11# 人の温もり
高音で蒸発した大量の海水は上昇気流となり、海上の天候を容易く変える。
その上、くり抜かれる様に失われた海水を補う様に、そこには周囲から大量の海水が流れ込む。
必然的に波は荒れ狂い、追い討ちを掛けるように横殴りの雨が降る。
快晴だった天候は、暴風荒れ狂う嵐へと塗り替えられた。
これは術者であるローファスの誤算。
ライトレス家の奥義《初代の御業》は、海上で使用されたのは歴史的に見ても今回が初めての事。
経験的にも知識的にも、魔法一つでここまで天候が荒れるとはローファスにも予想出来なかった。
だが、ローファスにとっての誤算はもう一つ。
意図せず付いてきたフォルの存在。
船乗りとして幼少より海で育って来たフォルにとって、泳ぐ事は呼吸するが如く容易い。
それこそ、人1人を抱えて泳ぐ事など造作もない。
だが、嵐となれば話は変わる。
場所は魔の海域。
近くに陸地は無く、船も無い。
大自然の前では、人一人の力など無力に等しい。
それは、魔力を持ち、多少身体能力が底上げされていても同じ事。
フォルは、荒波に揉まれながらも意識の無いローファスを抱え、必死にもがく。
荒れ狂う波の中、なんとか海面に顔を出して酸素を取り込む。
「おい! お前、起きろ! 死ぬぞ!?」
どれだけ呼び掛けようと、ローファスは死んだ様に動かない。
それもその筈。
魔力枯渇を引き起こしているローファスは、深い眠りについている。
どれだけ呼び掛けようと、仮に手足を切り落とされようとも目を覚ます事は無い。
だが、魔力枯渇を知らないフォルは、必死に呼び掛け続ける。
そうこうしている内、一際大きな波に飲み込まれた。
フォルは荒波に揉まれ、息継ぎも碌に出来ないまま流される。
最早、意識の無いローファスを抱えている場合ではなかった。
このままでは、ローファスは疎かフォル自身の命さえ危うい。
しかしフォルは、ローファスを離さなかった。
まるで見捨てるなどと言う選択肢は最初から存在しないかの様に。
そこには悪魔の囁きも、刹那の葛藤すら無かった。
ローファスは貴族だ。
それもフォルの嫌いな貴族像を体現したかの様な、絵に描いたような悪徳貴族だ。
態度も大きく横柄で、平民である自分達を下民と呼び見下す。
気に入らない事があれば魔法を行使して脅す事も厭わない。
全くもって、嫌な貴族だ。
それでも、クリントンとは違った。
ローファスは嫌な貴族だが、決して最悪ではなかった。
口こそ悪いが、ローグベルトの住民に乱暴を働かないし、攫おうともしない。
それどころか、ローグベルトを苦しめていた魔物の討伐に乗り出し、その魔物の力がどれ程強大だろうと逃げず、正面から立ち向かった。
平民である船乗りの若い衆を使い潰す様な真似もせず、それどころか攻撃から身を挺して庇い、隻腕となっても怯まずただ一人で船員を守り続けた。
事実としてローグベルトから参戦した船乗りに、犠牲者は一人として出なかった。
それは、フォルの知る貴族像から掛け離れた行いだった。
——そこまでされて、見捨てられる筈が無えだろ!
