虚像が呼びし狂乱

 冷良は不本意ながら『外出は災いの元』であることを証明してしまった。

 ならば他の巫女たちや散瑠姫も外出を控えて城の中でじっと――していられたなら、少なくとも幹奈がまた胃薬の世話になることは無かっただろう。

 発端は散瑠姫の一言。


「……困ってる住民たちを、助けたい」


 当然、散瑠姫の安全を考える巫女たちは賛同しない。

 けれど、神々のみに許された万能の台詞には勝てない。


「……お願い、手伝って。め、命令、だから……」


 面倒なことを覚えさせてしまった。今ここにいる巫女たちの総意であったに違いない。

 それでも何だかんだ言いつつ前向きになってしまうのは、散瑠姫の瞳に宿る強い決意を見い出したからだろう。

 妖の都に来てから忘れそうになるが、彼女はつい最近までまともに外の世界へ出たこともない箱入り女神だったのだ。興味を示す兆候はあっても、まだ踏み出す勇気は出せない引っ込み思案な御方。ここへ来ることにしたのも、咲耶姫を始めとした皆のための一大決心によるものだ。

 そんな主から向けられた命令という名のお願い、不平不満など抱けるものか。

 という訳で城の外に移動した冷良たちが行っているのは――炊き出しだった。


「慌てず並んでゆっくり進んでくださーい!」

「量は沢山用意してありますわよー!」


 効果のほどは絶大だった。巫女たちによる呼びかけや列の整理を必要とするほどに、多くの妖たちが集まって来たのだ。

 ここにいるのは都の中でも力が弱い妖たち。食料の自給が出来ず、余所から手に入れる伝手つても少ない彼らの生活は、ある意味で人間以上にひもじいものだったのかもしれない。そこへ地震が襲い掛かり、住む場所すら崩れ去った彼らの心境はいかほどのものか。

 ありがたい、ありがたいと、質より量を優先したかゆを受け取って感謝を向けてくる妖たち。そこに人間との違いなどありはしない。

 なお、二つある鍋で配膳を担当している内の片方は散瑠姫だ。本来は高みの見物をする立場だが、例によってやってみたいと言った彼女の願いを拒める者はいない。


「おい、通れねえぞ!」

「邪魔だ、どけどけ!」


 騒がしいと思えば、伸びた列に割って入る大柄で柄の悪そうな妖の男が二人。恐れをなした被害者たちが後じさり、自然と道が開いていく。

 男たちが向かった先は列の先頭、配膳をしている場所だ。異変に気付いた巫女たちが散瑠姫を守るように取り囲み、荒事担当の冷良と幹奈が男たちの行く手を塞ぐ。

 まずは巫女たちの代表として幹奈が口を開いた。


「何かご用でしょうか?」

「ここで人間たちが施しをしてくれてるって聞いてよ」

「俺たちも住家が滅茶苦茶になって途方に暮れてるんだ、飯にくらいありつかせてくれよ」

「それはお労しい。どうぞお並びください、急なのであまり凝った味付けは出来ませんでしたが、量は十分に用意してあります、列の途中で無くなるようなことはないでしょう」

「どれくらい食わせてくれるんだ?」

「あの椀が一杯になる程度には」


 用意した椀はかなりの大ぶりで、ともすれば小ぶりな丼のよう。食の細めな女性なら確実に持て余しそうな大きさだ。

 だが、椀を見た男はむっと口を尖らせる。


「あんなんじゃ足りねぇよぉ! 見ろ、俺のこの身体、鍋の中身丸ごとくらいでようやく腹一杯ってくらいだ」

「それは困ります、他の方の分が無くなってしまいますので」

「……そうかよ」


 引き下がってくれたか? という淡い期待は当然裏切られ、男たちは近くにいた妖に顔を寄せた。


「なあお前、もう飯は貰ったか?」

「い、いや、まだ……っす……」

「そうか。悪いんだがよ、お前の分俺に譲ってくれねえか? 腹が減りすぎて背中と腹がくっつきそうなんだ」

「え? それは……」

「どうなんだ!?」

「ど、どうぞどうぞ!」

「他はどうだ!? 自分さえ腹一杯ならそれでいいって奴は!?」


 あからさまに威嚇しながら男は周囲を見渡す。当然と言うべきなのか、歯向かおうとする妖はいなかった。彼らは普段から、強者と弱者の関係というものを骨身に叩き込まれているのだろう。


