第12話 氷の迷宮と小さな出会い その2

 この迷宮内では、必ずアルの背中にびたりと貼り付いて移動をした。その方が絶対に生存確率が高いし、命の危機が近くにありすぎて俺の索敵・探索能力は全く役に立って居なかった。


 アルと一緒にいれば死なない、一人になったら死ぬ。考える事と徹底する事は単純でも、危険度が段違いだと周りが全く見えなくなる。迷宮を潜る事を生業にしていて初めての経験だった。


 勝手にこの迷宮を氷の迷宮と仮称する。この氷の迷宮はありがたい事に明るくて見通しが良かった。明かりを用意する必要がなくて、この明るさならアルを見失ったりもしない。


「なあアル、どうして俺をここに連れて来たんだ?」


 ここには拾えそうなごみもない、恐らくこの迷宮に足を踏み入れたごみ拾いは俺が初めてだろう。


「君にどうしても見せたい場所があるんだ。そこまで必ず安全に案内するし、もう私は絶対に興奮して慢心しない」


 先程のアイスゴーレム戦で俺に叱られたのが堪えたのか、アルは少し元気をなくして、その分真剣さが増していた。ちょっときつく言い過ぎたかなとも思うが、命に関わるのだから妥協してはいけないと思い直した。


 そして真剣になったアルは凄まじかった。出てくる魔物は本当に確殺、途中に解説などを挟む事もなく黙々と安全の確保だけに努めていた。


 とどめを刺した魔物の素材を剥ぎ取る時間はくれたので、俺は手早くそれを済ませた。見たこともない魔物ばかりだったので勝手が分からず、取り敢えず売れそうな部分だけを見繕った。金になるのかは分からない。


 アルに聞いてみたものの、アルも売れそうな箇所を知らなかった。そもそもアルは魔物について詳しいけれど、それは迷宮を吟味している内に自然と身についた知識だ。そして魔物の素材を剥ぎ取ったり持ち出したりする姿を一度も見たことがない。


 つまるところアルは迷宮で金になるものに何も興味がない、宝箱が現れようとも無視するし、使えそうな物売れそうな物を見つけたとしても目に入っている様子はない。


 迷宮で見かける珍しい壁の模様や、見たことのない形の扉、不自然に置かれた彫刻等には異常なほど食いつくのだが、それについても観察やスケッチやメモ取りで留める。


 迷宮の構造や地図を作る事が活動の目的で、アルにとってはその他の事はすべて些末な事なのだろうか。貴族だし生活に困っている様子は一切ないのは分かるのだが、ますます迷宮ソムリエとは何なのかが謎になっている。


 まあその謎を知った所で俺に何か得がある訳ではない、今回は完全にアルのボディーガード付きで安全に迷宮探索をさせてもらっているのだから、今日の俺はごみ拾いというより冒険者に近い。


 それにしても本気になったアルの実力は凄まじい、一歩間違えれば死に至る迷宮がまるで散歩道かのように安全に進む事が出来る。


 アルの戦い方を俺は上手く言い表せられない、少なくとも俺が見たことのある冒険者達の戦い方とはまるで違う。


 前衛が武器を振るい敵を牽制し敵愾心を集め、盾や防具で攻撃を受け止めて、中後衛が前衛のフォローをし、魔法使いが放った炎で敵をまとめて焼き払う。なんて王道的な行動は一切ない。


 魔物に近づいていって首を腕力でねじ切ったり、心臓の位置に拳を突き刺して握りつぶしたり、行動する為の手足をもいで戦力を奪ったり、仕留めた魔物の体をぶん回して他の魔物を轢き潰したり、同じ人間とは思えないような戦い方をする。


 以前武器は使わないのかと聞いた事がある、アルの答えは一言だった。


「こっちの方が早いでしょ?武器の手入れとか必要ないし」


 全くもって同意しがたい意見ではあるのだが、この鬼神の如き戦いぶりを見ていると、彼にとっては真理なのかもしれない。そうなるとますます謎の存在なのだが。


 俺がそんな考え事をしていると、前を歩いていたアルの背中にぶつかってしまった。


「あっと、ごめん」

「着いたよグラン、私はここを君に見せたかったんだ」


 眼前に広がる光景に、俺はまたしても目を奪われた。




 そこにあったのは大きな湖だった。湖面はキラキラと輝きを放ち、その光を受けた氷はそれを反射させて輝きを更に増幅させる。湖の周りには剣山のように鋭い氷柱が突き立っていて、一箇所だけ開けていて湖に近づく事が出来るようになっている。


 この迷宮に入った時には辛うじて凄いと呟く事が出来たが、この景色を前にすると、比喩ではなく本当に声が出てこなかった。空高く遠い星の瞬きがすぐ傍にあるようで、感動が体と心を捉えて離さない。


