第27話 地の巻

「すいません。こちらに雲乃彩さんがいると聞いてきたんですが」

「おう、大場か。いらっしゃいますよ」

 研究室に入って来た大場吾郎に平田英雄は振り返りながら答える。

「平田さん、その口調どうしたんですか?」

「ああ、彩さんと話をしていると、どうも口調が移ってしまってなあ」

 平田は苦笑いする。彩は大場を見ると、彼に軽く会釈するのだった。

 モデルのようにさらさらと流れる長い黒髪と日本人形のような顔立ちとその笑みに彼は見惚れてしまいそうになる。

「何か御用でしょうか?」

 小首をかしげ微笑んでくる。

「すいません。これ、読めますかね?」

 大場は手にしたファイルから一枚の写真を取り出し彼女に見せる。

「随分と、傷みのひどい文書のようですね」

「元々は状態が良かったのだろうと思われていますが、入手過程で色々とありまして……」大場は苦笑する。「一刀が確保した、いわく付きの巻物なんですよ」

 燃えさかる巻物をダイビングキャッチした話には彩も目を丸くする。

「名誉の負傷というのはそのことだったのですか。……それで焼け焦げたところや染み跡があるのですね」

「断片的な部分も意味不明な言葉が多く、暗号めいていて解読が進まないのです。雲乃さんなら、当時の文献だけでなく、古語にも精通していると番場さんからうかがったので」

「番場君がそう言っていたのですか? そうですか」

 彩の詳しい生まれやこれまでの経歴は伏せられている。番場や平田の他は宇月恵と朧一刀以外、JESには彼女の素性を知る者はいない。

 彩の生い立ちは彼女自身が語ったことだけで、それを証明するものはない。下手をすれば狂言と捉えられ精神鑑定まで求められるレベルであろう。

 それ故にすべてを知るのは最小限にとどめてほしいというのが彩の希望だった。

 ただその身体能力と知識は得難いものであり、JESで保護することになり彩もその一員となることを了承したのである。

「……どうでしょうか?」

「読めますよ」

 彩は顔を上げ、微笑む。

「本当ですか、ありがたい」

 大場は指をパチンと鳴らす。

「これは、そうですね、鎌倉の頃に書かれた文書ですね」

「分かるんですか、この写真からだけで」

「かなり癖のある書体ですし、わざと分かりづらく書かれていますよね。これは誰が所持していたのでしょう?」

「阿義が所持していたと思われますが、彼らがどのようにして入手したのか、その経緯までは分かりませんでした」

「そうですか……これは永らく歴史の中に埋もれていたものです。こうしてまた巡り合えるとは思いませんでした」

「どういうことですか?」

「天地仁左様に関するものはほとんどが歴史から消し去られていましたから」

「様?」

 何か恩義あるものなのか、それとも敬愛しているということだろうか?

