第183話 勇者と英雄

 行軍は、およそ二か月に及んだ。


 騎兵を除けば、基本的には徒歩での行軍だが、歩きにくい地形では、エルフの精鋭と僕が力を合わせ、精霊魔法により装備を軽くするなどの措置をして、兵士の負担を軽減。


 結果、本来なら四ヵ月かかる旅程を、半分に減らすことができた。


 途中、通った街は、魔族の侵略の脅威を身近に感じているからか、どこも歓迎ムードで、戦場が近くなればなるほど、その空気は濃くなる。


 もっとも、僕たちのプロパガンダの効果もあるだろうし、宿代など、軍隊がたくさんのお金を落とすという現実的な利益をもたらしているせいもあるだろうが。


 最終的に僕たちが足を止めたのは、トリゴという地方で、第二の経済規模を誇る都市――グラーノだ。


 魔族の脅威にさらされているとはいっても、グラーノは要塞化などはされていない。


 今は敵に落とされてしまったが、当時、魔族との国境の最前線であり、地方で第三の都市だったヤクト。


 そして、今、アルセさんが守ろうとしている――いや、『いた』第一の都市、ブレ。


 防壁代わりの二つの都市があったので、このような事態になるまでは危機感が薄かったのだろう。


 グラーノには、周囲に延々と麦畑が広がる、のどかな地方都市といった風情があった。


 無理矢理、地球にあてはめるとすれば、イタリアかフランスの田舎町といった感じだろうか。


「斥候と精霊の情報を総合するに、残念ながら、二週間程前に、すでにブレは陥落してしまったようですね」


 僕は、逗留することになった宿の、三階にある部屋の窓から、遠くを見遣る。


 いつの間にか、季節は秋。


 黄金色の穂が、ヒトたちの争いなんてそしらぬ顔で風にそよいでいる。


「……惜しいことをしましたなあ。城壁の厚いブレを拠点として使えれば、もう少し楽に戦いを展開できたのですが」


 僕とテーブルを挟んで差し向かいで座っているダブラズさんがそう呟いて、まるで酒のように水をジョッキであおる。


 グラーノには本物の酒もあるのだが、真面目なダブラズさんは、戦場においては一切、アルコールを口にしなかった。


「そうですね……。でも、アルセさんが戦死していないというのは不幸中の幸いでした。彼女は、ここから一週間程の距離にある森林地帯でゲリラ戦を展開して、敵を足止めしようとしてるみたいですね。敵軍の編成は、やはり中級程度のモンスターと、占領地で接収した兵士が主で、それに加え、アルセさん側から敵に寝返った――雇い直された冒険者が少し。戦力比としては、アルセさん側は敵の三分の一程度しかないようです」


 情報を確認するために、改めて僕はそう口に出す。


「妥当な戦術でしょうな。数に劣り、訓練された正規兵の少ないアレハンドラの寄せ集めが敵に対抗するには、それしかありませぬ。結局、ワシら以外の救援は来ぬようですしな」


 ダブラズさんは、フラットなトーンで現実を口にする。


 初めて会った時は、『豪快なおじさんだなあ』という印象だったのだが、あれは魑魅魍魎が跋扈する貴族社会で箔をつけるための言動だったのだろうと、今なら分かった。


 軍人というものは、きっと冷静沈着じゃないと務まらない。


 今の落ちついた雰囲気は、どことなくスノーを思わせる感じで、やっぱり親子なんだなあと実感する。


「まあ、冒険者も商売ですからね」


 冒険者は命あっての物種だと考えている人間が多い。


 多少金のはずみが良かろうと、軍隊と戦争してこいという危険な任務に手を挙げる者は少ないだろう。ましてや、今のアレハンドラは戦費がかさんでいるので、冒険者にそこまでの厚遇を用意することもできないのではなかろうか。


「して、タクマ殿。要塞は使えない以上、ワシらはやはり野戦で敵と干戈かんかを交えるということでよろしいか」


「はい。狭くて障害物の多い森林地帯では、僕たちの銃兵は活用できません。広くて平らな土地を確保して、あらかじめ防御陣地を築いて敵を迎え撃ちましょう」


 ダブラズさんの確認に、僕は深く頷く。


「で、あるならば、ちょうどいい。熟れた麦を刈り取って、まっ平になった土地に防護柵を構築しましょう。兵糧の足しにもなる」


「では、そちらの指揮をお任せします。僕は、アルセさんと直接接触を図りますね。風の精霊が、彼女の居場所を見つけてくれたようなので」


「わざわざ、総大将自らが足を運ばれる必要がるのですかな。危険ですぞ。他の者に任せてはいかがか」


 ダブラズさんがそう忠告してくれる。


「そうですね……。普通の軍隊同士の交渉ならばそうなんでしょうけど、今のアレハンドラの軍隊って、実質的にはアルセさんの私兵だと思うんですよね。こんな不利な状況で彼女に付き従っている人は、アルセさんに心酔している人だけだと思うんで。だとすれば、面識のある僕が、リスクを冒して直接会いに行った方が、アルセさんも、彼女の配下も、感情的に納得させやすいと思うんです」


