忘却少女メルティ・メロ

月見 夕

忘れる少女とアンドロイド

 あたしの掌の中で、目標ターゲットはそっと瞳を閉じた。まるで頭の中から消えてしまった極秘機密を惜しむかのように、初老の男は意識を手放して書斎の床に崩れ落ちた。

 同時にあたしの脳内からも、昨日の朝から晩まで何をしていたかの記憶がしゅわりと溶けた。はっきりと形を取っていたはずの映像が砂嵐に覆われ、掠れ、霧散し、跡形もなくなって、ぽっかりと思い出に穴が空く感じ。

 もはや慣れっこだ。この感覚は忘れようにも忘れられない。目深に被っていたフードを脱ぐと、ショッキングピンクの髪束が零れ落ちた。

「終わりましたか、メロ」

 物陰から、いつもの抑揚のない声がした。振り向くと、飾り気のない黒いショートカットの少女がこちらに歩いてくる。

 うん、大丈夫。今回もムーの事は忘れなかった。

「おー、終わったよ。次起きた時にゃ頭いっぱいだったはずの機密事項なんざ覚えてないだろーな。あたしの手にかかれば楽勝だぜ」

「とか言って、敵陣のど真ん中こんなとこでフード脱いでるじゃないですか。監視カメラに気をつけてって言いましたよね」

 アンドロイドの少女はあたしをじとりと睨む。そんな顔してても可愛いぜ相棒。

「どうせムーが妨害電波ジャミングとかやってくれてるんだろ、多分」

「いえ、配線を切りました。ハサミで。どうせメロはカメラの事も忘れるだろうと思いましたから」

「うーん、肝心な所は物理! そんなムーちゃんも大好きちゅーしてあげる」

「結構です」

 冷たく突っぱねて、ムーは超合金の両手であたしの頬に触れた。強すぎる力で潰さないようにそっと。あー、ひんやりしてて気持ちいい。

 瞬く必要のない澄んだレンズに、タコみたいに唇を突き出したピンク髪の女が映っている。

「……今回は何を忘れましたか」

「心配しなくてもムーのことは忘れてないよん」

「私は真剣に聞いています」

 白磁の肌は微動だにしない。笑ったら可愛いのになあ、もったいない。

「昨日、朝イチでムーがネズミに齧られそうになって爆笑したとこだけ覚えてる。あと全部消えた」

「逆になんでそこだけ覚えてるんですか……」

「あったりまえじゃん! ムーとの思い出消すくらいならその他全部消えてもいいわ」

 付き合ってられんと言わんばかりにあたしの顔から手を放し、視線を逸らすムー。呆れたようだ。余程人間らしい反応をするじゃないか、我が友よ。

「……まあでも生命維持に支障のない範囲のようですので安心しました」

 闇夜に紛れる黒いワンピースを翻し、ムーはきびすを返す。はあ可愛い。今日の仕事の報酬入ったら新しい服を買ってあげよう。私は着せ替え人形じゃないと嫌がるだろうけど。

「さあ、帰りましょう。帰り道は覚えてますよね?」

「んーん。おんぶして帰ってえ」

「捨てて帰りますよ」

 猫撫で声のあたしに取り合わず、まっすぐ帰ろうとするムー。ああもういつも通り。いつも通り好き。大好き。

 あたしは小躍りしながら彼女を追いかけ、目標ターゲットの部屋を後にした。

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