「現物を見ることは叶いますでしょうか?」

「読めるのなら、是非」

「よろしいでしょうか?」

 彩は平田に訊ねる。

「あっ、ああ、よろしいですよ」

 平田の口調は彩とのやり取りでかなり影響を受けてしまっているようだ。

 彩は苦笑する大場に案内され、研究室を出て行った。


「阿義はどのようにしてこれを入手したのでしょう?」

 机の上に広げられた巻物を、彩は直接触れなかったが、残された本紙の上を手がなぞるように動いていく。

 まるで愛おしむ様に。

「ランネルドから手に入れたと思われます」

「ランネルド?」

「世界を股に掛けて暗躍する犯罪組織です」

「鬼浪一族だけではなく、さらに物騒な方々がいらっしゃるのですね」

 彩はあまり驚いていないし、受け入れているようにも見えた。

「信じるんですか?」

「龍がいて、キロウのような者たちが現れました。そういった方々がいても不思議ではありません。それとも、あなたは私を担ごうとなさっているのでしょうか?」

「そんなことはありません」慌てて大場は否定する。「ランネルドは実在しています」

「世界はまだまだ知らないことが多いですね。永らく不明になっていた巻物が出てきたのです。龍に続き今度は天地仁左様の秘宝ですか。これは巡り合わせなのでしょうね」

「雲乃さんは、この巻物をご存じだったのですか?」

「他人行儀はおやめください。私もJESのお仲間となりました。皆と同じように彩とお呼びください」

「は、はい。彩さんはどこでお知りになったのですか?」

 彩の発するオーラに気圧されてしまう。

「天地仁左様の秘宝を調べて行けば必ずそこにたどり着きます」彩は微笑む。「これは間違いなく、地の巻です」

「地の巻?」

「天地様が残された目録のようなものです」

「目録とは?」

「あの方が生み出された数々の技術や発明を記した巻物です」

「技術書とか指南書みたいなものでしょうか」

「地の巻には、天地様が行われた治水や築城について記されているはずです」

「それで『地』に関することだから地の巻ですか?」

「そういう見方もできますね」彩は口元を押さえ笑う。「伝えられる限りのことを書き記しています」

「ですが、読めないような書き方では技術書としてはどうなんでしょう」

「技術書ではなく天地様のご趣味とでも言いますか、残すにしても趣を変えているのだと思います。それにあの当時としては過ぎた力でしたでしょうから」

「どれだけ才能があったんですか!」

「当時としては唯一無二でした。例えるならガリレオ・ガリレイとでも言いましょうか」

「それほど? それなのに伝承にしか出てこないというのは……」

「天地仁左様が生み出したものの大半は消失しております。これは貴重な文化財といえるでしょうね」

「天地仁左は本当に実在するのですか?」

 伝説や伝承が多く残されているが、彼が実在したという物証はほとんどない。

「生い立ちこそ不明ですが、確かにあの時代に生きておられましたよ」

「なんで歴史の中に埋もれてしまったのでしょう?」

「本人が決めたことなのでしょう」

「本人が? どういうことですか?」

「その辺りのことは」彩は首を横に振る。「理由が色々とおありだったのではないでしょうか。地の巻でもっとも大切な部分が失われていなくて良かった。これを燃やそうとした方もこのことは知らなかったのでしょうね」

「知られたくないものが書かれているのだろうと思っていましたが、違うのですか?」

 大場は阿義の執務室で遭遇したトーヤのことを彩に話す。

「トーヤ……ですか……」

「何か心当たりでも?」

「聞いたことのある名前ですが……いえ、気のせいですね」

「そうですか、何か思い出したことがありましたら、教えてください」

 彩は頷く。「まさかね」彼女は誰にも聞こえぬよう小声で呟いていた。

「てっきり焼失した部分こそが重要なのだと思い込んでいたのですが」

 トーヤは燃え尽きたことを確認しないまま、あの場から姿を消したので大切な部分はすでに失われていると思っていたが、そうではなかったらしい。

「巻物として残されていますが、秘宝に目を向けるのであれば、書かれていること自体はさほど重要ではありません。というか今では当たり前の技術ばかりでしょうから」

 面白おかしく自分語りをしているにすぎなかったのである。

「書かれていることが重要じゃない? これは巻物ですよ。他に何があるんですか?」

「文化財としての重要性と、天地様の秘宝。どちらが優先されますか?」

「ランネルドが絡んでいるとなれば、天地仁左の秘宝を確保することが優先されます」

「そうですか」

 本紙を押さえていた文鎮を取り除くことなく彩は、それまで触れることのなかった軸の部分を手にすると一気に引きちぎるように持ち上げた。

 紙片のもろかった部分が机から落ちていく。

「な、なんてことを! 重要文化財なんでしょう?」

「当人が書き記したものですから、当時の巻物としては貴重な文化財でしょう」

 彩は気にせず、まるで知恵の輪でも解くように軸をいじっていく。

 ふいに中ほどから軸が割れた。

 何かが床に転がる。

「これですね」彩はそれを拾い上げると大場に見せる。

「翡翠?」

「これは天地仁左様最後にして最大の秘宝のありかを示すもの」

「秘宝って何ですか?」

「それは」

「それは?」

「私にも分かりません。天地様御自身が封印されたものですから、私たちがそれを手にするには謎を解かねばなりません」

「なんでこれがあることを知っていたのです?」

 翡翠を彩から手渡され慌てる。

「伝え聞いていたのです。天の巻地の巻の存在とともに」

 彼女は笑いかける。

「三行神社にはそのような文献が残っているのですか?」

「口伝です。それ以上のことは私にも分かりません。秘宝にたどり着きたいのであれば、天の巻も探し出さなければならないでしょう」

「天の巻? そんなものもあるんですか」

「天の巻と地の巻は対を成すものと言われています」

「これのどこに秘密があるのですか?」

 何の変哲もない翡翠に見える。

「それは大場さんにお任せします。今ある知恵を動員して調べるしかありません」

「番場さんや平田さんに相談するしかないか……」

「そうですね」

「他に何か心当たりはありませんか?」

「歌鳥が知っているかもしれません」

「歌鳥って、国坂家に伝わる宝物ですか?」

「先日のキロウ襲撃で、失われていなければよいのですが」

「とりあえずは無事ですよ。ここで保管しています」

「それは良かった」

「本当に歌うのですか?」

「今は動かないでしょうね。例えるなら電池切れの状態です」

「はあ……じゃあ動かすにはどうすれば?」

「そうですねぇ……」思案する彩。「一刀さんなら可能かも」

「一刀! なぜあいつが?」

 あいつもあの場にいたが、歌鳥のことは知らない様子だった。

「一刀さんの持っている霧双霞ならあるいは可能かと」

「同じ天地仁左の作だから?」

「はい。共鳴しあうのではないかと」

「一刀を呼びましょう」

「素直に応じてくれればいいですね」

 彩は大場に微笑むのだった。

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