無い名前だったが、やはり魔力を持つ貴族では無かったか。


 であれば、商人か?


「お待ちを…」


 魔力探知をした俺の反応から察したのか、ユスリカが探知魔法を行使する。


 見慣れない魔法だ、魔法陣に組み込まれた術式を見るに、音を探知するタイプの魔法か?


「…見つけました。恐らく、この屋敷の主人と思われる者です」


「ほう」


 魔法を発動してからものの数秒で、見事なものだな。


 最高位レベルの治療魔法だけではなく、高水準の探知も出来るのか。


「…それで何故ネームドじゃないんだ」


「その、戦闘の方が苦手でして…」


 戦闘が苦手? ワンドで大の男を殴り付けていた女がよく言ったものだな。


 確かに暗黒騎士は戦闘に特化された集団であり、その評価基準も戦闘寄りになるのかも知れんが。


 ユスリカに案内され、購入者と思しき者が居る部屋の扉を開け放つ。


「なっ!?」


 ランタンを持った寝巻き姿の小太りの男が、驚愕の面持ちでこちらを見る。


 物音に気付いて起きていたのか。


 ワンドを構え、直ぐに動こうとしたユスリカを手で静止し、暗黒腕ダークハンドを行使する。


 俺の影から伸びた無数の暗黒の手が襲い掛かり、小太りの男を瞬く間に拘束する。


 暗黒の手は、男の手足を押さえ付け、ついでに口も抑えて叫ばれないようにしておいた。


「お見事です」


「世辞は良い。貴様も無傷で無力化する手段位持っておけ」


 称賛してくるユスリカに小言を言うと、目に見えて肩を落としていた。


 こいつが何者か知らないが、下手に身分の高そうな者を他領で傷付けるのはリスクが高い。


 殺すのは勿論だが、ワンドで殴り付けるのはもっと駄目だ。


 ワンドで殴る位なら、いっそ殺して俺が居た証拠諸共この屋敷を焼き払った方がまだ良い。


 ふと、部屋に置かれたゴテゴテした悪趣味なベッドを見ると、そこには何処か生気の無い目でこちらを見る半裸の少女が居た。


 見る限り、歳はフォルと変わらない位か。


 少女は男が拘束されたと言うのに特に反応を示さず、逃げようともしない。


 ただ無気力に、生気の感じられない目でこちらを見るのみだ。


 少女はその身こそ小綺麗だが、顔や身体の至る所に青痣がある。


 まるで日常的に暴力を振るわれているかの様だ。


 ユスリカがそっと耳打ちしてくる。


「恐らく奴隷かと」


「見れば分かる」


 俺の足元で、小太りの男が「んー、んー!」とうざったく身体を捩らせている。


 俺は手に暗黒槍ダークランスを生み出し、男の顔すれすれに床を突き刺す。


 ぴたりと動きを止め、怯えた眼でこちらを見上げる男。


「騒ぐな。静かにしているなら殺さん」


 男はこくこくと頷き、抵抗を止めた。


 次に俺は、ベッドに座る半裸の少女に近付く。


 少女はやはり、ぼんやりと俺を見るだけで逃げようともしない。


 はだけて露出した胸を隠そうとすらしない。


 左の頬には殴られた様な痛々しい青痣。


 痣は、身体にも幾つか見られる。


 そして、少女の足を見て俺は目を細める。


 足首に痛々しい切り傷。


 どうやら、腱が切られているらしい。


 成る程、逃げたくても逃げられないのか。


 哀れなものだな。


「若様、これはその…恐らくですがその男がこの少女に乱暴を…」


「だから、見れば分かると言っているだろうが」


 なんとも言い難そうに口にするユスリカ。


 馬鹿にしているのか。


 若い女が奴隷として買われる理由など、知れた事だろうが。


 それに、別に最悪の扱いをされている訳でもない。


 ただ暴行され、男の欲の捌け口にされただけだ。


 足の腱を切られて逃げる事すら許されず、未来に希望は抱けなかったろうがな。


 それでも、まだましだ。


