『侵蝕』

「アイスコーヒーでいい? 」

「う、うっす」


 俺の答えにお姉さんはくすっと笑うと、カフェの店員に注文を言う。


 あれから半ば無理やり、先ほど会ったばかりのお姉さんに一階のカフェに連れられて来る。


 全国チェーンの有名なカフェだが、飲み物が甘すぎるのと、オタクの俺にはあまりに場違いすぎるため、一人で来たことはなかった。

 

 カフェの席もほとんど空いていて、仕事帰りのサラリーマンやノートPCを異様な速度と音を立てて叩く大学生が数人いる程度だ。


 何だかよくわからない事態になってきた。


「おい、ヒル子。俺はどうしたらいいんだ? 」

とヒル子に話しかけると、妙に呂律の回らない声が聞こえてくる。

『そんなもん……知らぬ。自分で、考えるのじゃ』


「おいおい、薄情じゃねえか! 」

『我は、もう、眠いのじゃあ! それに嫌なら帰ればよかろう』

「そりゃ、そうだけどよ」

 とヒル子と話していると


「お待たせー」

 と艶やかな声が聞こえ、目の前にアイスコーヒーが置かれる。

 

 テーブルの目の前に、お姉さんが座る。

「あ、ありがとうございます」

「そんな固くならなくていいわよ」


 俺はもらったアイスコーヒーをストローで飲み始めるも、苦みに顔をしかめる。


「あら、コーヒー苦手だった?」

 俺はコーヒーも飲めないガキと思われたくなかったので

「いや、あまり飲まないってだけで、飲めないわけじゃないっす!」

 といい、勢いよくコーヒーを吸うと、むせかける。

「ゆっくり飲みなよ」


 呆れたようにお姉さんは笑みを浮かべる。


「緊張してる? 」

「いや、そりゃあ」

 

 クラスの女子生徒ともまともに話せない俺が、スタイル抜群の年上女性とカフェで落ち着いて話せるはずもなく、さらに言えば目の前で微笑むお姉さんの声の色気に頭が沸騰しそうだ。


「ねえ、この本屋はよく来るの? 」

「あ、まあ、そうっすね。読書好きなんで、小説とか探しに。あとマンガも好きなんで」

「へえ。そういえば、さっき何か雑誌買ってたじゃん。何買ったの? 」


 俺がテーブルの脇に置いた袋をお姉さんは見て言う。

 俺は躊躇するが、目の前で隠すわけにもいかなく、袋から雑誌を取り出す。


「これは、声優の雑誌っす」


 この雑誌を見せれば、普通の女性ならオタクだと思って、俺への興味を失うに違いない。

 そしたら、俺はこの緊張の場から一気に退散できる!


 と、そう考えたが、


「へえ。声優好きなんだ! 誰が好きなの? 」

 お姉さんがテーブルの前から身を乗り出して興味津々な感じで聞いてくる。

 お姉さんのTシャツの胸元が揺れ、俺は視線を天井に一気に逸らす。


 想定とは全く違うお姉さんの反応に俺は戸惑うも、一応聞かれたからには答えないわけにはいかねえ。


「この表紙に飾ってる薔薇園莉々朱さんっていう人ですね」

 と答えると、

「へえー! 何で何で!」

 と勢いよく聞いてくる。

 何でかわからねえが、こんだけ聞いてくるなら好き放題喋ってもいいだろう。

 と思った俺は遠慮なく話し始める。

 

「莉々朱様の魅力っすか! そりゃあ、何といってもその演技力ですね! 妖艶な美女の声から幼女キャラの元気な声までなんでもこなせて! それでいて、その声に説得力があるというか……。上手く説明できないけど、本当にキャラが生きてる感じがすごく伝わってくるんすよ!」


「ほうほう。それでそれで? 」 

「俺は莉々朱様の声を聞くまでは、アニメは大好きだけど、声優さんって興味はなかったんすよ。そしたらあるアニメの映画を見た時に、莉々朱様が演じるキャラが劇中で歌を歌ってたんすけど。それを聞いた時に、衝撃を受けたんすよ。なんて美しい声なんだって! それ以来、その声が耳から離れなくなって……初めてなんすよ、声に惚れたのは」


 俺の熱のこもった語りに、目の前のお姉さんはうんうんと嬉しそうに頷く。


「それから俺は、アニメのキャスト表をチェックしたり、出演作をネットで調べだして。そしたら、俺の好きなアニメの殆どに莉々朱様が出てて、全く気づかなくてビビりましたね。それからは莉々朱様が出てるアニメは片っ端から見まくって、CDも買ってるし、ラジオも毎週聞いてます! 」


「へえ。そんなに好きなんだ? 」

「いや、もう好きってレベル超越してますよ。その上、めっちゃくちゃ美人じゃないですか、莉々朱様って! もう全てを兼ね備えてるっていうか、本当に俺にとってはまじもんの女神様ですね! しかも」

 と俺が話し続けようとすると


『太陽! お主喋りすぎなのじゃ! うるさいのじゃ! 』

 とのヒル子の声に我に返る。


 やべえ……予想外に反応が良すぎて、オタク友達と話す時のテンションで、しかも初対面のお姉さんにやっちまったぜ。


 完全に引かれたと思うも、理由はわからないがお姉さんはサングラスをしてもわかるくらい満面の笑みで俺を見ていた


「本当に大好きなんだねー、その人のこと」

 