荒波に揉まれながらも、フォルはそう心の中で叫ぶ。
ローファスはきっと、それら全ての行為は断じて平民の為などではなく、己が為のものだと言うだろう。
勘違いするな身の程知らずが、と悪態をつかれるかも知れない。
だが、結果としてローグベルトを脅かしていた凶悪な魔物は討伐され、その上船乗り達も誰一人欠けず生き残っている。
フォルにとっては、それが全てだった。
だから、ローファスを一人に出来なかった。
何よりローファスは、自分を庇って左腕を失う重傷を負ったのだから。
ローファスの傷を癒したい一心で、何の奇跡か治癒魔法まで発動させた。
魔力持ちである自覚が無かったフォルの魔法行使は、才能があったとしても度を越した奇跡だ。
だが、それでもこの荒波の中ではどうする事も出来ない。
でも決して離さない。
例えこのまま共に溺れて死ぬとしても、フォルはこの自分よりも小さな貴族を絶対に離したりはしない。
その強い意志が天か、或いは神に通じたのか、更なる奇跡が起きる。
フォルの視界の端に、青白く光るタツノオトシゴが見えた。
まるで荒波の影響を受けていないかの様に優雅に泳ぐタツノオトシゴ。
フォルは一瞬魔物かと疑うが、襲って来る気配も、敵意を向けて来る様子も無い。
それどころか、まるで先導でもする様に、すいすいとフォルの前を泳いで先に進んでいく。
時折こちらを振り返る様子は、まるで付いて来いとでも言っているかの様だ。
ローファスを抱えるフォルは、少し考え、付いて行く事にする。
何かしらの罠である可能性はあるが、このままではどうせ溺れ死ぬ。
それにこの青白いタツノオトシゴからは、治癒魔法に似た雰囲気の温かい力を感じる。
確証はないが、とても悪いものには見えなかった。
タツノオトシゴを追い掛けていく内、荒々しかった海は徐々に静まっていき、肌を刺す様に冷たい海水は暖かみを帯びていく。
そして張り詰めていたフォルの意識は、徐々に薄れていった。
*
「…ッ!」
目を覚ましたフォルはがばっと身体を起こす。
純白の砂に、穏やかに押し寄せては引いていく波。
どうやら何処かの島の砂浜に打ち上げられたらしい。
周囲を見回すと、フォルの直ぐ横にローファスが横たわっていた。
ほっと胸を撫で下ろし、ローファスの肩に手を掛けるフォル。
「おい、いい加減起きろよ…あ?」
しかし一転し、フォルの顔から血の気が引いていく。
ローファスの身体は恐ろしく冷たく、呼吸すらしていなかった。
「おい…おい冗談だろ…」
フォルは急いでローファスを仰向けにし、海水を吸って重たい外套を脱がせ、胸に耳を当てる。
微かだが、心音が聞こえた。
だが、その脈は酷く弱く、心許ないものだ。
「動いてる…まだ間に合う…!」
フォルはローファスに馬乗りになり、心臓マッサージを始める。
幼少より船乗りとして育ったフォルは、蘇生措置の知識に明るかった。
溺れた者を救出し、何度か実践した事もある。
大事なのは、名前を呼び続ける事だ。
死の淵に立たされた者の名を呼び、意識をこちらの世界に呼び戻さなければならない。
溺れた先の闇の中に巣食う磯の魔女は、甘い言葉で溺れた者の意識を引き止めようとする。
だからこそ、溺れた者の名を呼び、こちらの世界に引き戻さねばならない。
少しでも意識が戻るのが遅れれば、磯の魔女に魂を喰われてしまう。
これはローグベルトの船乗りに伝わる伝承であり、フォルも父のグレイグより耳にタコが出来るほど聞かされた話。
フォルからしても話半分だが、名前を呼び掛ける事が重要なのは理解していた。
「おい…おい、ロー…」
フォルは名前を呼ぼうとして固まる。
——こいつの名前は、ロー…なんだっけ?
フォルは気付いた。
お互いに未だ、自己紹介は疎か、名前で呼び合ってすらいない事に。
執事がたまに呼ぶのを聞いていたが、“坊ちゃん”と名前を省略して呼ぶ事の方が多かった為、思い出せない。
これでは呼び掛けができず、死の淵から意識を呼び戻せない。
このままではローファスが磯の魔女に魂を食われてしまう。
「…くそ、迷信だあんなもん!」
フォルは自分に言い聞かせるように頭を振る。
「はは…オレ、こいつの事何も知らねえじゃん…」
命まで助けられておいて、と自嘲気味に笑いながらも、フォルは懸命に心臓マッサージを続ける。
だが、ローファスの意識は戻らない。
呼吸も戻らないままだ。
「ああ、くっそ…後で文句とか言うなよ!」
フォルはローファスの鼻を塞ぎ、口から口へ空気を送り込む。
後で不敬罪だなんだと文句を言われそうではあるが、死ぬよりは良いだろうと、フォルは人工呼吸と心臓マッサージを繰り返す。
暫く続けた所で、ローファスが口から大量の海水を吐き出し、酷く咽せ返る。
海水を吐き出した事で無事に呼吸が戻ったのを確認し、フォルは一息付く。
だが、意識は戻らない。
「なんで起きねえ…まさか、磯の魔女に…」
フォルが顔を青ざめさせていると、視界の端でふわふわと浮かぶ青白い何かがちらついた。
「お、お前は…」
荒れ狂う波の中、先導する様にこの浜辺に導いたタツノオトシゴだった。
タツノオトシゴは海中でも無いのに、ふわふわとまるで水に揺られる様に浜辺を漂っている。
ここでふと、フォルは疑問に思う。
フォルとローファスが投げ出されたのは、間違い無く魔の海域だ。
だが魔の海域周辺に島は無い筈だ。
中継地点に出来る島が無く、方向感覚すら狂う全方位見渡す限りの水平線、そして止めの様に現れる船喰いの悪魔。
これが魔の海域と呼ばれる所以だ。
だからこそ、この浜辺はなんだ?
