口は災いの元

 既に桜は散りゆき、照りつける日差しから夏の気配を感じつつある今日この頃。昼間の屋外にいれば不快な汗も流れるような時期だが、それでもここ花の都では多くの人々が通りを行き交い、威勢のいい声がひっきりなしに飛び回っている。

 そんな花の都の一角、主要な通りから外れたお世辞にも立地が良いとは言えない地域に、知る人ぞ知る隠れた名店があった。


「かーっ! 相変わらず冷てぇ!」

「まさに生き返るって感じだよなぁ!」


 掲げられた看板に書かれた店名は『氷楽庵』。表にこしらえられた席には二人連れの男が並び、器に盛られた奇妙な食べ物に舌鼓を打っていた。

 白くて粒々とした見た目は米に似ているが、実際は全く違う。よく見れば何かの液体がかけられており、匙を突き刺せばさくさくという音が鳴り、何より氷のように冷たい。

 つい先程まで初夏の日差しの下で肉体労働に従事し、しっかりと身体に熱を蓄えてきた男たちは、貪るように白い食べ物を口の中へ掻き込んでいく。その途中で、二人揃って「「あ痛ぁ!?」」と仰け反り頭を押さえた。

 そんな二人に、店内から出て来て呆れた声を掛ける者が一人。


「ああもう、二人共また一気食いしたの? 氷菓は急いで食べると頭が痛くなるって何度も言ってるのに」


 異様な風貌の少女だった。

 肩下で揃えられた絹糸のように繊細な銀色の髪、陶磁器のように滑らかな白い肌、水晶のように透き通った青い瞳。面差しは一流の職人が手掛けた人形のように整いながらも、無機質な『作り物』の領域へは立ち入らず瀬戸際で踏みとどまっている。その危うさは、見る者に得も言われぬ色気のような感覚を抱かせていた。

 作り物ではなくとも、おおよそ人間とは思えない。仮に物語の中から出てきたと言われても信じてしまいそうな現実味の無さは、けれど身に纏うあまりに地味な庶民着によって見事に相殺されていた。

