復讐の豚 ―ニンゲンに復讐を誓った豚、ニンゲンに転生す―

@tendesu

第1話 狭い世界

私には、生まれた時から自我があった。

何故かは、分からない。


そも、自我の芽生えというのが生まれた瞬間なのかどうかも定かではない。




私の最初の記憶は不自然な焦燥と自分を囲う三つの鼓動への知覚だった。


その鼓動たちも、初めこそ弱々しかったが時を経るごとに確かになっていった。


私は、その鼓動たちに名前を付けた。

おっとりと優雅な鼓動にはユリ、生き急いでいるかのように早く鳴っている鼓動にはアンソニー、独特なリズムを刻む鼓動にはフラムというように。


鼓動が、心の臓にまで響くようになった頃には、既に焦燥は消え去り、全身が湯に使っているような温かなこの安息が永遠に続けばいいのに、とすら思う程には心地よかった。


しかし、そんな時も長くは続かなかった。

いつものように微睡んでいると何かに押されるような感覚に襲われ、気がつけば鼓動たちが一つ、また一つと消えていった。


その時、私は本能で理解することができた。


産まれるのだと。


そうして、私は温かな安息の場から押し出されていった。



私の尻に衝撃が走った次の瞬間には、全身を異常な寒さに包まれた。

今までに感じたことのない寒さと言いしれぬ渇きに私は焦りを覚えた。


とにかく立たなくては。

立ち上がり、この甘く芳しい匂いの元に向かわねばならないと。


寒さに震える体と滑る四つ脚を動かし、匂いを頼りになんとか歩みを進めると、そこにはピンクの突起物があった。


私はこの渇きを解決するために、とにかく貪った。


甘く濃厚な液体が喉を通る。初めての味に脳が痺れるような快楽が私を覆った。


どれくらいの時間そうしていたのだろうか、気がつけば既に寒さは和らぎ、渇きは消え失せていた。


満ち足りた心地よさに任せるように私は、生まれて初めての睡眠をした。



目を覚ました私は、ふたたび訪れた渇きを潤すため、また匂いの元へ口を向け突起物を食み、濃厚な液体で胃を満たした。

渇きを解消したことで、生まれてすぐにあった焦りも無くなり落ち着くことができた。


そうして、隣を見れば、同じように乳房を貪る子豚がいた。


自分が豚であることを自覚した瞬間であった。


そこから、幾日もすれば殆ど本能のみで動いていた私と周りの子豚達三匹も思い思いに動くようになっていった。


産まれる前まで感じていた鼓動たち同胞が、子豚として生を受け、木製の檻の中を元気に駆け回っている様子に、感動もひとしおだった。



しかし、そこからすぐに、アンソニーが死んだ。


私達よりも何倍もの大きさの母親に圧殺されたのだ。


その日、普段とは違い、悲痛に鳴くアンソニーの声で目を覚ました。


辺りを見回すと、すやすや眠るユリ、フラムそして母豚の姿しかない。


だが、アンソニーの声は、か細く聴こえる。


どこから聞こえるのだ、と探せば音と匂いですぐに気がついた。


横たわる母豚の下だ。


私は、このままではアンソニーが死んでしまうと焦り、母豚を前足で退かせようとするが、全く気がつく様子はない。


そうして、何度も何度も前足で叩き母豚がやっと身を起こした時にはもうアンソニーはピクリとも動かなくなっていた。


私は、遣る瀬無さに鳴いた。


そして、覚悟した。


この母豚から離れ、この檻を抜け出さねばならない、さもなくば、ユリもフラムもそして私自身も人知れず死んでしまうのだと。


この時、木製の檻を初めて狭い世界だと思った。



そこから数日後、意図せずして私とユリ、フラムは母豚と離れることとなった。


私達三匹よりも、そして、母豚よりも何倍も大きな生き物が母豚とアンソニーの亡骸を引きずって行ったのだ。


ニンゲンとの邂逅である。


明らかに私達とは異形のそれが、ニンゲンであることに気がつくまでに、時間はいらなかった。

それと同時に、母豚とアンソニーはどこに連れて行かれたのか気になった。気になってしまった。


夕方、母豚がいなくなり幾分か広くなった檻の中に、昼間とは違う顔のニンゲンが袋を持って檻の中へと入って来たかと思えば、その中身を地面へと盛るように出すと、袋を地面に置いて一息ついた。


すると檻の外から声が掛かった。

「ハルト!餌やりは終わったか?」

ハルトと呼ばれたニンゲンは、檻の扉の方を振り返った。


「はい!バヨナ様、今戻ります!」

そう言うと、ニンゲンは袋を担ぎ駆け足で檻を出ていった。


鍵をかけずに。

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