アンドロイドは恋に落ちるか

マスカレード

第1話 プロローグ

「暑い! 真夏のお昼に外出なんて歩くもんじゃないわ。干物になりそう」


 大学が夏休みに入り、羽柴(はしば)莉(り)緒(お)が訳あって滞在することになったのは、兄の親友でもあり、仕事のパートナーでもある新見にいみ研二けんじ所長の実家だった。

 その古い洋館も見事だが、周囲の家も敷地が広く、中を覗けないような高い塀にぐるりと囲まれていて、昔の著名人や資産家が所有していた別荘地のような風情がある。


 閑静な住宅街の道を行きかうのは、邸宅の住人と従事する者たち、その関係者っばかりで、余所者が気軽に立ち寄れる店などは見当たらない。


「こんなところで最新技術のテストが行われているなんんて、誰も思わないでしょうね」


 数日ぶりに外にでたものの、予想外のものを見て頭が混乱し、引き返すことになってしまった。

 ほぼ真上から照り付ける強い日差しに目を細めながら、莉緒は本来の丈よりも縮んでしまった塀の影を踏んで歩いていく。

 セミさえも暑さに負けて押し黙ってしまった界隈を、外出先から悶々と思い悩みながら帰宅する莉緒には、こつこつと規則正しく響く自分の靴音だけが、雑念を払ってくれるように感じた。


 ようやく新見の家が見え、これで暑さからも解放されるとホッとしたところで、門の外に設えた来客用の駐車スペースに、白いセダンが止まっているのに気が付いた。

 莉緒が滞在している間に、新見宅を訪れた者はいない。新見は夏季休暇を取って自宅にいるが、普段は研究所に詰めているため、来客自体が珍しいのではないかと思う。今家に入ると邪魔をしないだろうかと思う間もなく車が急発進して、莉緒との距離があっという間に縮まった。


 住宅街をこんなに猛スピードで走るなんて許せない! と迫りくる車を睨んだが、運転手はサングラスとマスク以外にも黒いキャップをかぶっていて、顔型や年齢、国籍までもが分からない怪しい恰好をしている。

 ブオーンとエンジン音を響かせながら、車が莉緒の横を通り過ぎる間際に、後頭部の窓に瞼を閉じて寄りかかる男が目に入った。


 一瞬のことではっきり見えたわけではないが、新見に似ている気がする。莉緒は振り返って車のナンバーを暗記した。

 スマホを取り出したときには、車は既に角を曲がってしまって写すことができず、手早くナンバーだけをメモする。保存と同時に新見宅に向かってダッシュした。


 歩くときとは違い、アスファルトを蹴る大きな音が不安を煽る。家に近づき目に入った光景に足が竦んだ。

 門が開いている。玄関の扉も半開きだ!


「新見さん。新見所長いらっしゃいますか?」


 玄関に入るなり、莉緒は大声で叫んだ。ドキドキして呼吸が苦しい。

 廊下の右手にあるドアの向こうから近づいてくる足音が聞こえ、莉緒は期待する半面、逃げ道は大丈夫だろうかと後ろを振り返って確認した。

 ガチャッとドアが開く。覗いたのは、莉緒と一緒に研究技術の最終テストをしている男性だった。


「ああ、莉緒さん大変です。新見所長がどこにも見当たらないんです。来客があるから、帰るまで自分の部屋で待機しているようにと新見所長から言われて、声がかかるのを待っている時に、争う声と物音がしたんです。二階にも人が上がってきたから、クローゼットに隠れて静かになってから、各部屋を回ったんですが、た、大変なんです。部屋が荒らされて、消えてしまった。所長も何もかも」


「牧田さん、落ち着いて。誰の顔も見なかったの?」


「はい。見ていません。今朝莉緒さんから買い物を頼まれた時に、新見所長に外出許可を申し出たら、私は今、他人に知られてはいけないテストの最中だから、人と接触することや外出は許可できないと言われました。それで今回も、物音は気になりましたが、自分の部屋から出なかったのです」


 外出禁止の規則を知っていたのに、無理なオーダーを出したのはあなたですよねとでもいうように、不満気な顔を向けられると、莉緒は自分の無茶な頼みを思い出して恥ずかしくなった。


 悪かったと思ってすぐに謝ったのだが、牧田には莉緒がわがまま娘だとインプットされたようだ。心象をよくするためには、今後の努力が必要だろう。

 分かったと頷いた莉緒は、玄関のドアノブを素手で触らないようにTシャツ越しに掴んで閉めた後、兄の羽柴拓己に電話をかけた。


「お兄ちゃん。大変なの。新見所長が誰かにさらわれちゃった。どうしよう。警察に電話しても大丈夫? あっ、家の中の電話が鳴ってる。うん、分かった。このまま出るわね」


 廊下を走って突き当りのキッチンに入り、向かい合ったダイニングルームに置いてある電話機の番号表示を見た。

 思った通り、四角いスクリーンには、非通知の三文字が大きく表示されている。

 覚悟を決めて鳴りやまない電話の受話器に手をかけた時、玄関の扉が開く音がして、誰かが廊下を歩いて来る足音が聞こえた。


 莉緒は電話台に置いてあるペン立ての中からハサミを掴み、キッチンのドアが開くと同時に投げつけた。


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