第11話 明くる朝
朝、鶏の鳴き声と共に目を覚ました。
「ん、む…………」
いや、覚めたとは言い難い。
それでもなんとか身体を起こすと、はらりと身体から毛布が落ちた。
「ん、んん……!ふわぁ」
思い切り上体を伸ばし、
とても人には見せられない、はしたない姿だ。だが、ここには口煩い女中も説教ばかりの父もいない。構うものか。
(……昨日は楽しかったなぁ)
思い返すのは、二度の野良試合だ。
相手は二人とも、優れた騎士だった。日頃、一人で稽古をしてきたヴィーネにとって、強い騎士との仕合は良い経験になった。
クリスバーンの間合いの伸びは槍のようで、ゲッツの鍔迫り合いは魔法のようだった。やはり、他人の技を体験するのは必要なことだ。
───それにしても。
髪を調えると、ヴィーネは立ち上がった。それから、軽く前後に跳ねてみる。長い髪が光を反射しながら揺れる。
どうにも、ヴィーネと仕合をした騎士の多くはヴィーネの足元を気にしている。自分の足運びに何かあるのだろうかと疑問を抱いたが、やはりわからない。
(今度、誰かに聞いてみよう)
そう思いながら、ヴィーネは服を着る。
白いブラウスにコルセットを合わせ、大胆に短いスカートをはく。そして、足元は頑丈な
ヴィーネが生活しているのは、二階建ての一軒家だ。庶民が生活する家に比べれば広く、造りも頑丈な家である。
ここは父親───ルットフォルツ家の所有する家ではない。縁あって、ある商人が使わなくなった空き家を借りているのだ。何でも昔は、用心棒を兼ねた使用人が、家族と共に住んでいたのだとか。
「一人だと、少し広すぎなのよね……」
ぼやきながら剣帯を腰に巻き、剣を帯びる。それから、朝稽古の為にと階段を降りた。
毎日の日課として、庭で素振りと型の練習をしよう。それから朝食を済ませて……などと今日の予定を考えながら玄関の扉を開ける。
「おや。お早いですな、フロイライン」
「……なんで?」
何故かそこに、
†
ルットフォルツ伯爵の三女、ウィルトヴィーネ・フォン・ルットフォルツ。騎士に憧れ、騎士を目指し、父親であるルットフォルツ伯爵から猛反対されたという御令嬢。
そんな彼女が商人から家を借りて一人暮らしをしているのかと言えば、要は家出中だからだ。
父の反対を無視して剣の稽古に没頭し、遂には十五歳になったヴィーネ。年頃の娘でありながら縁談はまるで興味がないと全て突っぱねて、勝手に真剣まで拵えてしまった。そんな彼女に父は怒り心頭であり、親子喧嘩の末に家を飛び出したのである。
さて、伯爵令嬢が家出というのは、中々に大事だ。貴族というのは騎士と同様、名誉を重んじる。殊に領主ともあれば、領民に対して立派な人間でなくてはならない。その娘が家出し、はしたなく剣を振り回している……中々に大問題だ。
だのに、ヴィーネは連れ戻される事もなく、一人好き勝手に暮らしていた。それは何故かと言えば、単純明快。彼女の逃げ足がやたらと速いのが原因であった。
剣の稽古によって鍛えられた足腰と、天性の身のこなしの軽さ。さらに優れた直感のお陰で、ルットフォルツ伯爵に仕える騎士から見事に逃げ続けたのである。
そうやって街中で鬼ごっこを続けて一週間。果たして、伯爵が譲歩する形となった。いつまでも街中を逃げ回られては、伯爵の騎士は娘一人捕まえられぬと評判になってしまうだろう。或いはヴィーネがどこか遠く、街の外に逃げてしまうやも知れぬ。そうなっては、それこそ取り返しがつかない。
結果、伯爵はヴィーネの家出と一人暮らしを黙認する事とした。外聞を優先したと言うと聞こえが悪いが、立場を蔑ろにしては家族を守れないのが人の世だ。
幸いにもヴィーネが借りた家の家主は、伯爵家と懇意にしている商家である。それとなく監視出来るし、信頼も置ける。そうでなくば、未だに諦めることなくヴィーネを追い回していただろう。
そして、そこにゲッツが現れたのは何故か。
「……お父様に頼まれて、私を連れ戻しに来たのかしら?」
