10# 御業

 俺は船の横に小山の如く浮かぶ大型クラーケンの死体、それを見ながら呟く。


「——【喰らえ】」


 俺の影から、無数の目を持つ不定形の何かが伸びる。


 何処かスライムにも似たそれは、大型クラーケンの死体を飲み込むように黒く染め上げた。


 不定形の影は、周囲の海面に無数に浮かぶ魔物の死体もついでの様に飲み込んでいく。


 黒く染まった魔物の死体は、無数の目をぎょろつかせながら動き出す。


 死体が負っている傷も、影が覆う事で塞がっていく。


 斬られた胴は繋がり、巨大クラーケンの暗黒槍ダークランスによって貫かれた大穴も塞がった。


 これは謂わば、死体を俺の使い魔として支配下に置く事が出来る力だ。


 影の使い魔は俺の魔力が続く限り、傷は再生し、死んでも復活する不死の軍団となる。


 物語第二章では、この力で大量の狼型の魔物を使役し、魔王軍の兵として運用していた。


 尤も、魔力効率は良くないので、あまり頻繁に使いたい力ではないがな。


 主人公勢力に負けたのも、魔力の大半を大量の狼の軍勢に費やしていたお陰で、強力な魔法が使えなかったのが主な要因だからな。


 雑魚の使い魔をフォルとカルロスの援護に向かわせる。


 無数の海の魔物に襲いかかる、無数の目を持つ暗黒の魔物。


「うおおお!!? なんだこいつ等!?」


 すわ新手か、と強張るフォルをカルロスが宥める。


「これは…ご安心を、坊ちゃんの魔法です」


「魔法!? これが、魔法!? 襲って来ないんだろうな!?」


 フォルは影の使い魔を見ながら実に疑わし気だ。


 失礼な奴だ、確かに見た目は多少不気味ではあるが。


 巨大クラーケンの使い魔は船の下に潜らせ、大型の魔物の処理をさせる。


 そうこうしていると、準備ができたとばかりに魔鯨の口が太陽の如く輝き始めた。


 溜めた光を解き放つ数秒前、と言った所か?