 奴隷には人権は無い。


 人体実験に使用され変わり果てた姿になったり、呪術の素材として生きたまま身体をばらされる様な事例もある。


 その最悪を考えればこれはまだマシな部類だ。


 人の形を保っているのだからな。


 まあいずれも、当人達からすれば死にたくなる様な事柄だろうが。


 俺は奴隷の少女を見据え、尋ねる。


「貴様、ノルンか?」


「…!」


 感情が感じられ無かった少女の瞳が、僅かに見開かれた。


 そして、何かを喋ろうと口を動かすが、声が出ていない。


 少女の首元を見ると、こちらにも切り傷の様なものがあった。


 喉も潰されているのか。


 逃げれず、助けも呼べない状態か、徹底されているな。


 名前に反応した所を見ると、恐らくこいつがノルンだろう。


「…」


 ユスリカが殺気を孕んだ眼で男を見下ろしている。


 同じ女として許せなかったか? 睨む位なら許すが、余計な事はするなよ。


「ユスリカ、この娘を治療しろ。後は、身体も清めてやれ」


「…! お任せを!」


 俺に命じられたユスリカは、直ぐにノルンに治療魔法を掛け始める。


 ユスリカは四肢の欠損すら再生させる程の最高峰の治療魔法の使い手だ。


 身体の青痣は勿論、喉や足の腱も問題無く治療出来るだろう。


 やはりユスリカを連れて来て正解だったな。


 ユスリカがいれば、生きてさえいれば大概の傷は治癒出来る。


 ノルンが奴隷として売られていた時点で、生きてはいるだろうが、四肢の欠損、最悪人の形すらしていない可能性も想定していた。


 事実、物語の第三章では実験を繰り返されて変わり果てた姿のノルンがクリーチャーとして登場し、主人公達の前に立ちはだかっていたからな。


 しかし、ノルンはこの男を経由して帝国に売られたのか。


 男の欲望の捌け口にされた後は、人体実験の末にクリーチャーだ。


 なんとも悲惨なものだな。


 俺は他人事にそんな事を考えつつ、拘束した男の元へ行き、質問する。


「あの娘を買ったのはライトレス領の奴隷商か?」


 男はこくこくと素直に頷く。


 どうやら抵抗する気も、反抗する意思も無いらしい。


「ライトレス領へ行く転移結晶はあるか?」


 男は首を横に振った。


 まあ、そうだろうな。


 転移結晶を奴隷の受渡の為に使っていたなら、ライトレス領からステリア領への一方通行で良い。


 どうやらここには、手っ取り早く帰還する手段は無いらしいな。


 朝までにはローグベルトまで戻りたかったのだがな。


 またカルロスにくどくど文句を言われる羽目に…。


 面倒な未来を憂鬱に想いながら、ふと窓を見る。


 見えるのは吹雪き、白く染まった街並みと、天に聳え並び立つ氷雪山脈。


 その山脈を飛ぶ、翼を広げ舞う影が見えた。


 ステリア領の氷雪山脈には、ワイバーンが棲息していると聞いた事がある。


 確かステリア領では、そのワイバーンを騎竜として飼い慣らす習わしがあるのだったか。


「ふむ…」


 俺は思案する。


 ステリア領からライトレス領へ帰還する方法について。


 転移結晶は無い。


 陸路は時間が掛かり過ぎるから論外。


 では海路はどうか?


 魔の海域の脅威が無くなった今、船さえ出せれば陸路よりも圧倒的に早くローグベルトに着くだろう。


 だが、これも厳しい。


 まず、船の調達が困難だ。


 ここは他領。


 自領とは違い、ここで何か問題を起こせば父上に迷惑を掛ける事になる。


 きっと魔の海域に巣喰う船喰らいの悪魔を討伐したと言っても、誰一人として船を出してはくれないだろう。


 ガキ一人の論など、信じられる訳がないからな。


 少なくとも、俺が住民なら信じない。


 では魔の海域で調達した、影の使い魔を利用するのはどうか?