 とはいえ、それで釣り合いが取れているかといえばそうでもない。

 何せ、少女が着ている着物が男物なのだ。なまじ本人の容姿が美しいので、放たれる違和感は凄まじい。

 それでも、客の男たちは慣れた様子で気さくに応じる。


「いや、分かっちゃいるんだが、どうしてもやっちまうんだよなぁ」

「火照った身体に氷菓を流し込むのが凄ぇ気持ちいいんだ」

「あはは……まあ、やり過ぎないようにね。大切な常連さんが体調崩したら小雪さんも(店の売り上げを)心配するし」

「あの別嬪さんが心配してくれるならそれもありかもな」

「むしろ甲斐甲斐しく看病してくれねえかな」


 知らぬは幸せなり。

 まあどの道――


「小雪さんがいないと店が回らないから無理だねー」

「「ちぇー」」


 だらしなく鼻の下を伸ばす男たちの邪な願望を、少女は冷めた目つきで切り捨てる。


「厨房の仕事で手一杯なんだっけか?」

「そうそう。何せ、氷菓は雪女(・・)の小雪さんしか作れないしね」

「勿体無いよなー。あんな別嬪なのに、表にも滅多に出て来ねえし」


 特に大きな反応を示すこともなく、男たちはただ残念そうに溜息を吐いたかと思えば、すぐにまた口元にだらしない笑みが戻る。


「……ま、代わりにめんこい看板娘はいるし、目の保養には困らねえか」

「違えねえ」

「待って、僕。看板『娘』じゃないから」


 少女(?)は客観的に当たり前な事実を当たり前のように訂正した。当然、男たちの表情は訝し気になる。


「……なあ、今まで何度か聞かされてきたけどよ、お前って本当に男? 何かの理由で男装してる訳じゃなくて?」

「失敬な、前に胸触って男らしい胸板を確認したじゃんか」

「いや、感触もひたすら華奢で正直自信がないというか……そもそも、女でも男並に胸がまっ平らで残念な奴はいるからなぁ」


 今、この男は世の中の女性全てを敵に回した。

 しかし、少なくとも少女(?)に怒っているような様子はない。ただ困ったように眉根を下げているだけだ。


「ああもう、どうしてそんなに疑うかなぁ? どこからどう見ても男なのに」


 どこからどう見ても女にしか見えないから疑われている訳で。


「うーん、胸で駄目となると、どうやって証明しよう……」


 どうやら少女(?)にとっては大事なことらしく、難しい顔で悩み始めた。つられるように男たちも考え込み、しばらくするとその視線がゆっくりと下がり始める。具体的には少女(?)が着る着物の帯の少し下辺り、胸以外で男女に決定的な違いが現れる箇所。

 少女(?)は男たちの視線を追いかけ、その意図を察した瞬間、脱兎の勢いでその場から飛び退いた。


「な、何考えてるのさ!? 絶対嫌だからね!」

「どうしてだ? お前の言うことが本当なら、男同士なんだし問題ないだろ?」

「そうだそうだ」

「男同士だから嫌なんだってば! 試しにお客さんたちが互いの股間を触る状況を想像してみなよ!」

「「…………」」


 頭の回転が追い付いていないのか、あるいは悪い意味で素直なのか、男たちは少女(?)が言った通りにしてしまったようで――


「「おぇええええええええええええ!」」


 二人揃って盛大にえずいた。


「頭の中で思い浮かべただけで気持ち悪ぃ……吐きそうだ」

「な、何てもん想像させやがるんだ!」

「今さっき僕に同じことやろうとしたよね!? とにかく、これで分かったでしょ? 股間を触って男か確かめるのは絶対に嫌――あたっ!?」

「「うごっ!?」」


 騒いでいた少女(?)たち三人の頭を、唐突に衝撃が襲った。視線を落としてみれば、拳大の氷の塊が地面に三個転がっている。


「いい加減にしなさいこの馬鹿ども。ここは甘味処、食欲なくすようなこと大声で叫んでるんじゃないわよ」


 三人を叱咤する声と共に店内から現れたのは、少女(?)をそのまま成長させたような特徴を持つ美しい女性だった。こちらは少女(?)とは違い、青と白を基調とした落ち着きながらも雅な女用の着物を着ている。

 その着物がまた恐ろしい程に女性と上手く調和しており、ただ立っているだけで芸術であるかのような存在感を放っている。少女(?)が違和感で人目を集めるとしたら、彼女は純粋な美しさによって人目を集めている感じだ。

 当然と言うべきか、男二人は頭の痛みも忘れて鼻の下を伸ばしていた。

 だが、身体的特徴なら自身も同じものをもつ少女(?)は、痛む頭を押さえながら涙目で反論する。


「けどさ小雪さん、二人が妙なこと言うから……」

「大体聞こえてたわ。この際だからはっきり言っとくけど、あんたの性別なんてどうでもいいの」

「いや、全くもってどうでもよくないんだけど」


 女性――小雪は少女(?)の抗議を黙殺した。


「少なくとも、冷良が女にしか見えないのは事実よ。常連だって冷良が目的の男は何人かいる筈だわ」

「まあ、確かに……」

「否定はしねえわな」

「ねえ、お願いだから否定して」


 小雪も男たちも少女(?)の懇願を黙殺した。


「どの道、給仕は冷良にやってもらうしかないの。なら、客は事実を暴こうなんて無粋な真似はせず、大人しく可愛い花だと思って目の保養にしなさいな」

「お願い、させないで」


 やはり小雪も男たちも少女(?)――冷良の懇願を以下略。

 冷良の性別について納得してしまった男たちは、話題を次へ移す。


「目の保養って意味じゃ、小雪さんが出て来てくれたら更に嬉しいんだけどな。冷良も雪女なんだから、氷菓は作れるだろ? たまには厨房と看板娘を入れ替えてもいいんじゃねえか?」