 先程は避けようの無い状況と、半分意地で真正面からやりあったが、俺がそんな脳筋戦法しか取らないと思っているなら心外だ。


 魔術師の強みは、魔力に応じた高い火力と、数多の魔法による多様な戦術の幅にある。


 俺はもう油断しない。


 魔鯨よ。


 不本意だが、貴様を対等な敵として認めてやる。


「——」


 俺は惜しみなく呪文を詠唱する。


 とくと味わえ、この俺が放つ完全詠唱の上級魔法だ。


「——【光無き世界ライトレス】」


 魔鯨により、白熱線と無数の氷結槍ブリザードランスが放たれると同時。


 船を中心に、全てを漆黒に染め上げる闇が生み出された。


 この、我が家名を冠した魔法に、直接的な攻撃能力は無い。


 一定の空間を暗黒に染め上げる、ただそれだけの魔法だ。


 迫り来る白熱線は勿論、無数の氷結槍ブリザードランスを防ぐ力は無い。


 白熱線は溜めただけあって、一撃目よりも圧倒的に強力だ。


 その太さは2倍以上、威力はそれ以上かもしれない。


 だが、正直に受けてやる言われは無い。


 この“光無き世界ライトレス”は、全ての暗黒魔法の性能を格段に向上させる力がある。


「避けろ、ストラーフ」


 俺の命令に、“光無き世界ライトレス”で活性化した巨大クラーケンの使い魔——ストラーフが触腕で船を包み、船を白熱線の範囲外へ移動させた。


「うおおお!?」


 多少の衝撃があり、フォルが投げ出されそうになっているが、まあ些細な事だ。


 因みにカルロスはしっかりと対ショック姿勢で船に掴まっていた。


 相変わらず要領の良い奴だな。


 “光無き世界ライトレス”は凄まじい速度でその範囲を広げて行き、遂には魔鯨すら飲み込んだ。


「——入ったか。これで奴は砂浜に打ち上がった鯨も同じだ」


 暗闇の中、魔鯨の嘶きが響く。


 “光無き世界ライトレス”の付属効果として、光や炎と言った発光する系統の属性の威力が減退し、そして暗黒魔法を扱えない全ての者に、慣れる事の無い暗闇を与える。


 視覚的には勿論、魔力による探知すら碌に出来なくなった。


 つまり魔鯨は、碌に前が見えない暗闇に飲まれ、俺達の位置すら把握出来ない状態に陥っている訳だ。


 無論、術者である俺には、魔鯨の位置は手に取るように分かるがな。


 俺は右手の指を噛み切り、暗闇に溶けた自身の影に流し落とす。


「——【命を刈り取る農夫の鎌】」


 完全詠唱の古代魔法だ。


 その上、“光無き世界ライトレス”によりその威力は青天井に引き上げられる。


 音も無く振り下ろされた死の鎌は、魔鯨の強固な魔法障壁を容易く切り裂き、その胴体を真っ二つに両断した。


 魔鯨から漏れる、叫びにもならない苦悶の声。


 肺やら諸々の臓器ごと真っ二つだ。


 得意の雄叫びなど、出来る筈もない。


 しかしこれで即死しないとは、ゴキブリ並の生命力だな。


 魔鯨は胴体が真っ二つになり海に落下する——筈だった。


 魔鯨は忌々し気に一鳴きすると、落下する事なく空中に留まった。


 それどころか、真っ二つに両断した筈の傷は、まるで時が巻き戻る様に瞬く間に塞がった。


「…は?」


 そこには暗黒の中、宙を漂う傷一つ無い魔鯨。


 両断した胴体すら再生だと?


 しかも、恐ろしく早い速度で。


 この不死身とも呼べる程の再生速度、伝承で聞く吸血鬼の真祖を彷彿とさせるな。


 しかし、それもアンデッドだからこそ出来る離れ業であり、生命体であの再生速度はあり得ないのだが。


 少なくとも、俺が知る限りでは。


 しかしそんな生物が目の前にいる以上、考えるだけ無駄か。


 魔鯨が俺の常識の外に居る魔物なのは理解した。


 だが、あれだけの巨体。


 再生にも相当な量の魔力を消費している筈だ。


 俺は即座に、“命を刈り取る農夫の鎌”の第二撃を振るう。


 先程と同様に容易く斬れる魔鯨の胴体。


 しかし、今度は先程よりも再生速度が速い。


 斬られた先から再生していき、両断すら出来なかった。


 続いて三撃、四撃を立て続けに振るう——と、ここで全て撃ち尽くした“命を刈り取る農夫の鎌”が消えた。


 しかし結果は同様。


 斬れた先から傷は再生された。


 致命傷レベルの負傷をこれだけ回復しておいて、魔力の衰えを全くと言って良い程感じない。


 それどころか傷を負う毎に再生速度が増してる様にも感じる。


 これだけの巨体で、これだけ常軌を逸した速度で傷を再生させるなんて、魔力効率云々以前の話だ。


 俺が言うのもなんだが、正しく底無しの魔力だ。


 俺の魔力もライトレス家歴代最高と称される位には膨大だが、それでも限界はある。


 魔力が尽きるまでに殺し切れるか…?