 大型のものならば、背に人を乗せるスペース位はあるだろう。


 だが、正直これも無い。


 海の魔物に、騎乗に適した奴は居ないし、海水でびしょ濡れになるのは御免だ。


 何より先日、人生初の航海で酷い目にあったからな。


 もう暫く航海はしたくない。


 そこで、あの氷雪山脈を飛び回るワイバーンだ。


 ワイバーンは騎竜として使役されるだけあり、乗り心地も悪くはない筈だ。


 山脈で適当なのを1匹殺して、影の使い魔として使役すれば、魔力ゴリ押しで疲れ知らずの常時最高速度で飛ぶ騎竜の出来上がりだ。


 ふむ、我ながら良い案だ。


 早速捕まえに行くとしよう。


 俺は治療中のユスリカに向き直る。


「ユスリカ、治療には後どれくらい掛かる?」


「申し訳ありません。今暫しお待ちを。喉や足の腱は既に傷が塞がっている為、元に戻すには時間を要します」


「そうか。ならば俺は少し出てくる」


「は? ど、どちらに行かれるのですか?」


 戸惑うユスリカに、俺は肩を竦めて見せる。


「帰る為の足を確保してくる。なに、1時間もすれば戻る」


「いや、しかし…」


 ユスリカは不安気に暗黒腕ダークハンドに拘束された男に目を向ける。


「心配するな。その拘束は俺が離れても解けん。だが、もしも俺が不在の間に不測の事態が起きたなら、貴様だけで対処しろ。最悪殺しも許可する。良いか、その娘だけは死守しろよ」


 ユスリカは、何処か諦めた様な、疲れた様な顔で笑い、遠くを見る。


「…カルロス様も大変ですね」


「どう言う意味だ?」


「いえ、深い意味はありません。お気を付けて行ってらっしゃいませ」


「そうか、後は任せるぞ」


 俺は屋敷の窓から飛び出し、生み出した暗黒腕ダークハンドの手の平に乗って、先程ワイバーンの影が見えた山脈へ向かった。


 *


「逃げられた…?」


 遠目から見ていた時はこの辺で飛び回っていたのに、いざ近くまで来ると居なくなっていた。


 魔力探知にも引っ掛からない。


 探知の範囲外まで逃げられたのか?


「くそ、勘の良い奴らだ」


 野生の勘と言うやつか?