ヴィーネの身体が、力を抜く。警戒を緩めているのではない。瞬時に動けるよう備えているのだ。
父の事情が変わったのだろう。だから、腕の立つ騎士を雇って寄越したのだ。ヴィーネはそう勘繰っているらしい。
だが、ゲッツはその場に跪いて一礼した。
「お早う御座います、フロイライン・ウィルトヴィーネ。まずは早朝に御訪ねした非礼を御詫び致します」
「……えっと?」
いきなりの謝罪に、ヴィーネは反応に困る。跪いたその姿勢は、明らかに追う者の姿勢ではない。
もしこれが罠なら、大したものだ。困惑するヴィーネは、すっかり無防備である。
ただ、ゲッツが貴婦人に対して───誰に対してもそのような不意打ちをする人物ではないのは、ヴィーネも何となくわかってはいた。
故に、警戒を解いて話を聞いてみようという気になった。
「それじゃあ、何をしにいらしたのですか?」
「重ねて失礼ながら、フロイラインの事情を友人から聞いてしまいました。ルットフォルツ伯爵の御息女である、と」
「む……」
やはり、知られてしまったか。ヴィーネは内心でため息を吐いた。
自分が領主の娘と知れば、誰も仕合を受けてはくれなかった。だからこれまで、家名を名乗らずに、余所から来た流れの騎士相手に勝負を挑んできたのだ。出来ればゲッツには知らぬまま、もう一度相手をして欲しかったのだが……いや、それは問題ではない。
「はぁ……その事は良いですから、用件をお願いします」
まさか謝罪の為だけに来た、などと言うことはあるまい。
いや、まったくあり得ないとは言えないが、それにしても早朝には来るまい。
「最近、この街に不埒な輩がいるとも聞きました。もし御許し頂けるならば、私に貴女の供を務め、御守りする名誉をお与え下さい」
「えー……」
ゲッツの申し出は、つまり護衛の申し出だった。
確かに、ここのところ星影騎士団を名乗る
それに、護衛と称しておきながら、父からのお目付け役ではないのか?そんな疑念も捨てきれない。
いぶかしむヴィーネ。ゲッツはその視線を察して、穏やかに微笑んだ。
「御安心下さい。私はルットフォルツ伯爵とは面識がありません。これは、貴女の
「
「はい。彼は私の古い友人です」
サー・ジギスカルト。ジグと渾名される彼は、家出する前からよく知っている。
ジギスカルトは忠義はあるが、どことなく捕らえ処がなく、飄々とした男だ。剣の腕は悪くなさそうだが、それよりも顔の良さが目立ち、世渡りが上手そうな人物に見えた。
ヴィーネとしては、一度も剣の相手をしてくれなかったのが何より不満な男である。別段嫌いと言う訳ではないが、好きと言うこともまるでない。
まさか、彼がゲッツの友とは思わなんだ。
───奇妙な人間関係もあったものね。
ともあれ、父の使いではなくジギスカルトの友と言うならば、そこまで邪険にする事もあるまい。ジギスカルト個人はヴィーネの事を可愛がろうとはしてくれているし、剣についても反対はしていなかった。ただ、協力もしてくれなかっただけだ。
それに少なくともゲッツ本人は、本当にヴィーネの身を案じてくれているらしいのだし。
「わかりました。では領地から悪漢が去るまで、私の傍に立ち、守る事を許します」
「有り難き幸せに御座います、フロイライン」
淑女、乙女、貴婦人。女性のために力を尽くすのは、騎士の本懐だ。ヴィーネが手を差し出すと、ゲッツはその手の甲に口付けする。
ヴィーネもどちらかと言えば守る側に立ちたいのだが、致し方ない。それよりも、ゲッツが四六時中傍にいるというのは、折角の僥倖だ。
ヴィーネはにっこりと笑い、跪くゲッツの顔を覗き込んだ。
「ところで、ゲッツ卿。これから朝のお稽古があるのですけれど、ご一緒していただけませんか?」
「そう来ましたか……」
こんな好機を逃す手はない。
ヴィーネは意気揚々と木剣を用意し、ゲッツに投げ渡すのであった。
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