 魔鯨は嘶きを上げると、怒りの形相でギロリとこちらを睨んだ。


「…チッ」


 流石にこれだけ魔法を放てば、その射線から船の方向位は推測されるか。


 奴からすれば、正確な位置が分からずとも、方向さえ分かれば良い。


 なにせ、自身の直線上にある物を全て滅ぼす白熱線がある。


 案の定、魔鯨は口を大きく広げ、白熱線をこちらに向けて放った。


「…っ早い」


 今度は殆ど溜めが無かった。


 逃がさない為か。


 だが溜めが無いと威力も落ちる。


 規模も威力も、幾分か小規模。


 更に、“光無き世界ライトレス”の効力で白熱線の威力は暗黒に削られて減退する。


 それでも…。


「く、ストラーフ!」


 俺の声に反応したストラーフが、触腕で船の位置を少しずらした。


 直後、船の真横を白熱線が通り抜けた。


 船に当たればそれだけで木っ端微塵だな。


 溜め無し、“光無き世界ライトレス”により弱体化してもこの威力か。


 “光無き世界ライトレス”の中では、光や炎等の発光系属性の中級魔法は発動すらままならず、上級魔法すら威力が半減するのだがな。


 白熱線は威力が高過ぎて、焼け石に水か。


 その上、魔鯨は癇癪を起こした様に溜め無しの白熱線を連発し始めた。


 決まった方向ではなく、四方八方あらゆる方向に。


 時折飛んでくる白熱線を、ストラーフの触腕で躱すが、これではこちらから攻撃する所ではない。


 一撃でも貰えば終わりなのだ。


 しかも、この白熱線の連射…。


 魔鯨からすれば自棄になっているのか、それとも苛立っての行動かは知らないが、“光無き世界ライトレス”の攻略法としては最適解だ。


 広範囲攻撃を連続で繰り出されては、こちらも逃げに徹する他無いし、何よりこの白熱線が“光無き世界ライトレス”からするとかなり痛い。


 “光無き世界ライトレス”は暗黒を霧状にして空間を満たす魔法だが、その暗黒の霧が白熱線の連発でかなり削られる。


 少しずつだが、白熱線を放たれる度に“光無き世界ライトレス”の範囲も狭まって来ている。


 “光無き世界ライトレス”が消えれば終わり、か。


 それまでに魔鯨を殺し切るのは、あの出鱈目な再生力では、まあ無理だろうな。


 そもそもあれだけ白熱線を連発されては碌に攻撃も出来ん。


 業腹だが、このままでは敗北は必至か。


 詰み、とも言えるな。


「…カルロス」


 俺の呼び掛けに、カルロスは静かに跪いた。


「は」


「貴様にこの船を任せる」


「…どうされるおつもりで?」


「“初代の御業”を使う」


 俺の言葉に、カルロスはがばっと顔を上げた。


「…!? ここは海上ですよ!?」


「ああ、だからこの船を任せる。少しでも遠くへ離れろ」


「…確かにそれならばこの状況は打開出来るやも知れません…が、それでは坊ちゃんがただでは済みません」


「お前の言う通り、俺の身が危険だ。だから、必ず助けに来い。万が一俺が死ぬ様な事があれば、亡霊となって貴様を地獄へ誘うからな」


 カルロスは項垂れるように顔を手で覆った。


「…老い先短いと言うのに、まさかこのような局面に立たされようとは」


「はっ、隠居なぞ出来ると思うなよ。貴様には命尽きるその瞬間まで、この俺に仕えてもらう予定だ」


「それが今日でない事を、祈るばかりです…ご武運を」


 カルロスがレイピアを納め、最敬礼を取る。


 俺は鼻を鳴らし、大型の暗黒腕ダークハンドを生み出し、その手の平に跳び乗った。


 暗黒腕ダークハンドは使用者の影から伸びる。


 地面に投影される影から伸ばす事が多く、その場合は地面から離れる事は出来ないが、俺自身の足裏や、外套の内側にも影はある。


 外套の内の影から伸ばした大型の暗黒腕ダークハンドは、俺を起点に自在に動く。


 当然、俺を乗せて宙に浮く事も出来る。


 本来の用途とは大きく変わるが、要は使い方だ。


 態々魔力効率の悪い飛翔魔法フライを使う必要は無い。


 暗黒腕ダークハンドは俺を乗せたまま飛翔し、船から離れていく。


「——」


 俺は即座に呪文詠唱を始めるが、俺の背後にすとんと軽快な着地音が響く。


 暗黒腕ダークハンドから直接感じる、明らかに人一人の重量が増えた感覚。


 咄嗟に詠唱を止めて振り返ると、俺を見上げる形でフォルがあぐらをかく形で座り込んでいた。


「よっ」


 悪戯が成功した様な勝ち気な笑みを浮かべるフォル。


 俺は苛立たし気に船を見る。


 幾ばくか離れ、小さくなった船からカルロスがあんぐりと口を開けてこちらを見ていた。


 跳躍してきたとでも言うのか?


 この距離で?