 人間の、それもこんなガキがたった一人近付いて来た位で逃げるとはどう言う事か。


 下級とは言え、仮にも竜種だろうに。


 しかし、吹雪で視界が悪い。


 魔法障壁のお陰で吹き荒ぶ風も雪も、俺に直撃する事は無いが、寒いものは寒い。


 雪山に来る様な装備では無いし、こんな極寒の雪山に、あまり長居はしたくないのだがな。


 ワイバーンを探して、魔力探知を広げながら山脈を飛び回る。


 時折、遠目にワイバーンが飛んでいるのが見えるのだが、近付くと決まって逃げられる。


 暗黒腕ダークハンドの速度では、高速で飛行するワイバーンには追い付けない。


 例え飛翔魔法フライに切り替えても、ワイバーンの速度には敵わんだろうな。


 苛々して、遠目に見えるワイバーンに向けて暗黒球ダークボールを放ったが、普通に躱わされた。


 しかも、それ以降、ワイバーンが姿を見せなくなった。


 くそ、ちょっと翼があるだけの蜥蜴の分際で、小賢しい真似をしおって。


 この山脈ごと魔法で吹き飛ばしてやろうか。


 そうすれば住処を追われたワイバーンがわらわらと出てくるだろう。


 上空に巨大な暗黒槍ダークランスを衝動的に生み出した所で、俺は頭を振る。


「…」


 待て、冷静になれ。


 ここは他領、面倒事を起こすのは駄目だ。


 それに俺も、今は万全の状態ではない。


 魔力が多少回復したと言っても、今の魔力量は全快時の1割も無い。


 魔力消費の激しい古代魔法は当然として、上級魔法すら連発出来ない。


 中級魔法でも、考え無しに湯水の如く使っていれば魔力が尽きる可能性は十分にある。


「まさかこの俺が、中級魔法程度を出し渋る羽目になるとはな…」


 今のこの魔力が制限された状態は、まるで物語第二章において、俺が《影狼》のローファスとして、主人公勢力と戦った時の状況を彷彿とさせる。


 あの時は王国を制圧する為、魔力の大半を大量の狼の影の使い魔に割いていた為、古代魔法や上位魔法を碌に使えなかった。


 魔力が万全の状態であれば、あのクソ主人公程度に負ける事は無かったのだ。


 しかし何はともあれ、俺はもう2度と魔力枯渇に陥る気は無い。


 感情に任せて大胆な行動に出るのは俺の悪癖、控えねばならんな。


 もう少し山脈を周回して、それでも見つからないなら別の手段を考えるとするか。


 全く、まさかワイバーンがこんなにも臆病ですばしっこいとは。


 少しは好戦的な海の魔物を見習って欲しいものだ。


 まあ、あれは魔鯨の影響で凶暴化していただけなのだが。


 ワイバーンは騎竜として飼い慣らせる魔物だし、凶暴そうな見た目に反して意外と温厚な魔物なのかも知れんな。


「…!」


 山脈の周辺を旋回していると、ワイバーンと思われる魔力が魔力探知に引っ掛かかった。


 念願のワイバーンだが、その魔力はかなり微弱で、その位置は山脈でも下の方、人里に近い。


 この氷雪山脈には、当然だがワイバーン以外の魔物も棲息している。


 その証拠に、この山脈にはワイバーンと比べると幾分か小さな魔力反応がちらほらと感じ取れる。


 だが、人里近くの微弱な魔力反応。


 この魔力の特徴は、ワイバーンのものに相違無い。


 深夜とは言え、件の場所は人里付近だ。


 夜の警邏にでも見られて騒ぎになると面倒なので、高度を落として低空飛行で微弱な魔力に接近する。


 魔力反応は徐々に近づき、そして辿り着いた。


「これは…」


 地上に降り立ち、そこにあったのは、ワイバーンの死体だった。


 そのワイバーンは、片翼が折れた様に損傷しており、死因が老衰では無い事が窺える。


 そして、顔の横には白い花が添えられていた。


「この土地で、花か」


 寒冷地でも花は咲くんだな。


 花が添えられていると言う事は、見舞いに来る人間が居ると言う事。


 このワイバーンは生前、騎竜として飼われていたのだろう。


 しかし、死体に残った魔力を、俺はワイバーンのものと誤認したのか?


 死体にも魔力は残る事があるが、生前と死後では魔力の波長が異なる。


 生きたワイバーンの魔力を感じたと思っていたのだが、反応が微弱過ぎて誤認したのか?


 まあ、良いか。


 いずれにせよ、死んでいる方が都合が良い。


 捕まえる手間も、殺す手間も省けたからな。


 俺はワイバーンの死体を見据え、呟く。


「——【喰らえ】」


 俺の影から這い出た無数の目を持つ不定形の暗黒が、ワイバーンの死体を喰らい、飲み込む。


 例え翼がへし折れ、片翼であろうとも、俺の《影喰らい》は肉体の損傷を修復して影の使い魔にする。


 完全に《影喰らい》に飲み込まれたワイバーンは、その体躯を起き上がらせ、雄叫びを上げた。


 そして、俺を見た。


 違和感。


 俺は咄嗟に後方へ飛び退く。


 次の瞬間、俺が立っていた所を、影の使い魔と化した筈のワイバーンが喰らい付く。


 寸前で退避出来、事なきを得たが、一瞬でも身を引くのが遅ければ、今頃上半身は奴の腹の中だ。


「…どう言う事だ」


 ワイバーンは俺を睨みながら、暗黒に修復された翼を広げ、両翼を羽撃かせる。


 損傷の修復…《影喰らい》は間違い無く発動している。


 だが、ワイバーンの肉体を完全に覆っていた暗黒が、まるで押し返される様に引いていく。


 そして、暗黒で修復した片翼部分を残して、ワイバーンの肉体が露わになった。


 暗黒で支配出来ない強い自我。


 こいつ、やはり死んでいなかったのか。


 竜種の生命力は強いと聞くが、まさかあの状態でも生きていたとはな。


 生きているものに《影喰らい》を行使した事はなかったが、成る程、こう・・なるのか。


 俺の命令を聞く気はないくせに、修復された翼の暗黒は、俺の少ない魔力をがんがん吸い上げる。


 と言うかこのワイバーン、死んではいなかったにせよ、死に掛けてはいたんだよな?


 こいつ、暗黒によって俺から吸い上げられた魔力を、自身のものにして回復したのか。


 やってくれたものだ。


 溜め息も出るが、まあ良いか。


 蜥蜴を一匹殺す手間が増えた、それだけだ。


 ちゃんと殺して、改めて影の使い魔に仕立てるとしよう。


「面倒だが、殺してやる」


 俺は手に暗黒槍ダークランスを生み出し、その矛先をワイバーンに向けた。


 と、ここで、魔力探知に新たな反応が引っ掛かる。


 この魔力は、人間の波長だ。


「お前、何をやっている!」


 対峙する俺とワイバーンの間に、少年の声が響く。


 そこに居たのは、防寒着を着た金髪の少年。


 俺はその少年を目にし、目を見開く。


 そいつは、物語においては肩を並べ、共に王国と戦った同志。


 俺と同じく、第二の魔王レイモンドに仕える四天王。


 四天王の中でも最強と謳われる竜騎士。


 多少の幼さこそあるが、間違いない。


 《竜駆り》のヴァルムその人だった。

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