第二十一話 打ち明けられた不安

 張り詰めた空気は過ぎ去り、ざわめきは少しずつ広がっていく。


 四日に渡る定期考査も今日で最後となり、それを終えた教室は活気で溢れていた。


 教室に残って友達と話し込んでいる生徒も普段より多く、賑やかさが増している。

 午後からの部活が怠いだとか、テストのあの問題はどうだっただとか。聞こえてくるのは色々な話で、けれどその声は一様にすっきりとしていた。


 そんな中、僕にも話しかける声が一つあった。


「優、打ち上げでもしないか?」


 突飛な提案にも慣れたもの。こういうことを言い出すのはいつだって一輝だ。


「打ち上げ?」

「そう、テストお疲れ様会みたいな」


 一輝はニヤリと笑った。

 なにかと行事にかこつけて集まろうとするのはいつものこと。今回は四人で頑張ってきたこともあるし、僕もそう悪くないことに思えた。


「いいと思うよ。いつも通り玄さんのところなら、僕も参加できるかも」

「おっし。元々そのつもりだ。じゃあ朱莉たちも誘ってくるからちょっと待っててくれ」


 返事をするまでもなく、一輝は隣の教室に向かっている。四人で集まることが最近は当たり前のようになっていた。

 テスト期間中はほぼ毎日勉強会。仲が深まるのは必然とも言える。


 それにしても、テストお疲れ様会か。

 僕の方は麗香さんに教えてもらった甲斐あって、かなりの手応えがある。一輝に関しても、あの様子であれば自信がありそうだった。


 みんな、今回のテストはどうだっただろう。周囲の空気にあてられて、僕も少しみんなの手応えが気になった。




 ◇




 ──テストお疲れっ!!


 望月さんの音頭を皮切りに、それぞれが各々のテンションで返事をする。


 いつにも増して明るい望月さん。すっきりとした表情を浮かべる一輝。いつもよりは少し明るい僕。

 そして──少し元気のない麗香さん。


 気にかかるところはあるけれど、流石は一輝というべきか。しっかりと務めは果たしたようで、喫茶店にはいつもの四人が集まっていた。


「いやあ、やっと終わったね」

「だな。四日がこんなに長く感じるのは毎度不思議だよ」


 一輝のこぼした感想に、確かにと頷く。

 僕もテストが好きなわけではないから、その気持ちはよくわかった。


「でも、今回は少し気が楽だな」

「うん、それもこれも麗香のおかげ!」


 みんなの視線が麗香さんを向く。

 その視線を一身に受けて、ぼうっとしていた麗香さんはきょとんとした。


「わ、わたし……?」


 麗香さんは、今日ずっとこんな調子だった。

 どこか心ここに在らずと言った具合で反応が鈍い。何かあったことは丸わかりで、でも自分から言い出すこともなかった。


 そんな様子を知ってか知らずか、望月さんは元気な声で続ける。


「もちろん! 麗香が丁寧に教えてくれたから私たちは自信持てるんだよ?」


 ね? と共感を求めると、一輝は当然とばかりに大きく頷いた。曇りのない笑顔は、自信でいっぱいだ。


 それに僕も……──


「僕も、感謝してますよ。教えてもらう時間は少なかったけど、テスト中何度も麗香さんのおかげだなって思うことがありました。ほんと、ありがとうございます」


 本当に。

 テスト勉強もそうだけど、ノートをまとめたり、二人でも教えてくれたり。僕のためにここまでしてくれたことが、何よりも嬉しかった。

 