 僕はちょっと考えてから言った。


「ふむ。失礼致した。そこまで慮ってのことならば、ワシからはもう何も言いませぬ。ガハハハハ。それにしても、さすがは英雄ですな! 総大将自らが最前線に立つならば、士気も大いにあがりましょう」


「僕は凡人ですよ……。あの、それで、話は全然変わるんですけど」


「なんですかな?」


「何というか、必要なこととはいえ、フロルさんと結婚することになってしまって、すみませんでした。いや、謝るのもおかしいかもしれないんですけど、なんだか、スノーの立場を思うと、悪いことをした気がして」


 元々、僕とスノーは政略結婚のようにして一緒になった。そこに、さらに家格が上のフロルさんが加わると、スノーの立場がない気がする。


「何をおっしゃるか。フロル様と同じ夫を持てるとは、ワシの家にとっても、光栄なことですぞ。やはり、タクマ殿に娘を預けたワシの判断は間違っておりませなんだ」


 ダブラズさんが真顔でそう即答する。


「スノーも『ドラゴンの、頭の誇りは尾の誇り』とか言ってましたけど。本心ですかね? 僕は、彼女が内心嫌な思いをしてるんじゃないかと心配で」


「あの娘に腹芸をこなすような力はないですぞ。ふむ。それにしても、戦場で女のことを考える余裕があるならば、タクマ殿は大丈夫に違いないですな! ガハハハハハハハ!」


 ダブラズさんは愉快そうに言って、ジョッキの底をテーブルに叩きつけて豪快に笑った。



                         *


 針葉樹林の木立を駆ける。


 いや、正確には飛んでいる。


 地表、数センチメートルの所で足を浮かせ、足音が鳴らないようにしていた。


 水の精霊と火の精霊が、ある種の光学迷彩で僕の姿を隠している。


 風の精霊が空気を遮断し、わずかな体臭すら漏れ出ないようにしているので、どんな敏感な獣でも、僕の存在に気が付くことはできないだろう。


『こっちこっちー。いい匂いがプンプンするよー。あっ、でもちょっと臭いのもいるなー』


 風の精霊に導かれるまま、僕は森の奥深くに潜入する。


 やがて、倒木が転がる木立にまでやってくると、声が聞えてきた。


「勇者さんよお。いい加減諦めて降伏してくれませんかねえ」


「『総統』さんだって、あんたを悪いようにはしないと思うぜ?」


「そうだよ。あんたには利用価値がある。あんたが、世界に降伏をよびかけてくれりゃあ、誰も傷つかずに、みんな幸せじゃないかい?」


 冒険者らしき三人に、アルセさんが囲まれている。


 前衛に、戦士の男が二人。


 後衛に、女の魔法使いが一人か。


「いやだよ。私が諦めたら、私を信じて戦ってくれた仲間に、死んでいった仲間に、創造神様にも、どんな顔して会えばいいか分からないもん」


 アルセさんは冒険者たちの甘言をきっぱりと拒絶して、剣を構えた。


 アルセさんの美しさは相変わらずだが、血と泥で薄汚れた装備が、彼女の労苦を象徴している。


「創造神様ねえ。本当にいるのかい? あたいも信心深い方じゃないけどさ、今まで創造神様を疑ったことはなかったよ。でも、現に今こうして、ヒトが困っていても、何にもしちゃくれないところをみると、いないんじゃないかい? それとも、案外、創造神様は『総統』の下での平和を望まれているのかもしれないね。あたいらも魔族側についてステータスが低下しやしないが、ひやひやものだったけど、今んとこなにもお咎めなしみたいだしさ」


 女が嘲笑気味に呟く。


「創造神様はいるよ。何を思召しているかは、私なんかにはわからないけど。でも、たとえ創造神様が今の状況を肯定しているとしても、私は魔族に支配された未来を認めない。あなたたちも、見たでしょ? 降伏したヒトの兵士は、何だかよくわからない呪いみたいなのに縛られて、逃げたら、死ぬように隷属させられてる。今は自由を与えられていても、いずれはあなたたちもそういう風にされるって、どうして分からないの?」


 アルセさんが痛切な声で訴えかける。


「そんなこと言われても、あたいらには関係ない話さ。あたいら冒険者には今しかないからね。大体、弱い者が虐げられるのはヒトの世でも、魔族の世界でも変わりゃしないと思うけどねえ」