例え荒れ狂う嵐と言えど、海域を超えるほど流されるとは考え難い。
フォル自身が溺れ死んでいないと言う事は、それ程長い間漂流した訳ではない筈だ。
フォルが答えの出ない疑問に頭を悩ませていると、タツノオトシゴは再び先導するように宙を泳ぎ始める。
行き先は、浜辺沿いにあるごつごつとした岩場。
その岩場の一角にぽっかりと空いた洞穴だった。
タツノオトシゴはこちらを気にかける様に時折振り返りながら、洞穴の中に入っていった。
「…付いて来いってか?」
フォルはローファスを背負い、タツノオトシゴを追い掛ける。
ここが何処なのかは分からないが、少なくとも今生きているのはこの島に導いてくれたタツノオトシゴのお陰だ。
今更疑う気は無かった。
タツノオトシゴを追って洞穴に入ると、そこには目を疑う光景が広がっていた。
洞穴の広い空間の中央に、魔獣の毛皮と思われる物が寝床の如く敷かれ、端には積み上げられた流木、そしてついでの様に置かれた火打石と、焚き火の跡。
まるで何者かが暮らしていたかの様な、最低限の居住空間。
フォルは訝しげにタツノオトシゴを見る。
「お前の住居…な訳無いか」
水中に棲息する筈のタツノオトシゴが、こんな人間染みた生活空間で暮らす訳も無い。
フォルは警戒する様に周囲を見回す。
周囲に人の気配は無く、よく見れば焚き火の跡も最後に使われてから大分時間が経過している様に見受けられる。
フォルは一先ず、ローファスを毛皮の布団の上に寝かせ、火打石を手に取る。
「まだ使えそうだな…」
次に流木を見る。
湿気ている様子は無く、十分に乾燥しており薪として利用出来るだろう。
これならば、問題無く火を起こせそうだ。
あまりにも至れり尽せりな状況に、一抹の不安を覚えるが、一先ずは火打石を打って火花を散らす。
流木を薪として積み上げ、少し時間は掛かったが薪に火を灯す事が出来た。
「魔法なら一瞬なんだろうがな…」
火を着ける位は慣れたものだが、何も無い所から一瞬で水や火を生み出す魔法は、やはり平民からすれば畏敬と畏怖の対象だ。
「そういやオレも、魔力持ちなんだっけ…?」
少なくとも、ローファスはそう言っていたし、見様見真似で治癒魔法まで発動させた。
視線を感じ、ふとタツノオトシゴを見ると、まるで目的は達したとでも言うかの様に、ふわふわと洞穴を漂っている。
結局このタツノオトシゴの目的は不明だが、助けられたのは事実。
「助かったよ、ありがとうな」
フォルが礼を言うが、聞こえているのかいないのか、特に反応を示さず漂うのみだ。
横たわるローファスは、未だ目覚めない。
焚き火により、洞穴内は仄かな温もりに包まれている。
濡れた服も脱がし、温かみのある毛皮に包まれている。
冷えた身体も、多少はましになっている筈だと、フォルは改めてローファスの肌に触れてみる。
「…え」
ローファスの身体は冷たいままだった。
呼吸はあるが、心無しか先程よりも顔の血の気が引いている様にも見える。
「なんで…」
フォルは焦る。
フォルには分からない。
何故、ローファスの容体が改善に向かわないのか。
ローファスは魔力枯渇により、体力が著しく低下している。
それこそ、体温調節すら碌に自力で出来ない程に。
だが、それはフォルの知るよしの無い事だ。
そんな中、フォルは考える。
こんな時、どうすれば良いのか。
経験と記憶を辿り、そして思い出す。
過去、父のグレイグより教わった事を。
“人命救助の続きだが、身体が冷え切って体温が元に戻らねぇ場合がある。そうなりゃ殆ど手遅れだ。一思いに海に返してやれ。あ? 助ける方法? まぁ、そうだなぁ…人肌で一晩でも温めてやりゃ、運が良けりゃ助かるかもな。因みに温めるのは、男よりは女が良い。女の方が体温高いからな。余談だが、若い頃に溺れた俺を母ちゃんが一晩温めてくれた結果ログが生まれ…ぐぼ!? 何しやがる! 俺は至極真面目な話をだな…”
「…ああー、下らねえ事も思い出したが…人肌、か…」
これはまた、ローファスが目覚めた暁には不敬罪だなんだと喚きそうなものだが、そんなものは目覚めてから考えれば良い。
「絶対死なせねえ」
フォルに迷いは無かった。
ローファスのこれまでの人柄を見る限り、万が一にも無いとは思うが、これで目を覚ましたローファスが激昂し、処刑と称して魔法で殺されたとしても、それはそれで良いとすら感じた。
何もせずに死なれるよりはずっと良い、と。
フォルは身に付けている半乾きの服を全て脱ぎ、呟く。
