鳳を見よ

白川津 中々

鳳ミオは美しい1

 女性の美しさは、身にまとう服にあるのではなく、その容姿でもなく、髪を梳くしぐさにあるのでもありません。

 By.オードリー・ヘップバーン




「おはよう! 今日も私はビューティフル!」



 目が覚めた途端、ベッドから踊り出して鏡と対峙したミオはそう歌う。

 これは彼女の為人を知るに足りる日課である。伊達や酔狂で自画自賛しているわけではなく、大真面目に自らの容姿をビューティフルであると評しているのだ。時代が時代であれば水面に映った自分に口付けを敢行し溺死しているかもしれない。現代に生まれたのが幸いである。


 ともかくとして彼女の認知は、自らが美麗であるという報告に定まっているだった。

認知というのは主観的なものであるわけだが……




「さぁ! ご飯を食べましょう! 美味しく元気に健康に!」




 キッチンに向かい、ミオは馴れた様子で朝食と昼食の弁当を作る。

 葉野菜を千切り、玉子を焼き、鮭の切り身をグリルに入れて、豆腐が浮かぶ出汁を温め味噌を混ぜ、間に冷蔵庫のきんぴら、おひたしを取り出し、それぞれを小皿と弁当に移していく。手際は無駄なく小気味好い。一連の流れはプロフェッショナルの技術として認識できるレベルであり、素人には真似できぬ芸当。その光景は美であり、見る物を魅了し、仕上げるまでに時間の経過を忘れさせる程の完成度を誇っていた。



 また、美しいのは調理だけではない。



「いただきます」



 


 合掌から箸を持ち、茶碗を支えて食を運ぶ。この仕草もまた、由緒正しき礼儀作法に通じた奥ゆかしさを形作っている。鮭と玉子を中心に彩り豊かな副菜を均等に処理していく様は工場で機械的な動作をする装置の正確さと雅楽のわびさびを併せ持つ高次元の所作であり、ただ食するという行為が芸術の域にまで引き上げられているのであった。食べるという行為は排泄と同様に人前で見せる物ではない下品なものであると物の本に記してあるが、彼女の食事を見る戯言に聞こえてしまう。




「ご馳走様でした! 美味しかった!」




 食事が終わると片付けと準備。ミオは出社のために長く時間をかける。毎朝の化粧などは特に念入りに行われ、顔面に手を加えていく。彼女が早朝五時に起床しているのはこの化粧のためといっても差し支えなく、どれだけ夜を更かした際においても必ず定刻通りに動きだすのである。世に生きる多数の女性においても化粧に使う時間の捻出に苦労している事であろう。




「よぉし! 完璧! ますます綺麗になった! 私は今日も元気で美しい!」




 鏡の前、完成された施しに対して高評価を下し上機嫌。彼女の場合は不機嫌になる事など稀の中の稀であるのだが、化粧の後は一層に気分が高揚するのだった。

 化粧について、元より美しい顔面をより際立たせ美の到達点へと立つという認識がミオの中にはある。クレオパトラがアフロディーテに変質する儀式が、彼女にとっての化粧なのだ。実際、メイキャプの腕も、料理に負けず劣らず素晴らしく、目元鼻元口元はいずれも象徴的なヴィジョンとなって顕現しながらも、元からかけ離れた印象は受けず、ナチュラルな印象を与える物となっている。だがその自然さが、不自然さを感じさせない作風が、他者が持つ彼女への絶対認識の地盤を固めているのであった。





「それでは行ってきます! 今日も私は大丈夫!」



 

 自室を出て風を切って歩くミオ。道中、彼女を目にした動物たちは三者三様の様相を示す。散歩に連れ出されている犬は吼え、烏は旋回飛行し、猫は遠ざかっていく。いずれも生物としての血が恐怖を呼び、闘争、警戒、逃走を選択したのだ。そして平和ボケした教育の行き届いていない子供達はクスクスと笑い後ろ指を指す。知能が発達した獣というのは品がなく無礼であるが、当人に対して何がおかしいのかを伝える気概は持ち合わせていなかった。もっとも、遠慮も思慮も思いやりも道徳も常識もないクソガキ共から直接聞かされたところで、彼女のメンタルが揺らぐ事はないだろうが。




「おはようございます!」



 出社し挨拶。オフィスにいるのは課長職である戸田である。彼は齢五十にして課長止まりであるが有能な男であった。出世できぬのは生来の欲の無さと、正直すぎるその気質にある。思った事を口にしてしまう悪癖ともいえる素直さというか愚かさを持っており、著しく評価を下げてしまっているのだ。



 そんな戸田は、勿論ミオについても忌憚のない、見たままの感想を口にする。





「おはよう鳳さん。今日もブサイクだね」




 ブサイク。

 ブサイク。

 ブサイク。




 戸田はミオに向かって間違いなく言った。

 そして、それは多くの人間は共通して持つ、彼女への認識であった。


 そう、鳳ミオは、誰がどう見ても、どのような判断軸で測ったとしても、決して美人と評価できない容姿をしている。

 言葉を選ばないのであればゴリラとイノシシのハイブリット。力強さと野生の象徴が、彼女の全てを形作っていたのだった。現代的価値観で語るのであればブサイクという表現がぴったりと当てはまるのである。



 読者職人に誤解がを生まぬようお伝えするが、人間の評価は顔の良し悪しでは決まらないし、そもそも当人に向かって明け透けに容姿に関する非難をするのは言語道断。この場合においては間違いなく戸田が悪であり、訴えられたら敗訴確定。なんなら実際に訴えられて謝罪と賠償を支払うべきである。しかし。




「はい、今日も私は綺麗です」



 

 ミオは動じなかった。

 彼女の心には、堅守堅牢なる鉄壁のポジティブハートが聳えているのである。

 


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