第18話 影は踊る
日も暮れ、時計の針は二十時を回っていた。
満月の夜だった。
阿義ビルの周囲は静まり返っている。
何が起きるか分からない。突入する前にJESは近隣の住人を説得し避難させていた。
三階建ての阿義ビルは最上階の角部屋だけに明かりが灯っている。
一階や二階の道場は今の時間、誰も使っていないのだろう、物音ひとつしない。
「道場ではなく別室で四~五人ずつ集まっているようです」
「監視員の報告では、一時間ほど前に一人ビルの中に入っただけであとは動きがないとのこと」
「関係者だけだな?」
番場が大場に問うと、彼は頷く。
「阿義の連中、あれだけのことをやらかしておいて、ずいぶんと落ち着いているじゃないか」
「マイクロバスを準備しているところを見ると、大人数でどこかに移動するつもりだろうな」
「逃走か? それとも襲撃か?」
「人が集まっているところを見る限り、神社への襲撃だろう」
「隊長、行きますか?」
「行こう」番場は出雲に応える。
四人は車のドアを開け、通りに立つ。
十分前から周囲の道路は規制線が張られ車や人の往来はない。
一刀は霧双霞を持ってきていた。
「それを使うとはね」出雲は一刀に声を掛ける。
「あの刀使い、一筋縄ではいきそうにないので」
「用心のためか」
「まずは平田さん特製の木刀で様子見ですが」手にした木刀を軽く振って見せる。「番場さんはいいとして、出雲さんと大場さんは大丈夫なんですか?」
「心配してくれるのか」
「そりゃ、まあ」
キロウの連中は何かしら得物を持っている。
「隊長に倣っているわけではないが、基本は素手だな」と出雲。
「必要があれば敵から奪うさ」大場は指関節を鳴らし言う。「ぼくも出雲もオールマイティだからね」
「まあ、あの刀使いが出てきたら、一刀に任せるかな」
「オレは番場さんに任せたいですよ」
「確かにその方が安全かもな」出雲は笑みを漏らす。
番場は何も言わず、正面玄関のガラス戸を蹴破る。
荒っぽい入場である。
穏便に済ませるつもりはないらしい。完全に殴り込みだった。
派手な物音ともに警報が鳴る。
通路に柄の悪そうな大男たちが出てくる。
「阿義幻斉に会いに来た。居るか?」
一番手前の男を問答無用で殴り倒しながら番場は問いかける。
有無を言わせぬ勢いだった。
「何もんだ?」
「JESだ」
「ジェ、ジェス? なんだそりゃ、どこの組織だ」
「JESを知らないようでは、お前ら雑魚だな」
さらに軽く払いのけるように番場はもう一人殴り倒した。
鬼神のごとき迫力に男たちは腰が引けていた。
道が開かれる。
残った男どもは大場と出雲が処理する。
彼らは二手に分かれる。
番場と大場は二階へと向かった。
一刀は出雲とともに一階を捜索する。
キロウの戦力を削ぐだけでない、後方から挟撃を防ぐためでもある。
詰所と思われる部屋以外、人はいなかった。
一刀は最後に用心深く道場を覗き込む。
刀使いは一人そこに座している。
「我、阿義甲斐」
瞑想していたのか、彼は目を開け一刀に名乗りを上げる。
彼のわきには日本刀が置かれている。
「当たりを引いたようだな」と出雲。
「引きたくなかった……」
一刀は木刀を出雲に預けると道場の中にゆっくりと進み出た。
出雲は軽く一刀の背を叩く。励ますように。
中ほどまで一刀が進み出ると、甲斐は立ち上がる。
「朧一刀」
一刀は霧双霞を鞘から抜く。
「根府屋の朧流か。なるほど楽しませてくれる」
甲斐もまた日本刀を抜き、鞘を投げ捨てる。
切先がお互いを向き、張り詰めた空気が当たりを支配する。
出雲はその瞬間を逃すまいと目を凝らす。
勝負は一瞬で決まる。
甲斐の切っ先が小刻みに揺れていた。
二人の間には畳一枚、六尺ほどの距離があった。
互いの呼吸を読み、両者とも踏み込む瞬間を狙っている。
甲斐の切先の動きが止まった刹那、大きく踏み込み彼は間合いを詰めてきた。
上段から素早く振り下ろされた刃を一刀は右足を踏み出しながら体をずらして紙一重でかわす。
そのまま一刀は胴を薙ぐように左から斬り付ける。