「そう、かな……?」

「もちろん」

「……それならよかったよ」


 それを聞いて、麗香さんは少しだけ表情が柔らかくなる。


「みんなの役に立てたなら嬉しい」


 ──良かった。


 いつもの調子だ。笑顔もほんのりと浮かび始め、表情の翳りも幾分マシになった。

 望月さんのテンションに引っ張られるように、次第に反応も良くなっていく。


 僕は、そんな様子を見て席を立つ。


「少し用ができたので、待っててもらえますか?」


 玄さんに話があるんです、と。ちょっとした理由を付け足して。


 笑顔の中で、まだ少しだけ翳りが見え隠れする麗香さんに。それを取り除けないかと思った。


 僕にどうこうできる問題ではないのかもしれない。

 でも、一つ浮かんだ案を実行するために、僕はみんなから背を向けた。


 少しでも元気づけれたら、そう思って。




 ◇




 厨房に着くと、作業中の玄さんは顔を上げた。

 僕の姿を認めると、ダンディな顔が優しい表情に形を変える。


「……ん、優か。どうした? なんか作ってやろうか」


 ──腹が減ったら遠慮なく言えよ。サービスしてやるからな。


 お店に着いた時にはそう言っていた玄さんだ。きっと、お腹が空いたと思ったのだろう。

 でも、今回頼みに来ていたことは違う。


「いえ、違うんです。その反対で、僕に作らせて欲しいんです」

「……意外だな。優がか?」


 玄さんは驚いたように口を開く。友達にでも頼まれたのか、と。

 しかし僕はその問いに首を横に振る。


「僕が──自分で作りたいって思ったんです」


 今まで料理を学んだのは家庭のためだった。作れないと今後困るだろうから、温かみのあるご飯を食べれないのは佳奈が可哀想だったから。

 だけど今回、元気のない麗香さんを見て、僕が自分の意思で作りたいと思った。


 呆けたように質問してくる玄さん。しかしそれを聞くと、やがて柔和な笑みを浮かべる。

 その顔はどこか、嬉しそうだった。


「そうか……。いいぞ。盛り付けまではやったことがなかったよな? 見ててやるから、やってみろ」

「いいんですか?」

「もちろん。そろそろ教えてやろうかと思ってたところだからな」


 手早く準備を始めて促す玄さんはいつにも増して上機嫌だ。足取りは軽く、口の端もニヤッと吊り上がっている。

 その姿を見て、僕は少し気になった。


「どうして、嬉しそうなんですか?」

「……いやなに、今までずっと佳奈のためばっかりで自分の意思を伝えなかった優が、こうして自分でやりたいことを伝えてくれたんだ。嬉しくないわけがないだろう?」


 普段豪快に笑う玄さんが、シワを作るくらいにくしゃっと笑った。




 ◇




「すみません、お待たせしました」


 パンケーキを両手に席に戻れば、小さく歓声が上がる。

 多少時間は取ってしまったけれど、そのお陰で間食にはいい頃合いだった。


「え、パンケーキ!? 美味しそう!」

「ほんとだ、美味しそう……」


 いちご、ブルーベリー、バナナなど、様々な果物がトッピングされていて見栄えがいい。

 女性ウケのいいそれは、望月さんと麗香さんにも好評のようだった。


「それ、もしかして優が作ったのか?」

「うん、頼んで作らせてもらったんだ。僕からもお疲れ様ってことでサービスだよ」

「やっぱすげえな、優は」


 ほんとに作ったの!? だとか。すごいね、だとか。

 みんな口々に褒めてくれる。手放しに喜んでくれて、元気付けようとしたのになんだか僕が喜ばせられているみたいだった。


「よかったら食べてください」


 そう言うと、みんなお礼を述べてからパンケーキに手をつけ始める。

 いつにも増して静かな麗香さんだったけれど、その目は輝いているように見えた。意外と甘い物好きなのは、一緒に過ごしてきたから知っている。


「優、めっちゃ美味いぞ」

「うん! おいしい!」


 ニコニコと満面の笑みで、一輝と望月さんは言う。


「二人の口にあったようで良かったよ」


 これだけ美味しい美味しいと言ってもらえると気持ちが良かった。自分の料理の感想とかは、あまり聞く機会がなかったから。


 みんなにはかなり好評のようだから、自分も冷めないうちに口に運ぶ。


「お、結構美味しい……」


 パンケーキはふわふわに仕上がっているし、甘さもちょうど良い。昔に比べて本当に上達したと感慨深いものもあった。


「榊原くん」


 隣にいる麗香さんに呼ばれて顔を向ける。呼ばれた声は、心なしか弾んでいるように聞こえた。


「これ、ほんとに美味しい。ありがとう」


 嬉しそうに、幸せそうに。

 そこには曇りのない笑顔があって、翳りなんて一つもなかった。