「駄目よ、冷良が作ると味や形が大雑把になるもの」

「あー……そういえば冷良の方は半妖なんだっけか。やっぱり力を上手く扱えないってことなのか?」

「いいえ、単に冷良ががさつなだけよ」

「えへへ……」


 貶された当の本人は何故か喜んだ。


「何で嬉しそうなのよあなた……」

「だって、男らしいって言われたような気がして」

「男でも女でも関係なく、単なる駄目人間――ああいや、駄目半妖よ」


 冷え込んだ蔑みの目で、容赦なくばっさりと切り捨てる小雪だった。


「という訳で、がさつな僕は給仕に徹するしかないのです」


 がさつ、の部分を得意げに強調する冷良に、流石の男二人も呆れ顔である。

 しかし、問題はここから。馬鹿な理由で調子に乗ってしまった冷良は、あまりに余計な一言を付け加えてしまう。


「まあそもそも、男の僕は勿論、小雪さんだって看板『娘』って感じじゃないけどね」


 男たちが『あ、この馬鹿!』という表情で慌てたが、そちらを確認する前に冷良も自分の愚かしさに気付いた。

 何故なら、周囲を今の時期ではあり得ない冷気が満たし始めたからだ。雪女の半妖である冷良にとっては慣れたものである筈だが、人間の男たちと同じように顔色を悪くして震えている。

 そうやって周囲が物理的にも空気的にも凍り付こうとしている中で、小雪だけが不気味な程に泰然としていて、見る者の恐怖を誘わずにはいられない。


「ねえ、冷良?」

「は、はぃ……」

「今の一言は……一体どういう意味なのかしら?」

「あの……えと……」


 調子に乗って馬鹿な真似をした冷良でも、正直に答えた選択肢の先に待ち受けている末路を察する想像力は持っていた。

 とはいえ、咄嗟に上手い言い訳を思いつく発想力までは持ち合わせておらず、逃げるように小雪から目を逸らす。

 すると、小雪は冷良の両肩に手を置いた。そのまま首、顎へと移動してゆっくり、ゆっくりと、まるで極上の獲物を値踏みする捕食者のように、けれど表情にはたおやかな笑みを浮かべたまま移動していく。

 最終的に冷良の頬へ添えられた小雪の両手は、よそ見をしていた顔を優しく自分へと向けさせる。決して力を入れているようには見えないのに、冷良は一切の抵抗を示そうとしなかった。