「…運動神経の良さでは説明つかんだろうが」


 苛立ちが独り言として漏れるが、フォルは大して気にした様子も無く、暗黒腕ダークハンドの指の隙間から下を眺めている。


「お前、空も飛べんのな。貴族は皆飛べるのか?」


「観光気分なら直ぐに降りろ、邪魔だ」


「降りねえよ。つーか、お前の方こそだろ」


 フォルは立ち上がり、生意気にも人差し指で指差してくる。


「なんで一人で行こうとしてんだよ。お前、左手無いんだぞ…!」


「…だったらなんだ」


「あのカルロスとか言う執事、アイツもアイツだ。なんで納得してお前を一人で送り出してんだよ」


 苛立ったように髪を搔き毟るフォル。


 馬鹿の馬鹿げた行動に苛々しているのはこちらだぞ。


 何故貴様の方が苛立って見せているのか。


「貴様よりは物事が見えているからだろう。あの鯨と俺の魔法の応酬を見ていなかったのか? 貴様等に介入出来る次元ではない」


「見てたよ、全部な。それでも、いやだからこそだ。お前立ってるのもやっとだろ。一人でなんて行かせる訳ねえだろ…!」


 鬼気迫るように訴えるフォル。


 だが、そうこうしている間にも、“光無き世界ライトレス”は白熱線によって削られている。


 その機能が失われるのも残り僅か。


 こんな奴の相手をしている暇はない。


「…では聞くが、この期に及んで、貴様程度に何が出来ると?」


「あんま、オレを見くびってんじゃねえよ」


 フォルは俺の左側に付くと、肩から抱き支えるように寄り添ってきた。


「…!? 貴様、何を勝手な——」


 反射的に振り払おうとしたが、左腕が無い状態では大した抵抗にはならなかった。


 いや、それよりも、だ。


 フォルに抱き抱えられてから温かい光に包まれたのだ。


 それは負傷した痛みが和らいでいく癒しの光。


 この感じ、この力は…


「治癒、魔法…?」


 カルロスが使っていたものと同等か、それ以上の出力の治癒魔法が、フォルから発せられていた。


「お。思った通り出来たな」


 そんな事を言っているフォル。


「貴様、やはり魔力持ちだったか…!?」


 平民の中にも、突然変異的に魔力を持つ者が生まれる場合がある。


 物語に置ける主人公も、そうした魔力持ちの一人だ。


 それと同様に、フォルも平民でありながら魔力を持つ存在らしい。


 驚愕はしたものの、やはりと言ったように元々疑惑はあった。


 常軌を逸した身体能力、俺の魔力を浴びても平然とする胆力。


 或いは、と。


 そもそも魔力により身体強化をしているカルロスと同等かそれ以上の身体能力を有していた時点で疑問には感じていた。


「あ? やっぱこれ魔力なのか?」


 当のフォルは首を傾げている。


 なんだその反応は、まさか今の今まで気付いていなかったとでも言うのか?


