あざとい、けどそれがいい
しぶとい残暑が撤退し、過ごしやすい気温となってきた今日この頃。草木が色づき、収穫を迎えた実りが食卓を鮮やかに彩る。かと思えば
まあつまるところ――
「食欲の秋!」
腹の虫を盛大に鳴かせながら、冷良は紅を伴って食堂に向かっていた。
「こら、淑女とあろう者がはしたないですわよ冷良さん」
「そうは言ってもお腹がぺこぺこで……」
言ったそばからまたお腹が鳴った。
「えへへ……」
「もう! もうもう!」
口を膨らませてぽこぽこと肩を叩いてくる紅。本気で怒っている訳ではなくただのじゃれ合いだ。知り合ってからそろそろ半年、互いの理解が進んで気安いやり取りも増えてきた。
「食べ物のことばかり考えているからお腹が減るんですわ。秋の風物詩ならもっと他にもあるでしょう? 例えば読書とか」
「ああ、たまには読書もいいですねえ。紅さんは最近どんなのを読んでるんですか?」
「え……」
深いことは考えず雑談として話題を振ったのだが、何故か紅はぎょっと目を剥いた。
「……? 僕、また変なことでも言いました?」
「い、いいえ何も! そうですわね、最近は恋愛小説を少々」
「おー、女性らしい」
「あなたも女性ですわ……」
疑問というよりは呆れたような言い方。紅に限らず、近頃は誰が相手でも『冷良だから』で済まされるようになってきた。女装して女の集団に混ざっている冷良としては助かる限りである。
まあ、真面目な紅にはそんな冷良の所作が女性としてだらしなく映るようで、よく気を揉ませてしまっているのだが。
「僕は恋愛小説って触ったことないんですけど、どういう内容なんですか?」
「色々ですわ」
そりゃそうだ。
「じゃあ紅さんが今読んでるのを。概要だけでいいので」
口の端を引き
「しゅ、主人公が道ならぬ恋に落ちてしまいまして」
「ああ、身分違いってやつですか」
「い、いえ、そうではなく……」
「相手に
「そうでもなく……そのぅ……」
「……?」
冷良の想像力では他に思いつかなかったので、大人しく答えを待つ。
紅はしばらく口をもにょもにょさせながら言い淀んでいたが、やがて観念したように口を開く。
「しゅ、主人公も相手も……じょ……じょぉ……すうぇぃ……」
「主人公も相手も?」
後半が殆ど言葉になっていなかったので、紅の口元に耳を近付ける。
「……冷良さんのお馬鹿!」
「何故に!?」
仲良くなったとはいっても、分からないことはまだまだ沢山あるのだ。
どうにも触れて欲しくなさそうなので、追及は控えておく。というより、話している間に食堂へ着いてしまった。
冷良たちが最後だったようで、他の巫女達は既に集合している。
だが、席に座って昼食の配膳を待ってはおらず、全員揃って厨房の様子を伺っていた。
「
「……うん、盛り付けも、やる」
「そういう訳ではなく……!」
「ああっ、包丁は危のうございます! 料理用といえど指なんて簡単にすぱーんですよ!」
「……大、丈夫。指は猫の手、ちゃんと、知ってる」
「鍋も危ないです! いい匂いですけどぐっつぐつですから! 触ると火傷しますから!」
「……お玉の準備、万端」
厨房から響いてくるのは昼食担当たちの悲痛な叫びと、真面目だがどこかのんびりとした応対の声。
冷良と紅は互いに顔を見合わせ、示し合わせたように溜息を吐いた。
「またですか」
「またみたいですね」
そのまま二人も同僚たちに混ざって厨房を覗き込む。
そこに広がっていたのは、
散瑠姫が奉神殿で暮らすようになってからはや二ヶ月。夏祭りにおける降臨の儀で民草(たみくさ)に受け入れられたとはいえ、長きに渡って培われた引きこもり根性が早々に抜ける訳ではなく、散瑠姫はしばらくの間奥の座敷で咲耶姫と共に大人しくしていた。
が、主に幹奈や冷良との会話で他者の存在に慣れ始めると、外の世界へと興味を示し始めた。夏祭りで目にしたのは花の都の一部、彼女からすればまだまだ現世は未知の塊なのだ。