「凄いだろうこの景色は」


 アルは隣に立って言う。


「この迷宮では水分はすぐに凍りついてしまう、しかしこの湖の水だけは不思議な事に凍りつかないんだ。理由はまだ判明していない、ただこの水は不思議な魔力を纏っていて様々な道具の素材として使える。ここまでたどり着く事が困難だからとても貴重な物だがな」


 高価な物、そうアルに言われても俺の体は動かなかった。ただ目を奪われ続けた。


 そんな俺を置いてアルは湖に近づくと、持ってきていた瓶に湖の水をひとすくいした。瓶の中に収まっても尚水はキラキラと輝いている。


「私としてはそんな俗っぽい理由でここを訪れたくはない、ここは本当に心から美しいと思える場所だからね。今回は仕方なく来たのだが、君と一緒に見れば少しは違うと思ったんだ」


 俺はやっと生唾を飲み込んで口を開く事が出来るようになった。


「何か分かる気がする。ここは、上手く言えないけど、汚れてはいけない場所のように思える」

「そうだな、私も同意見だよ」

「すぐ近くに死があるって事が気にならないくらいに、ここを見る事が出来た喜びの方が大きい、連れてきてくれてありがとうアル」


 俺は心からそう思った。ごみ拾いの俺には一生縁のない場所、いや生涯でここに辿り着く事のできる人は数少ないだろう。その中の一人になれた事は本当に光栄に思えた。


「やはり君を連れてきて正解だった。君と一緒にこの景色を見たことを、私は生涯の宝としよう」


 暫く俺とアルは時間も忘れて湖に魅了されていた。アルの言い方は大げさで小っ恥ずかしい、だけどそんな事気にならなかった。俺は目にこの景色を焼き付けていた。




 どれだけ時間が経っただろうか、俺はふと湖の近くに見慣れた物がある事に気がついた。


 先程までは景色に目を奪われていて気が付かなかったが、それは宝箱だった。俺はアルの手を引っ張った。


「どうした?」

「アル、あれって宝箱だよな?」


 俺の指さした先を見て、ようやくアルもその存在に気がついたようだった。俺とアルは宝箱に近づいた。


「本当だ、いつの間にあったんだ?」

「俺もまったく気が付かなかった。ここに宝箱が出現する事ってあるのか?」


 迷宮内で宝箱は自然に発生することがある、魔物を倒す事が主な入手方法ではあるが、こうしてぽつんと置いてある事も珍しい事ではない。しかしそれは限られた場所や条件の整っている場合が多い、俺はここに来たことがないから分からないが、大抵は行き止まりや何もない部屋に出てくる。


「いや、私は何度もここに訪れた事があるが宝箱を目にしたことは一度もない。こんな事は初めてだ」


 アルは本当に驚いた表情をしていた。嘘や演技のようには見えないから本当に初体験の事なのだろう。


「ど、どうする?」

「え?ああ、どうしようか。気にはなるのだが、約束の事もあるしグランが決めてくれ」


 俺はアルとした約束を思い出した。勝手なことをしない、そんな約束を確かに交わした。俺は迷いに迷った末アルに向かって言った。


「開けてみよう、俺も中身が気になる」


 俺の言葉にアルは頷いて宝箱に手をかけた。俺は距離をとってその様子を見守った。


「何か手に負えない罠が発動したら帰還の糸を使ってくれて構わない、君の身の安全を優先してくれ」

「でも」

「いいんだ。私は大丈夫だから」


 自分が頼んだ手前その状況になってアルを置いて行くのは心苦しい、俺は運良く罠がかかっていないようにと両手を合わせて祈った。


「開けるぞ!」


 アルの掛け声が聞こえてきて俺はじっと様子を注視した。アルに宝箱の罠を解除する術はない、だから罠が発動したら食らうか避けるしかない、ゆっくりと蓋を開けると、幸運な事に罠は仕掛けられていなかったようだ。


 俺はほっと胸をなでおろした。そしてアルの方を見ると、宝箱の中身を見てとても驚いた様子をしていた。俺は宝箱に近づいて行って、アルと一緒にその中を見た。


「えっ!?」


 思わず声を上げてしまう、すると宝箱の中にいた生き物がその声に反応して目を覚ました。


「キュイキュイ」


 俺と目を覚ましたそいつは目が合った。小さな翼を広げてそいつはパタパタと飛んで俺の肩に乗っかって頬ずりをしてきた。


 中から現れたのは小さなドラゴンだった。魔物の中でも特別に珍しく、おとぎ話の中でしかその存在を知らない、そんな小さな存在が今俺の肩に乗っかっていた。

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