その御霊、お預かり致します

もとやまめぐ

その御霊、お預かり致します

空は青く澄んでいるのに、私には曇って見える。

何をやっても上手くいかない私がここに来たってやはり何か出来るわけもなく、ただただ自分の無能さを痛感する。


「なーにやってんだよしーんじん!」


明るい声が頭上から降ってきた。

私は一度ため息をつき、声のする方へと顔を向ける。


「そろそろ名前で呼んで頂けませんか」


我ながら無愛想で不器用で悪印象の返事だ。

でもそれ以外を知らないからどうしようもない。


「んじゃ俺が名前覚えるくらいがーんばーれよー♪」


彼はパートナーのハヤト。

まるで座っているように胡座をかいて軽口を叩いている。

‘’まるで”と言ったのは、その場所は空中であり、地べたにいる私から見たら逆さに存在しているからだ。


「はぁ…」


自然とため息が続く。

生きていたときと何も変わらない。

昔の私も、ずっと下を向いていた。


ーーーーーーーーーー


良いことなんて何もないし、勉強も運動もたいしてできない、趣味もこれといってない。

生きることは苦痛そのもの。

前世に大罪でも犯して、今この最低な世界で刑を受けているのではないか。


そう思っていたら、死んだ。


横断歩道を普通に渡っていたら、

高速で走ってきたトラックにはねられた。

なんと呆気ないのだろう。

私の記憶はそこで終わっているから、恐らく即死だったんだ。


そして私は、御霊預かり屋になった。


魂がこの世で迷子にならないように、道案内をする仕事。

私は自分と同世代のヒトの魂を担当している。

しかし、一向に空は飛べそうもないし、未だに誰の魂も運べたことがない。



ーーーーーーーーーー



「次の予定者いたぞ。あそこだ。」


ハヤトの声に顔を上げると、いつの間にか私はどこかのビルの屋上にいた。

この、予定者の元へ移動できる能力というのは、誰にでもあるわけではないそうだ。

預かり屋に必要な能力らしく、私には元々備わっていたためこの仕事に採用された。

尤も、面接もなければ、断ることもできなかったわけだが。


「おじょーさん♪やあ!驚かせてごめんね。今から飛ぶの?」


ハヤトが余りにも軽い声掛けをするのでヒヤヒヤしてしまう。

ここまできているんだ、さぞ思い詰めてのことだろう。

だが、ハヤトにその感情は分からないらしい。

私は慌ててフォローを入れた。


「お、驚かせてすみません。相方が失礼しました。我々は御霊預かり屋と申します。あなたが自殺されましたら、その御霊が迷わぬよう案内をさせていただきます。どうぞご安心ください。」


「………は?……なに、言ってんの…………ははっ…なに、わたし、もう死ぬこと決まってんの?…………なんなのよ!どいつもこいつも!どんだけ頑張っても頑張っても、誰も評価なんてしない、認めてくれない、真面目だって笑うだけ!仕事は増えるだけ!残業が増えるだけ!それでも頑張り続けてきたのに!……なのに、最後はこれなの!?」


今にも泣き出しそうな声を震わせ、絞り出した本音が胸に突き刺さる。

予定者は膝から崩れ落ち、フェンスを握り締めながら泣き出してしまった。

私はまた言葉選びを間違えたようだ。生前の性分がそのままあるせいで、私は死んでも私のままだ。


「なんなの!...わたしっ......私のなにがいけなかったの!!......1人で...1人の部屋に帰ったって......玄関を閉めたら涙が出てくるのに......帰った瞬間に泣き出すくらいなのにっ......ここまで頑張ってるのにっ......わたしはっ」


ああ。この人はとても真面目な人なんだ。どこまでも真っ直ぐやってきたのだろう。

努力し続ける人は凄いと思う。

生前、そんな人を横目に見て、凄いなぁと思っているだけだった自分を思い出す。きっと仕事が好きで、夢中でやってるんだろなって思っていた。でも、彼女の話を聞くとそうではないらしい。

もしかすると記憶にあるあの人も、ただ真面目に我武者羅に頑張っていただけなのかもしれない…。

周りで見ているだけの人間が、彼女のような人を追い詰めるのか。


なんて難しいんだ、生きるというのは。


「理不尽なことばかりだったなぁ…」


ふと口を突いて出てきた。

慌てて口を押さえたが、漏れ出た言葉を取り戻すことは出来なかった。

なんでこんなことを言い出したのか、自分でも分からない。


高い秋空から心地よい風が流れ、フェンスも私もすり抜けていく。


「………あなたも、死んだの?」


予定者は、目を丸くして私を見上げていた。

何故そう思ったのだろう。

私のことなど何も告げていないし、彼女は知る必要もないというのに。


答える間もなく、彼女は納得したらしかった。


「そっか……あなたも、辛かったのね」


自殺と思われたのか、同情された私はどう返事をしたらいいものかと迷い、つい無言になってしまった。

それを肯定と捉えたようで、彼女は何度も「そっか…」と呟きながら、何かを考え始めた。


ふとハヤトの姿を探すと、何故かとても離れた空中から、つまらなそうに私たちを眺めていた。

なんで私に任せてるのよ…新人だって分かってるくせに、酷い先輩だわ…。



「あなたは、死んだときどう思った?……思い残してることとか…………死んだら、親はどう思うだろう…とかさ」


巡らせていた考えはそこにあったらしい。

彼女にはやりたいこともあって、親を思う気持ちもあるのだ。なのに、今ここにいるというのは、並大抵の思いではなかったはずだ。

私は、そうじゃなかった。


「………もう、昔のことなので忘れてしまいましたね…」


慣れない嘘をついて、私は空を見上げた。



自由になれたと思ったんだ。

ギャンブルに溺れ行方知らずの父に、愛に飢えて夜を彷徨う母。彼氏が出来ては帰ってこない母に、もう何の感情も抱きはしなかった。私1人が頑張ったところで何も変わらない現実に苦しみ、でも自分で命を絶つ勇気もなかった。