 女は冷めた調子で首を横に振る。


「もういい諦めろ。これ以上の説得は無駄だ。捕まえた方が実入りはいいが、腹くくれ」


「殺しちゃうのかい? さすがの私もちょっと罪悪感があるねえ」


「しゃあねえだろ。手加減するほどの余裕はねえ。いくら、勇者の異能がヒトの俺たちゃにゃ効かないとはいえ、奴の装備も腕も一級品だからな」


 冒険者たちがそれぞの得物を構える。


「ここまで、かなあ。みんな! ごめんね! ……あの子との約束も果たせそうにないや」


 アルセさんが覚悟を決めたように大きく息を吸い込む。


 左右からアルセさんに斬りかかる男。


 女の杖が、彼女の心臓を捉える。


『誰か、殺さないであいつらを気絶させられる?』


『はーい』


 水の精霊が名乗り出た。


 ゴバッ


 ゴババババババッ


 ゴバッバッ!


 突如顔の周りを覆った水塊に、冒険者たちはもがき苦しむ。


 本能的に手で払いのけようとするが、その指が虚しく濡れるだけで何の効力もない。


「ふえっ!?」


 アルセさんの繰り出した斬撃は空を切り、彼女はきょとんとした表情で目を丸くする。


 ゴボゴボと呼吸にならない呼吸音はやがて途切れ、三人の冒険者は自然と意識を手放した。


 僕は、さらに冒険者の装備をバラして全裸状態にした後、彼らに麻痺と睡眠の状態異常を付加して完全に無力化する。


『水を飲み込んだいたら吐き出させて、三人に死なない程度に空気をあげて』


『キミ時々、こわいよー』


 風の精霊はわざとらしく大げさに震えてみせてから、冒険者たちへと近づき、その命をつなぐ。


 もちろん、殺さなかったのは慈悲などではなく、彼らを連れ帰り、情報を引き出すためだ。


「な、なに? 誰かいるの?」


 アルセさんが警戒したように距離を取る。


「アルセさん。お久しぶりです」


 僕はそこでようやく、自らアルセさんの前に姿を現した。


「キミ……なの? これは私の夢? それとも、モンスターが作り出した幻影?」


「どちらでもなく、本物ですよ。あなたを迎えにきました。アルセさんが、魔王を倒したら僕のお嫁さんになってくれるって言っていたので」


 僕はそう言って、アルセさんに微笑みかける。


「えっ!? ええっ??? あ、あの、その、確かに昔そんなことを言った気がするけど、今はそういう場合じゃないっていうか、でも別にキミのお嫁さんになるのが嫌ってことでもないんだけど――」


 僕のジョークに、アルセさんは顔を真っ赤にして、剣先で地面をなぞってもじもじし出す。


「……困らせてしまってすみません。冗談のつもりだったんですけど。本当はアレハンドラからの要請でアルセさんたちを助けにきたんです」


「……はあ。全くキミって人は……。でも、相変わらずな感じでちょっと安心しちゃった」


 アルセさんが呆れと感心が入り混じったようなため息を漏らす。


「アルセさんも、無事でなによりです」


「うん……なんとかね。風の噂に聞いたんだけど、キミすごく偉くなったんでしょ? 私、そういうことに疎いから、よく分からないんだけど、すごいね」


 アルセさんはそう言って、祝意のこもった笑みを僕に向けてきた。


「それを言うなら、アルセさんの方こそですよね。まあ、とりあえず、積もる話はあとで。まずは、トリゴまで撤退して、援軍と合流してください」


「うん。ありがとう。でも、私だけで逃げることはできないよ。仲間も一緒じゃないと。――キミも、助けるのをを手伝ってくれるかな? 未来のお嫁さんからのお願い!」


 アルセさんは先ほどの意趣返しとばかりに、冗談めかした口調と共に手を合わせ、そう頼み込んでくる。


「はい。喜んで」


 僕はそう即答して頷いた。


 風の精霊に捕虜を送り届けさせてから、僕はアルセさんと共に森を駆けずり回り、彼女の仲間を随時ピックアップしていった。


 もっとも、大軍となると目立つので、十人ほどを助けたら、一旦街へと届け、またさらに十人を――といった具合に、救出に細心の注意を払ったのは言うまでもない。


 幸い精霊による隠蔽が効いて、隠密裏にことは進み、ほとんど敵との遭遇戦を経験することもなく作戦は進行した。


 こうして僕は、ほとんど犠牲を出すこともなく、アルセさんとその仲間を連れ、無事グラーノへと帰還することに成功したのだった。

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