「今更何を惚けている。治癒魔法まで使っておいて」


「いや、惚けてねえよ! なんか出来そうな気がしたからやっただけで!」


 俺は深い溜め息を一つ。


「……話す気が無いなら良い」


 魔力を持っている事を今まで知らなかったのなら、治癒魔法を行使している説明がつかない。


 ともあれ、今はこんな問答をしている暇はない。


 これから行使する《初代の御業》は、発動までにそれなりの時間を要する。


「もう良い、好きにしろ。俺はこれから呪文詠唱に入る。邪魔だけはするな」


「おう。いざという時は壁くらいにはなってやるよ」


 生意気に口角を吊り上げて言うフォルに若干の苛立ちを感じ、小さな暗黒腕ダークハンドを外套から伸ばしてデコピンしてやった。


 何やらフォルから抗議の声が上がるが、俺は無視して詠唱を始める。


「————」


 俺を中心に、上空に浮かび上がる膨大な量の魔法陣。


 だがここで、“光無き世界ライトレス”の暗黒の霧が白熱線の乱発により薄まり、魔鯨の姿が露になる。


 魔鯨の翡翠の双眸は即座に上空に浮かぶ俺達を捉えた。


 向けられる開かれた口。


 今にも放たれる白熱線。


「——ちっ、ストラーフ!」


 俺の呼び掛けに、大量の魔力を注ぎ、生前よりも遥かに巨大化したストラーフが海上より現れる。


 ストラーフの巨大な無数の触腕が魔鯨を襲い、それに気を取られたのか白熱線の照準がズレた。


 影の使い魔にした海の魔物も、総動員して魔鯨を襲わせる。


 ふむ、こんな怪獣大戦争みたいな内容の映画を、昔王都で父上と見た事あるな。


 そんな感想を抱きつつ、今のうちに魔法陣と術式の構築に集中する。


 ストラーフと影の使い魔共を総動員して、保ったのはものの数秒だった。


 魔鯨の白熱線が無数の細い光の線となり、ストラーフと影の使い魔共全てを貫いた。


 そんな使い方も出来るのか、白熱線は。


 魔力を更に注げば再生するが、魔力効率が恐ろしく悪いので再生はさせない。


 よって、ストラーフや影の使い魔達はそのまま霧散していく。


 魔鯨の双眸が、苛立たし気にこちらに向けられる。


 かなりの魔力を消費したが、稼げた時間はものの数秒。


 だが、その数秒で、準備は整った。


「——無属性魔法《天晶宮殿クリスタル・グランデ》展開」


 魔鯨を囲うように、クリスタルの如き魔力の壁がドーム状に展開される。


 光を反射し、きらきらと煌びやかなその様は、正しくクリスタルの宮殿だ。


 魔鯨は、これまで俺が行使してきた暗黒魔法とは雰囲気の異なる《天晶宮殿クリスタル・グランデ》に若干の警戒を見せる。


 が、即座に白熱線を俺に向けて放った。


 クリスタルの天蓋ごと、俺を消し飛ばす腹づもりか。


「お、おい!?」


 フォルが顔を真っ青にして俺の壁になろうとする。


 迷わず肉壁になるべく動いたその覚悟は褒めてやるが、白熱線を前に壁になろうが大して意味は無いだろうが。


 諸共蒸発して終わりだ。


 …当たったなら、な。


「無駄だ」


 白熱線は大気を穿ちながら突き進み、クリスタルの天蓋に命中。


 しかしクリスタルの天蓋を貫く事は無かった。


 天蓋には傷は疎か、魔力の綻びすら無い。


 魔鯨はやや驚いたように目を剥く。


 白熱線がここまで明確に防がれるのは初めてか?


 まあこれだけの高密度の魔力放出、防ぐ手段等中々無いだろうが。


「防い、だ…? うっそ…」


 フォルも腰を抜かしている。


 おい、治癒魔法が途切れているぞ。


 まあ、この期に及んではもうどうでも良いが。


 俺は更に呪文を詠唱する。


 俺の詠唱に応じるように、クリスタルの宮殿の中央に、巨大な暗黒の球体が出現した。


 これが、この魔法の要。


 《黒き太陽》だ。


 魔鯨は《黒き太陽》に警戒を見せるが、その口の矛先は俺に向けられている。


 まあ、一度防がれた程度では諦める訳も無いな。


 魔鯨は口に光を収束させていく。


 長い溜め…高威力の白熱線を放つ気だな。


 不安そうに俺の外套を握り締めてくるフォルを無視し、俺は詠唱を続ける。


 《黒き太陽》は、俺が詠唱を紡ぐごとに、その大きさを収縮させていく。


 時間を掛け、ゆっくりと。


 そんなに悠長にしていては、当然だが最大に溜められた高威力の白熱線が魔鯨から放たれる。


 これまでで最大の威力と目される極太の白熱線。


 クリスタルの天蓋に衝突し、悲鳴にも似た空間の軋みが響き渡る。


 大気越しに伝わる振動と衝撃。


 しかし、そこまでしてもクリスタルの天蓋に傷は無かった。


 目を見開く魔鯨。


 フォルも驚愕している。


「お前、こんな凄いのあるなら最初から使えよ!」


 何も知らずに勝手な事を。


 《初代の御業》はそう気安く使える魔法ではないのだ。


 俺はフォルを無視して詠唱を続け、《黒き太陽》はその大きさを当初の10分の1程度にまで収縮させていた。


 と、ここで俺は詠唱を終える。


「で、こっからどうすんだよ」


「気安く肩に手を掛けるな」


 俺は肩に掛けられた手を振り払い、一歩前に出る。


 そして魔鯨を見下ろす。


「この《天晶宮殿クリスタル・グランデ》はな、敵の攻撃を防ぐ為の魔法ではない。無論、敵を閉じ込める為の檻でもない。いずれも、結果的にそう結びついているだけで、本来の用途は別にある」


「あん? じゃあ、なんの為に…」


 小首を傾げるフォル。


 魔鯨は“光無き世界ライトレス”にしたように、デタラメに白熱線を連発している。


 あらゆる方向に、クリスタルの壁の中の守りの薄い部分を探すかのように。


 そして、収縮する《黒き太陽》にも攻撃を仕掛けている。


 無論、《黒き太陽》の周囲にもクリスタルの壁が展開されており、傷一つ付けられていないが。


 そして魔鯨は、それら全てが無駄と悟ったのか、次の行動に移る。


 天に向け、口を大きく広げた。


 そして、魔鯨の上空に、まるで《黒き太陽》に対を成すように巨大な白い光の球体が形成されていく。


 クリスタルの天蓋越しにでも分かる身震いする程の高密度で膨大な魔力。


 …魔鯨め、まだこんなものを隠し持っていたのか。


「お、おい。これ、流石にヤバくねえか…」


 白光球から発せられる魔力に当てられたのか、顔が真っ青のフォル。


 差し詰め、魔鯨の奥の手と言った所か?