予期した甲斐はそれを刀で受け、払い除けようとした。
一刀は、それを狙っていたかのように逆に力で甲斐の剣を上へと払い上げた。
振り上げた刃、そこから袈裟懸けに霧双霞を振るう。
「御見事」
甲斐はひと言そういうと、畳に倒れた。
霧双霞の刃をとっさに返せたのは奇跡だ。狙ったわけではない。
「峰打ちとは恐れ入った」
出雲は口笛を吹き、称賛する。
「紙一重ですよ」一刀は息を吐きだす。「それに証人がいなければ問題でしょう」
「よくやった」
出雲は倒れた甲斐の腕を後ろ手に回し、親指同士を結わえ縛った。
もっとも血は出ていなかったが、鎖骨くらいは砕けているのではないかと思われる。何らかの治療は必要だろう。
「どうした?」
刀を手にしたままあらぬ方を見ている一刀に気づき、彼は訊ねた。
「霧双霞が、共鳴している?」
一刀はそう言うと道場から走り出た。
番場と大場は十数人ほどの敵を相手し、瞬く間に二階を制圧した。
鬼神のごとき進軍である。
さらに三階へと駆け上がろうとして、番場は動きを止めた。
「どうしました?」声を掛けた大場も息をのむ。「血の匂い……」
二人は頷き合うと、慎重に階段を上がっていく。
三階の通路を覗き込むと、人の気配はない。
不気味なほど静まりかえっている。
死臭は奥の部屋からだった。
足音を忍ばせ、周囲を警戒しながら番場を先頭に進んでいく。
両開きの扉には『館長室』とプレートが貼られている。
中の気配を探ると威圧するようなオーラを感じる。耳を当てるが物音はしなかった。
それぞれの扉のノブに番場と大場は手をかける。
目配せしてノブをゆっくりと回す。
鍵はかかっていない。一気に開け放つ。
明かりは灯されていない。
開け放たれた窓から差し込む月明かりに照らされて、部屋の奥、机の傍らに立つ男がいた。
表情は読めなかったが、右手には日本刀を持っている。
月明かりに刃が不気味に光る。
床は血の海だ。
男が一人でやったのだろう。十数体にわたる死体が転がっている。
「遅かったですね」
番場に気づき彼は口を開いた。
「何者だ?」
「トーヤ」彼の口元は妖しく微笑んでいるかのようだった。「JESの方々ですよね」
「俺達を知っている?」
「鬼浪はやりすぎました。私はこいつらに教えるのは反対したんだ。すぎた力を得ようと暴走し、あげく大切な力を台無しにするところでした」
「ランネルドか?」
番場は一歩踏み出しかまえる。
「だとしたら?」
「貴様を捕らえる」
「残念ながら、私のやるべきことは終わりました。もうここに用はない」
豪華な造りの木製机に倒れ伏す老人がいた。
「幻斉? 貴様が手に掛けたのか?」
「この男はもう不用です。彼の行いのせいで力を手に入れ損ねた」
「力だと? 龍神の事か?」
「それだけではありません。風上の力は闇に眠らせておくべきものだった。暴けば災厄が起きる」
「どういうことだ?」
番場の問いに返答はない。
火が灯り机の上にある古い紙の束が燃え上がる。彼は阿義が知りえた痕跡を消すつもりだ。
大場が火を消そうと踏み込もうとしたが、トーヤは切先を向け刀で牽制する。
その圧に大場も番場も動けなかった。
乾燥していたのか古紙は良く燃えた。
トーヤは卓上の巻物を手にするとそれを紐解く。
巻物の端が火の中に吸い込まれていった。
「天地の技は人が触れてよいものではない。あなた方も手を引いた方が良い」
「どういうことだ?」
「警告です」
巻物の端に火が付いた。ゆっくりと火が駆け上ってくる。
「これは不用なもの」
トーヤはそう言って火の塊を軽く番場たちの方へと放り投げた。
燃え上がる巻物が血の海へと吸い込まれていくその刹那。
「棄てるなら、オレがもらうぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっつ!」
一刀が館長室に飛び込んできた。
巻物をダイビングキャッチする。
火の塊となっていたものを素手でキャッチするのである。ただで済むわけがない。
あまりの熱さに一刀の絶叫が室内に響き渡る。