「と、いう訳だ。別に悪いことはしてないよな? お願いしたら譲ってくれたんだから」


 この男の辞書に恐喝という文字は無いらしい。


「……散瑠姫様、どうなさいますか?」

「……駄目。これは、皆の為に用意した、ものだから、我慢して欲しい」

「ということです。大人しく列に並ぶか、不服であるならお引き取りください」

「この……っ! 人間ごときが調子に――」


 男が大きく腕を振りかぶる。相手は女なのに容赦のないことだ。

 とはいえ、ここまで明確に敵対されたなら口実も十分というもの。

 幹奈は身を低くして拳を避け、身を翻しながら絡みつくように男の腕を取った。


「うぉ!?」


 まるで埒外らちがいの力でも働いたかのように、男の身体が宙を舞って地面に叩きつけられる。

 あまりに鮮やかな手並みに周囲が静まり返る中、一番早く我に返ったのはもう一人のごろつき妖だ。


「この……っ」


 背後から襲い掛かろうとするごろつきを、幹奈は一瞥いちべつもしない。傍らにいる弟子がどうにかすると確信しているからだ。

 ――ならばその信頼に応えるしかあるまい。


「ほい」


 両手に氷の小太刀を生み出し、ごろつきの身体をふた撫で。刃が触れた箇所を起点にして広がった氷が動きを封じた。


「安心しなよ、峰打ちだから」


 男なら一度くらいは言ってみたい台詞。


「凍らせるのに刃を介する必要はあるのですか?」


 浪漫の話なので必然性に言及してはいけない。


「さて、こいつらどうするんです? このまま追い返しちゃいます?」

「……えっと、お腹が空いてるなら、分けてあげたい。今度は、ちゃんと並んで、ね?」


 散瑠姫も女神ということなのか、目の前で荒事が起こっても全く動じないどころか慈悲すら見せる。ごろつき二人に対する態度は、いたずらした子供に道理を聞かせる大人のようだ。


「い、いるかよそんなしょぼい飯!」

「くそが!」


 まあ、体格だけでかくなった子供には通じなかったようだが。

 拘束を解くと一目散に逃げていくかませ犬たち。さようなら、もう二度と来ないでと心の中で願っておく。

 何にせよ、これで邪魔者はいなくなった。


「皆さーん、お騒がせしましたー! もう大丈夫なので、もう一度列を作ってくださーい!」


 列の整理を担当していた冷良は声を張り上げるが、ざわめきが収まる気配はない。聞こえていないというより、別の場所に注目が集まっているようだ。


「またろくでもない連中が集まって来たな」


 元より一度で済むとは思っていなかった。ここにいる全員が腹を満たすまで、何度でも撃退してやる。

 改めて心に決めた冷良は、被害者たちをかき分けながら騒動の中心へとひた走る。

 だが、ようやく群衆の一番前に躍り出たところで足を止めざるを得なくなった。

 そこにいたのが見慣れない姿形の妖だったからではない、むしろ逆、全体像は一番よく見かける人型だ。

 ただ、特徴と言える特徴が全くうかがえず、具足を身に着け、刀を帯びる出で立ちは人型というよりは……


「……人間?」


 付け加えるなら、農民というよりは武者で、調査隊とは装備が明らかに違う。

 何故こんな所に人間が? 百歩譲って近隣集落の人間が所要でやって来ることはあるかもしれないが、目の前にいる人物は雰囲気が明らかに職業軍人。こう言っては何だが、妖に身も心も支配されている近隣の集落に、職業軍人を運用する余裕も気概もあるとは思えない。

 それに様子も妙だ。顔は俯き気味で目の焦点も茫洋ぼうようとしており、意識ここにあらずといったところ。まるで寝起き直後のようだ。

 いまいち得体の知れない存在に冷良が手を出しあぐねていると、周囲のざわめきも大きくなっていく。どうしてここに? という声が多い辺り、やはり日常の出来事ではないようだ。