 微笑ましいものでも見るかのようなお姉さんの声に無性に恥ずかしくなる。


「それで、イベントとか参加したいけど、部活の練習とか大会があったんで今まで行けたことがなくて。でもイベントのDVDは買って、何度もリピートして見てます! 」


「ふーん……」

 お姉さんは思案気にキャップからはみ出た横髪をくるくる手で巻きつつ首を傾げる。

 

 その仕草に俺はドキッとし、喉から変な音が出る。


 一方的にしゃべりすぎたと俺は思い、そういえば目の前のお姉さんがどんな人なのかも知らないことにようやく気づく。


「その……お姉さんは観光で来た感じっすか?」

「うん、そうよ」

「大学生ですか? 」

 と聞くと、笑って

「違うわ。もう仕事してるもの」

「社会人なんすね。どんな仕事してるんすか? 」


 と聞くと、一瞬間が空き

「何だと思う? 」

 お姉さんが逆に聞いてきたので、考えてみて答える。


「もしかして、モデルさんすか? 」

「んん、まあそういうお仕事もあったりはするかもねえ」


 なんだかはぐらかされたような感じがしたので、深くは聞かないことにする。

 

「ねえ。君、名前はなんていうの?」

「俺っすか? 八剣太陽っていいます」

「へえ。太陽君っていうんだ。高校生だよね、今は夏休み?」

「高校三年生っす。なんで最後の夏休みっすね」

「そうなんだ。受験勉強とか大変な時期じゃない? 」

「いや、まあそうっすねー」

 ははは、と俺は頭をかきながら、答える。流石に全く勉強してないと言う勇気はなかった。


 お姉さんはアイスコーヒーをストローで飲みつつ、俺をじっと見つめてくる。それになんだかどぎまぎし、俺は視線を逸らす。


「太陽君さ。もし、薔薇園莉々朱に会えるとしたら、どうする? 」

「えっ? 」

 あまりにも唐突な質問に、俺は完全に固まる。

 お姉さんの言っている意味がわからず、俺は聞き返す。

「どういう意味っすか? 」

と聞くも、

「その通りの意味よ」

といい、俺に答えを促す。

「そりゃあ……会えたらすっげー嬉しいっすけど。でもこんな田舎にいるわけねえし。そもそもどうしてそんなこと聞くんすか? 」


 お姉さんは俺の質問に答えずに、笑みを浮かべると、伝票を持って立ち上がる。


「明日……そうね。お昼の十二時にここに来て」

「え? いや何で」

「いいからいいから。それじゃ、今日はありがとね、太陽君。かっこよかったよ」


 そう言うと、颯爽とお姉さんはレジに行き、会計を済まし、店から出て行った。


 俺は何が何だかわからず、その様子をただぼけっと見送ることしかできなかった。


「すいません、閉店ですので」

 と店員さんに言われ、ようやく俺は本屋を出る。


 夜風が俺の頭を覚まし、ようやく冷静になる。

 空を見上げると、雲一つない夜空に、満月が浮かんでいる。 

 

 月冴ゆる美しい夜だった。


 ここのところ、不思議な出来事ばかり起きている。

 今まで経験したことないくらい、今日の出来事だってそうだ。

 初対面のお姉さんと会ったその日に一緒にカフェに行くとか、ギャルゲでも中々ないぜ。


「一体、何なんだろうな」

と物思いに耽りながら駐輪場に向かっていた時だった。


「よお。兄ちゃん」

 正面から聞こえてきた声に、俺は顔を向ける。 

 前方から、二人組の男が近づいてくる。

 近づいてきた彼らは、店内でお姉さんに絡んでいた男たちだった。


 男たちは、俺の前に立ちはだかり行く手をふさいでくる。

 鼓動が早くなり、肌がひりついてくる。


「何の用だよ」

「せっかくこんなところじゃ滅多にお目にかかれない女を見つけたっていうのに、お兄さんに邪魔されたせえで、こいつが鬱憤たまってるんだよ」

 ホスト風の優男が、横のタンクトップの坊主頭を指さす。坊主頭は首を鳴らし、拳を握りしめる。

「ストレス解消にサンドバックになりな」


 出てきたばかりの本屋は閉店になり既に明かりが消えている。


 敷地の外、空の月と、道沿いの街灯しか明かりがなく、人通りも絶え、この場には俺とこいつらしかいない。


 駐輪場にある自転車を取りに行こうにも、目の前を塞がれている。

 坊主頭が肩をいからせて、大股で近づいてくる。 

 

 どうやって切り抜けようか考えていた、まさにその時だった。


 耳の奥に不快な音が聞え、全身を悪寒が走る。


 それと同時に左手に熱を感じ視線を移すと、左手首に装着されたイマジナイトが展開し、中心の炎の紋様から真紅の光を周囲に放つ。


『太陽! 気を付けるのじゃ! 何かが近づいてきておる! 』


 俺はノーデンスの言葉を思い出す。

 異界が出現した時、イマジナイトが反応することを。


「おい、一体それはなんなんだ? 警察でも呼んだのか?! 」

 坊主頭は立ち止まり、隣のホスト風の男が慌てたように俺のイマジナイトを指さす。

「うるせえ! 今はそれどころじゃねえんだよ! ヒル子、異界はどこから! 」

『わからぬ! だがそう遠くはないのじゃ! 』


 俺は首を振り、周囲を必死に見回すも、それらしきものは見つからない。


 不意に胸騒ぎがした俺は、空を見上げる。


 満月が、喰われるかのように突如現れた闇黒に呑み込まれてゆく。

 

 加速度的に点滅するイマジナイトの赤光が、俺に告げる。

 

「どこかじゃねえ……ここだ! 」


 刹那、足元よりいでくる漆黒の闇が、俺の視界を塗りつぶした。

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