 だが、こちらも“初代の御業奥の手”を既に発動している。


「言っただろう。無駄だ、と」


 魔鯨の生み出した白光球は、溜めと共に膨れ上がる。


 収縮する《黒き太陽》とは正しく対照的だな。


 《天晶宮殿クリスタル・グランデ》の中で、魔鯨の魔力は際限無く高まり、白光球は太陽の如くその輝きを増す。


 そして、その小さな太陽は、限界まで肥大化した後、魔鯨を飲み込む形で爆ぜた。


 文字通り太陽の如き光と、膨大な魔力の奔流が《天晶宮殿クリスタル・グランデ》内を満たす。


 クリスタル越しに伝わる爆音と衝撃。


 あまりの威力に、ドーム状のクリスタルの壁全面に罅が入った。


 額に浮かんだ冷や汗を拭う。


 少し焦った…。


 魔鯨の奥の手、白光球。


 想定外の威力だった。


 まだ未完成とは言え・・・・・・・、まさか《天晶宮殿クリスタル・グランデ》に罅を入れられるとは。

 

 爆ぜた光が晴れ、そこには黒く焦げた魔鯨が、それでも宙を舞っていた。


 魔鯨の黒く焼け爛れた表皮は、持ち前の高速治癒力で瞬く間に再生していく。


 しかし、《天晶宮殿クリスタル・グランデ》に入った罅も、同様に高速で修復される。


 いや、正確には修復ではないな。


 《天晶宮殿クリスタル・グランデ》は俺の魔力を湯水の如く吸い取り、完成に近づいているだけだ。


 再生し、完治した魔鯨は、罅の消えたクリスタルの壁を見ると、忌々し気に俺を睨む。


 俺はそんな魔鯨に向けて、高笑いを上げて称賛してやった。


「良い余興だったぞ。褒めてやる。貴様は俺が知る中でも、間違いなく最強の敵だった」


 結局、この魔鯨が何なのかは分からない。


 だが恐ろしく強かった。


 或いは、俺を殺し続けた主人公とその仲間達よりも。


 きっと、第一章の復活した闇の魔王ラースよりも、第二章の第二の魔王レイモンドよりも単純な力ならこいつの方が上だろう。


「そんな貴様に敬意を払い、俺が今から何をするか、教えてやろう。魔法が扱える程の知能があるのだ、人の言葉位理解出来るのだろう?」


 上位の竜種は人語を理解する。


 魔鯨も人語よりも遥かに難解な魔法を扱えているのだから、理解していても不思議では無い。


 まあ、話せるかは別問題なのでこちらから一方的に喋る。


「先程も少し触れたが、この《天晶宮殿クリスタル・グランデ》はな、本来は敵の攻撃を防ぐ魔法でも、拘束する魔法でもない。…その本質はな、己の攻撃を防ぐ為のものなんだよ」


 フォルは理解が追いつかない様子で眉を顰める。


 対して魔鯨は、一瞬放心した様に固まると、その双眸をぎょろりと《黒き太陽》に向けた。


「ほう、察しが良いではないか」


 そしてこの反応、やはり人語を理解しているらしい。


 と、ここで、極限まで収縮した《黒き太陽》は、その表面に青白い罅が入り始めた。


 同時に、《天晶宮殿クリスタル・グランデ》が俺の魔力で満たされ、クリスタルが青白く発光し始める。


 魔鯨は異変を察知し、口を開いて再び光の球体を作り始める。


「長らく待たせたな、たった今魔法が完成した。ああ、それはさっきの技か? 無駄だ。完成した《天晶宮殿クリスタル・グランデ》を破壊するなど、神にすら不可能だ」


 だが魔鯨は、先ほどの様に光の球体を爆散させず、そのままぱくりと飲み込んだ。


 そして魔鯨の口の中で光の球体は収束し、一点に集中された威力が熱線となって放たれる。


「なんだ、それは…」


 そんな器用な真似が出来るのか。


 あの白光球の威力が一点集中されたなら、凄まじい威力なのは想像に難く無い。


 再び響く凄まじい衝突音。


 だが、青白く輝くクリスタルには傷一つ付けることは出来なかった。


 魔鯨の目に、初めて焦りが浮かぶのを感じる。


 俺は口角を釣り上げ、高らかに魔法を説明してやる。


「冥土の土産に教えてやろう。この魔法にはなんともふざけた逸話があってな。なんでも、俺の先祖が大気を暗黒魔法で圧縮して遊んでいて出来た魔法なんだとか。なあ鯨よ、貴様は大気が圧縮され続けるとどうなるか、知っているか?」