 そしてざわめきが大きくなったからだろうか、謎の武者は緩慢な動作で周囲を見渡し、徐々に目の焦点が合っていく。

 ――同時に、隠し切れない敵意が宿りだした。


「おのれ妖め、もうこんな所までやって来たか!」


 鞘から引き抜かれる刃。ざわめきは悲鳴に代わり、恐慌が伝染する。

 武者は手近にいた民衆に襲い掛かるが、冷良がそれを黙って見ている理由もなく、鋼と氷の刃が独特な音を立ててぶつかった。


「妖が刀を扱うか!」

「何のつもり!? いきなり出て来ていきなり暴れるなんて、良い男のやることじゃないね! 刀が泣いてるよ!」

「笑止! 我らが忠義に一片の曇りあらず! 腕が飛び足が飛び、例え首だけになろうとも、貴様らを屠るため、この命燃やしてくれようぞ!」


 妖に対する恨みの念が半端ではない。幹奈すら上回りそうな一撃の重さは、単なる筋力によるものだけではあるまい。

 この武者は一体何者だ? 傷つけてもいい相手なのか?

 悩んでいる暇は無かった。別の場所からも悲鳴が聞こえて来たからだ。

 背後へ振り返ってみれば、冷良が対峙している武者と同じ装備の人間が他にもいた。


「でぇええええい!」

「このっ――んん!?」


 よそ見はしても意識は逸らさない。視界外から襲い来る斬撃をしっかりと躱したまではいいが、視線を前に戻すと戸惑いの声を漏らさずにはいられなかった。

 ……増えているのだ、同じ鎧を着た武者が。よそ見する直前までは確かに一人だったのに。

 ほんの少し目を離した間に一体何が起こったのか。疑問の答えはすぐに示された。

 何もない虚空が影のように歪む。見間違いかと思ったそれはみるみる内に濃くなり、やがて普通の人間と変わらない姿になった。まるで紙に描かれた人間が現実に押し出される過程を見ているかのようだった。

 しかも一度では終わらない。同じ現象が繰り返され、五分だった人数比があっという間にこちらの不利に。


「こいつら……っ!」


 そもそもの話として、武者の一人一人がそう弱くない。しかも明らかにまともな生物ではないこいつらは、倒して意味がある存在なのかも怪しい。

 冷良と幹奈ならばそう簡単に負けはしない。他の巫女たちは薙刀を持って数で押せば一人くらいは何とか。

 だが、とにかく圧倒的に手が足りない。

 既に恐慌は集団全体に伝わり、各々が我先に逃げようとするのでもはや統率どころか誘導も出来ない。このままではあっというまに大きな被害が出るだろう。


(どうする?)


 頭の中に浮かぶ選択肢はどれも大差がない。見い出せない活路に歯噛みしていると――武者の足元から大きな枯れ木が生えたと思ったら、武者に巻き付いて空中まで運んでしまったではないか。

 枯れ木は他にもいくつか出現しており、それぞれの先端には装備の同じ武者たちが捕らえられている。

 予想外の介入に一瞬だけ面食らったが、その外観には良くも悪くも見覚えがあった。


「散瑠姫様!」

「皆を、傷つけたら、めっ!」


 他の国津神と違い、散瑠姫は半減していない本来の神力を持っている。少し強い程度の人間であれば、いくら集まったところでものの数ではない。

 取り敢えずはひと安心、後は騒ぎの鎮静と捕まえた武者たちの扱いといったところだろうか。

 溜息を吐きながら枯れ木を見上げた先で――武者たちが霧のように解けて消えた。


「あっ!?」

「……あれは多分、本物の、人間じゃない、霊脈の、記録」


 枯木を消した散瑠姫が訳知り顔で歩み寄って来る。


「記録って……でも、普通に実体がありましたよ?」

「……霊脈の記録は、書物とは、違うの。世界の全て、生きとし生ける者の、記憶、感情、感覚、あらゆる事象が、そのまま蓄積される。霊脈は、世界の過去、そのものでも、あるの」