血の海の中へ飛び込んでいくと火を消しながらも、その痛みに転げ回る。
火は消えても痛みは治まらない。
大場や追いかけてきた出雲は唖然とし、その光景に目を奪われた。
番場だけが一瞬の隙を突き、トーヤに迫ろうとした。
彼は窓際に移動しながら番場をけん制する。
戦う気はないらしい。
「そこの彼によろしく」
トーヤの口元は笑っていた。
閃光が走る。
目くらましだ。
眩い光が収まると、番場は開け放たれた窓から下を見るが、トーヤの姿はなかった。
「上か」
月夜に小型ヘリの影が浮かび上がっていた。
番場はそれを見つめながら呟いた。
「ヤツらが出てきたか……」
「机の亡骸は阿義幻斉で間違いありません」
検死にあたっていたJES鑑識官は番場に報告する。
「そうか」番場は頷く。
「仲間割れですかね?」
館長室の状況を見つめ出雲は訊ねる。
「いや、消されたとみるべきだろう」
「失敗を重ねすぎたから?」
襲撃の失敗が重なりすぎたか。
「それもあるが、『手を引け』か……」トーヤの言葉を思い出しながら番場は考える。「まるで阿義が持っている神社や天地の証拠を消しに来たようだったな」
「意にそぐわなかったから、阿義は消された?」と大場。
「恵ちゃんは大丈夫でしょうか?」
出雲は訊ねた。
「三行神社に手出しすることはないだろうな」
「確証はあるんですか?」
「トーヤの逃走した方角と口ぶりから判断しただけだがな」勘のようなものだと番場は言う。「そのつもりなら阿義を粛清する前に三行神社の方が狙われているはずだ」
「確かに」
「阿義をけしかけた理由は分からないが、ヤツらは阿義が動くことで龍の力を見極めようとしていた」
「漁夫の利でも得ようって魂胆ですか?」
「そんなところだろう。ヤツらは龍の力の見当がついたのだろう」
「制御可能なものなのか、それともガセネタだったのか」
「判断するには材料が少なすぎるな……」
「知っていそうな奴は口封じされていますからね」出雲は肩をすくめる。「一刀、手は大丈夫か?」
出雲の問いかけに一刀は唇をかみしめ頷く。
手は一部火ぶくれをおこしていた。
駆けつけた救急班によってその場で緊急の治療が行われている。
「巻物か……」
大場が慎重に持ち上げている。
血に染まった部分もあるが、一刀の突撃のおかげか半分以上が燃え残ったと思われる。
分析のため、残った巻物は平田のもとに運ばれることになった。
「これが重要な手がかりだとしたら、お手柄だな」
「棄てるなら、もらったまでのことです」
一刀は不貞腐れた様子だ。
「普通なら、あの場面で飛び込めないよな」出雲は呆れている。
「ぼくも番場さんも動けなかったのに、たいしたものだ。あの距離では間合いに入られ斬り伏せられていてもおかしくなかった」
「そんなこと考えていたら何もできませんよ」
「考え無しも、そこまで行くと立派だよ」
「ときに」番場が一刀に訊ねた。「彼がよろしくと言っていたが、トーヤとは知り合いか?」
「いや、顔はよく見ていませんが、会ったことはないやつでしたよ」
「向こうはお前さんを知っているようにも見えたが」
「あいつが持っていた日本刀。オレの霧双霞と同じで天地仁左作の刀なんだと思います。霧双霞と共鳴していましたから」
「だから天地仁左のことを知っている風だったのか」
番場は納得する。
「手はどうだ」
「まあ何とか……。違和感はありますが、握っても問題なしです」
右手を何度か握って見せた。
指の先から手首まで包帯に巻かれていたが……。
「応急処置ですから無理はしないでくださいよ。下手すると手術の必要も出てきますから」
「了解しました」
一刀は救急医療班に礼を言う。
「番場さん」
机の上を調べていた大場が声を上げた。
出雲と一刀も大場のところに駆け寄る。
灰の中から小さな珠が出てきたのである。
大場が持ち上げハンカチで磨くとそれは赤みを帯びて月明かりに光った。
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