散瑠姫の正式な処遇はまだ決まっていない。年に一度神々が集まる『
つまりこの奉神殿は散瑠姫にとってまだ仮住まいに過ぎないのだが、信仰あつい人間からすれば大した違いはない。ましてや祭神たる咲耶姫の姉神である。仮だろうが何だろうが払う敬意は最上級、散瑠姫の願いを可能な限り叶えるのもまた巫女たちの仕事だ。
話し相手や様々な書物をせがむ内はまだ平和だった。ともすれば咲耶姫以上に巫女達との距離が近くなり、特に読書が趣味の紅とはお互いに感想を語り合ったりと、咲耶姫と幹奈とはまた違った仲の良さを見せつけてくれた。
困ったことになったのは、散瑠姫が知識だけではなく経験も求めてきてからだ。
経験と言っても様々だが、世間知らずの箱入り娘がまず思いつくことといえば他者の真似だろう。そして閉鎖的な環境故に、対象は自然と巫女達へ。
しかし忘れてはならない、どんなに距離が近くなろうと、あくまで巫女達は従う側、極論を言ってしまえば少し上品な召使いにすぎない。どこの世界に
とはいえ、女神たっての願いを断るのが難しいのもまた事実。その結果が目の前に広がる光景という訳だ。
当然、巫女と神々の秩序を重んじる巫女頭がそれを良しとする筈もなく。
「散瑠姫様ぁ! やはりここにいらっしゃいましたか!」
最大限急ぎつつも足音は
興奮冷めやらぬままつかつかと近付いて来る幹奈に対し、巫女達は海が割れるかの如く道を譲る。
「……あ、幹奈。幹奈の分も……あるよ」
巫女頭の迫力も何のその、
「私の分うんぬんではありません。散瑠姫様、料理は我々巫女の仕事、神々の手を
「……けど、咲耶と皆に……美味しい物……食べてもらいたい……」
単なる興味だけではない、散瑠姫の根底にあるのは献身。身近な人たちに喜んでもらいたい、ただそれだけ。
人間なら特に珍しくもないその在り方は、神としてあまりに異質すぎる。長年の
しかしそれはそれ、これはこれ。
「いけません」
子供を躾ける親の如く、きっぱりと戒める幹奈である。
「……どうしても、駄目?」
忘れそうになるが、幹奈は単に
「……いけません」
意見を
「……分かった」
二度たしなめられたからには咲耶姫のように駄々をこねることもせず、聞き分け良く引き下がる散瑠姫。
だがその代わりとでも言わんばかりに、八の字になった眉と大きく下がった肩が内心の落胆を開けっぴろげにしていた。ともすればそのまま泣き出してしまいそうだ。
冷静沈着が常の幹奈といえど、この嘆きぶりを前にするとたじろがない訳にはいかなかった。
何せ傍から見ているだけでもかなり心が痛むのだ。当人からすれば針のむしろに座っているような心地ではなかろうか。別に悪いことはし何もしてないのに。
規範を示す者として、幹奈は安易に散瑠姫を甘やかすわけにはいかない。
こういう時に助け舟を入れるのは、やはり多少は気楽な外野の役目なのだろう。
「良かったですね紅さん、散瑠姫様がここで引き下がってくれそうで。命令されたら否応なく従わないといけないところでしたよ」
声を潜める
何を言ってるんだこいつはという表情を浮かべる紅だったが、すぐに冷良の意図を察し、隠れていないひそひそ話に付き合ってくれる。
「本当ですわ。神の命令は絶対、いかな幹奈様でも逆らうことは出来ませんものね」
当然この会話は散瑠姫にも丸聞こえであり、当人はその手があったかと言わんばかりの表情を浮かべていた。
とはいえすぐに実行へは移さない。どうやら命令なんて横暴なことをしてもいいのだろうか? と
やがて一つの決断を下した散瑠姫は両手を力強く握って大きく息を吸い込む。
「……め、命令っ!」
全身全霊の叫びが緩んだ空気を吹き飛ばし、何者の横槍も許さない静寂がおりる。
だが、そのまま時間が経つにつれ、巫女達の間に戸惑いが広がっていく。
……続きは?