あのとき、やっと終わったと思ったんだ。

親がどう思うかなんて考えたこともなかった。きっとあっちだって何も思っちゃいない。


「そういうもんなのかぁ……死んで忘れちゃうのも、いいかな……覚えてるから苦しいんだよね、きっと」


涙をたっぷり溜めた瞳が、困ったような笑顔を作りながら私を見上げている。

自分の過去なんて考えているときではない。

今この人は悩み苦しんでいる。

そして私は今、仕事をしているのだ。

振り返るな。


「苦しさは人それぞれだと思いますが、今の辛いという事実から放たれたいという人が、自殺を選ぶ場合は多いですね。」


「そうだよねぇ…」


澄んだ空気が身体を流れ、冷静さを取り戻してくれる。

揺らいではいけない。寄り添いすぎてはいけない。引っ張られてはいけない。未練なんてない。思い出してはいけない。前を見ろ。じゃなきゃ、私の魂が迷子になる。


「ここで私が死んだら、そのあとどうなるの?」


「現実のご遺体についてはご存知のように警察等におまかせすることになります。亡くなられた後の魂は、我々がこの“ゆりかご”にお包みして御霊安寧所へお連れします。そこで辛かったことを全て浄化して、まっさらな魂へと洗い流してもらいます。我々は安寧所までお連れする役ですので、到着しましたら係の者についていってください。みなさま優しい方々ですから、ご安心くださいね。」


我ながらビジネストーク感が否めない。

だが、それ以外に簡潔に伝える方法を知らないからどうしようもない。

予定者も泣き止んだし、あとはルール通りに…


「やっぱやめようかな、死ぬの」


「えっ………それは、どうしてでしょう。何か不安がございましたか?説明不足なところがありましたら遠慮なく言っ」


焦って営業トークを走らせる私の口元へ、彼女の人差し指が静かに置かれた。

思わず黙った私を見て、彼女はとても綺麗に微笑んだ。


「ここで死んで、会社のやつら全員社会的にも仕事的にも苦しめばいいって思ってたのよね。」


予定者は、顔を上げて立ち上がった。

何故だろう。泣いているのに、憑き物が落ちたような顔をしている。


「でも、一瞬の仕返しをしてやるために、わたしを無駄にするのは勿体ない気がしてきた」


これはもう、私には止めることが出来ない。

だって彼女は、もう前を向いている。


「せっかく来てくれたのにごめんね、もうちょっと生きてみることにするよ。お話してくれてありがとう。死神さん。」


「いえ死神ではなく…」


行ってしまった。

リストから、彼女の名前が消えている。

まだ命が続く未来に変わってしまったようだ。



そして、私はまたやってしまったということだ。


「あーあ、まーたやっちゃったねぇ〜」


ハヤトがニヤニヤしながらこちらを見ている。


「すみません…」


言い訳はできない。今回も間違いなく、私と話したせいで未来が変わったのだ。私にはやはりこの仕事は向いていない。


俯き反省をしていたが、ふと彼女が吸い込まれた扉が目に入った。

とても古くあちこち錆びていて、簡単には開かないような重そうな扉へと変わっていた。

驚いて先程まで掴まれていたフェンスに目をやると、こちらも酷く錆びてとても掴める様子はなく、屋上のコンクリートは苔まみれになった。まるでもう何十年も、人が立ち入っていないようだ。


……ああ、そうか。私たちは過去の予定者を回収しに来ていたのか。

きっと過去に、彼女の御霊が迷ってしまったのだろう。

迷った魂は、負の感情に引き込まれやすい。自殺した魂ならなおのこと、生者の足を引っ張る邪鬼神に言いくるめられてしまう。そうなれば、せっかく死を選んでもこの世から解放されず、苦しみ続けなければならない。

そうならないよう、我々がいるのだ。


しかし…


やはり、なにをやってもまともにこなせない私は、この仕事でもお荷物だ。


下を見ると、視界が霞んだ。

ポタッと落ちたはずの雫は、地面に届くことはなく、モヤとなって消えた。


「お前は優しいんだよ。誰かを救えるのって、才能だと思うけどね。」


見上げると、ハヤトが珍しく真面目な顔で私を見つめている。

私が、救う…?

もちろん、そんなつもりはない。


「お前はいつもそうやって、死にそうなやつの話聞いてやって、最後にはみんな笑ってるじゃないか。」


つまり、私はこの仕事に不向きということだ。胸がチクチクと痛い。パートナーへの申し訳なさと自分の不甲斐なさで、息が苦しくなった。


「違うよ」


見透かしたように、明るい声から否定されて思わずハヤトを見ると、その顔が目の前にあった。


「なっ…!ち、近い…!」


「ユメカの顔が見たくなったから」


ハヤトの唇が、私と重なった。


「ごちそーさま。」


「な………なっ!!!」


いつものようにニヤニヤ笑うハヤト。

私は自分でも赤面していることが分かるほど、顔面が火照っていた。


「良い名前だよね、ユメカって。」


「話を逸らさないでください!!今の…!」


「え?呼んだじゃーん、名前」


「あ………ってちっがーう!それもだけどそこじゃなーい!」


「さーあ次の予定者のとこにいこいこー♪」



私は御霊預かり屋。

仕事にそぐわぬ名前をもつ新人。


私の名前は、夢叶(ユメカ)。

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