「ねえ、冷良?」

「あ……う……」


 吐息のかかる距離で見つめ合う美女と(見た目は)美少女。お互いが人間離れした美貌の持ち主ということもあり、見る者に様々な妄想をかき立てさせる妖しくも美しい光景だ。

 だが、今この場において当事者たちが思い浮かべるのはただ一つ、数秒後に現実となるであろう惨劇のみである。

 正直に答えれば最悪の惨劇、このまま黙していても普通に惨劇、全てを華麗に回避する妙案も浮かばない。

 それでも、決断しなければならない。

 やがて腹を括った冷良がつかみ取った選択は――


「ごめんなさい!」


 ――恥も外聞も捨てた、土下座である。ことここに至れば余計な矜持も小細工も不要。ただひたすらに誠意を示すのみ。

 だが、小雪は許さない。


「あらあら、冷良ったらおかしな子。急に土下座なんてされても、何に対して謝ってるのか分からないわ」


 絶対に嘘だ。

 八方塞がりとなった冷良は捨てられた子犬のように潤んだ瞳で顔を上げる。最早出来るのは、みっともなく許しを請うことだけだ。

 そのまま一つ、二つ、三つ、じわじわと冷良の心をへし折るように無言を保つ小雪の口元には、いつの間にか何とも嗜虐的な笑みが浮かんでおり……。


「まあ、謝られてる理由は分からないけど、もし冷良が私の為に何かしたいのなら、好きなだけやらせてあげてもいいかも?」

「やります! やらせてください! 小雪さんの望むことなら何でも!」


 自分で追い詰めておきながらやたら労わるような小雪の台詞に、冷良は一も二もなく飛びついてしまうのであった。


「「お、鬼だ……」」

「あら、私は鬼じゃなくて雪女よ」


 完全に引いている男たちに蠱惑的な笑みで応え、小雪は店の中へと戻って冷良に手招きする。


「はら、あなたも来るのよ」

「…………」


 例え本能が警鐘を鳴らそうとも、慣れ親しんだ筈の店が奈落への入口に見えたとしても、不気味なほど優しい笑みを浮かべる小雪が邪鬼に見えたとしても、冷良に選択肢など与えられてはいないのだった。

 そうして表に男たちだけが取り残されることしばし。


「「うぉ~~~~~~~~~!」」


 男たちは萎縮していたのが嘘のように、揃って歓声の声を上げていた。

 彼らの前にいるのは、装いを変え(させられ)た冷良だ。

 先程までの無味乾燥な男物の着物とは違い、楚々とした淡い寒色を基礎としながらも、随所に散りばめられた赤い文様が控えめに主張する女物の着物だ。しかも襟や袖、裾からはひらひらとした薄布が覗いており、極めつけに裾自体も非常に短く、艶やかな太腿の大部分が日の下に晒されていた。

 いっそあっぱれなほど媚びる方向へ振り切った意匠は、あまりに露骨すぎてかえって(特に女性は)嫌悪感を抱かせるかもしれない。

 だが、それを着ている者が真っ白な肌を羞恥で真っ赤に染め上げ、大胆に晒された太腿を気にして必死に裾を引っ張っているとなればどうだろう?

 ――その破壊力は、筆舌に尽くし難い。


「似合ってるわよ、冷良」

「まっっったく嬉しくない」


 恨みがましく涙目で小雪を睨みつける冷良の髪には、可愛らしさを引き立てる花飾りまで装着されている。これで本人が男だと主張して、一体何人が真に受けるやら。


「うぅ……何なのさこの恰好、ひらひらだし裾短いし……」

「客前に出るんだから見目は整える方が良いに決まってるでしょ」


 ぐうの音も出ない正論だった。


「取り合えず、今日一日はその恰好でいなさい」

「はぁ~い」


 地の底まで落ちたやる気を前面に押し出し、冷良は頷いた。

 とはいえ、今日一日とは言っても、既に太陽が真上を通り越して結構な時間が経っている。この恰好でいる時間がそこまで長くないのは冷良にとって唯一の救いだろう。

 ――店で給仕をするだけだったなら。


「さてと、準備が出来たところでこれお願いね」


 惚れ惚れするほど満面の笑みを浮かべた小雪が差し出したのは岡持ち――料理や食器を持ち運ぶのに使う入れ物で、出前箱と呼ばれることもある代物だった。飲食店の関係者なら馴染み深い道具だ。

 だが、冷良は目を瞬かせて問いかける。


「……ナニコレ」

「出前箱」

「……ナンデ?」

「出前に行ってもらうからに決まってるでしょうが」


 出前。つまり離れた場所へ歩いて行くということであり、道中で大量の他人から姿を見られるということでもある。

 赤くなっていた顔から瞬時に血の気を引かせ、冷良は半泣きで首を横に振った。


「どうしたの冷良? 配達先はいつもの場所だから、不安になることも無いでしょう?」


 素知らぬ顔で首を傾げ、ずいっと冷良に近寄る小雪。


「私は店から離れられないし、あなたに行ってもらうしかないの。だから、ね? ――行きなさい」


 穏やかに台詞を紡いだ表情を一切変えないまま、小雪は最後に有無を言わせない威圧感と共に命令する。

 冷良に逃げ道など、残されている筈もなかった。

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