「散瑠姫様、命令というのは?」
一同を代表して幹奈が問いかけた。
散瑠姫の望むところは大体分かる。
とはいえ、神の命令が絶対だからこそ、その意図は正確に理解しておかなければならない。大体分かる、では駄目なのだ。
「……え?」
だというのに、散瑠姫はまさかの疑問返し。
「……えーと……皆の生活に……興味が湧いて……それに、咲耶たちにも喜んで欲しかったから……その……」
この御方、どうやら『命令』の一言に全力を注ぎこみ、他の内容が頭から吹っ飛んでしまったらしい。しかも長年の会話不足が祟ってか内容は要点を外しまくり、肝心の意図が全く伝わってこない。
高まっていく巫女達の困惑。それを悪い方へ受け取ってしまった散瑠姫は自分が何か悪いことをしてしまったのかと俯き、台詞が尻すぼみになっていく。そして巫女達は更にあたふたしてしまうという悪循環。
このままでは折角外に意識を向け始めた散瑠姫が、今度は奉神殿の奥に引きこもってしまうことになりかねない。
幹奈は瞑目して思案し、おもむろに口を開いた。
「我々は散瑠姫様の料理を遮らず、必要に応じて補助する、ということでよろしいでしょうか?」
途端、散瑠姫の瞳がぱあっと輝き、無言でこくこくと頷く。幹奈は恭しく一礼した。
「では、そのように。あなたち、聞きましたね」
「「「はい!」」」
上司からのお墨付きが出たのなら悩む必要もない。昼食担当の巫女達が迷わず返事をしたので、幹奈は冷良たちを伴って厨房から引き上げる。そして会話が厨房まで届かない程度に離れると、疲れたように小さく息を吐いた。
「……長らく世間から離れていた散瑠姫様に、神々と人の何たるかを
話し相手を求めたというより、無意識にこぼれ落ちた呟きのような問いかけだった。
「僕も一理はあると思います。けど、だからって常識を持ち出すのが間違ってるとも思いません」
咲耶姫も時折命令でわがままをごり押すことはあるが、別に常識を理解していない訳ではない。というよりは、常識を物差しとした上で、自身のわがままと従者に対する気遣いの兼ね合いを取っている節がある。
散瑠姫の優しさや慎ましさは人間から見れば美徳であるが、神々としてもそうであるとは限らない。特に彼女はこれから否応なしに世間へと身を晒すことになる。その時に常識知らずが災いして反感でも買えば、誰にとっても不幸な結果になる。
つまるところは、だ。
「程々に厳しく、程々に甘く、でいいんじゃないですか? ほら、咲耶様に対しても大体そんな感じですし」
「軽い。と言いたいところですが、ここは大人しく助言を受け取っておきましょう。皆にはしばらく苦労をかけますが、どうかお願いします」
お願い。孤高にして厳格な上司が思いがけず下手に出て、巫女たちは一瞬固まった。が、いち早く我に返った紅がぐっと握りこぶしを作って宣言する。
「お願いなんてされなくても、頑張るのは当然ですわ! 私たちだって巫女ですもの!」
「幹奈様がこうして悩んでいるのに、私たちだけ文句を言うなんてありえません!」
「そうですそうです!」
すぐに他の巫女たちも続き、皆頼もしい意気込みを見せてくれる。
幹奈は口元に小さな笑みを浮かべた。
「頼もしいことですね」
散瑠姫に関する騒動を経てから、幹奈は雰囲気が柔らかくなった。厳しさがなくなったという訳ではないが、近寄りがたい孤高の女性が頼れる上司に変わったという印象だ。
「あの、幹奈様は昼食をどうなさるおつもりですか?」
同僚の一人がそう尋ねた。
ちなみに、普段幹奈は咲耶姫(と散瑠姫)の食事を自ら手掛け、一部を自分の分にして自室で食している。神の口に入る食べ物は材料からして超一級品なので役得というやつだ。まあ、本人曰く端材ばかりを使っているので食いでが足りないらしいが。
「そうですね、今日は姫様たちの分を用意する必要はありませんし、散瑠姫様が私の分も用意してくださるとのことなので、あなたたちと同じ物を自室で食べることになると思いますが……それが何か?」
「えーと、よろしければ私たちと一緒にいかがでしょうか?」
「私がいては落ち着かないでしょう」
別に幹奈と同僚たちの仲が悪いわけではなく、上司が同席していては折角の休憩時間で緊張してしまうだろうという配慮だ。
「いえいえ、是非!」
同僚たちに無理をしている様子はない。全員一様に期待の眼差しを幹奈に向けている。
冷良が奉神殿にやって来たばかりの頃なら、あるいは素っ気なく断っていたかもしれない。そもそも同僚たちが積極的に同席を望むこともしなかっただろう。
「……では、お言葉に甘えて」
幹奈が適当な席に着き、彼女を取り囲む形で同僚たちが座る。
昼食が出来るまでは仕事に関する指摘や相談の他、個人的な相談や意味があるのか分からない雑談まで、幹奈を交えながら話に花が咲いた。それは昼食で腹を満たしながらも変わらない。
散瑠姫が咲耶姫を呼んで姉妹共々混ざろうとした時は空気が凍ったが。全員で必死に、やんわりと、咲耶姫の元へ送り出した。仲間外れのようで心苦しいが、流石に祭神と並んで世間話に興じられるほど同僚たちは図太くなかった。上司への親愛と神への親愛は似て非なるものなのである。姉妹水入らずということでここは一つ。
とまあ、
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