 魔鯨は俺の言葉に反応し《黒き太陽》を見ると、狂った様に白熱線を乱射し始めた。


 そこには理性も何も無く、それはまるで、荒れ狂う獣だった。


 そして終いには、まるで逃れようとするかの様に、クリスタルに自ら体当たりをし始める始末だ。


 お得意の白熱線でも、切り札の白光球でも傷一つ付かなかったと言うのに、体当たりなどで破れる筈無いだろうが。


 この様子、まさかこれからどうなるかを知っているのか?


 想像力が豊かなのか、或いは純粋に野生の勘から危険を察知したのか。


「ど、どうなるんだよ…」


 フォルが、恐ろし気に尋ねて来た。


 俺は本船が離れているのを確認する。


 まあ、これだけ離れていれば流石に大丈夫か。


 《黒き太陽》…暗黒魔法で包まれた大気は、俺の膨大な魔力により力任せに極限まで圧縮されている。


 それが解き放たれた時、この世の理を壊す程の破壊を生む。


 《天晶宮殿クリスタル・グランデ》は、その破壊を押し留める為に《黒き太陽》に紐付けされた魔法だ。


 余談だが、破壊を生む《黒き太陽》よりも、その破壊を防ぐ為の《天晶宮殿クリスタル・グランデ》の方が魔力消費が高いのは実にお粗末な話だ。


 俺は魔鯨を見下ろし、静かに呟く。


「圧縮された大気は…神すら殺す、白き火を吹くのだ」


 《黒き太陽》が罅割れ、直後、《天晶宮殿クリスタル・グランデ》の全てが極光に包まれた。


 視界は全て白に塗り潰され、鳴り響く轟音に鼓膜が破れたと錯覚する。


 世界を滅ぼし得る白き火が、海上で産声を上げたのだ。





 暫くして、《天晶宮殿クリスタル・グランデ》内の光が晴れた。


 中には何も残されていなかった。


 魔鯨の肉片一つ、海水の一滴すらも。


 《天晶宮殿クリスタル・グランデ》が役目を終え、霧散する。


 漏れ出た高音の熱風が、魔の海域を駆け抜けた。


 《天晶宮殿クリスタル・グランデ》と《黒き太陽》。


 これらの魔法は術式的に紐付けされており、二つで一つの魔法として、《初代の御業》と呼ばれている。


 大いなるこの魔法の欠点は二つ。


 一つは、発動までにかなりの時間を要する事。


 そしてもう一つは…。


「…え、おい?」


 俺はフォルに力無くもたれかかり、身体を預ける。


 唯一見える右目の視界すら霞んできた。


 …もう一つの欠点は、常軌を逸した魔力の消費量。


 ライトレス家にて、歴代最高の魔力と言われた俺でも、魔力総量の半分は消費する《初代の御業》。


 ただでさえ魔力消費の多い古代魔法の連発に、上級魔法の行使。


 魔力効率の悪い固有魔法影喰らい使用による、大量の影の使い魔使役。


 そして、中級から下級魔法を文字通り湯水の如く使用した。


 お陰で魔力は底を付いてすっからかんだ。


 この脱力感、所謂魔力枯渇と言う現象が起きている証拠だ。


 暫くは碌に動けないだろう。


 魔力枯渇なんて、生まれてこのかた初めての事だ。


 魔力不足になるであろう事は事前に想定していたから、カルロスには助けに来るように伝えてはいるが、よもや魔力枯渇に陥るとは。


 しかも下は海。


 生きて還れるかは、良くて5割と言った所か?


 とは言え、幸か不幸かフォルがいる。


 これが吉と出るか凶と出るか…。


 こいつは貴族を嫌っていたし、見捨てられるかもな。


「…少し、寝る」


「は!? こんな時に何言って…」


 フォルの返答を待たず、足場の暗黒腕ダークハンドすら維持出来ずに霧散する。


 海へ落下していく俺とフォル。


 フォルの甲高い悲鳴を聞きながら、俺の意識は闇に溶けた。

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