「女の方が体温が高い、ね……なら、女で良かったよ」
男に扮する為、胸に縛っていたさらしを解き、僅かに震えるローファスの冷えた身体に、温もりを分ける様に身を寄せる。
その上から毛皮で包み込み、暖を取っている内、フォルは夢に誘われる様に眠りについていた。
洞穴に漂う青白いタツノオトシゴは、その光景をただじっと見つめていた。
*
ローファス曰く、物語の主人公勢力。
主人公を筆頭に、複数のヒロイン達で構成された、一人一人が一騎当千の力を持つ少数精鋭の一団だ。
物語第一章のストーリーの一つ、漁村ローグベルトの海魔ストラーフ討伐の際に仲間に加わるヒロインが居る。
ファラティアナ・ローグベルト。
男勝りな性格の、貴族嫌いな女船乗りだ。
クリントンの私兵により幼馴染を拉致された過去を持つ。
それ故、貴族を酷く嫌っており、特に仇であるクリントンが仕えているライトレス家に対し、強い憎しみを抱いている。
第二章の四天王編において、ライトレス家である《影狼》のローファスと対峙した際には執拗に罵倒し、他の誰よりも憎しみを持って攻撃を加えていた。
しかしそれは、あくまでもシナリオ通りに進んだファラティアナの話。
シナリオから外れた道筋を辿った今回、ファラティアナは——否、フォルは、主人公ではなく、あろう事かローファスに救われてしまった。
ローファスからして、ファラティアナを救う意図は欠片も無かった。
そもそも何万回もの殺害を経験したローファスから見て、毎度誰よりも苛烈に攻撃を仕掛けて来たファラティアナに対する印象は最悪と言って差し支え無いだろう。
フォルを、男に扮したファラティアナと気付けなかったのには、物語開始よりも3年前と言う事もあり、年齢から女性的特徴が乏しかった事が要因だ。
故に、ローファスがファラティアナを助けてしまった事は決して意図したものでは無かったが、将来シナリオ通りに殺されない事を目的として動いていたローファスにとって、悪くない展開と言える。
しかし、この世界にはそれを善しとしない者も存在する。
ローファスが繰り返し殺され続けて未来の死を恐れた様に、繰り返し恨み続け、憎しみを募らせた者が居た。
それは、ファラティアナの内に存在する、魂とも呼ぶべき存在。
ファラティアナの魂は、フォルがローファスを命懸けで助けようとしている事実を許容出来なかった。
何故ならばローファスは、人類を裏切った怨敵の一人であり、幼馴染を人身売買した人で無し共の元締めである。
だからこそ、フォルの精神は呼び寄せられた。
ファラティアナの精神世界に。
フォルを、“説得”する為に。
見渡す限り白色が広がる空間で、フォルは目を覚ます。
目の前には、地面に横たわる意識の無いローファス。
そして、自分の手には切れ味の良さそうなナイフが握られていた。
——その男を殺せ。
フォルの頭に、声が響いた。
まるでそれは、自分の声の様。
どことなく不快に感じ、ナイフを捨てようとするが、柄が手に吸い付くように離れない。
「何故」
問い掛けると、再び声が響く。
——その男は、最低の貴族。ノルンが奴隷商に売られたのも、全てはその男の所為。
ノルンとは、半年前にクリントンの私兵に拉致された幼馴染の名前だ。
「何言ってんだ。悪いのはクリントンだろ。こいつは確かに貴族だが、関係ねえ」
——違う。そいつはクリントンとグルだ。何故ならそいつは、ローファス・レイ・ライトレス。ライトレス家の嫡男だ。
「…は?」
フォルは頭が真っ白になる。
ライトレスと言えば、ここら一帯の領土の元締めの大貴族だ。
クリントンの私兵が、良く脅し文句を口にしていた。
俺達に手を出したら、ライトレスが黙って居ないと。
もしも逆らえば、ライトレス侯爵家が大軍を率いて村を潰しに来ると。
謂わばライトレスは、憎きクリントンの親玉に当たる存在だ。
悪徳貴族の総元締、暗黒貴族。
「こ、こいつが、ライトレス…? そんな…だってこいつは、オレ達を、ローグベルトを助けてくれて…」
——騙されるな。そいつの本性は暗黒そのもの。そいつは他人の事など何一つ考えて居ない。その行いの全ては、己の薄汚い欲望の為だ。
「…そう言えば、出航前にそんな事言ってたな」
確かにローファスは、ライトレス領の為と、ひいては自分の為だとも言っていた。
「そうか…こいつ、ライトレスだったんだな」
自然と握るナイフに力が籠る。
その刃の切先を、ローファスの首筋に近づける。
頭に響く自分の声は、喜び高揚する。
——そうだ! 刺し殺せ! そいつはノルンの仇だ!