 散瑠姫は痛ましそうに周囲を見渡した。


「……私は知らないけど、この辺りで、遠い昔、戦があったんだと、思う」

「その時の記録が霊脈から再現されたってことですか?」

「……うん。予想していたより、霊脈の状態は、おかしいのかも」


 散瑠姫が不吉な推察を口にして、すぐのことだった。


「ぎゃぁああああああああああああ!」


 ここではない、いくつかの建物をへだてた先から響いた悲鳴を皮切りにして、都のあちこちから騒ぎが聞こえてくる。中には建物が倒壊するような音も混ざっていた。

 互いの顔を見合う冷良たち。それぞれの脳裏に浮かぶ想像はきっと同じものだろう。

 非常時に一番高い権限を持つ幹奈が声を張り上げる。


「ここから移動します! 住民たちは一箇所に固まって、私に付いて来なさい! 巫女たちは彼らを囲んで周囲の警戒を!」

「……私、は?」

「散瑠姫様は私の後ろに、狙われるのが妖のみとは限りませんので」


 流石は幹奈、急な事態なのに判断が早い。

 一つだけ疑問が残るとすれば――


「どこに向かうんですか?」

「ひとまずは城へ。守りならあそこが一番堅い」


 今の状況なら一番手堅い選択肢だろう。

 霊脈から再現された武者は相当な数にのぼり、城へ向かう間にもあちこちから怒号が聞こえてくる。一方的に襲われているのではなく、血気盛んに応戦している妖が殆どだ。

 戦っている妖たちはある種の錯乱状態に陥っているようで、冷良たちが近付いても敵味方お構いなしに襲い掛かって来る。叫びを聞いている限りだと、やられる前にやっちまえという結論に達したらしい。おかげで状況がより一層混迷し、曲がりなりにも平穏だった都は既に激しい戦場と化していた。

 とはいえ、冷良たちが守っている妖たちがそうであるように、全ての住民が開き直って我が身を守れる訳ではない。


(小雪さん、陽毬さん……!)


 小雪はある程度の自衛なら出来るが、多数の武人に囲まれでもしたらどうなるか。陽毬を始めとした油揚げ屋の店員たちは、そもそも戦闘能力を持っているようには見えなかった。

 彼女らの安否を確認しに行きたい衝動に駆られながら、冷良は路地裏から現れた武者に大きな氷塊を飛ばし、再び周囲の警戒に戻る。

 状況を見る目を養った冷良は幹奈に言い含められるでもなく、この集団における自分の必要性を理解していた。

 身体的にも立場的にも小回りが利いて、それなりの威力がある遠距離攻撃を持っている。幹菜の手が回らない敵を冷良が押さえることで、どうにかこの集団はもっている。

 冷良が陽毬たちを探しに行ってしまえば、優先度の低い護衛対象――見ず知らずの妖たちの多くは切り捨てなければいけない。幹菜であれば、望まずとも本当に必要とあらばやる。彼女にそんな選択をさせたくはなかった。

 どうか無事でいて欲しい。半ば自分を誤魔化すように、冷良はひたすら己の役割に徹する。

 その甲斐あり、一人の脱落者も出すことなく城が見える所までやって来ることが出来たのだが、都全体が異変に見舞われている以上、城だけが無関係という訳にはいかない。

 ただ、問題があるかといえばそうでもなかった。

 武者が空を舞っている。そう錯覚してしまう光景を生み出しているのは、ただの殴打一つで敵を吹き飛ばす酒呑童子と、暴風を引き起こして屈強な武士すら弄ぶ崇徳の二人だ。

 単純に城が目立つからだろう、都の中でも特に多くの武者が集まっているのにものともしない。鎧袖一触とはまさにこんな光景のことか。

 武者たちを文字通りお手玉にして高笑いしていた崇徳が、眼下にいる冷良たちに気付く。奴は手に持っていた葉うちわをかざしたと思ったら、凶悪な笑みと共に振り下ろして――

 ――冷良の意識が暗闇に沈んだ。

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