 僕はそんな笑みを見て、胸が温かくなる。


 僕は僕の力で、友達を元気づけれたみたいだ。


 みんなが食べている様子をぐるっと見回して、不意に目があう。

 望月さんと目があって、ニコッと温かい眼差しを受けた。

 それだけで、理解する。きっと、僕のこの行動の意図にだって気づいているのだろう。


 ──でも、そりゃそうか。麗香さんと最も付き合いの長い望月さんが、異変に気づかないわけがない。


 僕よりも長く、ずっと一緒にいるのだ。

 心なしかいつもより明るく振る舞っているのだって、些細なことに気にかけることだって。

 全て麗香さんを元気付けるためだったのだろう。


 ──やっぱり、このカップルは似た者同士だ。


 友達に機微にすぐ気づくところも。元気付けようとするところも。

 自分から言い出すことを待ってくれるところも。


 温かい人たちだ。

 この四人なら、学校での僕も一歩踏み出せるような気がした。

 それに信頼を含んだその視線。

 麗香のことを頼んだよ、とそう言われた気がした。




 ◇




 薄暗くなった道を街灯に照らされて歩く。

 お疲れ様会は賑やかなまま終わり、帰路に着いていた。


 喫茶店で話しすぎたせいか話のネタはもうない。ゆっくりと歩いているだけでは、少し肌寒かった。


 ぼんやりと歩みを進めている中。

 不意に隣の麗香さんは小さな声で言う。


「──……あのね、私、テスト失敗しちゃったんだ」


 晴れやかに、けれど同時に悲しそうに。


「多分、一番にはなれないかも」


 突然のことに、一瞬理解が遅れた。

 なによりも完璧であることにこだわっていた麗香さん。力なく放たれた言葉が意外だったから。

 しかし同時に納得もする。ここまで上の空になっていた理由がわかったから。


「だから、あの反応だったんですね」

「……うん、まあね」


 今日一日を通して。

 成績が上がったと確信して嬉しかったからか、問題についての話題が多かった。

 それらを当たり感触のない笑みで過ごしていたのはそう言うことだったのかと、今更ながら気づいた。


「それは悪いことをしちゃいましたね」

「ううん、何も言わなかった私が悪いの」


 自嘲するように笑う。

 その姿に以前の自分を思い出して、僕は苦笑い。

 言葉足らずなのは、お互い様だった。


「……もしね」


 ポツリ、と。


「──もし、私が一番じゃなかったらどう思う?」

「……」


 問いかけた麗香さんの瞳は、不安気に揺れている。

 一番、それが意味することはすぐにわかった。そして、何を恐れているのかも少しわかった。

 だからこそ、僕はすぐに浮かんだ率直な思いをぶつける。


「多分、なんとも思いません」

「なんとも……?」

「はい。だって僕、──麗香さんが一番だとか、何でもできるとか。そう言うこと、気にしたことがありませんから」


 興味がないとか、そういうわけじゃない。

 麗香さんと友達になるにあたって、本当に気にしたことがなかった。


 困惑する麗香さんをよそに、目を合わせて僕の思いを伝えていく。

 これは僕の抱く、本心だから。


「僕の中で麗香さんは、頑張り屋で友達思いで、だけどちょっと抜けてるところもあって、そしてなによりも優しい。そんな人です」


 言いながら、僕は今まで麗香さんにしてもらった様々な出来事を思い出し、自然と頬が緩んだ。

 佳奈のことも、僕のことも。ここまで良い関係を築けたのは、きっと麗香さんのおかげなのだ。


「一番だとか完璧だとか、そんなことは関係ありません。麗香さんの人柄がいいからこそ、ここまで関わっているんです」


 できる限り、僕の真意が伝わるように。


「──友達でいたいって思ったんです」


 麗香さんの優しさを思いながら、僕は微笑んだ。


「そっか……」


 安堵した声音。穏やかな表情。


「ありがとう。やっぱり榊原くんはすごいね」


 一瞬見とれてしまうくらいに素敵な笑み。

 本当に、どれだけの魅力を持ち合わせているのだろう。


 そんな内心を察することもなく、彼女は少し軽くなった足を止めることなく動かしていく。

 スタスタと。

 その足取りは以前よりも少し軽快だった。


「でも、実際目にすると心に来るんだろうなぁ……」


 独り言のように、ポツリと呟いた。

 きっと、テストの結果のことだろう。


「──榊原くん、これからも友達でいてね」


 妙に実感のこもった言葉。

 儚く、けれどすっと耳に入った言葉。

 その言葉が、僕の頭に響いて離れなかった。

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