ファラティアナの幼馴染ノルンが奴隷商に売られた後、再会したのは第三章錬金帝国編での話だ。
再会と言っても、ノルンは奴隷として売られた後、帝国にて無理な人体実験を繰り返され、主人公勢力に発見された時には変わり果てた姿になっていた。
その時点で、元凶とされるライトレス家嫡男のローファスは、四天王として討伐された後であり、行き場の無い怒りと悲しみがファラティアナを襲う事となった。
だが、その
フォルは、刃を首に突き刺す寸前で止め、ナイフを力任せに投げ捨てた。
——…あ? な、何やって…
突然のフォルの行動に困惑する声。
何処から響くとも知れぬ声に対し、フォルは鋭く睨む。
「ノルンは連れ去られたが、死んでねえ。何をテキトーほざいてやがる」
——いや、違っ、それは未来の話で…
「何を訳の分からねえ事を…やっぱライトレス云々も出鱈目か?」
——違う! その男、ローファスは間違い無くライトレスだ! 姑息な卑怯者、アタシ達の仇だ!
「…姑息? 卑怯? 誰だか知らねえが、お前があいつの何を知ってる!?」
今のフォルにとってのローファスは、どれだけ強大な敵にも背を見せなかった。
それどころか、身を挺して左腕を犠牲にしてでも自分を庇ってくれた。
フォルからすれば、ローファスは故郷を救い、自分も救ってくれた恩人だ。
それを不当に貶されては、心中穏やかではいられない。
——お前はまだ会って日が浅いから奴の本性を知らないだけだ!
確かに、フォルとローファスは出会ってから半日程。
だが、フォルからすれば、その短い期間の中で十分過ぎる程の結果と人間性をローファスに見せ付けられた。
「お前が何をほざこうと、オレはこいつに救われた」
——ローグベルトを、アタシ達を救うのは、アベルだ…そんな奴じゃない。
頭に響く何処か悔しさの滲んだ声を、フォルは冷たく一蹴する。
「ローグベルトを救ったのはこいつだ。そんな奴は知らない」
途端、白い空間に罅が入る。
ひび割れ、崩壊していく白一面の世界。
もう、自分の声は語り掛けて来なかった。
ふとフォルが目を開けると、毛皮の中でローファスの細い首を絞める様に両手で掴んでいた。
急いで首から手を離し、首に締め跡が出来ていないのを確認してフォルは胸を撫で下ろす。
「なんだ今の夢…夢魔の類か?」
内容はよく覚えて居ないが、あまり気分の良い夢ではなかった。
フォルは、先程よりもローファスに温もりがある事に気付き、安堵からローファスの胸に顔を埋める。
「お前、本当にライトレスなのか…? 名前は、ローファスで合ってるのか…?」
意識の無い相手に、投げかける質問。
答えが返って来ないのは承知の上の、独り言に近い呟きだ。
ローファスは、普段の高圧的な態度から大きく見えていたが、意識の無い今はとても華奢で、小さく感じた。
こうして見ると、年相応に可愛げのある子供にしか見えない。
こんな子供相手に、貴族だからと突っ掛かり、暴言を浴びせ悪態を付き…そして、そんな子供に故郷と自分自身を救われた。
「ほんと、何やってんだアタシ…」
フォルは罪悪感を紛らわす様に、ローファスに寄り添い、その身を重ねた。
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